40年目の4343(オーディオの殿堂・その4)
ステレオサウンド 223号「オーディオの殿堂」の4343の件に関して、
三浦孝仁氏を責めようとは思っていない。
三浦孝仁氏の4343の文章は、
三浦孝仁氏ならば、こんなことを書くだろうという予想通りのものだった。
それはいい悪いということではなく、
ステレオサウンドの編集部も予想していたことであろうし、
その予想通りの出来(どう評価するかは個人の自由)なのだからだ。
なので責めたいのは、なぜ三浦孝仁氏にしたのか、である。
消去的選択で三浦孝仁氏になったわけではないはずだ。
(その1)で書いているように、黛 健司氏がいる。
4341、4343と鳴らしてきた黛 健司氏がいるにも関わらず、
あえて三浦孝仁氏にしなければならなかったのか、その理由がわからない。
黛 健司氏よりも三浦孝仁氏のほうが、
4343についてより面白い、よりよい原稿が書けるという判断だったのか。
それはおかしい、というか間違っている、といいたい。
それとも「名作4343を現代に甦らせる」で、
あの無様な、そして無惨な姿に変り果てた4343もどきの試聴記を書いた人だからなのか。
私は、223号の4343のところだけを立読みしただけなのだが、
きちんと買って読んだ友人によれば、「オーディオの殿堂」での黛 健司氏の文章は、
よかった、とのこと。
黒田先生が亡くなられた時も、そうだった。
なぜ、あの時、黛 健司氏にも追悼文を依頼しなかったのか。
4343のことだけでも、おもうところはある。
おそらく223号をきちんと読めば、もっとおもうところが多々あるだろう。
facebookにコメントをくれた方は、
223号を買ったけれど、これを餞別(香典代り)にして、
終りにします、ということだった。
(その3)で、和田博巳氏のことに触れた。
facebookへのコメント、メールが数人の方からあった。
編集後記に、体調を崩されている、とあるとのこと。