Archive for category ショウ雑感

2015年ショウ雑感(その5)

瀬川先生が「コンポーネントステレオのすすめ」の中で、
この瞬時切り替え試聴の注意点について書かれている。
     *
 たくさんのスピーカーが積み上げられ、スイッチで瞬時に切換比較できるようになっている。がそこには大別して三つの問題点がある。
 第一、スピーカーの能率がそれぞれ違う。アンプのボリュウムをそのままにして切換比較すると、能率の高いスピーカーは大きな音で鳴り、能率の低いスピーカーは小さな音になってしまう。馴れない人は、大きな音が即、良い音、のように錯覚しやすい。スピーカーを切換えるたびに、同じような音量に聴こえるよう、アンプのボリュウムを調整しなおすこと。
 第二、AからB、BからCと切換えて聴くと、その前に鳴っていた音が次の音を比較する尺度になってしまう。いままで鳴っていた音が、次の音を聴く耳を曇らせてしまう。この影響をできるだけ避けるため、A→B→Cと切換えたら、こんどはB→A→C、次はC→B→A、B→C→A……と順序を変えながら比較すること。もしも少し馴れてきたら、切換比較をやめて、あるレコードをAで聴いたらそこで一旦やめて、Bのスピーカーで同じ部分を改めて反復する。そして、音色の違いを比較しようとせずに、どちらがレコードをより楽しく、音楽の姿を生き生きとよみがえらせるか、という点に注意して聴く。
 第三、スピーカーの置かれてある場所によって、同じスピーカーでも鳴り方が変る。下段は概して低音が重くなり、音がこもり気味になる。冗談は低音が軽くなり、音のスケール感が失われがち。中段が大体いちばん無難、というように、本当に比較するなら、抜き出して同じ場所に置きかえなくてはわからないが、それが無理なら、一ヵ所に坐って聴かずに、鳴っている二つのスピーカーの中央に自分の頭を移動させる。めんどうくさがらずに、立ったりしゃがんだりして聴く。あるべくスピーカーのそばに近づいて聴いてみる。別の店で、同じスピーカーの置き場所が違うと音がどう変るか聴いてみるのも参考になる。
     *
今回のオーディオ・ホームシアター展(音展)での、
そのブースではふたつのスピーカーシステムの音量はほぼ同じに感じられるようになっていた。
なので、ここでは第一の問題点について取り上げる必要はない。

第三のスピーカーの置かれている場所による音の違い。
これは厳密には試聴のたびにスピーカーを移動して、という作業をする必要がある。
ステレオサウンドの試聴室ではそうやっていた。
だが、今回のケースはいわばオーディオショウという場であり、
限られた時間でのデモということを考慮すると、しかたないという面もある。
だから、この問題点についても、とやかくいわない。

問題としたいのは、第二のことである。
今回は比較対象となるスピーカーシステムは二組だから、AとBということになる。
10秒ごとのスピーカーの瞬時切り替えということは、
A、B、A、B……となるわけで、そこで聴いているのは
Aの音、Bの音というよりも、A-Bの音、B-Aの音である。

A-Bは、前に鳴ったAの音とBの音の差であり、
B-Aは、前に鳴ったBの音とAの音の差である。

AとBは交互に鳴っているわけだから、A-Bの音とB-Aの音は同じじゃないか、と考える人もいよう。
だが人間の感覚として、A-Bの音とB-Aの音は同じではない。

A-Bの音とB-Aの音が同じだと考えているから、
そのブースでは10秒ごとの瞬時切り替えを行っていたのではないのか。

2015年ショウ雑感(その4)

そのブースに入ると、正面のディスプレイに、どういうプログラムで試聴を行うかが表示してあった。
そこで鳴らされるソースは鑑賞曲と試聴曲とにわけられていて、交互にかけられていた。

