瀬川冬樹氏のこと(その53)
瀬川先生の文章を読みはじめたのは、ステレオサウンドの41号から。
それからは、他のオーディオ誌に書かれているものも、できるだけすべて読むようにしてきた。
ステレオサウンドの52号、セパレートアンプ特集の巻頭エッセイ、
このあたりから瀬川先生の文章が変わりはじめたような気がする。
それまで以上に的確に、音をイメージしやすくなってきた。
52号での、マークレビンソンのML6Lの音についてのこと、
マッキントッシュとQUADをまとめて語られていたこと、など、
読みごたえが増していて、何度となく読み返した。
読み返すたびに、発見があった。
55号の「ハイクォリティプレーヤーの実力診断」の個々の機種の試聴記、「テストを終えて」もそうだ。
以下に書き写しておく。
いちど読んでいただきたい。
※
良くできた製品とそうでない製品の聴かせる音質は、果物や魚の鮮度とうまさに似ているだろうか。例えばケンウッドL07Dは、限りなく新鮮という印象でズバ抜けているが、果物でいえばもうひと息熟成度が足りない。また魚でいえばもうひとつ脂の乗りが足りない、とでもいいたい音がした。
その点、鮮度の良さではL07Dに及ばないが、よく熟した十分のうま味で堪能させてくれたのがエクスクルーシヴP3だ。だが、鮮度が生命の魚や果物と違って、適度に寝かせたほうが味わいの良くなる肉のように、そう、全くの上質の肉の味のするのがEMTだ。トーレンスをベストに調整したときの味もこれに一脈通じるが、肉の質は一〜二ランク落ちる。それにしてもトーレンスも十分においしい。リン・ソンデックは、熟成よりも鮮度で売る味、というところか。
マイクロの二機種は、ドリップコーヒーの豆と器具を与えられた感じで、本当に注意深くいれたコーヒーは、まるで夢のような味わいの深さと香りの良さがあるものだが、そういう味を出すには、使い手のほうにそれにトライしてみようという積極的な意志が要求される。プレーヤーシステム自体のチューニングも大切だが、各社のトーンアームを試してみて、オーディオクラフトのMCタイプのアームでなくては、マイクロの糸ドライブの味わいは生かされにくいと思う。SAECやFRやスタックスやデンオンその他、アーム単体としては優れていても、マイクロとは必ずしも合わないと、私は思う。そして今回は、マイクロの新開発のアームコード(MLC128)に交換すると一層良いことがわかった。
単に見た目の印象としての「デザイン」なら、好き嫌いの問題でしかないが、もっと本質的に、人間工学に立脚した真の操作性の向上、という点に目を向けると、これはほとんどの機種に及第点をつけかねる。ひとことでいえば、メカニズムおよび意匠の設計担当者のひとりよがりが多すぎる。どんなに複雑な、あるいはユニークな、操作機能でも、使い馴れれば使いやすく思われる、というのは詭弁で、たとえばEMTのレバーは、一見ひどく個性的だが、馴れれば目をつむっていても扱えるほど、人間の生理機能をよく考えて作られている。人間には、機械の扱いにひとりひとり手くせがあり、個人差が大きい。そういういろいろな手くせのすべてに、対応できるのが良い設計というもので、特性の約束ごとやきまった手くせを扱い手に強いる設計は、欠陥設計といえる。その意味で、及第点をつけられないと私は思う。適当にピカピカ光らせてみたり、ボタンをもっともらしく並べてみたりというのがデザインだと思っているのではないか。まさか当事者はそうは思っていないだろうが、本当によく消化された設計なら、こちらにそういうことを思わせたりしない。
そういうわけで、音質も含めた完成度の高さではP3。今回のように特注ヘッドシェルをつけたり、内蔵ヘッドアンプを使わないために引出コードも特製したりという異例の使い方で参考にしたという点で同列の比較は無理としてもEMT。この二機種の音質が一頭地を抜いていた。しかし一方で、操作性やデザインの具合悪さを無理してもいいと思わせるほど、隔絶した音を聴かせたマイクロ5000の二重ドライブを調整し込んだときの音質の凄さは、いまのところ比較の対象がない。とはいってもやはり、この組合せ(マイクロ5000二重ドライブ+AC4000または3000MC)は、よほどのマニアにしかおすすめしない。
これほどの価格でないグループの中では、リン・ソンデックの、もうひと息味わいは不足しているが骨組のしっかりした音。それと対照的にソフトムードだがトーレンス+AC3000MCの音もよかった。またケンウッドの恐ろしく鮮明な音も印象に深く残る。