Archive for category ディスク/ブック

Date: 11月 30th, 2020
Cate: ディスク/ブック

ADELANTE! EN AVANT!

六日前に、オルネラ・ヴァノーニの「女の第三章〝愛〟」(Uomo mio Bambino mio)が、
TIDALで聴けることを書いた。

ステレオサウンド別冊「HIGH-TECHNIC SERIES-3」で黒田先生が、
トゥイーターの試聴に好適なレコードとして紹介されていたもので、
このムックのトゥイーターの試聴に使われていたのは、
キラパジュン(QUiLAPAYUN)の「前進」(ADELANTE! EN AVANT!)である。

このディスクから、二曲を使ってのトゥイーター55機種の試聴であった。
このディスクを聴いてから「HIGH-TECHNIC SERIES-3」を読めば、
試聴記をよりいっそう楽しめたはずなのだが、
チリ音楽の、このレコードは、当時の田舎のレコード店ではお目にかかれなかった。

機会がなかったままだと、ついそのままになってしまう。
これもTIDALで聴ける。
“QUiLAPAYUN”で検索すれば、すぐに表示される。

忘れていなければ、いつか聴ける。

Date: 11月 30th, 2020
Cate: ディスク/ブック

Solveigs Sang(その1)

二年前のオーディオインターナショナルオーディオショウのノアのブースで、
デ・ワールトのペール・ギュントがかけられた。

鳴ったのは、アメリングが歌っているソルヴェイグの歌だった。
ひさしぶりに聴いたソルヴェイグの歌でもあった。

アメリングって、こんなに素敵な歌手だっけ? と思うほどによく鳴っていた。
そうなると、ほかの歌い手によるソルヴェイグの歌を聴きたくなる。

Googleで検索してみた。
結果は、平原綾香のソルヴェイグの歌ばかりが上位に表示されていた。

私が求めていたのは、どの歌手が歌っているかのであって、
平原綾香もそのなかの一人であるのはわかっているが、
それでも限度というものがある。

この時、Googleは、あまり使えないな、と確信した。
ちなみにいま検索してみると、そうではなくなっている。

こんなことを思い出したように書いているのは、これもTIDALに関係してのことだ。
TIDALで、“Solveigs Sang”、“Solveig’s Song”で検索すれば、
かなりの数のトラックが表示される。

これを二年前のGoogleに求めていたのだが、
商業主義に毒されてしまったかのような結果しか表示しなかった。

ずいぶん知らない人が歌っているのを知った。
この人も歌っていたのか、ともおもった。

キルステン・フラグスタートも歌っている。
ちょっと意外な感じもしたけれど、フラグスタートはノルウェー人であることを思い出した。

ワーグナー歌いという印象が、どうしても強いために、
ノルウェー人だということを、つい忘れがちになる。

TIDALで検索しては聴き、また検索。
時間がかなり経ってしまうけれど、気づかされる、というか、
思い出させてくれることが、少なくない。

Date: 11月 28th, 2020
Cate: ディスク/ブック

Moon River

1993年ごろだったか、オードリー・ヘプバーンが歌う“Moon River”のCDを買った。
しばらくして知人に貸したまま、返ってこなくなった。

愛聴盤だったわけではないので、それほど惜しいとは思わなかったけれど、
それでも十年に一度くらい、聴きたくなることがある。

だからといってCDを探す、というわけではないので、それほど強く聴きたいわけでもないのだろう。
TIDALで、検索してみた。
すんなり見つかった。

あるだろうな、とは思っていたけれど、それでもあったことに少しばかり驚いたし、
しかもMQAで、ヘプバーンの“Moon River”が聴ける。

また落穂拾いをしている、という自覚はある。
それでもMQAでの落穂拾いは、新鮮でもある。

Date: 11月 27th, 2020
Cate: ディスク/ブック

Elgar: Cello Concerto, Op. 85 & Sea Pictures, Op. 37(その2)

