Archive for category JBL

Date: 6月 4th, 2022
Cate: 4343, JBL, ジャーナリズム

40年目の4343(オーディオの殿堂・その4)

ステレオサウンド 223号「オーディオの殿堂」の4343の件に関して、
三浦孝仁氏を責めようとは思っていない。

三浦孝仁氏の4343の文章は、
三浦孝仁氏ならば、こんなことを書くだろうという予想通りのものだった。
それはいい悪いということではなく、
ステレオサウンドの編集部も予想していたことであろうし、
その予想通りの出来(どう評価するかは個人の自由)なのだからだ。

なので責めたいのは、なぜ三浦孝仁氏にしたのか、である。
消去的選択で三浦孝仁氏になったわけではないはずだ。
その1)で書いているように、黛 健司氏がいる。

4341、4343と鳴らしてきた黛 健司氏がいるにも関わらず、
あえて三浦孝仁氏にしなければならなかったのか、その理由がわからない。

黛 健司氏よりも三浦孝仁氏のほうが、
4343についてより面白い、よりよい原稿が書けるという判断だったのか。
それはおかしい、というか間違っている、といいたい。

それとも「名作4343を現代に甦らせる」で、
あの無様な、そして無惨な姿に変り果てた4343もどきの試聴記を書いた人だからなのか。

私は、223号の4343のところだけを立読みしただけなのだが、
きちんと買って読んだ友人によれば、「オーディオの殿堂」での黛 健司氏の文章は、
よかった、とのこと。

黒田先生が亡くなられた時も、そうだった。
なぜ、あの時、黛 健司氏にも追悼文を依頼しなかったのか。

4343のことだけでも、おもうところはある。
おそらく223号をきちんと読めば、もっとおもうところが多々あるだろう。

facebookにコメントをくれた方は、
223号を買ったけれど、これを餞別(香典代り)にして、
終りにします、ということだった。

(その3)で、和田博巳氏のことに触れた。
facebookへのコメント、メールが数人の方からあった。
編集後記に、体調を崩されている、とあるとのこと。

Date: 6月 3rd, 2022
Cate: 4343, JBL, ジャーナリズム

40年目の4343(オーディオの殿堂・その3)

今回、三浦孝仁氏に4343について書いてもらおう、と決めたのは、
誰なのだろうか。

編集会議で、この機種はこの人に、というふうに決めていったのだろうか。
それとも編集長が一人で決めたことなのだろうか。

どちらにしても4343については、最悪の選択と言い切ってしまう。
それに4343は1ページの掲載だった。

なんだろう、4343の扱いの雑さは。

「オーディオの殿堂」巻頭の座談会の見出しには、
読者が選んだこと、読者の思い、そんなことが書いてあった。

1970年代後半、そのころのステレオサウンドの読者の想いは無視なのか。
そういえば、223号には「読者の思い」とあった。「読者の想い」ではなかった。

そういうところのズレから生れてきたことなのだろうか。

「オーディオの殿堂」での4343の三浦孝仁氏は最悪の選択なのだが、
すべての機種について、そうなのではない。

4343以外に関してはパラッと眺めただけなのだが、
EMTの927Dstとトーレンスのリファレンス、
この二機種を黛 健司氏に担当させているのは、いい選択である。

どちらか片方だけではなく、二機種とも黛 健司氏であるから、いい。
こういう選択もできるのに、4343に関しては違う。
だから、雑な扱いをしている、といいたくなる。

4343とは関係ないのだが、
特集をパラッと眺めただけなので、私が見落しているのかもしれないが、
和田博巳氏が登場されていなかった。

あれっ? と思い、Kindle UnlimitedでHiViのベストバイの号を見てみた。
そこにも和田博巳は登場されていない。

体調を崩されているのだろうか。

Date: 6月 3rd, 2022
Cate: 4343, JBL, ジャーナリズム

40年目の4343(オーディオの殿堂・その2)

昨晩、友人が教えてくれた。
ステレオサウンド 223号の特集「オーディオの殿堂」で、
4343を担当しているのは三浦孝仁氏だ、と。

105機種が、オーディオの殿堂入りを果たしている、とのこと。
それぞれのモデルについて、誰かが担当しているわけなのだが、
まさか4343のことを三浦孝仁氏に書かせるとは、
ステレオサウンド編集部は「名作4343を現代に甦らせる」をどう捉えているのだろうか、
と詰問したくなる。

