Archive for category 日本のオーディオ

Date: 5月 22nd, 2015
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(ハンダ付け)

ずっと以前の話だ。
山水電気は新入社員の研修の一環として工場に行き、ハンダ付けをやらされる。
プリント基板にではなく、魚を焼くときに使う金属製の網をである。

網のワイヤーとワイヤーが交わっている箇所を、すべてハンダ付けしなければならない。
山水電気はオーディオ専業メーカーだから、
新入社員の多くはラジオ、アンプの自作の経験を持つ者も多い。
ハンダ付けにもみな自信を持っている。

すべての箇所がハンダ付けされた網を、
工場勤務の女性が手にとり、作業台の天板の角に網を叩き付ける。
するとハンダがボロボロと落ちていくそうだ。

工場勤務のハンダ付けのベテランの人たちによる網は、当然のことながらひとつも落ちない。

昔はそういう人たちの手によって、オーディオ機器が作られていた。
高価で信頼性の高い部品をどれだけ使おうと、
余裕のある動作をする設計しようと、
ハンダ付けの技術が未熟な手で作られてしまえば、どうなるか。

山水電気の新入社員たちは工場に勤務するわけでhなく、
開発や、営業、広報の仕事につくわけで、網にハンダ付けができてもできなくと、
工場から出来上がってくる製品の出来には直接関係ないわけだが、
だからといって、このハンダ付けの研修が無駄とは思わない。

Date: 5月 19th, 2015
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(NIRO Nakamichiの復活・その3)

NIROのデビュー作、NIRO 1000 Power Engineを、ステレオサウンドの記事で知ったときの衝撃は、
私にとってはナカミチのどんなカセットデッキの登場よりも大きかった。

よくこんなモノを作ったな、と写真を見て思っていた。
そして、この会社が長続きするのだろうか……、とも思っていた。

いまもNIROというブランドは残っている。
会社名はniro1.com(ニロウワンドットコム)で、社長はもう中道仁郎氏ではない。
なぜかNIRO 1000シリーズのページは残ったままになっている。

中道仁郎氏がいつNIROから離れられたのか正確には知らない。
そして2013年、NIRO Nakamichiを興されたことは、なにかのニュースで知っていた。
けれど新製品として発表されたのは、カセットデッキでもなく、NIRO時代のようなアンプでもなく、
カーオーディオだった。

自身の名前をブランドとする例は、日本にも外国にもいくつもある。
オーディオだけでなくさまざまな業種にある。
けれどたいていは苗字だけである。
フルネームを会社名、ブランド名にするのは、そう多くない。

マーク・レヴィンソンがMark Levinsonとしたのが、オーディオでは最初だろう。
NIROのあとにNIRO Nakamichi。
フルネームの会社名でありブランド名である。

これが最後であるという覚悟なのだろう、と私は受けとめている。
だから最初の製品がカーオーディオで少しがっかりしていた。
そして、いつの間にかNIRO Nakamichiのことは忘れてしまっていた。

そこに今回のスピーカーシステムの発表である。

Date: 5月 16th, 2015
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(オーディオと黒・その1)

岩崎先生の「私のサンスイ観」を読んでいて、サンスイのプリメインアンプAU111から、
アンプのブラックパネルが始まっている可能性に気づいた。
     *
 三題ばなしのテーマではないけれど、どうも「サンスイ」というと「トランス」「黒(ブラック)パネルのアンプ」というイメージが、オーディオ・ファンの脳裏に浮かぶ。それから続いて連鎖反応的に出てくるのが、米国のマッキントッシュの名だ。
 同じように黒いパネルの、重厚きわまりないアンプは一流中の一流ブランドとして知られ、個性的な風格は世界中のオーディオ製品中にあっても、もっとも強烈なるオリジナリティをもって受け止められているはずだ。このマッキントッシュの前にあってはさすがにサンスイの名もかすみそうに誰しもが感じるだろう。
 ところがである。なんと「黒(ブラック)パネル」はサンスイ・ブランドの方が早いのだ! アンプにおける個性的なブラックパネルは、サンスイのAU111において一九六五年に日本市場に製品として出た。
 マッキントッシュは上半分が黒、下半分がゴールドのパネルのC24に変え、一九六八年になって初めて真黒なパネルのC26が米国でデビューするから、先がけること3年である。マッキントッシュはモノーラル時代はゴールドパネルであった。
     *
AU111は1965年8月発売である。
同じ年の3月にJBLと総代理店契約を結び、輸入を開始している。

