Archive for category ディスク/ブック

Date: 2月 26th, 2021
Cate: ディスク/ブック

Piano Lessons(その1)

クリストフ・エッシェンバッハが「バイエル」を録音したことは知っていた。
知っていたけれど、買いはしなかった。
買っていないから、聴いてもいなかった。

エッシェンバッハは、「バイエル」だけでなく、「ブルグミュラー」、「ツェルニー」を録音している。
どれも聴いてこなかった。

TIDALで、エッシェンバッハのこのシリーズ(Piano Lessons)のすべてが聴けるようになった。
まだすべては聴いていない。
「バイエル」のいくつかと「ツェルニー」のいくつかを聴いただけである。

聴いていて、黒田先生の文章を思い出した。
     *
 周囲の人たちにどう思われたか、などということは、さしあたって、どうでもいい。できることであれば、父か母に、「よくやったね」、といわれたかった、と思うことが、この歳になってもまだ、ときおりある。別に誰かにほめられたくてしたわけではなかった。しかし、ぼくはぼくなりに、ほんのすこし頑張った。そこで、もし、「よくやったね」のひとことがきければ、「いやあ、それほどのことでもないけれどね」などといいつつ、一応は苦笑いで照れ臭さを誤魔化し、そのために味わった辛さもなにもかも吹き飛ばすことができる。
 親孝行といえるほどのこともできないうちに、父も母も他界してしまった。今となっては、「よくやったね」のひとことは、いかに頑張っても、きけない。やはり、ちょっと寂しい。残念である。くやしい気もする。叱れる人にほめられたときが一番嬉しいということに、生まれながらの呑気者は、両親を失って初めて気づいた。
 しかし、彼のことを考えた途端に、そんな感傷もたちどころに消えた。少なくともぼくは、これといった親孝行はできなかったものの、ほとぼとのところまでは自分の成長を親に見てもらえた。そのうえ、甘えたことを考え、愚痴をいったりしたら、罰があたる。
     *
もっとながく引用したい、
すべてを書き写しておきたくなる。

「彼」は、クリストフ・エッシェンバッハのことである。
エッシェンバッハは第二次世界大戦で両親を失っている。
戦争孤児である。

そのエッシェンバッハが「バイエル」、「ツェルニー」などを録音している、
そのことについて黒田先生が書かれた文章は、思い出した。

黒田先生のエッシェンバッハについての文章は、こう結ばれている。
     *
 幼い頃に両親をなくしたエッシェンバッハは、「バイエル」や「ブルグミュラー」、それに「ツェルニー」とか「ソナチネ・アルバム」をレコーディングすることによって、彼がききたくともきけなかった、「よくやったね」のひとことを、小さなピアニストたちに伝えたかったのである。おそらく、このレコードは、あちこちの家庭で、ピアノを習い始めたばかりの子供たちによって、手本としてきかれているはずであるが、彼らが、もし、ピアノの響きにそっとこめられているエッシェンバッハの思いを感じとったら、「よくやったね」のひとことをきかずに育ったエッシェンバッハの寂しさをも理解するのかもしれない。
     *
エッシェンバッハのこれらの録音がTIDALで聴ける。
素晴らしいことだ。

Date: 2月 22nd, 2021
Cate: ディスク/ブック

Piazzolla 100(黒田恭一氏の文章)

