Archive for category 瀬川冬樹

Date: 5月 9th, 2009
Cate: 930st, EMT, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その52)

(その23)での冒頭で引用した、瀬川先生によるEMT 930stの試聴記。

この文章こそ、瀬川先生の音の好みを知る上で好適と言えよう。
     ※
中音域から低音にかけて、ふっくらと豊かで、これほど低音の量感というものを確かに聴かせてくれた音は、今回これを除いてほかに一機種もなかった。しいていえばその低音はいくぶんしまり不足。その上で豊かに鳴るのだから、乱暴に聴けば中〜高音域がめり込んでしまったように聴こえかねないが、しかし明らかにそうでないことが、聴き続けるうちにはっきりしてくる。ことに優れているのが、例えばオーケストラのバランスと響きの良さ。まさにピラミッド型の、低音から高音にかけて安定に音が積み上げられた見事さ。そしてヴァイオリン。試聴に使ったフォーレのソナタの、まさにフォーレ的世界。あるいはクラヴサンの胴鳴りが弦の鋭い響きをやわらかく豊かにくるみ込んで鳴る美しさ。反面、ポップスのもっと鋭いタッチを要求する曲では、ときとしてL07Dのあの鮮鋭さにあこがれるが、しかし一見ソフトにくるみ込まれていて気づきにくいが、打音も意外にフレッシュだし、何よりもバスドラムの重低音の量感と、皮のたるんでブルンと空気の振動する感じの低音は、こんな鳴り方をするプレーヤーが他に思いつかない。
なお、試聴には本機専用のインシュレーター930−900を使用したが、もし930stをインシュレーターなしで聴いておられるなら、だまされたと思って(決して安いとはいえない)この専用台を併用してごらんになるよう、おすすめする。というより、これなしでは930stの音の良さは全く生かされないと断言してもよい。内蔵アンプをパスするという今回の特殊な試聴だが、オリジナルの形のままでもこのことだけは言える。
     ※
「ハイクォリティプレーヤーの実力診断」の記事の冒頭、「テストを終えて」という文章が掲載されている。

ここで「良くできた製品とそうでない製品」の音を、「果物や魚の鮮度とうまさ」に例えられている。

Date: 5月 8th, 2009
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その51)

ステレオサウンド 55号の「ハイクォリティプレーヤーの実力診断」の記事中で、
トーレンスのTD126MKIIICのところで、こんなことを、瀬川先生は書かれている。
     ※
今回の試聴盤の中でもなかなか本来の味わいの出にくいフォーレのVnソナタなどが、とても優雅に、音楽の流れの中にスッと溶け込んでゆけるような自然さで鳴る。反面、ポップス系では、同席していた編集の若いS君、M君らは、何となく物足りないと言う。その言い方もわからないではない。
     ※
SさんとMさんは、ステレオサウンド 56号での、
トーレンスのリファレンスの新製品紹介記事(これも瀬川先生が書かれている)でも登場する。

リファレンスは、TD126同様、フローティングプレーヤーではあるが、その機構はまったくの別物。
TD126がコイル状のバネで、比較的十慮の軽いフローティングボードを支えているのに対し、
リファレンスでは、ベースの四隅に支柱を建て、板バネと金属ワイヤーによる吊下げ式となり、
プレーヤー本体の重量も、TD126が14kg、リファレンスは90kgと、
構造、素材の使い方、まとめ方など、異る代物といえる。

リファレンスは、ワイヤーの共振点を変えられるようになっていた。
瀬川先生は、試聴記のなかで、いちばん低い周波数に設定したときが好ましかったが、
ここでも編集部のSさんとMさんは、その音だと、ポップスでは低音がゆるむから、と、
高い周波数にしたときの音の方がいい、と言っていた、と書かれていた(はず)。

ここでも、瀬川先生は、やわらかく、くるみ込むような低音を好まれていることが、はっきりとわかる。

Date: 5月 2nd, 2009
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと
2 msgs

瀬川冬樹氏のこと(その50)

フェログラフはイギリスのオーディオメーカーで、日本に紹介されたのは、スピーカーシステムのS1と、
オープンリールデッキのStudio 8(本格的なコンソール型で、価格は1980000円)ぐらいだけだろうか。