JBLのプリメインアンプSA600もこの年に登場している。
このSA600のパワーアップヴァージョンのSA660は、1968年の登場。
ここでフロントパネルがブラックに変更される。
マッキントッシュのC26とほぼ同時期である。

記憶をたどってもAU111以前にブラックパネルのアンプがあったとは思い出せない。
日本だけではない、アメリカのアンプでもC26、SA660以前に、
何かあっただろうかと思い出そうとしているが思い浮ばない。

AU111が、ブラックパネルの元祖だと謳っていたことは知っていた。
でも日本においてのことだと、勝手に思い込んでいた。

AU111以前にアメリカ、ヨーロッパでブラックパネルのアンプは存在していたのだろうか。

Date: 5月 13th, 2015
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(NIRO Nakamichiの復活・その2)

Nakamichi(ナカミチ)といえば、テープデッキである。
それもカセットデッキである(オープンリールデッキもフィデラ・ブランドで出していた)。

カセットテープにそれほど関心があったわけではない私にとって、
ナカミチという存在は、積極的にカセットデッキを開発しているメーカーという印象に留まり、
個人的にナカミチというブランドに思い入れがあったわけではない。

ナカミチもカセットデッキだけでなく、ターンテーブルの開発も行った。
TX1000というターンテーブルである。
いまでも中古市場では人気があるらしい。

技術的には意欲的なところをもつターンテーブルではあった。
TX1000はステレオサウンドの試聴室で聴いている。
レコードの偏芯による音の変化も確認している。
たしかに、その音の効果は耳で確認できる。

とはいえTX1000が素晴らしいターンテーブルだと思っていないので、
中古市場での高値を見ていると、不思議な感じがしてくる。

そしてナカミチはB&Wの輸入元でもあった(その前はラックスと今井商事だった)。
同時期にスレッショルドと技術提携してステイシス回路搭載のパワーアンプ、
ペアとなるコントロールアンプも出してきた。

これ以前にも、傾斜したフロントパネルをもつセパレートアンプを出していたけれど、
やはりナカミチといえばカセットデッキのメーカーという印象が強すぎていた。

1980年代にはいり、ナカミチは総合オーディオメーカーを目指しはじめていたのかもしれない。
結果的にうまくいかなかった、といえよう。
カセットデッキ専門メーカーというイメージが強すぎたためなのか。
とにかくナカミチは香港のファンドに買収されてしまった。

そしてNIROが、中道仁郎氏によって1998年に設立された。

Date: 5月 12th, 2015
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(NIRO Nakamichiの復活・その1)

先ほどfacebookを見て知ったばかり、
NIRO NakamichiがHE1000というスピーカーシステムを発表している。
まだNIRO Nakamichiのウェブサイトはあることにはあるが今日現在何も公開されておらず、
岡山のオーディオ店AC2のサイトでの公開である。

Nakamichiブランドでもない、NIROブランドでもない、
NIRO Nakamichiブランドである。

Date: 4月 22nd, 2015
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(その3)

ステレオサウンドを読みはじめたころは、記事だけでなく広告も丹念に読んでいた。
すべての広告がそうだったとはいわないけれど、少なからぬ広告には記事的な要素もあったように感じていた。
だから記事も広告もじっくり読んでいた。

なので広告のこともけっこういまでも記憶している。
そんな広告の中で、不思議と目に留ったのがスペックスだった。
MC型カートリッジSD909の広告で、毎号広告の内容は変っていっても、必ず共通するコピーがあった。