鑑賞曲ではそのメーカーのスピーカーシステムだけで鳴らされる。
試聴曲で他社製のスピーカーシステムとの比較ができるというわけである。

このやり方は問題はない。
問題があるのは、試聴曲の鳴らし方だった。
10秒ごとに自社製と他社製のスピーカーシステムを切り替える。
曲を再生しながらである。

いわゆる瞬時切り替えによる試聴である。
それも切り替えて、曲の頭に戻るのではなく、
一曲を流したままでの瞬時切り替えを、このブースではやっていた。

この試聴は、ずっと昔、オーディオ販売店でみられたやり方だ。
多くの販売店にはスピーカーが壁一面に積み上げられていて、
アンプも棚に何台も収納されていた。

これらはすべて切り替えスイッチに接続されていて、
ボタンを押すだけで、希望するスピーカー、アンプに切り替えられる。
いまでもこのシステムを使っているところはある。

どんなモノでもそうだが、問題はどう使うかである。
ボタンひとつで切り替えできるからといって、
曲を流したままにして、ボタンを押してAB比較をやる。

これが昔々のやり方だった。
このやり方は、ずいぶんとまずいもので、
当時からこの比較試聴に対しては、心ある人たちが問題視していた。
そして、いつしかそういう比較試聴はなくなっていった。

なくなってずいぶん経つ。
それをやっているメーカーがある。

このことに驚いたわけである。
少なくとも彼らは、自社製と他社製のスピーカーの音の違い(優劣)を、
来場者にはっきりと示したい、と考え、
もっとも有効なやり方として、今回の方法をとったのだろう。

ということは、彼らはそのスピーカーシステムの開発においても、
同じ聴き方をしているということにもつながっていく。

2015年ショウ雑感(その3)

去年のオーディオ・ホームシアター展(音展)で驚いたのはNHKの8Kのデモだった。
今年もNHKは8Kをやっていた。
今年は8Kのロゴの下に”SUPER Hi-VISION”とあった。

8KがSUPER Hi-VISIONなら、次に登場するであろう16KまではSUPER Hi-VISIONのままで、
その次の32Kまでいくと”ULTRA Hi-VISION”となるのかなと思いながら、8Kのデモを観ていた。

去年の驚きがあるから、今年はそれほど驚いたわけではなく、じっくりとみていた。
やっぱり8Kはいいな、と思う。
来年には試験放送がはじまり、2020年までには本格的普及を目指すということだった。

その展開の速さに今年は驚いていた。

今年のオーディオ・ホームシアター展(音展)で驚いたのは、
どこかのメーカーの製品の音ではなく、あるブースの比較試聴のやり方だった。

そこではスピーカーのデモが行われていた。
そのメーカーのスピーカーの他に、
ほぼ同サイズの他社製のスピーカー(世評の高い者)を並べての比較試聴である。

こういうデモをやるということは、それだけ自信があるということであり、
そのこと自体はとやかくいうことではない。

ただ、その比較試聴のやり方に驚いてしまった。
いまどき、こんな比較試聴をやるのか、
だとしたら、このスピーカーの開発過程における試聴でも、
彼らはそういう試聴をやっているのではないか──、
そう思って驚いていた。

それは昔々の比較試聴のやり方だった。

Date: 10月 16th, 2015
Cate: ショウ雑感

2015年ショウ雑感(その2)

今日から開催のオーディオ・ホームシアター展(音展)に行ってきた。

先月聴いたヤマハのNS5000がまた聴けるということで行ってきた。
だが残念ながらNS5000はなかった。

出かける前にヤマハのウェブサイトにあるNS5000のイベント情報で確認していた。
そこにはオーディオ・ホームシアター展(音展)の日程が書いてある。
誰だって、こう書いてあればオーディオ・ホームシアター展(音展)でNS5000が聴けると思ってしまう。
さきほどまた確認したが、やはりオーディオ・ホームシアター展(音展)のことがイベント情報で表示されている。

ヤマハのブースに入ろうとしたら、ヤマハの人に「NS5000は聴けないんですか」と訊ねている人がいた。
NS5000の音が聴けるのを楽しみにされていたのだろう。

そのやりとりを横で聴いていた私は、ヤマハのブースには入らなかった。
NS5000をオーディオ・ホームシアター展(音展)に持ってこないのは事情、理由があってのことだとしても、
それならばNS5000のイベント情報を更新しておくべきだ。

