Archive for category オーディオマニア

Date: 4月 18th, 2016
Cate: オーディオマニア

どちらなのか(その1)

極道という言葉がある。
辞書には、いい意味のことは書いてない。
日常的に、この言葉が使われるのも、いい意味ではない。

極道(ごくどう)とは、悪事や酒色・ばくちにふけること。品行・素行のおさまらないさま。
人をののしっていう語、とある。

極には、きわめる、きわまる、このうえない、という意味をもつ。
だから極意、極地という言葉がある。

その意味でいえば、道を極めるのが極道ということになり、
この極道を否定的な意味ではなく肯定的な意味としてとらえる人もいる。

オーディオだけに限らずマニアと呼ばれる人は、
そういう意味での極道者と自認している人も少ないはずだ。

何かを極めよう、ということは、そういうことであろう、と思ってきたけれど、
このごろになって極めようとしてきたのだろうか、とも思うようになってきた。

修道という言葉がある。
道を修める、と書く。

極めると修める。
オーディオでやってきたことはどちらなのか、
いまやっていることは、これからやろうとしていることはどちらなのか。

Date: 1月 12th, 2016
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアの覚悟(その2)

その1)を書いて約14ヵ月。

覚悟なきオーディオマニアは、どこまでいっても素人のままである。
つくづくそう感じている。

2016年は、オーディオマニアの覚悟について考えていきたいし、
毎月第一水曜日に行っているaudio sharing例会で、オーディオマニアの覚悟を音で示せれば、と思っている。

Date: 1月 4th, 2016
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その35)

つきあいの長い音がつくり出す音楽美こそ、オーディオマニアの喜びかもしれない。

Date: 1月 1st, 2016
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その34)

つきあいの長い音は、身近な音なのか、それともそうでない音なのか。

Date: 12月 31st, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その33)

つきあいの長い音との関係において、心の痛みを感じなかった、ということはないはずだ。

Date: 12月 29th, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その32)

つきあいの長い音は、何かを欲しているのだろうか。

Date: 12月 29th, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その31)

つきあいの長い音は、絶対的にlow thinkingではない。

Date: 12月 29th, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その30)

つきあいの長い音も、“plain sounding, high thinking”なのだろう。

Date: 12月 25th, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その29)

つきあいの長い音に官能性を与えるもののひとつが、それも重要なひとつが器ではないのか。

Date: 12月 25th, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その28)

つきあいの長い音に必要なのものの中には、器に対する心遣い、気くばりがあるはずだ。

Date: 12月 25th, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その27)

つきあいの長い音と器の関係を忘れてはならないと思っている。

Date: 12月 24th, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その26)

つきあいの長い音の条件のひとつは、静寂に調和できる音かもしれない。

Date: 12月 16th, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その25)

つきあいの長い音は、つきあいを深めていける音。

Date: 12月 15th, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その24)

つきあいの長い音を得るには、調整だけでなく調教してこそだ、と思う。

Date: 12月 13th, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その23)

つきあいの長い音は、そのつきあいにおいて聴き手とともに目的地をつくっていく──。