このころのステレオサウンドを読んでいた人ならば、
あぁ、あれね、とすぐに思い出されるだろう。
スペックスのSD909の広告には、必ず「日産21個」とあった。

SD909は当時30000円のカートリッジだった。
日産21個ということは、63万円になる。
カートリッジの製造原価がどの程度なのか当時は中学生だったからまったく知らなかった。

正直、日産21個が、MC型カートリッジの生産量として多いのか少ないのかはわからなかった。
けれど、こうやって毎号広告に出しているくらいだから、それは少ない数なのだろう、ということは察しがつく。

それにスペックスの会社の規模についても、ほとんど知らなかった。
規模の大きい会社ならば21個は非常に少ないことになるけれど、
規模が小さい会社ならばそれほどでもなくなる。

1975年発行のステレオサウンド別冊HI-FI STEREO GUIDEによれば、スペックスのカートリッジは六機種。
MM型のSM100MKII、MC型のSD801 EXCEL、SD900SP、SD700 TYPEII/E、SD901、SD900。
まだ、日産21個のSD909は登場していない。

SD909登場のころは、SM100MKIIとSD900SPだけが残っている。
SD909以外のカートリッジの生産量は広告で謳っていないことからも、
やはり日産21個は少ない数といっていいだろう。

Date: 4月 18th, 2015
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(その2)

私がオーディオに関心・興味をもちはじめた1976年は、すでにMC型カートリッジのブームのはじまりだった。
オルトフォンからはSPUに代るモノとして成功したといえるMC20が登場していた。

けれどそれ以前のMC型カートリッジはどんなモノがあったのかというと、
オルトフォンでは、この会社の代名詞といえるSPUの他は、
決して成功とはいえなかったSLシリーズがあったくらい。

瀬川先生がいわれたことがあった。
いまのMC型カートリッジのブームは、日本ではMC型が作られ続いていたことが大きい、と。
いわれてみると、たしかにそうである。

有名なデンオンのDL103シリーズの他に、
フィデリティ・リサーチのFR1、スペックスのカートリッジ、サテンの独特な発電構造によるカートリッジ、
ダイナベクターもあったし、武蔵野音響研究所の光悦もあった。

もしこれらの日本のMC型カートリッジが存在していなかったら、
MC型カートリッジのブームは起らなかったであろう。

MC型カートリッジのブームは、日本だけの現象ではなかった、ともきいている。
むしろ海外において日本のMC型カートリッジが見直されて起ってきた、という話もある。

MC型カートリッジのブームについて話された時に、
瀬川先生はこんな話もされた。

カートリッジの製造原価はそんなに高くはない。
なのにMM型よりもMC型は高価になってしまうのは、おもに人件費がかかるから。
MM型と違い、MC型カートリッジはほとんど手づくりゆえに、つくれる人が限られるし、
製造できる個数も少なくなる──、そんな内容だった。

手先が器用だとはいわれる日本人にとって、MC型カートリッジは向いていた、
そういってもいいかもしれない。

とにかくMC型カートリッジは日本のメーカーによって続いてきたことは事実である。

Date: 3月 4th, 2015
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(その1)

私が熱心にステレオサウンドを読んでいたころも、
私がステレオサウンドで働いていたころも、
日本のオーディオ機器には個性がない、とか、オリジナリティがない、とか、
海外オーディオのモノマネの域を脱していない、などよくいわれていた。

そういう面がまったくなかったとはいわない。
これらを言っていたのは、確かな人たちであり、なぜいわれるのかも納得はしていた。
けれど、ふり返ってみれば、その時代の国産MCカートリッジに関しては、
それらのことはあてはまらない、とはっきりいえる。

1970年代後半にMC型カートリッジのブームがおきた。
それまでMC型カートリッジに積極的でなかったメーカーも製品を出しはじめた。
これらのカートリッジの詳細と図解は、ステレオサウンド別冊HIGH-TECHNIC SERIES 2を参照してほしい。
長島先生による本である。

