情景(その8)
ラジカセからコンポーネントになり、
モノーラルからステレオになり、音はよくなっていく。
唇の動きが、舌の動きまでわかるようだ、という表現がある。
音がよくなっていくと、そういう感じが現出してくるようになる。
歌っている表情すら目に浮かぶような感じにもなっていく。
これらは音がよくなっていっていることの確かな手応えである。
けれど、これらはすべてグラシェラ・スサーナがスタジオで歌っているシーンを、
できるだけハイ・フィデリティに再生(再現)しようとする方向である。
間違っているわけではない。
グラシェラ・スサーナはライヴ録音以外はスタジオで録音しているのだから、
それらの録音がそういうふうに鳴ってくれるということに、
何の文句をいうことがあろうか。
けれど、そんなふうにグラシェラ・スサーナの歌がなってしまうとともに、
いまふり返ると、聴く時間が減ってきた。
ハイ・フィデリティ再生になればなるほど、
情景が浮ばなくなってくる。
このことは音に関係しているのか。
ラジカセので聴いてきた時に、そう感じていたのは、
聴き手である私の勝手な妄想にすぎない──、そうともいえることはわかっている。
けれど確かに、あのころは情景が浮んでいた。