Posts Tagged オーディオ・システムのデザインの中心

Date: 1月 4th, 2015
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その17)

オーディオがブームだったころ、店頭効果ということがよくいわれていた。
客がスピーカーの試聴にオーディオ店にくる。

当時はブックシェルフ型であれば各社のスピーカーが所狭しと積み上げられていることが多かった。
そして客は、店員にいくつかのスピーカーを聴きたいとリクエストする。
店員は切替えスイッチで、客が希望するスピーカーを次々と鳴らす。

このときスピーカーの音圧が揃うように調整する店員もいたであろうが、
そうでない店員もいた。
そうなると切り替えた時に、前に鳴っていたスピーカーよりもわずかでも音圧が高ければ、
実際のリスニングルームとはかけ離れた試聴条件では、よく聴こえてしまうことがある。

音圧が同じでも地味な音のスピーカーよりも、派手な音のスピーカーのほうが目立つ。
とにかく他社製のスピーカーよりも、自社製のスピーカーを客に強く印象づけるための音づくり、
これを店頭効果と呼んでいた。

いまはそんなものはなくなっていると思うが、
デザインに関しては、どうだろうか、と思っている。

例としてあげたブックシェルフ型スピーカーは、さほど高級(高額)なモノではなかった。
大きさもユニット構成も外観も似ているモノが大半だった。
だからこそ音での店頭効果で目立とうとしていた、といえる。

ここで書こうとしているデザインについては、
そういった普及価格帯のモノではなく、高級(高額)のモノについてであり、
デザインの関係性・関連性と排他性について考えていきたい。

Date: 2月 23rd, 2014
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その16)

最近の、一部のオーディオ機器のデザインを見て思うのは、
このアンプなり、CDプレーヤーなり、スピーカーなり、アナログプレーヤーを開発した人は、
オーディオはコンポーネントであることを、どう考えているのか、である。

つまりオーディオは組合せである。
どんなに優れたスピーカーシステムであっても、
そのスピーカーシステムだけ持っていても音は出せない。
アンプだってそうだ。優秀なアンプを持っていても、
スピーカーを接ぎ、CDプレーヤーなりアナログプレーヤーを接続しなければ音を聴くことはできない。

そして、これらのシステムを構成するオーディオ機器は、
ほとんどの場合、同一空間に設置される。
リスニングルームと呼ばれる空間に、スピーカーシステムが置かれ、
アンプ、プレーヤーが置かれる。

リスニングルームにはオーディオ機器だけが置かれることはない。
最低でも椅子があったり、アンプやプレーヤーを置くラックもある。
照明器具もある。

ようするにオーディオ機器のデザインは、そういう場でのデザインとして語るべきではないのか。
オーディオ機器のデザインについて語る時、
最低でもシステムを構成する他のオーディオ機器との関係性・関連性を無視するわけにはいかない。
というよりも重要なことではないかと考えている。

だが、最近の、一部のオーディオ機器のデザインを見ていると、
自分だけよければそれでいい、とでも考えているかのようなデザインのモノが目立つようになってきた。
しかも、それらは美しい、とはいえないモノばかりである。

Date: 12月 12th, 2013
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その15)

テクニックだけを堂々とひけらかす、
そんな演奏は、音楽として美しいといえるだろうか。

そういう演奏は、凄いと思わせるところがないわけでもない。
だが、凄いは、美しいとはほとんど関係のないことである。

レコード演奏家として求めていくものは、精進していくものは、
そういったテクニックではなく、美であるはずだ。

その美がなかったからこそ、フランケンシュタインがつくり出した「理想の人間」は、
理想の人間ではなく怪物と呼ばれるようになったのと、同じことではないのか。

そんなことはない、いい音で鳴れば、そこには美がある。
どんなオーディオ機器の配置をしようと、ぶざまなケーブルの這わせ方をしようとも、
その結果得られる音が良ければいいわけだ──、
という考えは、もう捨て去るべきであるし、いつまでもそんなことをいっていては幼稚なだけである。

それでも個人で満足してやっているのであればまだいい。
ひどいのになると、誰かのところへ出かけていって、そんな機器の配置やケーブルの這わせ方をして、
音が良くなっただろう、というのがいることだ。