この本こそ、ステレオサウンドは電子書籍化して、
これから先何十年経っても読めるようにしてほしいと思う。

HIGH-TECHNIC SERIES 2の図解をみていけば、誰もが気付く。
国産MC型カートリッジの構造のオリジナリティに、である。

鉄芯巻枠を使った、いわゆるオルトフォンタイプのMC型もあるが、
ここから完全に脱却した各社独自のMC型カートリッジがいくつもの登場している。

Date: 9月 4th, 2014
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(モノづくり・その2)

IT企業のITは、いうまでもなくInformation Technologyの略である。
だが、日本のIT企業の中には、Information Technologyを持っていないのではないか、と感じる企業もある。

そういう企業もInformation Technologyということになっている。
そういう企業が考えるTechnologyと私が考えるTechnologyが違うのかもしれない。

そういう企業トップが、「日本のモノづくりには……」と発言する。
そういうIT企業の「ような」会社のトップのいうことだから──、と私はおもう。

今回のテクニクス・ブランドの復活は、オーディオ機器というモノづくりを、
パナソニックが復活させた、ということである。

今回発表されたアンプやスピーカーシステムの出来がどの程度なのかについては、
まだ写真を見ただけだから、あれこれ書くのは控えておく。
だが、パナソニックは、先のIT企業の「ような」会社ではない。

それに技術者がいないのでは……、ということは、必ずしもネガティヴなことではない。
テクニクスの製品でいえば、オープンリールデッキのRS1500U。
このモデルの開発には、新しい感覚、新しい考え方を盛り込むために、
あえて半数以上がテープデッキの開発に携わったことのない技術者で編成されたグループが行っている。

RS1500Uの開発に関する記事は、ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」のテクニクス号で読める。
テクニクス号はすでに絶版だが、電子書籍となっている。

Date: 9月 4th, 2014
Cate: Technics, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(モノづくり・その1)

昨夜、ドイツでのIFAでテクニクスの発表があった。
現地時間の15:00〜16:00時におこなわれたカンファレンスの内容は、
インターネットのおかげでその日のうちに知ることができた。

それに大手新聞のウェブサイトでも伝えられていた。
そしてブログやSNSに、発表された製品についての意見が出て来ている。
あえて検索しないでも、facebook、twitterをやっていれば目に入る。

いろいろな意見、感想がある。
その中に、もうオーディオの技術者がいなんじゃないのか、
もしかするとアウトソーシングなのではないか、という書き込みも目にした。

今回のテクニクスのように、開発をストップしてからの復活の場合、
技術者はどうなのか、ということは、つねにいわれる。
私だって、20代のころならば、おそらく同じことを言っていた、であろう。

「何年オーディオの開発から遠ざかっているんだよ」

モノづくりとは、こう言い切れるものだろうか。
つい最近も、日本のモノづくりについて、あるIT企業のトップが発言していたことを目にした。
日本がモノづくりで競争力をとり戻せる日は来ない、というものだった。
これに同調したライターの記事も目にした。

Date: 9月 1st, 2014
Cate: Technics, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(テクニクス・ブランドの復活・その11)

1976年10月にテクニクスのオープンリールデッキRS1500Uは登場した。
この年の4月にエルカセットが発表になっている。

1976年秋は、ちょうど私が五味先生の「五味オーディオ教室」とであい、
急速にオーディオへの関心が高まっていった時期でもある。

このとき電波科学を読んでいた。
いまはなくなってしまった電波科学はおもしろかったし、勉強になった。
毎号、メーカーの技術者による新製品の解説記事が載っていた。
ページ数も10ページほどあったように記憶している。
かなり詳細に、その新製品に盛り込まれている技術についての解説だった。

テクニクスのRS1500Uについての、その記事もあった、と思う。
詳しい内容はほとんど憶えていないが、
RS1500Uに投入されたアイソレートループ技術は、
それまでのオープンリールデッキの走行メカニズムとは違うことが、
視覚的にはっきりと、わかりやすく提示されていて、
そのころはオーディオ初心者だった私にも、それがいかに独創的であるかが伝わってきていた。

この点に関して、オープンリールデッキとスピーカーシステムは共通する、といえることをこのとき感じていた。

Date: 8月 31st, 2014
Cate: Technics, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(テクニクス・ブランドの復活・その10)