11月27日になった。
ワーナーミュージックの告知通りに、
ジャクリーヌ・デュ=プレのエルガーのチェロ協奏曲の、2020年リマスターがでた。

e-onkyoで配信が始まった。
MQAも、もちろんある。
ワーナーミュージックのサイトには、96kHz、24ビットとあったが、
(その1)で書いているように、192kHz、24ビットである。

デュ=プレのエルガーの協奏曲は、これまで何枚も買ってきた。
MQA-CDも買ったし、XRCDも、ずっと以前に買っている。
それ以外にも数枚買った。

TIDALでも、MQAで聴ける。
自分でも、もう十分だろう、と思っている。
それでも食指が動いてしまう。

それでも、今回が最後になるであろう。

Date: 11月 24th, 2020
Cate: ディスク/ブック

Uomo mio Bambino mio / Ornella Vanoni

ステレオサウンド別冊「HIGH-TECHNIC SERIES-3」は、トゥイーターの一冊だった。
「世界のトゥイーター55機種の試聴とその選び方使い方」という副題がついていた。

巻末に,黒田先生による
「トゥイーターはこのレコードでチェックしよう テストに好適なレコード10選」がある。

その一枚に、オルネラ・ヴァノーニの「女の第三章〝愛〟」があった。
     *
 はじめにおことわりしておくが、このレコードは、いわゆるオーディオ的な意味で、特にすぐれた録音のレコードとはいいがたい。それに、はるか以前から、このオルネラ・ヴァノーニというイタリアの歌い手のうたう歌に魅力を感じつづけてきたがゆえの、つまりひいきのひきたおし的に、ここでとりあげたといえなくもない。
 しかし、むろん、ここでとりあげる理由が、まったくないわけではない。ヴァノーニの声はハスキー・ヴォイスだ。ただ、このハスキー・ヴォイスは(あらためてことわるまでもないと思うが、オルネラという名前からもあきらかなように、ヴァノーニは女だ、アメリカのジャズ・シンガーのそれと、微妙にちがう。イタリアの女の人の声によくあるタイプのハスキー・ヴォイスだ。
そのハスキー・ヴォイスを、ヴァノーニは、有効につかって、うたう。このレコードの第一面第二曲目におさめられている「誠実」という歌などでは、ためいきもうまくつかう。従って、ヴァノーニの声は、ときに、大変SEXYだ。
 もっとも、いつでもヴァノーニの声がSEXYにきこえるとはかぎらない。高い方の音が自然にのびていないと、声そのものの色っぽさも微妙な表情も、当然のことにききとりにくくなる。そういうことで、ヴァノーニの声にポイントをおいてきくということなら、第二面第五曲の「風のように」が、うってつけだ。ヴァノーニはそこで、ギターだけを伴奏に、その独特の声の表現力をいかして、つぶやくように、ささやくように、うたっている。もしそこで、ヴァノーニの声がSEXYにきこえたら、きっとそのトゥイーターはいいトゥイーターにちがいない。
     *
ジャケットに使われている写真が、色っぽく感じられた。
HIGH-TECHNIC SERIES-3」の写真はモノクロで、掲載ページの紙もよくはなかった。
しかも裏焼き(左右が反転)だった。

下着(ネグリジェ)姿のオルネラ・ヴァノーニが、
不鮮明な写真ゆえに、よけいに色っぽく感じられたものだ。

そんなこともあって黒田先生による十枚のなかで、
私がいちばん聴きたいと、その当時思ったのが、このディスクだった。
国内盤も出ていた。けれど、そのころ住んでいた田舎のレコード店ではみかけなかった。

どこかでみかけたら買おう、と思っていたのに、であうことはなかった。
けれど、「女の第三章〝愛〟」(Uomo mio Bambino mio)も、TIDALにある。

TUTTO VANONIというタイトルで、八枚のディスクをまとめたものにふくまれている。
もちろんMQAで聴ける。

もうたずねることはできないが、
MQAで聴けるヴァノーニの声を、黒田先生はなんといわれるだろうか。

Date: 11月 22nd, 2020
Cate: ディスク/ブック

AFRICAN RHYTHMS

四年前のaudio wednesdayで一度鳴らしたことのあるピエール=ローラン・エマールの“AFRICAN RHYTHMS”。

このディスクの二曲目に、スティーヴ・ライヒの“Clapping Music”がおさめられている。
手拍子のみ、プリミティヴな曲である。
けれど、表情豊かな曲である。

