Archive for category デザイン

Date: 10月 21st, 2019
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その19)

十年前に、
別項でエソテリックの当時のプリメインアンプA100のデザインについて書いた。

そこでも書いているが、A100の中身は力作だと思う。
けれど、なんとも、あの人の顔を連想させる、
しかも聖飢魔IIのデーモン閣下のメイクにも似ていて、
A100の写真を見る度に、どうして、こんなデザインにしたんだろうか、と思っていた。

これも別項で書いているが、
エソテリックのデザインは、A-Z1、S-Z1のころからおかしくなっていた。

それでも、A-Z1、S-Z1のころは、
こういうカーヴがつくれるようになったという、
いわば腕試し的な面もあっただろうから、
徐々に洗練されていくかもしれない、と期待も同時に持っていた。

洗練されていった──、
と、おそらくオーディオ雑誌とかオーディオ評論家はいうのかもしれないが、
私の目には、より手間をかけて醜悪になっていった、としか映らない。

いまのエソテリックのデザインを、有機的とかいう人がいるのだろうか。
そういう意図があるのかもしれないが、それでもくり返すが醜悪だ。

いまのエソテリックのデザインを見ると、
エソテリックのデザイン担当者(デザイナーとは書くのには抵抗がある)は、
どんな考えを持っているのだろうか。

オーディオは、これまで何度も書いてきているように、
コンポーネント(組合せ)である。

アンプ一台で音が鳴るわけではない。
CDプレーヤーだけで、音が鳴るわけではない。

すべてが揃って、音は鳴るのが、オーディオというシステムであり、
オーディオマニアの空間には、さまざまなオーディオ機器が並ぶ。

そこにエソテリックの機器を置いた状態を、
エソテリックのデザイン担当者は、どう考えているのか。

Date: 10月 20th, 2019
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その18)

このブログも、10,000本まで残り250本を切った。
2019年以内には目標だった10,000本になる。

だから、そろそろはっきりと書いていこう、と決めた。
はっきりとブランドを書くことは抑えてきた。

でも、もう書いていこう。

デザインの店頭効果。
デザインのオーディオショウ効果。
デザインのオーディオ雑誌効果。

これをまとめて、デザインの店頭効果としよう。

最近の、一部のオーディオ機器のデザインを見ていると、
こんなことをいいたくなってくる。

デザインの店頭効果の代表例といえるのが、エソテリックの製品群である。

エソテリックの製品の仕上げ、特にフロントパネルは、
仕上げに時間もお金もかけていることはわかる。

けれど、それをもって、エソテリックのデザインが優れている、とはいえない。
はっきりいえば、エソテリックのデザインはひどい、というより醜い、と感じる。

ますます醜悪さがひどくなってきている、と感じている。
時間とお金をかけて、醜いモノを世に出す。

なぜ、オーディオ評論家は、エソテリックのデザインを褒めるのか。
褒めないまでも、何もいわないのか。

本気で、エソテリックのデザインに美を感じているのか。

Date: 9月 12th, 2019
Cate: デザイン, 川崎和男

WAVELET RESPECT Carbon Fiber(その1)

福井にマルイチセーリングという会社がある。
創立70周年記念新作発表会が、六本木のAXISで行われた。

川崎先生によるWAVELET RESPECTが、その新作である。
カーボンファイバーによるイス+ソファーである。

WAVELET RESPECTを真横からとらえたシルエットは、
川崎先生による「プラトンのオルゴール」のシルエットと重なる。

それにどことなくNeXTのCubeのようにも思えてくる。

川崎先生はオーディオマニアだ。
だから、今回、カーボンファイバーによるイスの新作ときいて、
買える買えないは別として(かなり高価なはずだ)、
リスニングルームに置きたくなるに決っている──、
そう思っていた。

触ってきたし、坐ってもきた。
いいと感じた。

けれど、私はどうしてもオーディオマニアである。
買える買えないは別として、WAVELET RESPECTをリスニングルームに置くか、となったら、
現時点ではためらう点がある。

たまたま私が坐ったのがそうだったのか、
組立て精度に関係してくる点が一つ、
そして構造的なところに関係してくる点が一つあった。

川崎先生はオーディオマニアである。
だから、私が気づいた点も気づかれているはず。

Date: 9月 9th, 2019
Cate: デザイン, 世代

世代とオーディオ(とデザイン)