あの記事で無様に変容してしまった4343を、
ステレオサウンド編集部は、4343だと認めているのか。
そうだとしたら、呆れるとはるかにとおりこして、すごい、としかいいようがない。

でも認めているのだろう。
だからこそ三浦孝仁氏に4343を担当させたのだろう。

他に適任がいないというのならば、わからなくもないが、
黛 健司氏がいるにもかかわらず三浦孝仁氏である。

それでも、4343についてどういうことを書いているのか、
肝心なのはその内容である。
それが素晴らしければ、それでいい、とも思っているのだが、
残念なことに、当り障りない内容でしかなかった。

今日、三浦孝仁氏の4343のところだけ立読みしてきた。
素晴らしければ、ひさしぶりにステレオサウンドを買おう、ぐらいには思っていたのだが、
失望ではなく、やっぱりな……、というのが、私の本音だ。

失望はこちらが期待するから起ることなのだが、
期待もしていなければ失望はないわけで、やっぱりな……、ということになる。

Date: 6月 2nd, 2022
Cate: 4343, JBL, ジャーナリズム

40年目の4343(オーディオの殿堂・その1)

その8)を書いたのは、2015年2月。
ひさしぶりに書こうと思ったのは、今日がステレオサウンド 223号の発売日だからだ。

223号の特集は、「オーディオの殿堂」。
今日は一歩も外出していないので、
「オーディオの殿堂」で、どんなモデルが選ばれているのかはまったく知らないが、
それでもJBLの4343は、きっと殿堂入りしているはずだ。

4343に関しては、殿堂入りしているかどうかではなく、
4343について、誰が担当しているのかに興味がある。

私がステレオサウンドの編集者だったら、
黛 健司氏に依頼する。

間違っても三浦孝仁氏には依頼しない。

十数年前のステレオサウンドに、「名作4343を現代に甦らせる」という連載があった。
佐伯多門氏が担当された記事である。
別項で触れているから、ここでこの記事について、どう思ったのかはくり返さないが、
「名作4343を現代に甦らせる」の最後、
無様になってしまった4343の試聴記を担当したのが、三浦孝仁氏であるからだ。

この人は、4343というスピーカーシステムをまったく理解していない──、
私はそう感じた。いまもそう思っているからだ。

Date: 1月 20th, 2022
Cate: 4350, JBL, 組合せ

4350の組合せ(その15)

その2)で触れている菅野先生の組合せは、
「コンポーネントステレオの世界 ’78」でのものである。

ここでは架空の読者から手紙を受けての組合せであり、
菅野先生の4350の組合せは、
菅野先生録音のオーディオ・ラボのレコードを、
制作者の意図したイメージで聴きたい、というものだった。

そういうこともあって、菅野先生としては、予算はある程度無視しての、
1977年時点での「私なりの理想像をえがいてみる」組合せとなっている。

JBLの4350Aを選択された大きな理由として、
《私自身のレコードの楽しみ方として、きわめてハイ・レベルで聴くという姿勢》があり、
《私自身が制作・録音したジャズのレコードは、実際よりも大きな音量で楽しんで》いるから、
そのためのJBLであり、そのためのJBLのラインナップで最大の4350である。

