Archive for category 五味康祐

Date: 12月 20th, 2011
Cate: 五味康祐

五味康祐氏のこと

五味康祐(1921年12月20日 – 1980年4月1日)

Date: 11月 26th, 2011
Cate: 五味康祐, 選択

オーディオ機器を選ぶということ(続々続・五味康祐氏のこと)

「いろんな人と旅をしたけれど、あんたと旅をしたのが一番楽しかった」

『五味一刀斎「不倶戴天の」仇となった「金と女」とのめぐり合いを』を読み終わって、
この五味先生の言葉にもどってくると、
五味先生にとって、千鶴子夫人という存在とタンノイ・オートグラフの存在が重なってくるようなところを感じた。

五味先生は「いろんな人と旅」をしてこられた。
いろんなスピーカーを使ってこられた。

なにを使ってこられたのかは、もうここでは書かない。
五味先生のオーディオ巡礼、西方の音、天の聲をお読みになればわかることだ。
そうやってタンノイのオートグラフというスピーカーシステムとめぐり合われた。

このオートグラフとの出合いも、ここで詳しく書く事もないだろう。

オーディオ機器は決して安いモノではない。
けっこうな値段のモノばかりだし、
いまではおそろしく高価になり過ぎてしまったモノは珍しくなくなっている。
だから、オーディオ機器を購入する時は、しっかりと情報を収集して、
音も、もちろん事前に聴く。それもできれば自宅で試聴して、という方もおられよう。
そういう慎重な購入が、いまでは当り前のようになってきている。

そういう買い方をされる方には、五味先生のオートグラフの購入は信じられないことでしかないだろう。
音を聴かれていないばかりか、実物すら見ずに、
イギリスのHi-Fi YearBookの1963年版に掲載されていた写真とスペックと、
それに価格だけで購入を決意されている。

五味先生が買われたころのオートグラフも、またひじょうに高価なモノだった。
「怏怏たる思いをタンノイなら救ってくれるかもしれぬと思うと、取り寄せずにはいられなかった」五味先生。

このオートグラフが、五味先生にとって終のスピーカーシステムとなる。

なぜHi-Fi YearBookを見た時に、そう感じられ思われたのか──。
五味先生の書かれたものを読んでも、オートグラフ以前にタンノイのスピーカーをご自身で鳴らされているけれど、
決してそれは、素晴らしい音とまではいえない音だったことはわかる。
「かんぺきなタンノイの音を日本で誰も聴いた者はいない」、そんな時代に決意されたのは、
ある種の予知能力なのではなかったのか、と週刊新潮の記事を読んで、そう思った。

Date: 11月 26th, 2011
Cate: 五味康祐, 選択

オーディオ機器を選ぶということ(続々・五味康祐氏のこと)

5年前だったか、週刊新潮が創刊50周年を記念して創刊号を復刊したことがあった。
創刊号をそのまま復刊しただけでなく、
それまでの週刊新潮にたずさわってきた人たちによる興味深い文章もよせられていた。
巻頭には齋藤十一氏についての文章があった。
それから齋藤夫人のインタビュー記事も載っていた。
そのどちらにも五味先生の名前が登場していた、と記憶している。

五味先生の筆の遅いのはよく知られていたことで、
週刊新潮では印刷所の一角に小さな和室をつくり、
そこに〆切間際というよりも〆切をすぎたときに五味先生をカンヅメにして原稿を執筆してもらっていた、とある。
けれどちょっと目を離すと、銀座のママに電話して原稿をほったらかしていなくなってしまうらしい。
『五味一刀斎「不倶戴天」の仇となった「金と女」とのめぐり合い』にも同じようなエピソードがある。

取材に旅行に出かけるというので、担当編集者が駅まで送りに行ったときのことだ。
五味先生は「それじゃ」といって列車に乗り込む。いい忘れたことがあった編集者はその列車にとってかえすも、
五味先生はいない。なんととなりのホームで、水商売風の女性と別の列車に乗り込もうとされていたとか。
また温泉宿にカンヅメになったときも……。

五味先生は、たしかに「いろんな人と旅」をされていた、と週刊新潮の記事にはある。
さらに「とっかえひっかえ、実にコマメに、様々な女性を連れて歩いた人」ともある。

記事の最後の方には、そして、こう書いてある。
五味先生と特に親しかった知人の話として、
「無名のころから、めぐり合いたしと追いまわしたのはカネと女。ただし、結果としていえば、カネは一文も残らず、女もロクな女には出会わなかった」。