ソニーがIFA2019で、SA-Z1を発表している。
ニアフィールド用のアクティヴ型スピーカーシステムである。

どういう製品なのかは、PHILE WEBAV Watchの記事をお読みいただきたい。

面白そうだな、と思うと同時に、なぜ? とも思っていた。
SA-Z1の写真を見ていると、どうにもブラウン管型のテレビを連想してしまう。

写真のアングルにもよるが、ブラウン管型のテレビ、
それも後側から眺めているような形が、なぜ? につながってしまう。

もう勝手な想像でしかないのだが、
SA-Z1をデザインした人は、テレビといえば液晶の薄型しか知らない世代なのか、と思う。
だから、こういう形にしても、なんとも思わないのか。

それとも、まったく逆なのか。
SA-Z1のデザイナーは、私と同じくらいの世代なのだろうか。
テレビといえば、ブラウン管型。
そういう人が、あえて、こういう形に仕上げたのか。

発売は2020年春(欧州において)。
それまでにデザインは変更されるのか、このまま登場するのか(その可能性は高い)。

Date: 9月 8th, 2019
Cate: コントロールアンプ像, デザイン

コントロールアンプと短歌(その9)

別項「ある写真とおもったこと(その12)」で、
録音された音楽の共通体験ということでは、
CD、CDプレーヤー以上に、一歩も二歩も押し進め、活かしたのがiPodだ、と書いた。

iPodといっても、かなり世代を重ねているし、ヴァリエーションもある。
それに、いまではiPodではなくiPhoneにとって代られている。

iPodといっても,そこに音の違いがまったくないわけではないし、
付属のイヤフォンにしても変ってきているし、
同時代のイヤフォンにしても、製造工場が複数あって、
音が同じというわけではない、というウワサもきいている。

CDをリッピングしてiPodで聴く。
すべてが同じ音で鳴っているわけではないが、
それでもアナログディスクをアナログプレーヤーで再生した音の違いの大きさからすれば、
ほとんどないものということだってできる。

つまりiPodは、CDとCDプレーヤーの登場によってスペックの画一化されたのを、
音のうえでも画一化していった、といえる。

CDプレーヤーは、スペックは基本的に同じでも、
ローコストの製品と最高性能をめざした製品とでは、音は大きく違う。

しかもCDプレーヤーの先には、アンプがあり、スピーカーがあり、
部屋の違い、鳴らし手の違いなどがあり、実際に鳴ってくる音は、
元のスペックが同じとは思えぬほどの違いを聴かせるのも事実である。

iPodは、そこが違う。
それを意図していたのかそうでないのかはわからないが、結果としてそう見える。
しかもiPodと付属のイヤフォンの普及は、
CDとCDプレーヤーが成し遂げられなかった(あえてこう書いている)領域で、
画一化といえるほどの音楽の共通体験を、ほぼ実現している。

このことは、ものすごいことであり、
だからこそ、その画一化(抑圧)から逃れたい、と思う(願う)人が出てくる。

いまのヘッドフォン、イヤフォンのブームの根っこは、
そのへんにあるようにも感じている。

Date: 9月 7th, 2019
Cate: コントロールアンプ像, デザイン

コントロールアンプと短歌(その8)

1982年に登場したCDとCDプレーヤーの登場は、
現象として捉えてみると、オーディオに画一化をもたらした、といえるのではないか。

CDの規格は、サンプリング周波数が44.1kHzで、量子化数は16ビットである。
一体型のプレーヤーであっても、セパレート型のプレーヤーであっても、
この点はまったく同じである。

さらには一万円程度で買えるローコストのCDプレーヤーであっても、
百万円、さらにもっと上の価格帯のCDプレーヤーであっても、
そのスペックはCDの規格によって制約されているから、
基本性能としては、同じといえる。

さらには再生の、この規格は、
録音側のスペックにもなっていった。

CD登場以前の、レコード会社はそれぞれにデジタル録音を研究・実験、
実用化に向けていた。

サンプリング周波数もまちまちだった。
16ビットもあれば14ビットもあった。

それがCD登場により、44.1kHz、16ビットに統一されてしまった。

CDというフォーマットの登場は、画一化である。

画一化には、抑圧という側面もある。
規格というものは、すべてそうなのかもしれないが、
それでもアナログ時代の規格と、デジタル時代の規格とでは、
画一という点では、ずいぶん違う。

画一化は浸透した。
浸透したからこそ、それを抑圧と感じる人が出ていた、とは考えられないだろうか。

アナログディスクのブーム、さらにはカセットテープのブーム、
そういったことを何かで目にする度に、
ブームの理由は一つではないはずだが、
それでも抑圧からの逸脱行為として、アナログディスクの選択、
カセットテープの選択があるようにも思うのだ。

