情景(その6)
(その1)でも書いているように、
私が、ことさら情景、それも日本語の歌に関して情景を求めたくなるのは、
中学生のときにグラシェラ・スサーナの歌を聴きすぎたためかもしれない。
ラジカセで、スサーナのミュージックテープを聴いていた。
私が中学生のころ、ステレオのラジカセは珍しかったはずだ。
ラジカセ・イコール・モノーラルの時代だった。
私が小遣いを貯めて買ったラジカセも、だからモノーラルだった。
スピーカーユニットもフルレンジだけだった。
トゥイーターを加えた2ウェイ仕様のラジカセが出たのは、もう少しあとのことだ。
そんな環境で、ほぼ毎日、グラシェラ・スサーナの歌を聴いていた。
日本語の歌である。
そこまでグラシェラ・スサーナの歌にのめり込んでいたのは、
スサーナの歌を聴いていると、その情景が浮んでくることが多かったからである。
中学生が買えるラジカセで、カセットテープが音源なのだから、
出てくる音はたかが知れている。
これがステレオになったら──、
カセットテープではなくLPだったら──、
そんなことを思わなかったわけではない。
もっと情景がリアルに浮ぶものだと、中学生の私は思っていた(信じていた)。