五味先生が剣豪作家として流行作家になられる前の窮乏した生活については、
オーディオ巡礼や西方の音のなかでもふれられている。
剣豪小説が流行になり、そんな状態は脱しながらも、入ってきたものを右から左へと使いまくる人だったそうだ。

だから、亡くなった後の預金通帳には、日本国民の平均貯蓄にははるかに及ばぬ金額が記入されていた……。

『五味一刀斎「不倶戴天」の仇となった「金と女」とのめぐり合い』は、
ロクな女と出会わなかったけれど、
ここでいう「女」の中で、千鶴子夫人だけは例外であったことは、
先にあげた故人の「いろんな人と旅をしたけれど……」という言葉が証明している、といえよう、と結んでいる。

週刊新潮1980年4月17日号の記事は、
タイトルは、当時の週刊新潮の編集方針であった俗物主義的ではあるけれど、内容は違う。
読めば、そのことはわかる。

この記事を読み終り思っていたことは、五味先生とスピーカーのめぐり合い、である。

Date: 11月 24th, 2011
Cate: 五味康祐, 選択

オーディオ機器を選ぶということ(続・五味康祐氏のこと)

『五味一刀斎「不倶戴天」の仇となった「金と女」とのめぐり合い』は、旅のことから始まる。

ちょうど二年前、という書出しで始まるから、
1978年に、3月から4月にかけて五味先生は千鶴子夫人を連れてヨーロッパ旅行に出かけられている。
この旅行のことは、「想い出の作家たち」(文藝春秋)におさめられている五味千鶴子氏の文章にもある。

この旅が終りに近づいたころ、
「いろんな人と旅をしたけれど、あんたと旅をしたのが一番楽しかった」
と口にされた、とある。

この旅行の3年前に、芸術新潮に連載されていた「西方の音」でマタイ受難曲について書かれた文章の書出しが、
「多分じぶんは五十八で死ぬだろうと思う」である。

五味先生はオーディオの本のほかに、観相・手相の本も出されている人だ。
自分の掌を見つめて、「ガンの相が出ている」といわれていた、そうだ。
また「ガンは予知できるのだ」ともいわれていた、と記事にはある。

予知は自身の死についてだけではなく、昭和28年の「喪神」での芥川賞受賞も、また予知されている。
このところを、また週刊新潮の記事から引用しておく。
     *
昭和二十八年、『喪神』で芥川賞を受賞した時も、選考発表の日に、奥さんに向って「今度の芥川賞はオレが選ばれるよ。ただし二つに割れるな」といった。
なにしろ当時は、この一作しか発表されていなかったのだから、これを聞いた千鶴子夫人は、「何を、バカな……」と思った。が、その日の深夜、練馬の都営アパートの五味家に届いた電報は、授賞の知らせだった。しかも、松本清張氏との二人受賞だった。
むろん、批評家や編集者から事前に何か情報を聞かされていたわけではないという。
     *
この年の芥川賞の選考については、週刊文春の、ずっとあとの別の記事で読んだことがある。
ほとんどの選考委員は松本清張氏を推していて、
五味先生を強力に推していたのは坂口安吾氏だった、ということだ。

五味先生の、この不思議な予知能力を日常生活のなかでも折にふれて発揮していたそうで、
「お父さんはエスパーみたい」といわれていたそうだ。

Date: 11月 24th, 2011
Cate: 五味康祐, 選択

オーディオ機器を選ぶということ(五味康祐氏のこと)

都立多摩図書館に行ってきた。
歩いて行こうと思えば歩いて行ける距離にあるし、
国会図書館に較べたら雑誌の所蔵数は少ないというものの、
閲覧・コピーも国会図書館よりもずっと簡単なだけに、月に2回ほど出向いている。

いま都立多摩図書館ではイベントをやっている。
といってもそんなに大げさな催しではなく、図書館の一角の展示スペースを利用しての、そういう程度のものである。
11月11日から12月5日まで「雑誌を彩る表紙画家」という催しをやっている。

行けば、なにかやっているので前もって何をやっているかは調べずに行く。
今日もそうだった。
行ってみると、週刊新潮がずらりと並べてある。
1970年代から80年にかけての週刊新潮が、すべてではないにしても表紙を全面見えるように展示してある。
そうやって並んでいる週刊新潮を眺めていたら、あっ、そうだ、と思い、
1980年4月の号を手にした。