S1は、価格的にはスペンドールのBCIIと同クラスのスピーカーシステムで、
ユニット構成は、ウーファーにKEFの楕円型ユニットB139、スコーカーは12cm口径のプラスチックコーン型、
トゥイーターはドーム型で、クロスオーバー周波数は、400Hzと3.5kHz。
縦にラインのはいったサランネットと、白く塗装された一本脚のスタンドが外観上の特徴となっている。

S1の音について、瀬川先生は、「ステレオのすべて ’73」では、
低音のうんと低いところがふくらみ、そのため、他のスピーカーと並べて聴くと、
S1だけ低音が別に出てくる。だぶついているという受け取り方もあるくらい、と述べられている。

さらに中域については、うまく押えられている、と言われ、
それに対し菅野先生は、押えられているというよりも足りない、と指摘され、
具体例として、ソニー・ロリンズのテナーサックスが、アルトになるという感じがある、
図太い音楽があきらかに痩せてしまう、と。

その点は瀬川先生も認められている。
高いほうもややしゃくれ上った、いわゆるドンシャリの高級なやつというふうに、
S1の全体のイメージを表現されている。

そんなS1の、中域の薄さを補う意味で、ダイナコとオルトフォンを選択されている。
つまりS1の組合せにおいて、低音のふくらみに関して、どうにかしようとは考えておられないことがわかる。

おそらく傅さんだけでなく、クラシック好きのひとでも、
S1とダイナコの組合せの低音を「ゆるい」と感じられる方がいても不思議ではない。

Date: 5月 1st, 2009
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その49)

この項の(その35)を読まれた傅さんから、すぐにメールをいただいている。

傅さんが、マークレビンソンのML7Lの購入のために手放されたオーディオ機器がリストアップされていた。
そのなかにフェログラフのS1があった。
「例のスピーカーですね」というコメントがついていた。
その下には、ダイナコの管球式のモノーラルパワーアンプのMark IIIがあり、
「これはS1との組合せを瀬川先生が推薦されていましたが、ポップスでは低音が緩かったです」
と書き加えられていた。

フェログラフのS1にダイナコのMark IIIとは、意外な感じがして、
何に掲載されていたんだろうか……、と思っていたら、
実は、この組合せも、「ステレオのすべて ’73」で紹介されていたものだった。

コントロールアンプには、やはり管球式のラックスのCL35/IIを使われている。
プレーヤーは、トーレンスにオルトフォンの組合せだ。

参考までに書いておく。
フェログラフ S1(135000円×2)
ラックス CL35/II(98000円)
ダイナコ Mark III(56000円×2)
トーレンス TD125(88000円)
オルトフォン SPU-GT/E(27500円)
オルトフォン RS212(26000円)

傅さんも、これに近い組合せで、鳴らされていたわけだ。

「ステレオのすべて ’73」は、25年ほど前にいただいた本、
それをいまになって、きちんと読み、知りたいと思っていたことが、そこに書いてある。
まさに「灯台下暗し」だし、当時は、いただいた本が、いまこんなにも役立つことになろうとは、
当然だけど、まったく想像できなかった。
伊藤喜多男先生からいただいた本だから、ずっととっておいていたわけだ。
自分で購入したものだったら、かなり以前に処分していただろう。

そう思うと、本一冊のことではあるが、縁の不思議さを感じている。

Date: 4月 30th, 2009
Cate: 伊藤喜多男, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その48)

「ステレオのすべて ’73」は、伊藤アンプに関心のある人にとっては、特別な号であるはず。

私が持っている「ステレオのすべて ’73」は伊藤先生からいただいたもの。
伊藤先生の「ステレオアンプ逸品料理論」が載っている。
シーメンスのオイロダイン用に製作されたウェスタン・エレクトリックの300Bのシングルアンプ、
それにコントロールアンプが発表された号だからだ。
(記事の扉には、伊藤先生のサインもいただいている。)

うれしくて、伊藤先生の記事は何度も読み返したのに、
我ながら不思議なのだが、他の記事はほとんど読んでなかった。

他のことで調べものをしたくてひっぱり出してきた「ステレオのすべて ’73」に、
瀬川先生のことで確認したかった発言が載っているとは、まったく思っていなかった。
だから本をぱっと開いたところに、引用した言葉を見つけたとき、
何がどこでどうつながっているのか、まったく予測できないと思った次第である。