そんな人がいう、音が良くなった、というのは、音が変った、ぐらいに思っておけばいい。
そこには、美はないのだから。

Date: 12月 6th, 2013
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その14)

スピーカーケーブルやラインケーブルを部屋の真ん中を這わせないようにする。
そうすればたいていの場合、ケーブルの長さは真ん中を這わせるよりも長くなる。
それだけでなく、ラインケーブル同士が交叉したり平行になったりする。
スピーカーケーブルとラインケーブルが平行になることはあまりないだろうが、交叉することはあるし、
さらに電源コードの近くをスピーカーケーブルを這わせることにもなる場合がある。

そうなればケーブル同士の干渉が起るし、それにより音質の劣化は生じる。
ならば部屋の真ん中をケーブルを這わせた方が音はいいのに、なぜ?
と思う人がいるだろうし、そういう人は部屋の真ん中を這わせている人ではないだろうか。

菅野先生は、部屋の真ん中をスピーカーケーブルが這っている人の音を、
悪い、とはいわれなかった、と記憶している。
「まともだったことはない」──、そういうふうにいわれた。

菅野先生はレコード演奏家論を提唱されている。
オーディオマニアをレコード演奏家としてとらえた場合に、
スピーカーケーブルを何の恥じらいもなく、
むしろ堂々と部屋の真ん中を這わせている人(レコード演奏家)は、
演奏家としては、テクニックだけに終始するタイプということになる、と受けとめることもできる。

少なくとも、私は菅野先生がそういわれるのをきいていて、そう思っていた。

Date: 12月 5th, 2013
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その13)

ケーブルは原則として、同じケーブルであれば長いものよりも短い方が、音質的には有利といえる。
線間容量も短ければ小さくなるし、
直流抵抗、その他の要素にしても長いよりも短い方が有利であることは確かである。

それにずっと以前に比べていまでは外部からのノイズの混入という点からしても、
長いケーブルよりも短いケーブルの方が有利といえる。

ならば各オーディオ機器を最短距離で接続するのは、
音質的には有利と考えがちになる。

たとえばCDプレーヤーを聴き手の真ん前に置く、
コントロールアンプはCDプレーヤーの真後ろに置く、
パワーアンプはコントロールアンプの真後ろに置く。
つまり左右のスピーカーのセンターに、
CDプレーヤー、コントロールアンプ、パワーアンプが直線上に並ぶわけだ。

こうすればCDプレーヤーとコントロールアンプ、コントロールアンプとパワーアンプ、
パワーアンプとスピーカーシステム、それぞれを結ぶケーブルはもっとも短くてすむ。

使い勝手はよくない。
見た目もあまり芳しくない。
けれど音質優先の配置だ、と胸を張れるだろうか。

こういう設置も一度試して、その音を聴いておくことは、
やる気があればやってみた方がいい、と私はすすめる。
けれど、そのままで聴くことはすすめない。

Date: 12月 5th, 2013
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その12)

何年前のことになるだろうか、
菅野先生が、強い口調で話されたことがあった。

「部屋の真ん中を大蛇のようなケーブルが這っているところの音がまともだったことはない」と。
細部まではっきりと記憶しているわけではないが、このようなことをいわれたのははっきりと憶えている。

菅野先生はステレオサウンドの企画、ベストオーディオファイル、レコード演奏家訪問で、
多くのオーディオマニアのリスニングルームを訪問されている。
それだけではない、他のオーディオ雑誌の企画でも訪問されているし、
記事にならない訪問も決して少なくないはずだ。

その菅野先生が断言されている。
菅野先生が断言されなくとも、私も、
私なりの体験(菅野先生にくらべると桁違いに少ないのだけれども)、
同じことは感じていた。

音質最優先ということで、
大蛇のようなスピーカーケーブルを併記で部屋の真ん中を這わせる人もいるし、
天井からぶら下げている人もいる。

こうした方が音がいいから、とその人たちはいう。
その人たちにいわせれば、こうした方が音がよかったのだから、
菅野先生が言われていること、私もそう感じていることには納得できない、となるだろう。

Date: 12月 4th, 2013
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その11)

スピーカーケーブルやラインケーブルに、非常に高価なモノが登場しはじめたことと関係しているのか、
オーディオ雑誌に登場する人のリスニングルームで、
部屋の真ん中を太いケーブルが大蛇のように這っている写真をみかけるようになってきた。