ヤマハの人に「NS5000は聴けないんですか」と訊ねていた人、私以外にもNS5000を目的で、
オーディオ・ホームシアター展(音展)に行かれる人がいると思う。
だからもう一度書いておく。

今回のオーディオ・ホームシアター展(音展)では、NS5000は聴けないし見ることもできない。

Date: 10月 7th, 2015
Cate: ショウ雑感, 日本のオーディオ

2015年ショウ雑感(日本のオーディオ、これから・余談として)

私がオーディオに興味を持った1970年代後半、
ヤマハのスピーカーユニットはトゥイーターのJA0506とウーファーのJA5004ぐらいしかなかった。

そのヤマハが1979年にスピーカーユニットのラインナップを一挙に充実させた。
20cm口径のフルレンジユニットJA2071とJA2070、
トゥイーターはJA0506の改良型のJA0506IIの他に、
同じホーン型としてJA4281、JA4272、またドーム型のJA0570、JA0571、JA0572。
スコーカーはホーン型のJA4280、ドーム型のJA0770、JA0870。

コンプレッションドライバーはJA4271、JA6681、JZ4270、JA6670があり、
組み合わせるホーンはストレートホーンのJA2330、JA2331、JA2230、
セクトラルホーンのJA1400、JA1230が用意されていた。

ウーファーは30cm口径のJA3070、
38cm口径のJA3881、JA3882、JA3871、JA3870と揃っていたし、
これらの他にも音響レンズのHL1、スロートアダプター、ネットワークもあった。

このラインナップに匹敵するモノを、いまのヤマハに出してほしいとは思っていない。
ただひとつだけNS5000と同じ振動板の、20cm口径のフルレンジユニットを出してほしいと思っている。

JA2071とJA2070のコーン紙は白だった。
NS5000の振動板も白(微妙な違いはあるけども)である。
素性のとてもいいフルレンジユニットとなりそうな気がする。

それはこれからにとって必要なモノだと考えるし、
出来次第では重要なモノ、さらには肝要なモノへとなっていくことを夢想している。

Date: 10月 5th, 2015
Cate: ショウ雑感, 日本のオーディオ

2015年ショウ雑感(日本のオーディオ、これから・その6)

感じただけで、実際にAPM8の音を聴くことはできなかった。
それもあってだろう、いつしか忘れてしまっていた。
思い出したのはダイヤトーンのDS10000を聴いたときだった。
五年が経っていた。

ダイヤトーンのDS10000はDS1000をベースにしていることはすでに書いた通りだ。
DS1000の音は、私にとっては井上先生がステレオサウンドの試聴室で鳴らす音とイコールである。

何度かのその音を聴いている。
DS1000の良さは、だから知っている。
ちまたでいわれているような音とは違うところで鳴る音の良さがある。

当時DS1000の評価は、すべての人が高く評価していたわけではなかった。
うまく鳴っていないケースも多かったというよりも、
うまく鳴っていないケースのほうが多かったらしいから、それも当然である。

それでも高く評価する人たちはいた。
誰とは書かない。
この人たちは、どれだけうまくDS1000を鳴らしたのだろうか、と疑問に思ってもいた。
それこそ聴かずに(少なくとも満足に聴かずに)、試聴記を書いているではなかったのか。

DS10000が出た。
価格はDS1000の三倍ほどになっていたし、
エンクロージュアの仕上げも黒のピアノフィニッシュになっていた。
専用スタンドも用意されていた。

音質的に配慮されたスタンドだということはわかっていても、
このスタンドに載せたDS10000の姿は、あまりいい印象ではなかった。
なんといわれていたのかはいまでも憶えているが、
いまもこのスピーカーシステムを愛用している人はきっといるはずだから、そんなことは書かない。