「コンポーネントステレオの世界 ’78」での菅野先生の4350の組合せは、
記事としては、12ページであり、4350の組合せだけでなく、
予算を考慮した組合せもあっての12ページなのだが、
それでも菅野先生の録音を再生するにあたって、何を大事にすべきなのかが、
きちんと書いてある。
     *
菅野 再生装置というものは、いかなる場合であってもいまあなたがおっしゃった物理的な追求が、音のレベルアップと同時に破壊にもつながっていくことになりうる、そうぼくは思います。だから、このシステムはその心配はないといいきるわけにはいきません。この部屋、つまりステレオサウンド試聴室は、素直な音響特性をもったいい部屋だけど、ここでも簡単にきまるというわけではない。結局、自分自身で、そこから先のことは努力なさっていただくよりしかたがない、としか申し上げられないんですね。そしてそれが、マルチ・チャンネルの、さらにいえばオーディオというものの楽しさであり魅力であると、ぼくは思います。
 少し具体的にいうと、『サイド・バイ・サイド』で使われているベーゼンドルファーというピアノの音は、フェルトハンマーで打弦されたまろやかな音が基調にあり、そのうえに打鍵によって生じる打楽器的な鋭い立ち上りととげのようなハーモニックスがブレンドされたものです。いろいろな再生装置で試聴してみると、しばしばそのどちらかしか聴こえてこないことが多い。つまり、まろやかさだけか鋭いだけか、ということですね。だからぼくが『サイド・バイ・サイド』を使って、再生装置を聴くとき、いちばん注意して聴いているのはそのバランスなんです。そしてそういったニュアンスを出すのには、やはり相当な物理特性が確保されていないと無理なのではないかと思っています。
 たとえばベルリン・フィルとかウィーン・フィルが演奏しているレコードは、割合に小型のスピーカーで、しかも小さな音量で結構楽しめるんですよ。ところがそういった形でこのレコードを聴くと、全く楽しめない。このレコードは、やはりひじょうにハイレベルのリアリティをもった大きな音量で、そして優秀な物理特性の裏づけをもった再生音で聴かないと、十分に楽しんでいただけないとぼくは思います。したがって、いまここに選んだようなシステムにならざるをえないんですね。
     *
別項で以前書いているが、オーディオショウで、
菅野先生録音の「ザ・ダイアログ」をかけているブースがあった。一つではない。

そのどちらも常識的な音量よりも、少し小さな音量での「ザ・ダイアログ」だった。

Date: 1月 18th, 2022
Cate: 4350, JBL, 組合せ

4350の組合せ(その13)

JBLの4350は、いい貌をしているスピーカーシステムだ、といまでもおもう。
4350の改良型として登場した4355。

基本的には同じスピーカーといえる。
4343が4344になったときのユニット配置の変更、
それにともなうデザインの変更と比較すれば、
4350から4355への変更は、ずっとうまく仕上げられている、というか、
4350のイメージを保っていた。

けれどむしろ保っていたから、4350との比較をどうしてもしてしまいがちになる。
そんなことやらなければいいのに……、と自分でも思う。
でも、やってしまっている。

4355は知人が鳴らしていた。
何度も、その音を聴いている。
うまく鳴っている4355の音は、やはりいい。

いいと感じるから、よけいに4355のアピアランスが気になる。
違いはわずかだ。

バスレフポートの数が減ったこと、
レベルコントロールの違いぐらいである。

大きいのはバスレフポートのほうだ。
4350では、フロントバッフル左右に立てに三つずつあったのが、
一つずつになっている。

搭載ユニットも変更になっているから、
比較試聴したからといって、バスレフポートの数が、どれだけ低音再生に関係しているのか、
4350と4355の違いになっているのかを判断するのは難しい。

それでもおそらく4355のバスレフポートの方がいいのだろう。
そうでなければ、JBLがそうするわけがない。

それでも……、である。
カッコいいと感じるのは、4350なのだ。
たかがバスレフポートの数の違いだけ──、と思えないほどの印象の違いが、
4350と4355にはあって、凄みを感じさせるのは、私にとっては4350なのだ。

Date: 11月 20th, 2021
Cate: JBL, Studio Monitor

JBL 4320(その13)

JBLの4320が登場して五十年。
程度のよい4320の数も少なくなっている。

4320に搭載されているユニットは、すべてアルニコマグネット。
アルニコマグネットは衝撃に弱い。

井上先生がよくいわれていた。
アルニコマグネットのスピーカーを、一度ドスンとやってしまうと、
もう元には戻らない、と。

ドスンという衝撃を与えても、見かけはまったく変化なし、である。
けれどアルニコマグネットの性質上、磁気特性がダメになってしまう、とのことだった。

そういうこともあるから、4320の程度のよいモノを見つけ出すことは、
運が味方しないと難しい、と思っている。

それでも一度は自分の手で4320を鳴らしてみたい。
クラシックを4320で聴きたい、とは思っていない。
スカッとした音で、4320を思う存分鳴らしてみたい。

大袈裟な、大がかりなシステムではなく、
ほどほどの規模のシステムで鳴らしたい。

アンプは、GASが、いちばん思い浮ぶ。
AMPZiLLAではなく、その下のモデルのSon of AMPZiLLAでもなく、
Grandsonが合うんじゃないか。

となるとコントロールアンプもTHALIAに決る。
THALIAは、上二つのコントロールアンプの陰に埋もれがちなのだが、
あの時点で、もっとも現代的アンプといえたのは、THALIAである。