音楽が好き、という人は大勢いる。
音楽が大好き、という人もけっこういる。

本人が、好きといっているのをこちらが疑うことはしたくないのだけれど、
ほんとうに音楽が好きなの? とおもうこともままあったりする。

だから、別項ではあえて「ほんとうの音楽好き」と書いている。

黒田先生が、「音楽への礼状」でピアソラのところで、こう書かれていた。
     *
 それからしばらくして、あなたは、ゲーリー・バートンと共演して、東京で一度だけコンサートをなさったことがありました。あのときのことを思い出すと、どうしても気持が萎えてきます。決して大きい演奏会場ではなかったにもかかわらず、客席のほぼ半分はうまらないままでした。もったいないな、こんなにいいコンサートが満員にならないなんて、と空席のままの座席をみて思いました。
 あのコンサートが満員にならなかった理由としては、宣伝不足とか、時期がよくなかったとか、あれこれいろいろあったようでしたが、事情通から、不入りの理由のひとつとして、「タンゴ」のピアソラと「ジャズ」のゲーリー・バートンの共演ということで、純潔をたっとぶ「ジャズ」ファンと「タンゴ」ファンがそれぞれそっぽをむいたこともあると説明されて、ぼくは、一瞬、ことばにつまりました。今どき、そんな、馬鹿なことが、と事情通にくってかかりそうになりました。驚き、同時に、呆れないではいられませんでした。
 その事情通の説明が正しかったのかどうかは、今もってわかりません。しかし、残念ながら、彼のいうような状況がまったくないとはいえないかもしれないな、と思わざるをえないような状況にぶつかることが、ままあります。そのことから判断すると、多くのひとが、この時代にあってもなお、自分が不自由にしか音楽がきけていないのも気づかず、レッテルによりかかって音楽をきいているようです。
     *
ほんとうの音楽好きを、言葉で表わすことはできないのかもしれない。
そんなに簡単に書けることではない、とわかっている。

それでも、ほんとうの音楽好きな人は、
純潔をたっとぶようなことはしないはずだ。

Date: 2月 16th, 2021
Cate: ディスク/ブック

Piazzolla 100 (PIAZZOLA REFLECTIONS)

クセーニャ・シドロワの名前だけは知っていた。
四年ほど前に、ドイツ・グラモフォンからアルバムが出たからだ。

Bizet: Carmen(ヨアヒム・シュマイサーによるアコーディオンのための編曲版)である。
興味はあったけれどディスクを買って聴くまでにはいたらなかった。

2月26日に、シドロワの新譜“PIAZZOLA REFLECTIONS”が出る。
TIDALでは少し前から聴ける。
カルメンの編曲版も聴ける。

カルメンの編曲版を買わなかったくらいなので、
それほど期待していたわけではなかった。

1990年代ごろ、クラシックの演奏家がピアソラを積極的に録音していた時期がある。
いいアルバムもあったし、これがピアソラの音楽? といいたくなるのもあった。

私が、これがピアソラの音楽? と感じた演奏を、
まさにピアソラの音楽! と感じる人もいるとは思う。

シドロワの“PIAZZOLA REFLECTIONS”は、ピアソラの音楽だと感じている。

Date: 2月 16th, 2021
Cate: ディスク/ブック

Piazzolla 100 (Balada para un Loco)

“Balada para un Loco”で、アストル・ピアソラを知った。
もう四十年以上も前のことだ。

グラシェラ・スサーナのアルバム「気違い男へのバラード」で聴いて、知った。
グラシェラ・スサーナのアルバムではめずらしくイラストのジャケットだった。

「気違い男へのバラード」というタイトルにも惹かれていた。
このころは、まだ「気違い男へのバラード」と訳されていた“Balada para un Loco”も、
1980年代には「ロコヘのバラード」と変っていった。

これまでにいくつかの“Balada para un Loco”を聴いてきた。
最近ではTIDALで“Balada para un Loco”と検索して表示されたのを片っ端から聴いていた。

“Balada para un Loco”はグラシェラ・スサーナで初めて聴いた。
そのこともあって、グラシェラ・スサーナによる歌唱が一方の端にあり、
もう一方の端にミルバによる歌唱がある。

今回“Balada para un Loco”を聴いて、それでいい、と思っている。

Date: 2月 15th, 2021
Cate: ディスク/ブック

Piazzolla 100 (Milva & Piazzolla Live in Tokyo 1988・その1)

Piazzolla 100(ピアソラ生誕100年)。

“Milva & Piazzolla Live in Tokyo 1988”。
タイトルそのままの内容を収録したCD(二枚組)だ。

あれこれ書きたいことはかなりある。
でも、とにかく聴いて欲しい、だけいっておく。

いまでも入手可能である。

Date: 2月 9th, 2021
Cate: ディスク/ブック

ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘

今日(2月9日)は手塚治虫の命日。
1989年2月9日こそ、昭和が終った、と感じた日だった。

「ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘」という本がある。
このタイトルは、なかなかだと思う。