でも、DS10000から鳴ってきた音を聴いて驚いた。
DS1000の音はしっかりと把握していたからこそ、
そこでの「どこにも無理がかかっていない」と思わせる鳴り方に驚いた。
そして黒田先生のAPM8の試聴記を思い出してもいた。

Date: 9月 30th, 2015
Cate: ショウ雑感, 日本のオーディオ

2015年ショウ雑感(日本のオーディオ、これから・その5)

瀬川先生がステレオサウンド 52号「最新セパレートアンプの魅力をたずねて」で書かれている。
     *
 新型のプリアンプML6Lは、ことしの3月、レビンソンが発表のため来日した際、わたくしの家に持ってきて三日ほど借りて聴くことができたが、LNP2Lの最新型と比較してもなお、歴然と差の聴きとれるいっそう透明な音質に魅了された。ついさっき、LNP(初期の製品)を聴いてはじめてJBLの音が曇っていると感じたことを書いたが、このあいだまで比較の対象のなかったLNPの音の透明感さえ、ML6のあとで聴くと曇って聴こえるのだから、アンプの音というものはおそろしい。もうこれ以上透明な音などありえないのではないかと思っているのに、それ以上の音を聴いてみると、いままで信じていた音にまだ上のあることがわかる。それ以上の音を聴いてみてはじめて、いままで聴いていた音の性格がもうひとつよく理解できた気持になる。これがアンプの音のおもしろいところだと思う。
     *
52号は1979年に出ている。
私はまだ16だった。
オーディオをどれだけ聴いていたか──、わずかなものだった。

アンプとはそういうものなのか、アンプの音とはそういうものなのか、と思い読んでいた。
そして考えた。これがスピーカーだったら、アンプの音の透明度に相当するもの、
つまり「それ以上の音を聴いてみてはじめて、いままで聴いていた音の性格がもうひとつよく理解できた気持になる」音とは、
何なのかを考えていた。すぐには思いつかなかった。

そんなことを考えて半年、ステレオサウンド 54号が出た。
スピーカーシステムの特集だった。

黒田先生、菅野先生、瀬川先生が国内外の45機種のスピーカーシステムを聴かれている。
その中に黒田先生のエスプリ(ソニー)のAPM8の試聴記がある。
これを読み、これかもしれないと思った。
     *
化粧しない、素顔の美しさとでもいうべきか。どこにも無理がかかっていない。それに、このスピーカーの静けさは、いったいいかなる理由によるのか。純白のキャンバスに、必要充分な色がおかれていくといった感じで、音がきこえてくる。
     *
とはいえ、この時はいわば直感でそう感じただけだった。

Date: 9月 27th, 2015
Cate: ショウ雑感, 日本のオーディオ

2015年ショウ雑感(日本のオーディオ、これから・その4)

ダイヤトーンが40周年記念モデルとして、1985年にDS10000を出してきた。
このころのダイヤトーンはDS5000、DS1000、DS2000といったスピーカーが主力であり、
これらをきちんとセッティングして鳴らした音は、オーディオマニアとして惹かれるところがあった。

とはいっても自分のモノとして買うかとなると、それはなかった。
それでもきちんとした状態で鳴るこれらのスピーカーの音には、
オーディオマニアとして挑発されるところがあった。

DS10000は型番からわかるようにDS1000をベースにした限定モデルである。
ウーファーは27cm口径、スコーカー、トゥイーターはハードドーム型。
エンクロージュアはピアノフィニッシュのブックシェルフ型だった。

こう書いていくと、今回のヤマハのNS5000も同じといえる構成である。
構成、外観が共通するところがあるにとどまらない。

昨日、NS5000の音を聴きながら、DS10000の音を初めて聴いた時のことを思い出していた。
DS10000を聴いた時の驚きを思い出していた。

NS5000にも、そういった驚きがあった。
同じといえる驚きの部分もあったし、そうでない驚きもあった。

Date: 9月 27th, 2015
Cate: ショウ雑感, 日本のオーディオ

2015年ショウ雑感(日本のオーディオ、これから・その3)