同じケーブルを使っていても、どう這わせるのか、どこを這わせるのかによって音が変る。
だからもっとも音がいいとするところを這わせた結果が、
部屋の真ん中を大蛇が這うようになってしまった、ともいえるだろう。

私がいたころ、ステレオサウンドの試聴室ではスピーカーケーブルを部屋の真ん中を這わせていた。
試聴室はいわば実験室ともいえるし、
試聴室で聴く行為は、あくまでも試聴であり、リスニングルームと同じように思う人もいるかもしれないが、
試聴室とリスニングルームは決して同一には語れない。

リスニングルームをリスニングルームとして、音楽を聴く場としておきたいのか、
それとも試聴室としておくことに、なんのためらいも感じないのか、によって、
ケーブルの這わせ方は違ってくるのではないのか。

リスニングルームを試聴室として使うことは、私にだってあった。
いわば実験的に試してみたいことがあって、一時的にそういう使い方をしていたわけだ。

あえて、普通ならばやらないことをやってみることは、時として必要だと思っている。
あえてのことをやってみて、わかることがやはりあるからだ。
でも、あえてのことを、そのままにしておくわけではない。
あくまでも、それは一時的なことであって、
それによって得られることを、その先にどう活かしていくのか、採り入れていくのかに、頭を使う。

Date: 11月 30th, 2013
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その10)

以前のQUAD、つまり創始者のピーター・ウォーカーが健在だったころのQUADのシステムを揃える。
アンプはコントロールアンプの33とパワーアンプの303、それにチューナーのFM3の組合せ、
もしくは44と405、それにFM4の組合せがあり、
スピーカーにはESLを持ってくる。

CDプレーヤーは66シリーズになり登場したけれど、アナログプレーヤーはなかった。
ずっと以前、フェランティが製造しQUADが販売していたピックアップがあるくらいだ。
このピックアップは、ウィリアムソン・アンプの設計者であるウィリアムソンと
ピーター・ウォーカーとの共同開発といわれるリボン型カートリッジとトーンアームの一体型であった。

QUADのアナログプレーヤー関連の製品といえば、これだけである。
これ以降、なぜだか発表していない。

1970年代の海外のオーディオショウでQUADのブースの写真をみると、
カラードの401とSMEの3009を組み合わせたプレーヤーがあった。

この組合せもいいけれど、QUADのアンプのコンパクトさとはやや不釣合いの大きさのプレーヤーだから、
そういうことのほかに価格的なバランスを含めて考えると、リンのLP12にSMEの3009の組合せが、
よりしっくりとくる。

こういうシステムを組んだとしよう。
ラックもQUADの雰囲気にぴったりあうものを選ぶ、もしくはつくる。

けれど、これで音を良くしたいからといって、
スピーカーケーブルを部屋の真ん中を這うようにしてしまうと、
これはフランケンシュタイン・コンポーネントと言わざるを得なくなってしまう。

Date: 11月 15th, 2013
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その9)

この項の(その6)で、バラコンについて書いた。
シスコン(システムコンポーネント)に対する言葉として、ある時期使われていた。

シスコンも決していい言葉ではないけれど、バラコンはシスコンよりもひどい。
こんな言葉は誰も使わないのがいい。
けれど、われわれわオーディオマニアがついやってしまっていることは、
フランケンシュタインが理想の人間をつくろうとして陥ってしまったのと、
ほぼ同じ立ち位置にいる、ともいえる。

バラコンという言葉は使いたくないけれど、
ほとんどのオーディオマニアが組合せにおいてやっていることは、
フランケンシュタイン・コンポーネントといえることである。

なぜフランケンシュタインは理想の人間をつくろうとして、怪物を生み出してしまったのか。
そんなことを考えていると、
今年のインターナショナルオーディオショウで見たあるメーカーの、あるオーディオ機器のことが浮んでくる。

このオーディオ機器がなんであるのか、その型番について書くのを少しためらっている。

このオーディオ機器が発表になった時、
インターネットに公開されていた写真を見た時、そのデザインにびっくりした。
いい意味でのびっくりではなかった。
だから、型番を書いていこう、とその時は思った。