「ステレオのすべて ’73」は、私のところにあるオーディオの雑誌のなかでは、いちばん古い。
まだ、マッキントッシュのC22とMC275が現役なのにも、すこし驚く。
記事によると、アメリカでは数年前に製造中止になっているが、日本からの要望で注文生産しているとある。

参考までに価格を書いておくと、C22が286000円、MC275が349000円。
すでにC28とMC2105も販売されていて、こちらは336000円と434000円となっている。
広告を見ていくと、タンノイの輸入元はシュリロ貿易だし、
クライスラー電気のページには、リビングオーディオの文字があり、
「リビングオーディオ」がクライスラーのブランド名だったこともわかった。

Date: 4月 29th, 2009
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その47)

瀬川先生の音の好みについて、どうしても確かめておきたいことがあった。
低音に関して、である。

低音に関しては、それが下品にならなければ、洗練されているのであれば、
ふくらんでも良しとされる、というよりも、どちらかというと、量感豊かでふくらむのも、
もしかしたら好まれているのではないか、と思ってきた。

愛用されてきたEMTの930st、SAEのMark2500だけでなく、
瀬川先生が好まれるオーディオ機器のなかには、スリムという一言では片付けられないモノがいくつもある。

だから、ずっと低音のふくらみについて発言されていないのか、さがしていた。

1972年暮に、音楽之友社から出た「ステレオのすべて ’73」で、
瀬川先生と菅野先生、それに長岡鉄男氏の鼎談が載っている。
そこで「ふくらみ方が、低音のうんと低いところでふくらむのはかまわない。
中域でふくらむのはいやなんだ」と語られている。

この発言のすこし前には、さらに
「いい方によってはふくらむというような鳴り方、あれはむしろぼくにとっては非常に快い」とまで言われている。

やっと見つけた、と思っている。
同時に、灯台下暗しだった、とも思っている。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その40)

瀬川先生が、病室で飲まれたホワイト&マッケイの話を、
当時オーデックスに勤められていたYさんから聞いたとき、
そして、そのことを「瀬川冬樹氏のこと(その16)」に書いたとき、
この水こそが、瀬川先生にとってのコントロールアンプなのではないか、と思っていた。

長い間寝ていた酒を起こす水の役割──、
レコードやテープに収められている(寝ている)音楽を、すくっと起こす役割を担っているのが、
コントロールアンプの存在意義のように感じはじめていた。

Date: 4月 27th, 2009
Cate: Mark Levinson, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その46)

瀬川先生が、ベストバイのマイベスト3に、マークレビンソンのML2Lを選ばれていないことについては、
「思い出した疑問」にも書いている。

ML2Lの音は、それまでのA級動作のアンプの音が、やわらかく素直で透明な音というイメージを覆してしまった。
それほどスピーカーとの結合が密になった感じで、全体的な音の形は、贅肉をまったく感じさせないスリムさで、
スピーカーに起因するユルさまでもタイトに締め上げているような、強烈な印象を持っている。

線が細く、スリムでタイト。なめからで透明であることを徹底して追求し、
音が下品にふくらむことを拒否したところは、そのまま瀬川先生の音の好みともいえるし、
4350や4343をML2Lを6台用意して、低域をブリッジ接続にしてバイアンプで鳴らした音が、まさにそうであろう。

なのにML2Lを選ばれていないのは、なぜなのか。

瀬川先生がML2Lを導入される前に使われていたパワーアンプは、SAEのMark2500である。
そのときのアナログプレーヤーは、EMTの930st。
どちらも低域の豊かさは、他の機種からはなかなか得られないよさであり、
ピラミッド型の、安定した音のバランスは、聴き手をくるみ込む。

ステレオサウンド 55号のアナログプレーヤーの試聴記事で、
瀬川先生は、930stの低音を「いくぶんしまり不足」と表現されている。
55号のマイベスト3に挙げられているパイオニア/エクスクルーシヴP3についても、
「ひとつひとつの音にほどよい肉付き感じられ、弾力的で、素晴らしく豊かな気分を与える」と、
930stとともに高く評価されている。