Date: 3月 30th, 2021
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その27)

スピーカーシステム、
この場合のスピーカーシステムとはマルチウェイのことである。

そのスピーカーシステムを、どういう構成とするのか。
さまざまな考え方があるのは、市場に登場したスピーカーシステムからもうかがえるし、
スピーカーを自作してみようと考えてみれば、
考え方の数の多さを楽しむこともできる。

40万の法則をベースにして考えるならば、
3ウェイの場合、100Hzから4kHzまで一本のユニットでカバーして、
100Hz以下、4kHz以上を、それぞれウーファー、トゥイーターで、という構成が考えられる。

つまりJBLのD130をスコーカーとして、ウーファーとトゥイーターを追加する3ウェイであり、
D130が15インチ口径で、しかも高能率ということを考えると、
そうとうに大型なシステムになる。

けれど、それは非現実的なシステムなのだろうか。
40万の法則に則った3ウェイのスピーカーシステムを、
池田 圭氏は構築されていた。

中心となる100Hzから4kHzを受け持つのは、
ウェスターン・エレクトリックの555Wドライバーに15Aホーンである。

555W+15Aのコンビは、D130以上の規模である。

15Aホーンの開口部は、56 3/6インチ×57インチである。
一辺が1.4mほどある巨大なホーンである。

折り曲げホーンとはいえ、奥行きは53 1/8インチで、
そうとうに広い空間でなければ、ステレオ用に二本設置することは、まず無理である。

これだけの大きさのモノに、池田 圭氏は100Hzから4kHzを受け持たせていた。
これと比較すれば、D130に、同じ帯域を受け持たせるのはかわいいものだし、
はるかに現実的でもある。

Date: 12月 12th, 2020
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その31)

ステレオサウンドの冬号(ベストバイの号)が書店に並んでいるのをみかけると、
59号のことを思い出してしまう。

昔は夏号がベストバイの号だった。
59号は、ベストバイに瀬川先生が登場された最後の号である。
     *
 ステレオレコードの市販された1958年以来だから、もう23年も前の製品で、たいていなら多少古めかしくなるはずだが、パラゴンに限っては、外観も音も、決して古くない。さすがはJBLの力作で、少しオーディオ道楽した人が、一度は我家に入れてみたいと考える。目の前に置いて眺めているだけで、惚れ惚れと、しかも豊かな気分になれるという、そのことだけでも素晴らしい。まして、鳴らし込んだ音の良さ、欲しいなあ。
     *
59号で、パラゴンについて書かれたものだ。
もう何度も引用している。

この文章を思い出すのだ。
特に「まして、鳴らし込んだ音の良さ、欲しいなあ。」を何度も何度も思い出しては、
反芻してしまっている。

59号の時点で、23年も前の製品だったパラゴンは、
いまでは60年以上前の製品である。

瀬川先生の「欲しいなぁ」は、つぶやきである。
そのつぶやきが、いまも私の心をしっかりととらえている。

Date: 2月 22nd, 2020
Cate: JBL, Studio Monitor

JBL 4320(その12)

JBLの4343こそ、いまでも欲しい、と思い続けているスピーカーであり、
自分の手で鳴らしてみたいスピーカーとしても、私にとっては4343こそがトップである。

4350にも惹かれるところはある。
4343と4350。
この二つのJBLのスタジオモニターは、いまでも特別な存在であり続けている。

なのだが、ここ数年、4320もいいな、と思うようになってきた。

スピーカーとしてのポテンシャルということでは、
4343か4350ということになるが、
こまかいことはあまり気にしない、
とにかく気持よく音楽が鳴ってほしい。

つまりこまかいことなど、どうでもいい、
そう思わせるほどの気持よい音を望むとき、4320はいいな、と思うのである。

4320でも、ひどい鳴らし方をすれば、そんなふうには鳴ってくれないだろうが、
それでも4343、さらに4350のほうが、そんな場合は、もっとひどい音で鳴ってしまう。