24日のNS5000の発表された内容を読んでいて、
インターナショナルオーディオショウに行って音を聴きたい、と思うようになったのは、
まず型番がそうだった。

現在のヤマハのプリメインアンプとCDプレーヤーは、1000番、2000番、3000番の型番がつけられている。
NS5000はNS1000でも、NS2000でもNS3000でもなく、NS5000である。
NS1000とNS2000は既に使われている型番だとしても、なぜNS3000でないのか。

もしかするとNS3000という型番で開発は始まったのかもしれない。
それがなんらかの理由で、NS5000になったとしたら……、そんなことを考えていた。

そして価格をみると一本75万円(予価)とある。ペアで150万円。
ヤマハのCD-S3000、A-S3000の価格からしても高い価格設定である。
ということは、CD-S5000、A-S5000が今後登場してくるのかもしれない。
それだけではない、いまはプリメインアンプだけだが、セパレートアンプの復活もあるのではないか。

そんな勝手な期待をしていた。
これがインターナショナルオーディオショウに行こうと思った理由のひとつ。

もうひとつはNS5000の外観にある。
30Cm口径ウーファーに、ドーム型のスコーカーとトゥイーター、
エンクロージュアのサイズはいわゆる日本的なブックシェルフ。

エンクロージュアも写真を見る限りはラウンドバッフルではない。
ただの四角い箱に見える。
いくら仕上げがピアノフィニッシュであっても、
598のスピーカーと一見似たような内容で、十倍以上の価格をつけて出してくる。

あえて、このスタイルでヤマハは出してくるのか──、
これがふたつめの理由である。

もうひとつは昨年のショウ雑感にも書いているように、
ヤマハのプレゼンテーションは、なかなかよかった。
今年もいいプレゼンテーションであるだろうし、
昨年と同じということもないであろう。そういう期待も理由のひとつであった。

Date: 9月 27th, 2015
Cate: ショウ雑感, 日本のオーディオ

2015年ショウ雑感(日本のオーディオ、これから・その2)

ヤマハのスピーカーシステムの型番には基本的にはNSとついている。
NSとはナチュラルサウンド(Natural Sound)の略である。

NS1000M、NS690、NS10M、NS500、NS8902などの製品があった。
これら以外にも数多くのヤマハのNSナンバーのスピーカーシステムは登場してきた。

1980年代に登場したヤマハのスピーカーの大半は、
ステレオサウンドで聴いている。
そうやって聴いてきて、
ヤマハが目指している・考えているナチュラルサウンドがどういう音なのか、
それがわかった・つかめたかというと、そんなことはなかった。

こちらの聴き方が悪いのかもしれない。
でも、それだけではなかったはずだ。

たとえばNS690IIとNS1000Mは、どちらも30cm口径のウーファーの3ウェイ、
スコーカーとトゥイーターはどちらもドーム型だが、NS690IIはソフトドームでNS1000Mはハードドーム型。
エンクロージュアの仕上げ、色もまったく違う。

それぞれのスピーカーから鳴ってくる音は、
他社製スピーカーとの比較においてはどちらもヤマハのスピーカーであることははっきりしているのだが、
NS690IIとNS1000Mとでは性格が同じスピーカーとはいえないところもあった。

ヤマハはどちらの音をナチュラルサウンドと呼ぶのか。
私にとって、このことはながいこと疑問だった。

今回NS5000を聴いて、
やっとヤマハの「ナチュラルサウンド」をはっきりと耳で聴きとれた、と実感できた。

Date: 9月 26th, 2015
Cate: ショウ雑感, 日本のオーディオ

2015年ショウ雑感(日本のオーディオ、これから・その1)

25日からインターナショナルオーディオショウが始まった。
今回は仕事の関係で行けない(行かない)かもと思っていた。

けれど24日にヤマハからNS5000のリリースが発表になった。
これだけは聴いておきたいと思い、なんとか時間のやりくりで、26日の夕方の、二時間半ほど会場を廻っていた。