“AFRICAN RHYTHMS”というよりも、
“Clapping Music”を、MQAをきいたときから、MQAで聴きたい、と思ってきていた。

これも、過去形で書けるのが嬉しい。
e-onkyoで配信されないか、と期待していたけれど、
それほど売れそうな曲ではないだろうから、あきらめもあった。

TIDALにはあるだろうけれど、MQAではないだろう、と思っていた。
なのにMQAで、ある。

“Clapping Music”とMQA。相性はそうとうにいい。

Date: 11月 21st, 2020
Cate: ディスク/ブック

JUSTICE LEAGUE(その2)

二年前に、“JUSTICE LEAGUE(ジャスティス・リーグ)”のサウンドトラックのことを書いた。
買ってしばらくは、audio wednesdayでもかけていた。

別項で書いているように、
メリディアンのULTRA DACで鳴らした“COME TOGETHER”は、
聴き終ってから、おもわず「かっこいい」と口に出してしまうほどだった。
それも私だけでなく、聴いていた別の一人も、「かっこいい」ともらしていたほどだった。

よく聴くのは、一曲目の“EVERYBODY KNOWS”もそうである。
SIGRIDというノルウェー出身の歌手による“COME TOGETHER”、
Gary Clark Jr. and Junkie XLによる“COME TOGETHER”、
一時期、頻繁に聴いていた。

2019年秋にメリディアンの218を導入して以来、
e-onkyoで、“JUSTICE LEAGUE”のMQAがないものかさがした。
なかった。

いつか出ないかな、と思い続けてきたけれど、二年経っても出ないのだから、
半分諦めていた。

二年経って、これを書いているということは、
TIDALに“JUSTICE LEAGUE”があった。MQAであった。

218があるからMQAで聴ける。
聴いていると、ULTRA DACでの音を思い出す。

MQAで、しかもULTRA DACで“EVERYBODY KNOWS”と“COME TOGETHER”。
この二曲を聴いてみたい。

Date: 11月 13th, 2020
Cate: ディスク/ブック

Elgar: Cello Concerto, Op. 85 & Sea Pictures, Op. 37(その1)

2019年夏、
ジャクリーヌ・デュ=プレのエルガーのチェロ協奏曲がMQA-CDで出た。
もちろん購入した。

このディスクは、
2011年に行われた96kHz、24ビットのマスターを、
176.4kHZ、24ビットに変換されたものが収録されている。

今年は、バルビローリ没後50年にあたり、
夏に“SIR JOHN BARBIROLLI THE COMPLETE WANER RECORDINGD”が出た。
109枚組である。

いうまでもなくデュ=プレのエルガーのチェロ協奏曲の指揮者は、バルビローリである。
この全集は、MQA Studioの192kHz、24ビットで、一枚ずつ配信が始まっている。

デュ=プレのエルガーのチェロ協奏曲の、その一枚としての配信である。
なので当然MQA Studioのはずである。

ワーナーミュージックのサイトには,
11月27日に配信されるのは、96kHz、24ビットでの、2020年のマスターとある。

全集CDは、192kHz、24ビットでリマスターされている。
ということは、192kHzで配信されるのか。

96kHzでも192kHzでも、どちらであっても買う。
2011年と2020年のリマスター、大きな差はないように思っているが、
こればかりは聴いてみないことにはわからない。

Date: 11月 11th, 2020
Cate: Pablo Casals, ディスク/ブック

カザルスのモーツァルト(その6)

一週間前のaudio wednesdayで、
カザルスのモーツァルトを鳴らしてからというもの、
頭のなかで、カザルスのモーツァルトが流れている。

剛毅な、といいたくなるカザルスのモーツァルトは、
耳に残るし、心に残る。
それを反芻している。

意識的に、というよりも、ほぼ無意識的に、といったほうがいい。
電車に乗っていると、ほぼずっとカザルスのモーツァルトが、
頭の中に響いている。

きいたことすら記憶に残らない音楽(演奏)もある。

どちらのモーツァルトを聴くのかは、聴き手の自由である。

Date: 11月 5th, 2020
Cate: Pablo Casals, ディスク/ブック

カザルスのモーツァルト(その5)