Date: 9月 7th, 2019
Cate: コントロールアンプ像, デザイン

コントロールアンプと短歌(その7)

コントロールアンプにはバラストの役割がある、と(その6)で書いた。
つまりコントロールアンプは、秩序の象徴である。

「プリメインアンプとしてのデザイン、コントロールアンプとしてのデザイン」で、
コントロールアンプとプリメインアンプのデザインの違い、
それも本質なところでの違いはなんなのかについて考えている。

まだまだ考えていかなければならない、と思っているが、
コントロールアンプは秩序の象徴である、
これはいまのところの一つの結論である。

秩序の象徴であるコントロールアンプを、
CDとCDプレーヤーの登場によって、一部ではコントロールアンプ不要論が起ってきた。

一つの試みとして、コントロールアンプを省いて、
パッシヴ型のフェーダーを使うというのは理解できる。

パッシヴ型フェーダーを試して、どう思ったのか、どう考えたのか。
コントロールアンプはもう要らない、となったのかと、
やはりコントロールアンプは必要、となったのか。

どちらが正しいというよりも、
そこでコントロールアンプの役割を、どれだけ理解したか、ではないのか。

と同時に、CDプレーヤーの定格出力が2Vと高くなければ、
コントロールアンプ不要論は出てこなかったのか、についても考えてみる必要はある。

Date: 7月 6th, 2019
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(亀倉雄策氏のこと)

「長岡鉄男の日本オーディオ史 1950〜82」の42ページに、
《亀倉雄策、本格コンポ》とある。

長岡鉄男氏が、長岡鉄男というペンネームを使っていない時代、
《メーカー訪問、名曲喫茶訪問もふった、ステレオ・ユーザー・インタビューもやった》時代、
50人ぐらいの人のところに訪問されている。

三十人ほどの名を挙げられて、短いコメントがついている。
オーディオマニアとして知られている人が数人、そこにはある。

《藤井康男、龍角散社長、特注アルバトロスの無指向性システム》、
《荻昌弘、特注巨大コンポ》、
《柳家小三治、LE−8Tを使った本格的コンポ》などとある。

柳家小三治氏のLE8Tをつかん多システムを、本格コンポとはせずに、
本格的コンポとされているのに対し、亀倉雄策氏のは本格コンポ、である。

どんなシステムだったのか、詳細はわからないが、
当時の柳家小三治氏のシステムよりも、マニアックなものだったのか。

デザイナーの亀倉雄策氏はオーディオマニアだったのか。

Date: 6月 22nd, 2019
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(KEF Model 303・その3)

S9500は1989年に登場している。
303の十年後である。

S9500は、一本2,200,000円だった。
303の三十倍以上である。

エンクロージュアを構成する素材も、
S9500と303とでは、そうとうに違う。

S9500は、そのころのJBLのフラッグシップモデルだった。
303は、当時、日本に輸入されていたKEFのモデルとしては、もっとも安価な製品だった。

製品コンセプトからして、まったく違う。
十数年前に見たS9500は、なんとも古びた感じがしていた。

それはデザインが古くなってしまった、ということではなく、
ホーンに採用されたアクリル、
ベースのコンクリート、
どちらもくすんでしまっていたからだった。

所有者がこまめに手入れをしていなかったのだろう。
ウーファーは、特にくたびれた感じはしなかったけれど、
ホーンとベースは、無機的な材質ということもあってか、
手入れを怠るとこんなふうになってしまうのか、と少々驚いたことがあった。

303には、そういうところ(材質)は存在しない。

303の外観は、くり返すが、素っ気ない。
素っ気ないからといって、デザインされていないわけではない。

むしろ、よくデザインされている、と今回、自分のモノとして眺めてそう思った。

Date: 6月 22nd, 2019
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(KEF Model 303・その2)

難がなかったわけではない。
グリルに、しかもフロントバッフル側に数センチの破れがある。

出品者の説明には、入手した時からあった破れ、とある。
ということは、出品者の前に誰かが鳴らしていたわけで、
どんなに少なくとも私で三人目の所有者となるModel 303である。

四十年前のスピーカーで、
複数の人が鳴らしていて、しかも普及価格帯のスピーカーである。

程度がそんなにいいとは思っていなかった。
写真では、そこそこいいコンディションに見えても、
実際に実物を見ると……、ということはよくある。

しかも破れがあるのだから、まったく期待はしていなかった。
けれど、303が届いて、
四十年前のスピーカーを、初めて自分のモノとして眺めてみて、
ほんとうに四十年前に製造されたモノなのか、と思うほど、くたびれた感じがなかった。