目的のヤマハのブースでは私が到着する少し前に試聴が始まっていた。
これまでならばそれでもブースに入れたものだけど、今回は無理だった。
となると本日の最後のデモ(18時から)を聴くしかない。
そのためにはヤマハのブースに最低でも15分前には入っておきたい。

つまり他のブースを廻る時間は一時間ちょっとになってしまう。
NS5000以外にも聴いておきたいモノはあった。
でも今回はNS5000を最優先とすることにした。

おかげでNS5000を約50分間聴けた。
予想をこえていた音が鳴っていた。
詳細は明日以降書いていくが、明日(27日)に行かれる方は、とにかくNS5000の音を聴いてほしいと思う。

NS5000からは「日本のオーディオ、これから」を聴き取ることができたからだ。

Date: 9月 4th, 2015
Cate: ショウ雑感

2015年ショウ雑感(その1)

三週間後の25日(金曜日)から、インターナショナルオーディオショウが開催される。
9月25日といえば、グレン・グールドの誕生日でもある。

グレン・グールドにさほどの関心もない人にとっては、こんなことはどうでもいいことにすぎないが、
私にとっては、今年はちょっと違うな、と、それだけで思わせてくれる。

三週間後に実際に行けば、例年と同じように開催されていたとしても、
受け手の心情が、わずかとはいえ例年とは違っているのだから、
私としてはそれで充分である。

9月25、26、27日がインターナショナルオーディオショウ、
10月16、17、18日がオーディオ・ホームシアター展(音展)、
10月17、18日は、これまでのハイエンドショウトウキョウは開催中止となったが、
TOKYO AUDIO BASEが開会される。

私が楽しみにしているのは、オーディオ・ホームシアター展のNHKのブースである。
今年もきっと8Kのデモをやってくれると期待している。

Date: 11月 15th, 2014
Cate: ショウ雑感, ジャーナリズム

2014年ショウ雑感(オーディオ・ジャーナリズム・その4)

別項でふれているMAC POWERというMac関係の月刊誌。
MAC POWERはあるときから編集者が誌面に積極的に登場するようになっていった。
ステレオサウンドの、編集者は黒子であれ、とはまさに正反対の編集方針であり、
そのこともMAC POWERを面白く感じる理由になっていたように思う。

MAC POWERでは筆者の記事よりも、編集者の記事の方が興味深いことも少なくなかった。
そのことは編集部も感じていたのかもしれない。
おそらく筆者も感じていたことだろう。
そうやって本が面白くなっていく。
けっこうなことだと思うし、そういう編集方針をオーディオ雑誌に取り入れたら、とも想像していた。

MAC POWERと似たようなことはステレオが以前からやってはいた。
編集部による実験的な試聴記事が毎号数ページ掲載されていた。

だが、それはどうしても内輪ネタといった印象から抜け出ることはなかった。
少なくとも私はそんなふうに感じていた。
MAC POWERにはそういうところが皆無だったとはいわないけれど、内輪ネタには留まっていなかった。
だから面白く読めた。

ステレオサウンドでMAC POWERのように編集者が積極的に誌面に登場するようにはできないか、
それになぜ編集者は黒子でなければならないのか、について考えてもいた。

ある時、ある人から聞いた。
ステレオサウンドがオーディオ評論家を前面に推し出し、編集者を黒子とするのか、
その理由についてである。

ある人は、原田勲氏から直接聞いたこととして、私に話してくれた。
「そういう理由もあったのか……」と思った。

いまここで、その理由については書かない。
いつか書くことになるかもしれないが、いまは書かない。

ある人から聞いたことだけが黒子の理由の全てではないにしても、
こういう考えがあるのなら、編集者にオーディオ・ジャーナリズムは芽生えない、とだけはいっておく。

Date: 11月 15th, 2014
Cate: ショウ雑感, ジャーナリズム

2014年ショウ雑感(オーディオ・ジャーナリズム・その3)