4320を自分の手で鳴らしたわけではないから、はっきりといえないけれど、
4320は、4343,4350のようにシビアな鳴らし方を、聴き手(鳴らし手)に要求することはあまりない。

気持よく鳴り響く音ということでは、
ステレオサウンドが40年ほど前におこなった2m×2mの平面バッフルに、
アルテックの604-8Gを取り付けて鳴らした音だろう。

その音を聴いているわけではない。
でも、何度も、その音について語られた文章を読み返している。

屈託なく音がのびていく。
そこにはためらいなど、まったくないかのように鳴っていく──、
そんな音を想像しながら読んでいた。

604-8Gと平面バッフルの組合せの音。
それに近い性格の音をJBLに求めるならば、4320ではないのか。

Date: 2月 21st, 2020
Cate: JBL, Studio Monitor

JBL 4320(その11)

その1)を書いてから約六年も経てば、4320を聴く機会もあったりする。

4320は1971年に誕生したスピーカーシステムだから、
初期に製造されたモデルであれば、もうじき50年ということになる。

見た目はそうでなくとも、すべての箇所は衰えている,といってもいい。
コーン紙にしてもそうだ。
塗り直すことで新品同様に見えても、
50年前のコーン紙が新品の状態を維持していると考えるのは無理がある。

なので聴いた、といっても、
それがどのくらい、4320本来の音であるのかはなんともいえない。

こうなってくると、むしろ聴くよりも、
信頼できる耳の持主の印象のほうが、ずっと本来の音を想像しやすい、ともいえる。

私にとって4320の音ということで思い出すのは、
その3)でも引用している黒田先生の文章である。
ステレオサウンド 100号での「究極のオーディオを語る」の中での一節が、
いまも強く私の中で残っている。
     *
4343が運び込まれたとき、4320はある友人に譲る約束がしてあって、トラックの手配までしてあったが、なぜか別れ難かった。女房が「こんなにお世話になったのに悪いんじゃないの」と言ってくれたのを渡りに船と、「そうか」と譲るのをやめた。いまも松島の家で鳴っている。
     *
JBLのスタジオモニターからJBLのスタジオモニターに、
スピーカーをかえられたときに、4320を手放すのをやめられている。

たとえば、これがJBLの4343からアクースタットのModel 3へとかえられた時であるならば、
4343を手放されなかった、というのもわからないわけではない。

それほど4343とModel 3は性格からして大きく異るからだ。

けれど4320と4343とでは、
時代が違い、ユニット構成(2ウェイと4ウェイ)が違い、
エンクロージュアのプロポーションも違う、といっても、
どちらもJBLのスタジオモニターであることにかわりはない。

それでも4320を手放されなかったことは、
お世話になったスピーカーだからということだけではない、と思う。

このことが4320の音を、直接的ではないのだが、
もっともよくあらわしているように、私は感じてきた。

Date: 3月 28th, 2019
Cate: 4345, JBL

JBL 4345(4347という妄想・その4)

私が妄想している4347は、4345の改良版というよりも、
4350のシングルウーファー版といったほうが、より近い。

4350のウーファーを、15インチ口径の2231のダブルから、
18インチ口径の2245に変更する。
上の帯域を受け持つ三つのユニットは4350と同じままである。
当然エンクロージュアは4350の横置きから縦置きへとなる。

各ユニットのクロスオーバー周波数は4350に準ずることになるだろう。

個人的には2245はフェライト磁石仕様しかないけれど、
ミッドバスの2202はフェライトではなく、やはりアルニコがいい。

それからミッドハイの2440は、
エッジがタンジェンシャルからダイアモンド型になった2441がいい。

スーパートゥイーターの2405も、アルニコがいい。
というより、2405はフェライト仕様になってバラツキはほぼなくなっている。
これは大きな改良だと認めても、音に関しては2405こそアルニコである。
この2405も新型ダイアフラムにしたい。

ここまではすんなり思いつく。
悩むのは、ホーンである。
2441と組み合わせるホーンである。

4343、4350同様スラントプレートの音響レンズ付きを、
誰だって最初に思い浮べるだろう。

4343はミッドバスのフレーム幅と、音響レンズの横幅とは一致している。
だからこそミッドバスとミッドハイがインライン配置であるのが、ピシッと決っている。

4350は、ミッドバスが12インチ口径となっているが、
この二つのユニットはインライン配置ではない。
だからミッドバスのフレーム幅と音響レンズの横幅の寸法が一致してなくとも気にならない。