テクニクスはブランド名、ナショナルもブランド名、松下電器産業が会社名だったころ、
松下電器産業のことを「マネした電器産業」と揶揄した人が少なからずいた。

そういう人たちがそんなふうに口さがないのも、ある面しかたなかった。
オーディオ製品に関しても、いわゆるゼネラルオーディオと呼ばれていた普及クラスの製品に関しては、
そういった面も少なからずあった。

それでもテクニクス・ブランドで出していたオーディオ機器に関しては、
「マネした電器産業」といってしまうのは失礼であるし、どこを見ているのだろうか、といいたくなる。

マネした電器産業が、ダイレクトドライヴ方式のターンテーブルを世界ではじめてつくり出すだろうか。
SP10だけではない。
他にもいくつも挙げられる。

リニアフェイズ方式のスピーカーシステムもそうだ。
カートリッジにしても、テクニクスならではのモノをつくってきていた。
特にEPC100CはMM型カートリッジとしてのSP10的存在、つまり標準原器を目指した製品といえる。

テクニクスの製品の歴史をふり返っていくと、決して「マネした電器産業」ではないことははっきりとしてくる。
その中でも、強く印象に残っている、テクニクスらしい製品といえば、オープンリールデッキのRS1500Uがある。

RS1500Uはリニアフェイズのスピーカーシステムと視覚的に同じところがる。
ひと目で、そこに投入されている技術が確認できるし、
テクニクスの製品であることがわかるからだ。

Date: 8月 26th, 2014
Cate: Technics, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(テクニクス・ブランドの復活・その9)

SP10MK2の存在を私が知ったのは1976年。13歳のときで、ひどいとは感じなかった。
そう感じなかったひとつの理由としてSP10の専用キャビネットとしてSH10B3があったことが大きい。

SH10B3は天然黒曜石、木材、粘弾性材の三層構造で、四隅は丸く処理されていて、
黒い光沢のある、このキャビネットと組み合わされた雰囲気は、なかなかいいと感じていた。

もっともSP10に対する厳しいことは、おもに使い勝手にある。
こればかりは、当時は実物を見たこともなかったし、オーディオ機器に触れたこともわずかなのだから、
なんともいえなかったが、少なくともSH10B3の雰囲気には惹かれるものがあった。

書かれていることはわからないはないけれど……、そんなふうにも思っていた。
それでも数年後、SL100W、SL1000の存在を知ると、厳しい意見が出て来たのも頷けなくもなかった。

SL100WはSP10を専用ウッドケースにおさめたもので、ダブルトーンアーム仕様。
SL1000はSP10とトーンアームEPA99をウッドケースにおさめたもの。
写真でしかみていないが、安易にウッドケースにおさめたことで、どちらもSP10の無機質なところが際立つ。

これでは、あれこれ厳しいことがいわれてきたのもわかる気がする。
ダイレクトドライヴという世界初のモノが、期待通りもしくは期待以上の性能を有して登場してきた。
にも関わらずプレーヤーシステムとしてのまとまり、雰囲気が、
オーディオマニアがレコードをかける心情をまったく理解していない──、そんな感じのものであれば、
改良モデルで、その点が手直しされることを期待しての発言でもあった、はずだ。

テクニクスもそのことは理解していたような気がする。
だからこそSH10B3を出してきたのだろう。
一方でSP10のスタイルはスイッチ類にわずかな変更はあったものの、まったく変更されることはなかった。

ここにテクニクスというブランドの面白さがあるように思っている。

Date: 8月 26th, 2014
Cate: Technics, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(テクニクス・ブランドの復活・その8)

テクニクスのSP10MK2は、ステレオサウンド 37号の新製品紹介に登場している。
ターンテーブルとしての高性能であることは、37号の記事でも語られている。
同時に、SP10のスタイルについては、かなり厳しいことが述べられている。
     *
山中 このスタイルというのは、人によって好き嫌いがはっきり分かれそうですね。
 僕個人としては、モーターボードの高さの制限を相当受ける点に、問題点を感じてしまうのですけれども、これは、実際にアームを取りつけて使ってみると、非常に使いにくいんです。
井上 モーターボードをもっと下げて、ターンテーブルが突き出たタイプの方が使いやすいと思われますね。
     *
SP10のスタイルについての発言はまだ続く。
記事の半分以上はスタイルについて語られている。