ただ一応実物をきちんと見てからにしようと思い、
インターナショナルオーディオショウまで待っていた。

初日に見てきた。
写真で見るよりも、ずっと凝った細工がなされていて、仕上げも丁寧である。
なのに、なぜこんなデザインにしたのか、と考えてしまう。
この時までは、型番を書こう、と思っていた。

だがフランケンシュタインのことが思い出されて、躊躇うようになってしまった。

Date: 11月 5th, 2013
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(LINN EXAKT)

インターナショナルオーディオショウに最終日にも行ってきたのは、
VOXATIVのAmpeggio Signatureをもう一度聴きたかったのがまず第一にあり、
初日に聴き忘れていたLINNの新システムEXAKT(イグザクト)を聴いておきたかったのも理由のひとつである。

EXKATの詳細についてはLINNのサイトを参照していただくとして、
この新システムを構成するコンポーネントは一組のスピーカーシステムKLIMAX EXAKT 350と、
入力機器にあたるEXAKT DSMだけである。
コントロールアンプもパワーアンプも要らない。

パワーアンプはスピーカーエンクロージュア内にフローティングされて搭載されている。
実にシンプルな構成のシステムである。
実際にはハードディスクも必要となるが、
EXKAT DSMを含めてこれらは目につかないところに隠して置くこともできる。

そうなると聴き手の視覚にはいってくるのはスピーカーシステムのKLIMAX EXAKT 350だけとなる。
他の仕上げがあるのかどうかは知らないが、LINNのブースにあったKLIMAX EXAKT 350は黒仕上げだった。
存在を目立たせないように黒を選んだようにも思えた。

LINNはシステムを消し去りたいのかもしれない──、
そんなことも思ってしまった。

LINNのEXAKTシステムで聴き手が操作のために触れるのは、
専用アプリをインストールしたiPadになる。
そうなると専用アプリのインターフェースのデザインこそが、
EXAKTシステムのデザインの中心となるのだろうか。

この項を書き進めていくにあたり、
このことを踏まえて考え直さなければならないかもしれない──、
そんなことを考えていた。

Date: 11月 3rd, 2013
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その8)

フランケンシュタインは理想の人間をつくろうとする。
そのために墓を暴き死体を掘り起し、それらの死体をパーツとしてつなぎ合わせて「理想の人間」をつくる。

だが「理想の人間」は容貌が醜かった。
醜かったから「理想の人間」ではなく怪物と呼ばれるようになった。

フランケンシュタインがやろうとしたこと、やったことは、
いまわれわれがオーディオでやっていることと同じではないのか。

フランケンシュタインのように墓を暴くという犯罪行為こそしないものの、
理想の音を求めて、それを実現するため、少しでも近づこうとするために、
あらゆるパーツを組み合わせて、ひとつのシステムをつくり上げる。

カートリッジはA社のこれ、トーンアームはB社のこれ、ターンテーブルはC社……、
こんなふうにケーブルにいたるまで、いくつものパーツを試して(試聴して)、組み合わせていく。
フランケンシュタインがやっていたこととまったく同じではないか。

Date: 11月 3rd, 2013
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その7)

いまのQUAD、いまのマッキントッシュの、
それもアンプのデザインは決していいとはいえない。

好き嫌いは別として、以前のマッキントッシュのアンプのデザインには説得力のようなものがあった。
明るいところで電源が入っていない状態でしか見たことのない人もいるだろう。
マッキントッシュのアンプは、一度でいいからどこかのリスニングルームに置かれ、
少し暗くした状態で電源を入れた時に映える。

いまのマッキントッシュのアンプ、
特にコントロールアンプは安っぽくなった、という印象を拭えない。
アンプそのものが軽く感じられてしまう。

QUADに関しても創業者のピーター・ウォーカーがいなくなってからは、
デザインの統一感に関しては魅力的でなくなってきている。

マッキントッシュも、ゴードン・ガウがいなくなって久しい。
これは仕方のないことなのかもしれない。

オーディオというシステムにおけるデザインについて考えていると、
フランケンシュタインのことが浮んでくる。

フランケンシュタインについては説明は不要なような気もするが、
日本では人の体をつなぎ合せてつくられた怪物の名前がフランケンシュタインだと勘違いされることもある。
いうまでもなくフランケンシュタインは怪物の名前ではなく、
この怪物をつくりあげたスイス人の青年の名前が、フランケンシュタインであり、
怪物には名前はない。

