どちらなのか(その1)
極道という言葉がある。
辞書には、いい意味のことは書いてない。
日常的に、この言葉が使われるのも、いい意味ではない。
極道(ごくどう)とは、悪事や酒色・ばくちにふけること。品行・素行のおさまらないさま。
人をののしっていう語、とある。
極には、きわめる、きわまる、このうえない、という意味をもつ。
だから極意、極地という言葉がある。
その意味でいえば、道を極めるのが極道ということになり、
この極道を否定的な意味ではなく肯定的な意味としてとらえる人もいる。
オーディオだけに限らずマニアと呼ばれる人は、
そういう意味での極道者と自認している人も少ないはずだ。
何かを極めよう、ということは、そういうことであろう、と思ってきたけれど、
このごろになって極めようとしてきたのだろうか、とも思うようになってきた。
修道という言葉がある。
道を修める、と書く。
極めると修める。
オーディオでやってきたことはどちらなのか、
いまやっていることは、これからやろうとしていることはどちらなのか。