けれど、ここで妄想している4347は、
ウーファー、ミッドバス、ミッドハイ、
少なくともこの三つのユニットはインライン配置にしたい。

そうなると音響レンズの横幅をどうするかが、小さいけれどけっこう気になってくる。

Date: 3月 14th, 2019
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その26)

100Hzから4kHzまでの帯域をほぼフラットに再生する、ということ。

ステレオサウンド 70号に、
岡先生の「わが家のJBLスーパーウーファー騒動顛末記」が載っている。

70号は1984年。
このころJBLからは18インチ口径のウーファー搭載のB460、
15インチ口径ウーファー搭載のB380といったスーパーウーファーが登場していた。

当時の岡先生のシステムは、かなり大がかりであった。
詳しいことを知りたい方は、70号をお読みいただきたい。

ここで70号の岡先生の記事を取り上げているのは、
岡先生がシステムのフラットを目指した結果、
100Hzから4kHzまでフラットに仕上げられているからだ。

そこのところを引用しておく。
     *
わが家の場合は100Hz以下は仮に記録紙ではフラットにちかい状態にしても、聴感との折りあいがつかない。同様に、リスニングポジションで5kHz以上を完全にフラットにすると、再生された音楽は極端なハイあがりになってきかれたものではないということは、オーディオをかじっているひとならば常識といえるだろう。高域のロールオフをどのくらいのカーヴにするかはいろいろな説があるが、ぼく自身は経験上4k〜8kHzのオクターヴ間をほぼ3〜6dB、その上は2〜3dBの偏差にはいっているのがいいように考えている。
 一応こういう目標をたてて、マイクの位置と高さをいろいろと試したあげくに、最終的なポイントをきめて、L・Rのバランスも含めて、100Hzから4kHzを1dB以内、100Hzから8kHzのLRのレベルバランスを0・5dBにおさえこむまでに、ものすごく時間がかかってしまった。おかげさまで、歌人から、毎日、ピーピーとんへな音ばかり出しているという苦情が出たほどである。
     *
ここでも、100Hzから4kHzという、40万の法則が出てくる。
当時は、そのことに気づかなかった。
いまごろになって、100Hzから4kHzという帯域がフラットであること、
そこでの40万の法則との関係性について考えることになった。

Date: 8月 24th, 2018
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その30)

ステレオサウンド 59号で《まして、鳴らし込んだ音の良さ、欲しいなあ》と、
瀬川先生が吐露するような書き方をされていた。

瀬川先生がJBLのパラゴンを自分のモノとされていたら、
どんな組合せで、どんな音で鳴らされただろうか。

リスニングルームがどうであったかによっても音量は変ってくるのはわかっている。
音量を気にせずに鳴らされる環境であっても、
瀬川先生はパラゴンを鳴らされる時、じつにひっそりした音量だったのではないか、と思う。

LS3/5Aが鳴らす世界を、ガリバーが小人の国のオーケストラを聴いている、と表現されたように。

パラゴンとLS3/5Aとでは、スピーカーシステムとしての規模がまるで違う。
搭載されているユニットを比較しても明らかである。

それでもパラゴンにぐっと近づいての、ひっそりした音量で聴く──。
椅子に坐ってであれば、斜め上から小人のオーケストラを眺めるような感じで、
床にじかに坐ってならば、小人のオーケストラのステージに顎を乗せて向き合う感じで。

そんな聴き方をされた、と思う。
だからアンプは精緻な音を出してくれなければならない。

そういえば瀬川先生はパラゴンの組合せとして、
マークレビンソンのLNP2とスレッショルドの800Aというのが、
「コンポーネントステレオのすすめ・改訂版」にあったのを思い出す。

Date: 4月 21st, 2018
Cate: JBL

JBLのユニットのこと(続々2397の匂い)

四年前に「JBLのユニットのこと(2397の匂い)」のことを書いている。

今年も、ここ数日2397から、JBL特有の匂いがしてきている。
けれど四年前は六月くらいからだった。
今年は、まだ四月。

例年よりも早くから暖かくなってきていることを、
鼻でも実感している。