パワーアンプのマイベスト3は、ルボックスのA740、マイケルソン&オースチンのTVA1、
アキュフェーズのP400で、
ML2Lの、タイトで無駄な肉付きのない音は反対の、
エクスクルーシヴP3に通じる、美しい響きをもつモノを選ばれている。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その36・補足)

夕方に、Kさんから電話があり、
瀬川先生もトーンアームの高さ調整には、ずいぶん神経を使われていたことを聞いた。

やはり瀬川先生も、レコードの厚みがかわることで、
カートリッジのヴァーティカルトラッキングアングルが変ってしまうことを指摘されており、
その都度調整されていたとのこと。

さらにレコードには、実効垂直録音角がある。
意外に思われるかもしれないが、1960年代まで、レコード会社によって、
実効垂直録音角はまちまちだった、ときいている

実効垂直録音角とは、ラッカー盤にカッティングする際、
カッター針の動きそのままの溝が、最終的に刻まれるわけではない。
もちろんカッター針で刻んだ直後は、針の動きそのままだが、
ラッカー盤の弾性によって、すこし元に戻ってしまう。いわば溝が変形してしまうわけだ。

この現象は、CBSが発見している。
これにより、垂直録音角がずれてしまう。
どの程度のズレが生じるかというと、ウェストレックスのカッターヘッド3Dだと、垂直録音角は約23度。
それが0度から1度程度になってしまう。この値が実効垂直録音角となる。
つまり22度ほど戻ることになる。

ヨーロッパのレコード会社で使われていたノイマンのカッターヘッドの垂直録音角は0度で、
実効垂直録音角は約−10度だと言われていた。

これだけまちまちだと、カッターヘッドの実効垂直録音角と
カートリッジのヴァーティカルトラッキングアングルが一致せず、
垂直信号に第2次高調波歪、混変調歪が発生、
左右チャンネル間での周波数変調歪、クロストークが発生するといわれ、
正確なピックアップは望みようもないため、
RIAAとIECによって、実効垂直録音角を15度に統一するように勧告が出された。

シュアーのV15の型番は、このヴァーティカルトラッキングアングルが15度であることを謳っているわけだ。

このようにレコードの実効垂直録音角は、ほぼ15度に統一されたわけだが、
レコード会社によって、じつはわずかに異る。
といっても以前のようにバラバラではなく、15度から大きくても20度までにおさまっていると聞いている。

だから厳密には、レコードのレーベルが違えば、厚みは同じでもトーンアームの高さ調整、
つまりカートリッジのヴァーティカルトラッキングアングルを調整すべきである。

Kさんの話では、瀬川先生は、お気に入りのレコードでは、最適と思われる角度(高さ)を見つけ出されて、
1枚1枚ごとにメモされていた、とのことだった。

最良のヴァーティカルトラッキングアングルを見つけるにはどうしたらいいかというと、
レコードの最内周での音で決める。

レコード内周ではトラッキングが外周よりも不安定になり、音像定位も不確かになってくる。
だから最外周と同じような音像定位の明確さと、フォルティシモでのトレースの安定度、
ビリツキのなさ、混濁感の少なさに耳の焦点を合わせれば、
馴れもあるけれど、最良の高さにするのは、それほど難しいことでもない。

そういえば、瀬川先生がデザインに関われていたというオーディオクラフトのAC3000 (4000) シリーズは、
高さ調整を容易にするために、目盛りがふってあったはずだ。

Date: 4月 21st, 2009
Cate: 傅信幸, 瀬川冬樹

傅さんのこと(その5)

CDジャーナルでの連載「素顔のままで」のなかで、傅さんが瀬川先生のことを書かれている号がある。
2002年1月号である。

夢の話からはじまる、この号のエッセイは、FMfan への想いが綴られている。
     ※
もともとわたしはFMfanの読者だった。瀬川冬樹さんというオーディオ評論家の発言と美しい文章が好きで、今回はどんなことをお書きになっていらっしゃるのか、瀬川冬樹さんの連載ページを毎号楽しみにFMfanをめくっていた。それともうおひとかた、黒田恭一さんの記事。それは「かたかな」が多い独特な文章なのだが、かたかなの数よりも黒田恭一さんが語る音楽への愛情のほうがはるかにたっぷりと溢れていた。
     ※
傅さんも、やはり同じだったんだ、と思う。傅さんも、早瀬さんも私も、瀬川先生の熱心な読者である。
読者であった、と過去形では書かない。
いまも、何度も読み返したことによって得たものは、個々人の中で息づいているからだ。