昨晩のaudio wednesdayの最後にかける曲は、
あらかじめカザルスのモーツァルトに決めていた。

まず「ハフナー」をかけた。
残念なことに途中で、「偶然は続く(その3)」で書いているように、
マッキントッシュのMA7900の電源がふいに落ちた。

再び電源をいれて、最初からかけなおすことも考えたけれど、
「ジュピター」をかけることにした。

「ハフナー」にしても、「ジュピター」にしても、
一楽章から四楽章まで鳴らすつもりでいたので、
一楽章だけでなく最後まで聴いていた。

ライヴ録音なので、最後に拍手が入る。
拍手が鳴り出して、わりとすぐにMA7900の電源が落ちた。
この日、何度目になるのか。
途中で数えるのがイヤになるくらい、マッキントッシュの電源が落ちた。
十回ほどか。

それでもカザルスの「ジュピター」だけは、拍手の音は途中で切れたものの、
最後まで鳴らしてくれた。

Date: 11月 5th, 2020
Cate: ディスク/ブック

Both Sides Now

昨晩(11月4日)のaudio wednesdayでは、
Bird 100がテーマだったので、
チャーリー・パーカー、ビリー・ホリデイ、バド・パウエル、
それからサンソン・フランソワをかけた。

19時からの、約四時間。
21時くらいに、ちょっと一休みという意味をかねて、
ジョニ・ミッチェルの“Both Sides Now”をかけた。

MQA(96kHz、24ビット)でかけた。

いいのは鳴らす前からわかっていたことなのだが、
それでも予想を超えて、よかった。

“Both Sides Now”は、ちょっとだけ意図を込めての一曲だっただけに、
ここまでうまく鳴ってくれると、何もいうことはない。

チャーリー・パーカー、ビリー・ホリデイなどをかけ終ったあとで、
パブロ・カザルス指揮のモーツァルトを鳴らした。

そういう意味を込めて、かけた。

Date: 11月 3rd, 2020
Cate: Pablo Casals, ディスク/ブック

カザルスのモーツァルト(その4)

指揮者パブロ・カザルスの演奏は、
録音は残っているけれど、映像はないものだ、と今日まで、そう思っていた。

残っていてもおかしくはないのだけれど、なんとなくそう思い込んでいた。
でも、残っていた。

YouTubeに“Casals at Marlboro”がある。
14分32秒の、さほど長くない動画だけれど、冒頭と最後のところで、
モーツァルトの「ハフナー」を指揮するカザルスが、数分とはいえみることができる。

「ハフナー」のときだから、1967年のマールボロ音楽祭だ。

とにかくカザルスの指揮する姿をはじめてみた。

Date: 10月 30th, 2020
Cate: Pablo Casals, ディスク/ブック

カザルスのモーツァルト(その3)

カザルス指揮によるモーツァルトの後期交響曲六曲で、
20代のころ、いちばん聴いていたのは、ト短調(40番)だった。

ハ長調(41番)は、なぜだか、まったくといいほど聴かなかった。
カザルスの演奏が──、というよりも、
「ジュピター」のニックネームで呼ばれている、この交響曲を、
当時の私は、意識的に遠ざけていた。

いま思うと、なぜなんだろう? と自分でもなぞでしかないのだが、
ほかの指揮者でも「ジュピター」を聴くことは、ほとんどなかった。

40近くなったころに、なにかのきっかけで「ジュピター」を聴いた。
聴いていて、20代のころ、聴く機会はけっこうあったにもかかわらず避けてきた、
その理由をおもいだそうとしたけれど、何もなかった。

それでも、もっと早く聴いておけばよかった──、と思ったわけではない。
まったく聴いていなかったわけではないし、
カザルスの「ジュピター」も、数えるほどでしかないが、聴いていた。