輸入関税、輸送費などを考えると、Model 303は、
イギリスではいくらで売られていたのだろうか。
円とポンドの力関係も、いまとは違っていた。

Model 303の外観は、実に素っ気ない。
虚飾を排した──、そう表現すれば、なんとなくよさそうに思えても、
実のところ、製造コストを抑えるためであろうことはわかっている。

高価な材質は、どこにも使っていない。
そういう造り方のスピーカーであることはわかっていたから、
ある程度のくたびれ感、古びた感じはしかたないものとわりきっていた。

なのに、実物を前にして、えっ? と思ってしまった。
思ってしまったのに、わけがないわけではない。

十数年前に、あるオーディオ店に展示してあったJBLのS9500の印象があったからだ。

Date: 6月 22nd, 2019
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(KEF Model 303・その1)

先日、KEFのModel 303を手に入れた。
Model 303は、1979年に発売されたブックシェルフ型2ウェイのスピーカーシステム。

当時の価格は、一本59,000円(その後62,000円)だった。
当時、欲しいと思っていたスピーカーの一つだった。

日本ではどうだったのかはわからないが、
イギリスではけっこう売れていたようだった。

グリルの色違いがしばらくして六色用意されたし、
303 Series IIも登場した。

でも日本では、これまで中古を見かけたことがなかった。
たまたま私が見かけていなかったというだけの可能性はあろうが、
あまり売れなかったのかもしれない。

売れていないオーディオ機器は、当然だけれど、中古店に並ぶことはめったにない。

303は近所レコード店で、いまも鳴っていることは、すでに別項で書いている。
そこで鳴っていた303は、古びた感じ、くたびれた感じはなかった。

店主が大事に鳴らしていたから、そうなのだろう、と思っていた。

今回、手に入れた303は、ヤフオク!で見つけたものだった。
しかも検索してではなく、オススメとして表示されるモノのなかに、303があった。

安かった。ペアで15,000円だった。
安くても、スピーカーだから送料はそこそこかかる。

なのに、今回の303は出品者が送料負担とある。
どれだけの人が入札しているのかと思ってみると、
誰一人入札していない。

私だけだった。
応札がなかったので、15,000円で、
四十年前に120,000円ほどしていた303を八分の一で手に入れることができた。

Date: 3月 23rd, 2019
Cate: デザイン

プリメインアンプとしてのデザイン、コントロールアンプとしてのデザイン(その10)

ここではヤマハのコントロールアンプC5000を取り上げているが、
なにもC5000だけが、プリメインアンプ的なデザインのコントロールアンプなわけではない。

たまたま、このテーマを書いている途中でC5000が登場したこと、
それとCI、C2といった以前のヤマハのコントロールアンプ、
同時代のCA2000、 CA1000IIIなどのヤマハのプリメインアンプのデザインは、
はっきりと、それぞれにコントロールアンプ的であり、
プリメインアンプ的であった記憶がいまも残っているからだ。

C5000のデザインを見て、私と同じようにプリメインアンプ的だと感じる人もいれば、
そんなふうには感じないという人もいるはずだ。

私自身、どうしてそんなふうに感じるのか、その理由を知りたくて、このテーマを書いている。
まだはっきりと理由を見つけられているわけではないが、
書き始めたころから結論のひとつとして見えているのは、
コントロールアンプとしてのデザインに必要なことは、
オーディオ・システムのデザインの中心として存在できる、ということだ。

それはわかっていたから、別項「オーディオ・システムのデザインの中心」を書いている。

セパレートアンプならば、コントロールアンプがオーディオ・システムのデザインの中心なのはわかるけれど、
プリメインアンプならば、オーディオ・システムのデザインの中心ではないのか──、
そういわれそうである。

いまのところ、ここをうまく言葉として説明できないでいる。
ゆえにもどかしさを感じているが、
プレーヤー、プリメインアンプ、スピーカーといったシステムと、
プレーヤー、コントロールアンプ、パワーアンプ、スピーカーといったシステムとでは、
デザインの中心の意味あいが微妙に、しかしはっきりと違ってくるところがある、と感じている。

この感じているところを、はっきりと掴めたら、
ここでのテーマに、はっきりとした答を出せるはずだ。

Date: 3月 19th, 2019
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(Air Force ZEROのこと・その3)

四年ほど前に、200号までにステレオサウンドでオーディオのデザイン論が語られるとは思えない──、
別項で書いた。

語られることはなかった。
これから先も語られることはないと思っている。

このオーディオのデザイン論こそが、ステレオサウンドがやってこなかったこと、やり残してきたことだ。
私が編集部にいたときも、オーディオのデザイン論はやってこなかった。

