(その3)で、ほぼ理想的なゴジラ映画だった、と
「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」について書いた。
実をいうと、そう書きながらも、
ゴジラはどうやってギドラを倒したのかを思い出そうとしていたけれど、
肝心の決着のシーンを思い出せなかった。
自分でも、驚いていた。
なぜ、そこのところだけ記憶にないのか。
そこまでのシーンは、けっこう憶えていたし、
思い出そうとすれば、断続的だったシーンが時系列通りにつながっていくのに、
肝心のシーン、むしろそこだけ憶えていれば──、と思うシーンがすっぽり抜けている。
その後のシーンも憶えている。
7月のaudio wednesdayで、常連のHさんと「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」について話していた。
Hさんも、この手の映画に関しては、私と趣味がそうとうに近い。
Hさんも、「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」を観ていた。
ゴジラとギドラの決着のつくシーン、憶えてますか、と訊いた。
Hさんも、思い出せない、といっていた。
Hさんも前後のシーンは憶えているのに、肝心のところが記憶から抜けている。
私の周りでは他に観ている人はいないから、これ以上確かめられない。
それにしてもなぜなのか。
ゴジラ、ギドラ、その他の怪獣は、実にリアルである。
着ぐるみでは三本首のギドラは、動きにどうしても制約がかかる。
けれどCGIギドラには、それがない。
これまでにゴジラの映画はほとんど映画館で観てきた。
キングギドラの造形には、子供だったこともあり驚いた。
少し成長すると、着ぐるみなのに、
キングギドラをよく思いついたな、と思うようにもなった。
撮影は大変だっただろうなぁ、と思うからだ。
その意味で、当時の技術では不可能だった映像を、
「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」はつくりだしているし、
日本の映画の予算では無理なところも、
アメリカ映画の予算だと制約もほぼなくなっている。
そうやってつくられた「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」は、
それまでのゴジラ映画を観て、
こんなところがもう少し……、と思ったり感じてたりしていたところが、
すべてこちらの理想通り、というか想像以上に映像化されている。
にも関らず、ゴジラが最強の敵であるギドラをどうやって倒したのか、
その数分程度のシーンを、思い出せないでいる。