SP10のスタイルについては、菅野先生も以前から厳しいことを書かれている。
     *
 もちろん、いくらそうした血統のよさは備わっていても、実際の製品にいろいろな問題点があったり、その名にふさわしい風格を備えていないのならば、〝ステート・オブ・ジ・アート〟に選定されないわけである。その意味からいえば、私個人としては完璧な〝ステート・オブ・ジ・アート〟とはいいがたい部分があることも認めなければいけない。つまり、私はプレーヤーシステムやターンテーブルにはやはりレコードをかけるという心情にふさわしい雰囲気が必要であると思うからで、その意味でこのSP10MK2のデザインは、それを完全に満たしてくれるほど優雅ではなく、また暖かい雰囲気をもっているとはいえないのである。しかし、実際に製品としてみた場合、ここに投入されている素材や仕上げの精密さは、やはり第一級のものであると思う。このシンプルな形は、ある意味ではデザインレスともいえるほどだが、やはり内部機構と素材、仕上げというトータルな製品づくりの姿勢から必然的に生まれたものであろう。これはやはり、加工精度の高さと選ばれた材質のもっている質感の高さが、第一級の雰囲気を醸し出しているのである。
     *
これはステレオサウンド 49号のもの。
瀬川先生もステレオサウンド 41号で書かれている。
     *
 ただ、MKIIになってもダイキャストフレームの形をそのまま受け継いだことは、個人的には賛成しかねる。レコードというオーガニックな感じのする素材と、この角ばってメタリックなフレームの形状にも質感にも、心理的に、いや実際に手のひらで触れてみても、馴染みにくい。
     *
ここで引用した他にもSP10のスタイルについては、あれこれ書かれているのを読んでいる。
SP10のスタイルに肯定的な文章は読んだ記憶がない。

Date: 8月 26th, 2014
Cate: Technics, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(テクニクス・ブランドの復活・その7)

松下電器産業の無線研究所でダイレクトドライヴの開発が行なわれていた1960年代後半当時の測定用レコードは、
当時のアナログプレーヤーのS/N比を測定するのには問題のないレベルだったが、
世界初のダイレクトドライヴが目標とした60dBのS/N比の測定には役に立たないレベルでしかなかった。

どんなにアナログプレーヤーのS/N比が向上しようとも、
測定に使うレコードのS/N比が60dB以上でなければ、
それはレコードのS/N比の限界を測定しているようなものである。

60dBのS/N比のためには、60dB以上のS/N比の測定用レコードを確保することが必要になる。
そこで市販されていた測定用レコードを使わずに、ラッカー盤をそのまま使った測定用レコードにする。
これだけで10dB向上する、とのこと。

それでもまだまだである。
次にラッカー盤の削り方の工夫。それからカッティングマシンの回転数を33 1/3回転から45回転にアップ。
これでラッカー盤測定用レコードのS/N比は50dB近くに。それでも足りない。

33 1/3回転から45回転にしたことで約10dBの向上がみられるのならば、
さらに高回転、つまりSPと同じ78回転にすることで目標の60dBのS/N比の測定用レコードを実現。

ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」のテクニクス号で、この記事を読んで気がついた。
SP10は、初代モデルもMK2もMK3にも78回転があった。

私がSP10MK2の存在を知った1976年、
国産のダイレクトドライヴ型のアナログプレーヤーで、78回転に対応していたのは、他になかった。
そのときは、SP10はダイレクトドライヴのオリジネーターということ、
テクニクスを代表するモデルだから、78回転もあったのだと思っていた。

もちろんそれも理由としてあっただろうが、78回転に対応していなければ、
当時の技術では60dBレベルのS/N比を測定することができなかったから、も理由のひとつのはずだ。