4月17日号を手にとっていた。
目次を開く。そこには『五味一刀斎「不倶戴天」の仇となった「金と女の」とのめぐり合い』という、
なんとも週刊新潮らしいタイトルのついた記事が、やはりあった。

4ページの記事。誰が書かれたのかはわからない。
週刊新潮の編集者、というよりも、
そこに書かれていることはそうとうに五味先生と親しかった方ではないか、と思われる。
となると新潮社のS氏、つまり齋藤十一氏が書かれたものではなかろうか、そう思えてくる。

タイトルは、すこし俗っぽい内容を思わせるけれど、
読めば、そういうものでないことはすぐにわかる。

大見出しのところを引用しよう。
     *
「多分じぶんは五十八で死ぬだろうと思う」──こう書いたのが五年前のことだった。そして、その通り五十八歳で亡くなった。この異才の作家が、観相の術をよくしたことはつとに知られている。家人が病名を隠して入院させた時も、自分の掌を見つめて、「ガンだな」といった。もっともそうはいいつつ、「医者はガンだっていっているんじゃないか」と不安そうに夫人に聞いたりもした。奔放多情の伝説を残した剣豪作家と、実はきわめつきの愛妻家と、二人の一刀斎がそこにいた……ということかもしれない。

Date: 7月 29th, 2011
Cate: 五味康祐

見えてきたもの

ステレオサウンドは、この9月に出る180号で創刊45周年となる。
ステレオサウンドは45歳なのか、と思い、ふと振り返ってみると、
私も今年の秋、「五味オーディオ教室」を読んだときから35年がたつ。

「五味オーディオ教室」を読んだとき、ステレオ再生出来る装置は持っていなかった。
音楽を聴くのは、モノーラルのラジカセだった。
だからこそ「五味オーディオ教室」に夢中になれた、ともいえる。

「五味オーディオ教室」を最初に読んだときに刻みつけられたことは、私にとってのオーディオの原点であり、
核であり、いまもそれは変ることはない。これから先も変らない、とこれは断言できる。

「無音はあらゆる華麗な音を内蔵している」
「素晴らしい人生にしか素晴らしい音は鳴らない」
このふたつは、刻みつけられたものの中でも、もっとも深いもので、
それからの35年間は、結局のところ、このことについて考え答えを求めていた、といえよう。

やっといま、答えといえるものが見えてきた、と感じている。
しかも、このふたつは実のところ、ほぼ同じことを、別の視点から捉え表現したものではないか、とも思っている。

そう考えることで、いままで体験してきたことの中で、
私の中で不思議な位置づけにいる事柄のいくつかが結びつく予感もある。

「五味オーディオ教室」から35年たち、やっと再出発できるところなのかもしれない。

Date: 7月 13th, 2011
Cate: 五味康祐, 瀬川冬樹

無題

もう何度も書いているから、またかよ、と思われようが、
私のオーディオは、五味先生の「五味オーディオ教室」という本から始まっている。

「五味オーディオ教室」の前に、どこかでいい音を聴いたという体験はなかった。
私のオーディオは、五味先生の言葉だけによって始まっている。

だから私にとって、タンノイのオートグラフの音は、オートグラフというスピーカーシステムの存在そのものは、
五味先生の言葉によって構築されている。
「五味オーディオ教室」「オーディオ巡礼」「西方の音」と読んできて、
やっとオートグラフの音を聴くことができた。

だが、そこで鳴っていたオートグラフの音は、私にとってはオートグラフの音ではなかった。
ここが、私にとってのオートグラフというスピーカーシステムが特別な存在であることに関係している。

五味先生の言葉を何度となくくり返しくり返し読んで、
私なりに構築し、ときには修正していったイメージとしてのオートグラフの音、
これだけが、私にとっての「オートグラフの音」である。

私にとってのオートグラフの魅力は、五味先生の言葉で成り立っている。
オートグラフだけではない、EMTの930stも同じだ。

そしてマークレビンソンのLNP2とJBLの4343の魅力は、
瀬川先生の言葉によって、私のなかでは成り立っている。

それだから、オートグラフと4343を聴くと、私の中で成り立っているイメージとの比較になってしまう。
そのイメージとは言葉だけで成り立っているものだから、虚構でしかない。