1979年の訪問記事のことについても触れられている。
     ※
インベーダー・ゲーム流行真っ盛りの時、FMfan誌の企画でオーディオ評論家の先輩4人を訪問してインタビュー記事を作ったことがある。わたしは岡俊雄先生と話したかったが岡先生はFMfanの筆者ではないから願いは却下され、常連筆者の、瀬川冬樹さん、菅野沖彦さん、長岡鉄男さん、それと上杉佳郎さん4人のそれぞれリスニングルームを訪問した。上杉さん宅のある神戸・三宮を東京から日帰りしたのがきつかったのをよく覚えている。菅野さんは色男でやたらめったらお話がおもしろく、自宅にインベーダー・ゲームの機械を買っていて、特殊なプレイを披露してくださった。あこがれの瀬川さんに会えたわたしは緊張と興奮の波にもまれ、なかなか話が引き出せずにいて、瀬川宅を辞したのは明け方の4時だった。インタビューの途中、ステレオサウンド誌の編集者から原稿催促の電話が入ったが、瀬川さんは今夜は何とかかんべんしてくれと頼んでいたのが聞こえた。長岡さんは、オーディオ雑誌の立場と読者の世代を把握して、オーディオ評論家は何を言うべきかというマーケッティングがしっかり出来ている評論家だなあと思った。賢い人だと思った。しかし賢くても嫌みはなくて、気のいい正直なおっさんでもあった。そして長岡宅でまいったのは、音の激しさと音の大きさだった。音楽とはあまりにもかけ離れた音世界。音楽と音とは別物であり、音は音として一人歩き出来るのだ……ということを長岡さんは真摯に追求していたのだと思う。
これら4人をインタビューしたあと、もっとも原稿を書くのに難航したのは瀬川冬樹さんのことで、わたしは瀬川さんのファンだったので書き難かったのだ。うーん、別の理由も思いつく。瀬川さんは話し言葉の何倍も書き言葉のほうが美しかったのではないだろうか。瀬川さんのファンだった、と過去形なのは、瀬川さんは癌で40歳代のうちに逝かれてしまった。瀬川さんが亡くなられたことを知らぬまま、福岡から東京に戻った夜、羽田空港からうちに電話すると、「もういっぱい電話がかかってきています。あなたの好きな瀬川先生が今朝亡くなられたのだそうです」と妻が言った。わたしは福岡の空港で買った生きた海老などお土産の全部を迎えに来てくれた友人にあげた。ギューッと胃が縮んでしまったからだ。
     ※
瀬川先生は、福岡、熊本のオーディオ店に招かれて、定期的に来られていた。
瀬川先生が倒れられた後、傅さんが代わりをやられていた。

福岡から東京に戻った夜、と書かれている。
この福岡行きは、瀬川先生の代わりだった……。

Date: 4月 20th, 2009
Cate: 傅信幸, 瀬川冬樹

傅さんのこと(その4)

今年は、よく長電話している。長いときは2時間以上、短いときでも1時間は優に話している。
相手は傅さんと早瀬さん。話題は、やはりオーディオのこと。

1週間くらい前も、傅さんと電話で話していた。
瀬川先生の話になった。

傅さんと瀬川先生が会われたのは、FMfanの訪問記を含めて6回。
最初は池袋の西武百貨店のオーディオコーナーで、最後は九段坂病院にお見舞いに訪れたときだと聞いた。
その他の時のことも聞いた。

FMfanの取材のときの話も聞いた。
午後3時からはじまり、終了は10時間以上経っていたとのこと。
撮影の時間も含まれているとは言え、傅さんにとって、濃密で楽しい時間であり、
それこそ、あっという間に時間が経っていったのだろう。

瀬川先生と会われた回数は少ないものの、こういう経験されている傅さんは、幸福だと思う。
そして、もっともっと瀬川先生といっしょに仕事をされていたらなぁ……、とも思う。

話をしていたら、途中で「いまブルッときた」と傅さんが言われた。
瀬川先生を想い出してのことである。

同じことを、スイングジャーナルで、瀬川先生となんども仕事をしたKさんも、
やはり瀬川先生のことを話している最中に、「いまブルッときた」と言われたことがある。

Date: 4月 6th, 2009
Cate: JBL, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その45)