私が在籍していたころのステレオサウンドの編集長は原田勲氏だった。
いまオーディオ評論家になられている黛さんが編集次長だった。
とはいえ、実質的に黛さんが編集長であった。

この時代、原田編集長からいわれていたことは「編集者は黒子だ」ということだった。
これはステレオサウンドという専門雑誌を創刊して20年近く、
つねにオーディオ雑誌としてトップにいつづけてきたことから得たことなのだろう。

あの時代は黒子でよかった、というよりも、黒子であったから、ステレオサウンドはうまくいった。
けれど編集者が黒子でいては、編集者にジャーナリズムは芽生えるのだろうか、といまは思う。

別項「オーディオにおけるジャーナリズム」でも引用している瀬川先生の、ステレオサウンド 50号での発言。
     *
新製品をはじめとするオーディオの最新情報が、創刊号当時にくらべて、一般のオーディオファンのごく身近に氾濫していて、だれもがかんたんに入手できる時代になったということも、これからのオーディオ・ジャーナリズムのありかたを考えるうえで、忘れてはならないと思うんです。つまり初期の時代、あるいは、少し前までは、海外の新製品、そして国産の高級機の新製品などは、東京とか大阪のごく一部の場所でしか一般のユーザーは手にふれることができなかったわけで、したがって「ステレオサウンド」のテストリポートは、現実の新製品知識を仕入れるニュースソースでもありえたわけです。
 ところが現在では、そういった新製品を置いている販売店が、各地に急激にふえたので、ほとんどだれもが、かんたんに目にしたり、手にふれてみたりすることができます。「ステレオサウンド」に紹介されるよりも前に、ユーザーが実際の音を耳にしているということは、けっして珍しくはないわけですね。
 そういう状況になっているから、もちろんこれは「ステレオサウンド」だけの問題ではなくて、オーディオ・ジャーナリズム全体の問題ですけれども、これからの試聴テスト、それから新製品紹介といったものは、より詳細な、より深い内容のものにしないと、読者つまりユーザーから、ソッポを向かれることになりかねないと思うんですよ。
     *
ここでのオーディオ・ジャーナリズムにはオーディオ評論家、オーディオ雑誌の編集者も含まれて、のはずである。
だが実際にはどうだったのか。

試聴という取材の場に立ち会ってはいても取材をしているとはいえない編集者。
黒子でいいのであれば、これでもいい。
むしろ、好都合といえるのか。

だがオーディオ・ジャーナリズムを芽生えさせ育てていくうえで、黒子のままでよかったとはいえない。

Date: 11月 9th, 2014
Cate: ショウ雑感, ジャーナリズム

2014年ショウ雑感(オーディオ・ジャーナリズム・その2)

試聴は、試聴と呼ばれる取材である。
つまり試聴室は、取材の現場といえる。

そこにいるのは試聴者と試聴のための準備をする者である。
一般的に、試聴者はオーディオ評論家と呼ばれている人たちである。
まれに読者参加ということで、オーディオ評論家以外の人が加わることもあるが、
この人たちはあくまでもアマチュア代表ということだから、
ここでのオーディオ・ジャーナリズムからは除外しておく。

オーディオ評論家は、試聴室で鳴っている音を聴き、メモを取る。
辞書には、記事・制作などの材料となることを,人の話や物事の中から集めること、とあるから、
試聴はまさに取材でもある。

このとき編集者は何をしているのか。
まず試聴のための準備をする。
必要となる器材を集め、アンプやCDプレーヤーといった電子機器であれば、
あらかじめ電源をいれておきウォームアップをさせておく。

試聴が始まれば、試聴対象となるオーディオ機器を試聴室にいれて設置・接続。
それまで聴いていたオーディオ機器を試聴室の外に運び出す。
これを何度もくり返し行う。

場合によっては試聴ディスクのかけかえ、レベルコントロール操作といったオペレーションを行う。
試聴という取材が滞りなく運ぶためである。

ここでの編集者の働きは、どうみても取材とはいえない。
試聴室という現場に編集者もいるわけだが、取材をしているとはいい難い。