オートグラフを自分の手で鳴らすことは、ないだろう、と思っている。
4343はいつか鳴らすことがある、と思っている。

そのとき4343から抽き出したいのは、他のスピーカーシステムを鳴らして求めるものとは、違ってきて当然である。
その音は、あなたの音か、と問われれば、そうだ、と答える。
そのイメージは、私自身が瀬川先生の文章をくり返し読むことで構築してきたものであって、
私だけのイメージ(虚構)であるからだ。

Date: 3月 19th, 2011
Cate: 五味康祐

「シュワンのカタログ」を読んだ者として

レコードを聴けないなら、日々、好きなお茶を飲めなくなったよりも苦痛だろうと思えた時期が私にはあった。パンなくして人は生きる能わずというが、嗜好品──たとえば煙草のないのと、めしの食えぬ空腹感と、予感の上でどちらが苦痛かといえば、煙草のないことなのを私は戦場で体験している。めしが食えない──つまり空腹感というのは苦痛に結びつかない。吸いたい煙草のない飢渇は、精神的にあきらかに苦痛を感じさせる。私は陸軍二等兵として中支、南支の第一線で苦力なみに酷使されたが、農民の逃げたあとの民家に踏み込んで、まず、必死に探したのは米ではなく煙草だった。自分ながらこの行為にはおどろきながら私は煙草を求めた。人は、まずパンを欲するというのは嘘だ。戦場だからいつ死ぬかも分らない。したがって米への欲求はそれほどの必然性をもたなかったから、というなら、煙草への欲求もそうあるべきはずである。ところが死物狂いで私は煙草を求めたのである。(「シュワンのカタログ」より「西方の音」所収)
     *
五味先生の、この文章はしっかりと記憶している。
それだけつよい印象だったからだ。

だから、嗜好品よりも、被災地には先に送るべきものがある、ということは頭ではわかっていても、
こういう状況だからこそ、嗜好品の必要性をどうしても思ってしまう。

Date: 3月 17th, 2011
Cate: ベートーヴェン, 五味康祐

ベートーヴェン(「いま」聴くことについて・その1)

「ベートーヴェンの音楽は、ことにシンフォニーは、なまなかな状態にある人間に喜びや慰藉を与えるものではない」
と五味先生の「日本のベートーヴェン」のなかにある。

ベートーヴェンの後期の作品もそのとおりだと思う。

五味先生は戦場に行かれている。
高射砲の音によって耳を悪くされた。
そして焼け野原の日本に戻ってこられた。
レコードもオーディオ機器も焼失していた。

そういう体験は、私にはない。

だからどんなに五味先生の文章をくり返し読もうと、
そこに書こうとされたことを、どの程度理解、というよりも実感できているのかは、
なんとも心もとないところがある。

五味先生が聴かれていたようにはベートーヴェンを聴けない──、
これはどうすることもできない事実であるけれども、
そこになんとしても近づきたい、
近づけなくとも、同じ方向を視ていたい、と気持は決して消えてなくなるものではない。

ベートーヴェンの後期のピアノ・ソナタ(30、31、32番)を聴いた。
2日前のことだ。イヴ・ナットの演奏で聴いた。

これらのピアノ・ソナタを、なまなかな状態で聴いてきたことはなかった、と自分で思っていた。
けれど、「いま」聴いていて、いままでまったく感じとれなかったことにふれることができた。

送り出す側のための音楽でもあり、送り出される側の音楽だと思えた。

五味先生の「日本のベートーヴェン」をお読みになった方、
ベートーヴェンの音楽をなまなか状態では決して聴かない人には、これ以上の、私の拙い説明は不要のはずだ。

Date: 1月 26th, 2011
Cate: 五味康祐

「いい音いい音楽」

以前読売新聞社から出ていた五味先生の「いい音いい音楽」が、昨年末に中公文庫として復刊された。

五味先生の本が、また世に出てくるのは、それだけで嬉しい。
所有している本なので購入はしなかったが、それでも書店に並んでいるとつい手にとる。

今回の文庫化にあって、山本一力氏のあとがきが加わっている。
山本氏がオーディオマニアだとは知らなかった。

このあとがきが、なかなかいい。
ひとつだけ氏に、異論を唱えたいところがあるけれど、それは措いとくとして、
「いい音いい音楽」をすでにお持ちの方は、このあとがきだけでも読んでほしい、と思う。