4350は「この下手をすると手ひどい音を出すジャジャ馬」であり、
「いいかげんなアンプで鳴らしたのでは、とうていその真価を発揮しない。
250Hzを境にして、それ以下の低音は、ともすれば量感ばかりオーバーで、ダブダブの締りのない音になりがちだ。
また中〜高音域は、えてしてキンキンと不自然に金属的なやかましい音がする」スピーカーであると、
瀬川先生は書かれている。

けれどマークレビンソンのML2Lのブリッジ接続で鳴らす4350の低音は、一変する。

「低域の締りの良いことはちょっと例えようのない素晴らしさだ。
ブリッジ接続による十分に余裕ある大出力と、
4350をふつうに鳴らした低音を聴き馴れた人にはウソのように思えるおそろしく引き締った、
しかし実体感の豊かなというより、もはやナマの楽器の実体感を越えさえする、
緻密で質の高い低音は、これ以外のアンプではちょっと考えられない。」

このころ、ステレオサウンドの記事でも、4343を、ほぼ同じ構成で鳴らされている。
場所は、瀬川先生の、新居のリスニングルーム。

スピーカーが4350から、瀬川先生が愛用されていた4343に変わった以外は、
チャンネルデバイダーのLNC2Lが、JC1ACと同じく、2台用意して、
片チャンネルを遊ばせてのモノーラルでの使用である。

プレーヤーもマイクロの糸ドライブと同じだが、記憶では、ステレオサウンドの記事では、
トリオから発売されていた、セラミック製のターンテーブルシートを併用されていたはずだ。

4350、4343をML2L、6台で鳴らされた経験のあとに、ベストバイ特集のステレオサウンド 55号が出ている。
瀬川先生は、パワーアンプのマイベスト3に、ML2Lを選ばれていない。

Date: 4月 5th, 2009
Cate: 井上卓也, 瀬川冬樹

井上卓也氏のこと(その20・補足)

情報量という言葉を、はやい時期から使われていたのは井上先生だと、3週間ほど前に書いているが、
瀬川先生も、ほぼ同じころに、「情報量」を使われている。

ステレオサウンド 39号に掲載された「ふりかえってみるとぼくは輸入盤ばかり買ってきた」で、使われている。
     ※
直径30センチの黒いビニールの円盤に、想像以上に多くの情報量が刻み込まれていることは、再生機の性能が向上するにつれて次第に明らかになる。
     ※
情報量を、オーディオで使いはじめた人は、いったい、誰なのだろうか。いつから使われているのだろうか。

タンノイの代名詞となっている「いぶし銀」という表現も、誰が使いはじめたのだろうか。
五味先生の「西方の音」を読んでいると、「トランジスター・アンプ」の章に、いぶし銀そのものの表現ではないが、
ほぼ同じ意味合いの言葉が出てくる。
     ※
アコースティックにせよ、ハーマン・カードンにせよ、マランツも同様、アメリカの製品だ。刺激的に鳴りすぎる。極言すれば、音楽ではなく音のレンジが鳴っている。それが私にあきたらなかった。英国のはそうではなく音楽がきこえる。音を銀でいぶしたような「教養のある音」とむかしは形容していたが、繊細で、ピアニッシモの時にも楽器の輪郭が一つ一つ鮮明で、フォルテになれば決してどぎつくない、全合奏音がつよく、しかもふうわり無限の空間に広がる……そんな鳴り方をしてきた。わが家ではそうだ。かいつまんでそれを、音のかたちがいいと私はいい、アコースティックにあきたらなかった。トランジスターへの不信よりは、アメリカ好みへの不信のせいかも知れない。
     ※
音を銀でいぶしたような、という表現で、しかも、むかしは形容していた、とも書かれている。
五味先生のまわりでは、かなり以前から、英国の「教養ある音」のことを表す言葉として使われていたことになる。

となると五味先生の著書に登場される新潮社のS氏(齋藤十一氏)かもしれない。

いずれにしろ「英国の教養ある音」に使われていた形容詞が、
いつしかタンノイの代名詞へとなっていったわけだ。

Date: 4月 3rd, 2009
Cate: JBL, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その44)