とはいえ、記憶のなかで鳴り響くカザルスのモーツァルトは、ト短調ばかりだった。
カザルスの「ジュピター」は……、と思い出そうとしても、朧げだった。

カザルスの「ジュピター」は、熱かった。
こうなると、カザルスの「ジュピター」ばかり聴く日が、しばらく続いた。

不思議なもので、それでも、もっと早く聴いていれば、
そのよさがわかっていれば、といったことはおもわなかった。

いま聴いて、素晴らしいと思える──、
そのことに、音楽を聴く喜びを感じられれば、それでいいのだと。

Date: 10月 12th, 2020
Cate: ディスク/ブック

BEETHOVEN · Die Violin-sonaten

ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ十曲。
ベートーヴェンのピアノ・ソナタほど熱心に聴いてきたとはいえない。

それだから、1998年だったかに出たアンネ=ゾフィー・ムターのそれに関心をもつことはなかった。
ムターの演奏は、レコードよりも先に、
1981年のカラヤン/ベルリン・フィルハーモニーとの公演で聴いている。

東京文化会館で、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲だった。
かなり無理してチケットを手に入れた。
S席なんて無理で、A席も当時の私には高くて買えなかった。
B席がやっとだった。

ステージからは遠い。
そのせいもあったとは思うのだが、きれいとは感じても、
ベートーヴェンの音楽とは感じなかった。

そのことが強く印象にあって、ムターに、その後関心を持たなくなった。
そのこともあったから、よけいにムターのヴァイオリン・ソナタを聴きたいとは思わなかった。

数ヵ月前に手にした吉田秀和氏の「ベートーヴェン」。
ここにムターのヴァイオリン・ソナタがとりあげられている。
読んでいて、ムターの、この録音を聴きたくなった。
     *
 ムターは、かつてカラヤンの下でやった協奏曲の中に象徴される美しく甘いベートーヴェンの像に逆らって、別のベートーヴェンを提出する。それは新しいベートーヴェン像を築くというだけでなく、かつての自分のアンティテーゼを提出することでもある。つまり、ここでは一人の音楽家がベートーヴェンの追求を通じて、新しい自己の確立を計っているのである。
     *
ここを読んだだけでも、聴きたくなった。
さっそく買おう、と思ってタワーレコードに注文したけれど、
入手できませんでした、という返事が数週間後に届いた。

新品での入手は、もうできないようだ。
中古で手に入れるしかない。
といっても、すんなり見つかるのが、今の時代である。

私の感想は、特にいいだろう。
吉田秀和氏の「ベートーヴェン」にあるとおりだった。

1981年、ムターをドイツ人とはまったく感じなかった。
ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタでのムターは、はっきりとドイツ人である。

Date: 10月 9th, 2020
Cate: ディスク/ブック

Billie Jean(その1)

マイケル・ジャクソンのディスクは一度も買ったことはない。
それでも、あれほどヒットしていたから、どこかでは耳にしている。
“Billie Jean”も、何度かは聴いている。

断片的に聴いたこともあるし、通しで聴いたこともある。
それでも自分のシステムで聴いたことはないし、
誰かのシステムで、というわけでもなかった。

今回、コーネッタで“Billie Jean”を聴いた。
こうやって聴くのは今回が初めて、といっていい。

聴いて、こんなにも音がいいのか、と驚いた。
いまさら驚くなんて……、といわれるだろうが、
なんと気持ちの良い音なのか。

キレッキレの躍動感で鳴ってくれる。
だからといって耳障りなわけではなかった。

音が鳴ってきた瞬間、音がいいと驚いた。
聴いているうちに、たっぷりとお金をかけられた音のよさでもあるな、と思っていた。

マイケル・ジャクソンほどヒットを飛ばしている歌手だから、
これだけの録音が許されたんだろうなぁ、
いまこんな贅沢な録音が許される人は誰がいるんだろうか……、
そんなことも思っていた。

コーネッタで“Billie Jean”なんて……、と思い込んでいる人は聴かなくていい。
そんな人は、今回のaudio wednesdayと同じシステムを与えられても、
“Billie Jean”をうまく鳴らせっこない、と思うからだ。