十年以上昔になるか、
ステレオサウンドに、素人によるデザイン感的な文章が連載となっていた。
デザイン論とはとうてい呼べないものだった。
ほんとうにひどい、と思って読んでいた。

その連載が終了して、デザインについてある人と話していた時に、この記事のことが話題になった。
「ひどい記事だったね」とふたりして笑いあった。

こんなことを四年前に書いた。
ある人の名前は四年前は明かさなかった。
ある人とは菅野先生である。

菅野先生とデザインについて話していたときに、
私がつい、ポロッと「そういえば、あのステレオサウンドの連載、ひどかったですね」と言った。
すると菅野先生も、お前もそう思うか、という感じで「デザインの素人による内容だよ」と言われた。

ひどい記事と口にしたときには、しまった、と思わなかったわけではない。
菅野先生がどう思われていたのかは知らなかったからだ。

けれど、こちらが本音で話せば、菅野先生はきちんと応えてくださった。
その菅野先生は、もういない。
瀬川先生もそうだ。

オーディオのデザイン論についてきちんと語れる人たちがいない。
なのに、ステレオサウンドは、川崎先生の連載をわずか五回で手離している。

川崎先生が、なぜ離れられたか──、
その理由は現編集長の染谷一氏がいちばんわかっているはずだ。
というより、わかっていなくてはならない。

Date: 3月 19th, 2019
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(Air Force ZEROのこと・その2)

これも続きを書くつもりはなかった。
けれどfacebookへのコメントを読んで続きを書こうと思ったし、タイトルも変更した。

コメントはデザイナーの坂野博行さんからだった。
「Air Force ZEROにはデザイン不在が明らか」とあった。

ここで気をつけてほしいのは、デザイナー不在ではなく、デザイン不在ということだ。
デザイナー不在とデザイン不在は、同じではない。

憶測にすぎないが、Air Force ZEROにもデザイナーがいるはずだ。
おそらく、あの人ではないだろうか、と思っているが、確証はないから名前は出さない。

デザイナーが関っているのに、デザイン不在。
そんな人をデザイナーと呼べるのか──、
そのことについてはここでは述べないが、
おそらく、本人はデザイナーだと思っているだろうし、
その人にデザインを依頼した側も、そんな人をデザイナーと思っているわけだ。

とにかくAir Force ZEROは、デザイン不在の四千万円のアナログプレーヤーである。

Air Force ZEROは、各オーディオ雑誌で絶賛されるであろう。
あれだけの内容のアナログプレーヤーだから、
これまでのプレーヤーからは聴けなかった世界を提示してくれることとは思う。

そうであれば音に関して絶賛されるのはいい。
けれど、中にはAir Force ZEROのデザインを褒める人も出てくるのではないだろうか。

本音で、Air Force ZEROのデザインが素晴らしいという人がいたら、
その人の感性はまったく信用できない。

褒めなくとも、Air Force ZEROのデザインに関して何も語らない人、
つまりオーディオ評論家がいよう。

オーディオ評論家(商売屋)ならば、褒めるか、黙っているかのどちらかのはずだ。

Date: 3月 18th, 2019
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(Air Force ZEROのこと・その1)

オーディオ関係のサイトでニュースになっているので、ご存知の方が多いだろう。
テクダスからAir Force ZEROが発表になった。

価格はまだ未定とのことだが、四千万円前後だそうだ。
この価格については、いわない。

テクダスの西川英章氏の、マイクロ時代からの信念の結実といえるプレーヤーであり、
この時代に、これだけのモノを世に送り出してくれた、ということは、やはりすごいと思う。

Air Force ZEROの仕様が、理想のアナログプレーヤーの具現化なのか、については、
必ずしもそうとは考えないが、それでもくり返しになるが、
西川英章氏が長年追求してきた手法であるから、ここについてもこれ以上は書かない。

けれど一つだけ書きたい。
それはAir Force ZEROのデザインである。

四千万円あれば、ランボルギーニ、フェラリーのスーパーカーが買える。
免許をもっていない私でも、ランボルギーニのアヴェンタドールは憧れである。

Air Force ZEROには、そういうかっこよさをまったく感じない。
四千万円するのであれば、もう五百万円くらい高くなっても、
写真を見ただけで、一瞬にして憧れてしまう、そんなかっこよさを持ってほしい。

そして実物をみて、惚れ惚れしてしまうほどのかっこよさであってほしい。

残念なことに、Air Force ZEROには、
スーパーカーならぬスーパーアナログプレーヤーのオーラのようなものを感じない。