Date: 8月 4th, 2010
Cate: High Fidelity, 五味康祐

ハイ・フィデリティ再考(その18)

高城重躬氏は、ときおり親しくされていたピアニスト(たしかハンス・カンだったと記憶している)の演奏も、
自宅のリスニングルームのスタインウェイで録音されていたが、多くはご自身の演奏だったはずだ。

自分の部屋で自分の演奏を録音し、同じ部屋で再生する。
このことこそ「音による自画像」ではないかという指摘もあろう。

でも、実際のところどうなのだろうか。

五味先生も、バイロイト音楽祭の録音を思い立ち始められるときから、
すでに「音による自画像」という意識をもっておられたわけではない。
なぜ録音を続けるのか、なぜ演奏に満足できないテープまで保存しておくのか、
と自問されたゆえの「音による自画像」であるから、高城氏にとって、最初はそういう意識はなかったとしても、
録音を続けられるうちに、「音による自画像」ということを意識されたことはあるだろうか。

高城氏もすでに亡くなられている。そのことを確かめることはできない。
だから憶測に過ぎない、それも根拠らしい根拠はなにもない憶測なのは承知のうえで、
高城氏には「音による自画像」という意識はなかったように思う。
それは日々の記憶ではなかったのか、とも思う。

ここで、いちど私なりに「音の自画像」について考えてみる必要がある。

Date: 8月 2nd, 2010
Cate: High Fidelity, 五味康祐

ハイ・フィデリティ再考(その17)

どこかのスタジオ、もしくはホールで録音されたピアノのレコードを自宅で再生するのと、
リスニングルームに置かれたピアノを録音して、そのリスニングルームで再生するのとでは、
「再生」と同じ言葉をつかっているものの、内容的にずいぶん違うものといえるところがある。

ハイ・フィデリティを、原音に高忠実度ということに定義するならば、
録音と再生の場を同一空間とする高城重躬氏のアプローチは、しごくまっとうなことといえるだろう。

その場で録音してその場で再生する。そして、ナマのピアノの音と鳴ってきたピアノの音とを比較して、
スピーカーユニットの改良、その他の調整を行っていく。
これを徹底してくり返し行い実践していくだけの、高い技術力と確かな耳、それに忍耐力があれば、
原音再生──ハイ・フィデリティというお題目のひとつの理想──に、確実に近づいていくことであろう。

ただし、この手法は、あくまでも録音の場と再生の場が同一空間であることが絶対条件であり、
このことが崩れれば、そうやって調整したきたシステムは、
いかなるプログラムソースに対しても、はたしてハイ・フィデリティといえるのだろうか。

そしてもうひとつ。録音という行為にふたりとも積極的に取り組まれている。
けれど高城氏に、「音による自画像」という認識はあったのだろうか。

Date: 8月 1st, 2010
Cate: High Fidelity, 五味康祐

ハイ・フィデリティ再考(その16)

高城重躬氏も、録音には積極的にとりくまれていた。
たしか、五味先生がつかわれていたティアックのR313は、高城氏のすすめで購入されたものだ。

高城氏は、なにを録音されていたのか。
放送されたものも録音されていたのたろうけど、高城氏がおもに録音対象とされていたのは、
リスニングルームにおかれてあったスタインウェイの音であり、ときには秋の虫のすだく音である。

スタインウェイがある空間、ここに設置されているスピーカーによって、
録音されたスタインウェイの音が鳴らされる。
この比較によって、音を判断・調整されていたようだ。

高城氏にとって、市販のレコードはメインのプログラムソースであったのだろうか。
もちろんレコードも、数多く聴かれていたであろう。で、氏の著書「音の遍歴」を読んだ印象では、
やはり自分で録音したテープこそが、最良のソースであったように感じてしまう。

レコード、そしてバイロイト音楽祭の録音に重きをおかれた五味先生と、
自身のリスニングルームでの録音に重きをおかれていた高城氏とでは、なにもかもが違ってきてとうぜんとも思える。

レコードにしろ、バイロイト音楽祭を収録したテープにしろ、
どちらも録音された場は、再生の場と異る。それも空間の広さ、建物の構造など、多くのものが大きく異ってくる。

一方、高城氏の場合は、録音の場と再生の場は、完全に一致している。

Date: 7月 31st, 2010
Cate: High Fidelity, 五味康祐

ハイ・フィデリティ再考(その15)

