オーディオ・システムのデザインの中心(その19)
十年前に、
別項でエソテリックの当時のプリメインアンプA100のデザインについて書いた。
そこでも書いているが、A100の中身は力作だと思う。
けれど、なんとも、あの人の顔を連想させる、
しかも聖飢魔IIのデーモン閣下のメイクにも似ていて、
A100の写真を見る度に、どうして、こんなデザインにしたんだろうか、と思っていた。
これも別項で書いているが、
エソテリックのデザインは、A-Z1、S-Z1のころからおかしくなっていた。
それでも、A-Z1、S-Z1のころは、
こういうカーヴがつくれるようになったという、
いわば腕試し的な面もあっただろうから、
徐々に洗練されていくかもしれない、と期待も同時に持っていた。
洗練されていった──、
と、おそらくオーディオ雑誌とかオーディオ評論家はいうのかもしれないが、
私の目には、より手間をかけて醜悪になっていった、としか映らない。
いまのエソテリックのデザインを、有機的とかいう人がいるのだろうか。
そういう意図があるのかもしれないが、それでもくり返すが醜悪だ。
いまのエソテリックのデザインを見ると、
エソテリックのデザイン担当者(デザイナーとは書くのには抵抗がある)は、
どんな考えを持っているのだろうか。
オーディオは、これまで何度も書いてきているように、
コンポーネント(組合せ)である。
アンプ一台で音が鳴るわけではない。
CDプレーヤーだけで、音が鳴るわけではない。
すべてが揃って、音は鳴るのが、オーディオというシステムであり、
オーディオマニアの空間には、さまざまなオーディオ機器が並ぶ。
そこにエソテリックの機器を置いた状態を、
エソテリックのデザイン担当者は、どう考えているのか。