まっさらの新品の4350から、いきなり、まともなチェンバロの再生ができるわけがない、
そう思われる方もおられるだろう。
     ※
JBL#4350は、発表当初からみると、ずいぶん音の傾向が、以前よりよく揃っているし、バランスも向上している。
初期の製品は、中高域を受け持つホーンのエイジングが進むまでは、ホーンの中に多少の吸音材をつめ込んだりして、この帯域を抑えなくては少々やかましい感じがあったのだが、最近のWXAでは、そのままでほとんどバランスが整っていると思う。
     ※
スイングジャーナルの記事には、こう書かれている。
最新の4350AWXだからと、いうこともあろう。

けれど、これほどうまく鳴ったのは、まっさらの新品だから、であろう。

レコード芸術の連載「My Angle いい音とは何か?」(残念ながら一回だけで終ってしまった)の結びは,次のとおりだ。
     ※
あきれた話をしよう。ある販売店の特別室に、JBLのパラゴンがあった。大きなメモが乗っていて、これは当店のお客様がすでに購入された品ですが、ご依頼によってただいま鳴らし込み中、と書いてある。
スピーカーの「鳴らしこみ」というのが強調されている。このことについても、改めてくわしく書かなくては意が尽くせないが、簡単にいえば、前述のように毎日ふつうに自分の好きなレコードをふつうに鳴らして、二年も経てば、結果として「鳴らし込まれて」いるものなので、わざわざ「鳴らし込み」しようというのは、スピーカーをダメにするようなものだ。
下世話な例え話のほうが理解しやすいかもしれない。
ある男、今どき珍しい正真正銘の処女(おぼこ)をめとった。さる人ねたんでいわく、
「おぼこもよいが、ほんとうの女の味が出るまでには、ずいぶんと男に馴染まさねば」
男、これを聞き早速、わが妻を吉原(ソープランド)に住み込ませ、女の味とやらの出るのをひとりじっと待っていた……とサ。
教訓、封を切ったスピーカーは、最初から自分の流儀で無理なく自然に鳴らすべし。同様の理由から、スピーカーばかりは中古品(セコハン)買うべからず。
     ※
おそらくサンスイのショールームで鳴らされた4350は、いろんな人が鳴らされたのであろう。

愛情を込めて鳴らされた人もいれば、即物的に鳴らされたこともあるはず。
特定の人が、無理なく自然に鳴らしてきた4350ではない。

幾人もの手垢のついた4350が、スレてきていたとしても不思議ではない。
そういう4350だったら、瀬川先生も、ずいぶんと苦労されたであろう。

封を切ったばかりの4350だったからこそ、誰の手垢もついてないからこそ、
瀬川先生の鳴らしかたに、素直に反応してくれたのだろう、といったら、すこし擬人化しすぎだろうか。

Date: 4月 3rd, 2009
Cate: JBL, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その43)

瀬川先生が取材で使われた4350は、まっさらの新品だった。

スピーカーの設置、ML2L、6台を、熱のこと、電源容量のことなどを考慮しながらの設置、
マイクロの糸ドライブ・プレーヤーの設置と調整、
トーンアームのAC-4000MCの基本的な調整、各アンプ間の結線と引き回しなど、
セッティングに30分ほど時間がかかり、瀬川先生は、いきなりチェンバロのレコードをかけられている。

サンスイのショールームで4350を鳴らされたときとは異り、
最初から驚くほどの音が出たと、Kさんから聞いている。

山ほどレコードを持参されており、ほとんどすべてのレコードをかけられたらしい。
ただ残念なことに、30年も前のことだから、Kさんも、記憶が曖昧とのこと。
なにかのきっかけがあれば、ふっと思い出すかもしれない、と言っていた。

聴きながら、さらに細かい調整(チューニング)で、4350の音を追い込まれていった。
スラントプレート(音響レンズ)を、上向きにしたり、標準の下向きに何度も変えてみたり。

食事に出かける時間がもったいなくて、それほどいい音が鳴り響いてきて、弁当で済ませたらしい。

試聴に立ち会う人によって、音が変わる、と瀬川先生は、はっきりと言われていたと聞いている。
だから、これだけ大掛かりにも関わらず、瀬川先生を含め、3人だけの試聴なのだ。