「ことば」は人を動かす。
目の前にいるあなたを動かす、活字になれば見知らぬ誰かを動かす。
自分の「ことば」によって、「わたし」が動くこともある。

「音による自画像」という、自身でつぶやかれた「ことば」によって、五味先生は動かれた、思考された。

長くなるが引用しよう。
     *
 ブルーノ・ワルターは、『交響曲第一番』をマーラーのウェルテルと呼びたいと言っている。
音楽家は、自分の体験を音で描写しないものだとも言う。ワルターがこれを言った事由はわからないが、体験を描写しないで自画像を描ける道理がない。しかしたとえば『ドン・ジョヴァンニ』を、フロイトが『ハムレット』をそう理解したように、モーツァルトの無意識の自伝とみることはできるだろう。
 モーツァルトは幼いころトランペットの音に我慢がならなくて──トランペットに限らず、なんらかの和音によって和らげられない単音を、きつい音で鳴らすのは、すべて彼にとって耐えられぬ苦痛だったとスタンダールは書いているが──そんなトランペットを父親が幼いモーツァルトに示しただけで彼は、ピストルをつきつけられたようなショックをみせたという。そして、そういう責苦を自分に与えないでほしいと父親に頼んだ、父親レオポルドは息子の将来のために、その恐怖心を払拭しようとトランペットを吹いた、最初の一音を耳にしただけで息子は蒼ざめ、床に倒れてしまったという。十歳ごろだそうだが、そんなモーツァルトだから、何か滑稽な意味を表わすときには金管に一発やらせる。『フィガロの結婚』でそういう金管を聴くことができるし、『ドン・ジョヴァンニ』にでも、地獄の門の近いことを表わすのに強迫的意味でトロンボーンを使っている事実は、金管嫌いの少年モーツァルトと無縁ではないように思う。つまりそこに、ナマの人間モーツァルトが出て来はしないか、と考える。
 音楽は、言うまでもなくメタフィジカルなジャンルに包括されるべき芸術であって、ときには倫理学書を繙くに似た感銘を与えられねばならない。そういうメタフィジカルなものに作者の肖像を要求するのは、無理にきまっている。でもトランペットの嫌いな作曲家が、どんなところでこの音を吹かせるかを知ることは、地顔を知る手がかりにはなろう。音符が描き分けるそういう自画像を、私はたずねてみようと思う。
     *
ここに引用したことは、「音による自画像」という「ことば」から生れてきた、導き出されてきたものであるはずだ。

Date: 7月 30th, 2010
Cate: High Fidelity, 五味康祐

ハイ・フィデリティ再考(その14)

「音による自画像」、そういったものがありえるのだろうか、そう思われる人はいて当然だろう。
音は聴くものであり、目に見えるものではない。

たしかにそうであり、そういってしまえば「音による自画像」は、
五味先生の筆力から生れてきたものでしかない……、
はたしてそう言い切れるだろうか。

自分でマイクロフォンをセッティングし音を調整しての録音であれば、
それは自画像と呼べなくとも、それに近くはなるかもしれない。
さらにピアノなりヴァイオリンなり、なんらかの楽器を演奏しての録音ということになれば、
もうすこし自画像に近いものになるのだろうか。

反論がきこえてくる。録音されていたのは、放送されたものだろう、という。
録音されていたのは、バイロイト音楽祭の放送であり、第三者が録音したものでしかない。

それをどんなに高価で音の良いチューナーで受信して、市販されているもののなから、
もっとも信頼できるテープデッキを選び出してきたとして、
そこには自分で自分の演奏を録音する行為にみられる、わかりやすい能動性は見えてこない。

だから浅薄な考えで、わかりきった反論をする人はいよう。
「音楽は見るものではないだろうか?」という見出しのあとに、こう続けられている。
     *
画家なら、セザンヌは無論のこと、ゴッホもゴーガンもあのピカソさえ、信じ難いほど写実性で自画像を描いている。どんな名手が撮った写真よりそれはピカソその人であり、ゴッホの顔と私には見える。音楽作品にはしかし、そういう自画像は一人として思い当たらない。
(中略)いまさら言うまでもないが、音楽は聴くもので見るものではない、肖像画が声を出すか? といった反論はわかりきっているので、音楽に自画像を求めるのが元来無理なら、自画像と呼ぶにふさわしい作品をたずねてみるまでである。
     *
五味先生の自問はつづく。