Date: 8月 23rd, 2013
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その6)

バラコン──、
決していい言葉ではない。けれど、往々にしてグレードアップを何度か行うと、
バラバラなコンポーネントという印象に、デザインに関してはなってしまうことがある。

しかも音はまとまりをみせていっているであろうから、
人によってはデザインの統一感のなさ(バラバラな感じ)をどうにかしたくなる。

オーディオとはそういうものである、と自分を納得させることができればいいが、
そういう人でもデザインの面でもまとまりがあれば、
音が同じであれば、バラバラのデザインよりも、そちらを採るだろう。

マッキントッシュ、QUAD、B&Oのシステムのもつ魅力に憧れはもっている。
欲しい、と思うこともある。
けれど、どれでもいい、どれかひとつのシステムを買ってきて、
どれだけ満足できるか、というと、それはそう永い期間ではないように思う。

ここでのどれだけ満足できるかは、音の満足度ということよりも、
どれだけながく、そのシステムを変えることなく使っていけるか、という意味の、
時間的な長さのことだ。

もうひとつ書いておきたいことがある。
ここであげているマッキントッシュ、QUADに関しては、
いまのマッキントッシュ、QUADのイメージではなく、
私の中ではQUADはピーター・ウォーカーが生きていた時代までのQUADであり、
マッキントッシュも同じようにゴードン・ガウが生きていた時代までのマッキントッシュであり、
このふたつのブランドに関しては、そこまでのイメージが圧倒的に濃い。

Date: 8月 21st, 2013
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その5)

一時期、ワンブランドシステムとかワンブランドオーディオという言葉が雑誌を飾っていた。
マッキントッシュ、B&O、QUADといった、
音の入口から出口まで揃えているメーカーでシステムを統一する。

マッキントッシュのCDプレーヤー、マッキントッシュのチューナー、マッキントッシュのコントロールアンプ、
マッキントッシュのパワーアンプ、マッキントッシュのスピーカーシステム、
とすべてマッキントッシュの製品で揃えればデザインでの統一と音質・音色での統一が得られる。

B&O、QUADもワンブランドですべて揃えてしまうことで得られるものが確実にある。
同時に得られないものもあるわけで、
結局はどちらを重視するかにより、人はワンブランドを選択したりそうでなかったりする。

ワンブランドオーディオ、ワンブランドシステムという言葉が登場する以前は、
シスコンという言葉があった。
システムコンポーネントの略語である。

これもワンブランドで統一されたシステムであるわけだが、
メーカーのお仕着せということと、それにどちらかといえば安価なシステムが多かったこともあり、
初心者向きという認識であった。

このシスコンに対して、バラコンというのがあった。
バラコン──、バラバラにスピーカーやアンプを買ってきてコンポーネントを組み合わせるから、
つまりバラバラのコンポーネントという略語であった。
瀬川先生は、こんな言葉は使いたくない、使わない、といわれていたのを思い出す。

Date: 8月 21st, 2013
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その4)

自分にとって、ほんとうに求めていたスピーカーシステムと早々に巡りあえることは、まずない。
いくつものスピーカーシステムを自分で鳴らしてこなければ、まず無理である。

その意味では「このアンプに合うスピーカーはなんですか」
と質問してくる人のことがまったく理解できないわけではない。
それでも、スピーカーシステムは自分で見つけるもの(モノ)である。

いつかは、きっとスピーカーシステムが見つかる。
それがどのくらいかかるのかは、なんともいえない。
幸運にも一年くらいで見つかる人もいるだろうし、
十年かかって見つけた人だっている。
それ以上の年月をかけているけれど、まだ見つからない……、という人もいよう。

それまでは、すでにシステムをつくっている。
一度にすべてのオーディオ機器を、欲しいモノを買える人もいるけれど、
私を含めて多くの人は、すこしずつグレードアップしていく。

プレーヤーにしても、アンプにしても、
自分にとってほんとうに求めていたスピーカーシステムが見つかるまでに、
いったい何度入れ換えているだろうか。

そうやっていっていると、往々にしてそれぞれのオーディオ機器のデザインに関しては、
じつにバラバラになってしまいがちだ。