昭和のマンガを読んできた人ならば、
どんな内容の本なのか、おおよそ想像がつくからだ。

ゲゲゲの娘は、水木悦子氏、
レレレの娘は、赤塚りえ子氏、
らららの娘は、手塚るみ子氏。

「ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘」は、鼎談をまとめたものだ。
文藝春秋から出ている。
いまも入手可能なはすだ。

Date: 2月 8th, 2021
Cate: ディスク/ブック

Piazzolla 100

昨年は、Beethoven 250とBird 100だった。
今年はPiazzolla 100だ。

アストル・ピアソラの生誕100年である。
1921年3月11日生れである。

誕生日にあわせて、ユニバーサルミュージックから3月3日に、
七枚のCDが発売になる。
数年前に輸入盤でボックスで発売になっている音源だが、
今回はすべて単独CD化・発売であり、
オリジナル・ジャケットでの復刻である。

ここでも私が期待しているのは、MQAでの配信が行われるかどうかである。

Date: 1月 30th, 2021
Cate: ディスク/ブック

Children of Sanchez(その6)

JBLの4343は1976年に、
チャック・マンジョーネの「サンチェスの子供たち」は1978年に出ているから、
同時代のスピーカーとディスク(録音)である。

誰が言い出したのかははっきりとしないが、
この時代、マサカリ低音という表現があった。

4343で鳴らす「サンチェスの子供たち」のドラムスの音は、
まさにマサカリ低音であった。

切れ味のよい低音というだけではない。
かみそりのような切れ味もあれば、
包丁のような切れ味もある。

さらには日本刀、鉞(マサカリ)のような切れ味もある。
鉞を持ったことはないが、重量がしっかりとあることはわかる。

そんな重量物による切れ味の低音と、
軽量級のモノによる切れ味の低音とは、同じではない。

こういう低音は、当時でもJBLのスタジオモニターの独壇場といえた。
「サンチェスの子供たち」のCDは、以前喫茶茶会記でのaudio wednesdayでも鳴らした。
悪くはなかったのだが、
私のなかには、4343でのマサカリ低音が残ってしまっているから、
あと少し、あと少し、とどうしても思ってしまっていた。

「サンチェスの子供たち序曲」に関しては、
二枚組のCDだけでなく、ベスト盤「The Best of Chuck Mangione」でも聴ける。

二枚組のCDの音に大きな不満はなかったけれど、されど満足もしていなかったから、
ベスト盤の音(リマスタリングされている)には期待した。

こちらも悪くはなかった。
でも私にとってのリファレンスがそういうことだから、
この程度止りか、と思ってしまった。

だからこそMQAで聴きたい、と思い続けてきた。

Date: 1月 30th, 2021
Cate: ディスク/ブック

Children of Sanchez(その4・追補)

まだ別の方からコメントがあり、
香港のMQAでも「サンチェスの子供たち」はMQA(96kHz)とのこと。

1月29日の時点ではMQAは配信されていない、とのコメントがあった。
1月30日には配信されているわけだ。

時間差があるのだろうか。
「サンチェスの子供たち」は、アメリカでも香港でもMQAで聴けるようだが、
この件で検索してわかったのは、
香港ではMQAで配信されていないアルバムがいくつかあることだ。

なぜ、このようなことがあるのか、その理由はよくわかっていない。

Date: 1月 30th, 2021
Cate: ディスク/ブック

Children of Sanchez(その5)

チャック・マンジョーネの「サンチェスの子供たち」は名盤なのだろうか。
今回、別の方のコメントで知ったのだが、
東欧のある国で、いま大人気だ、ということ。
あるDJがラジオでかけたことで広まったそうである。

嬉しいな、と思うのだが、
「サンチェスの子供たち」のCDを手に入れたとき、
音楽好きの知人に貸したことがある。

音楽のジャンルに特に偏見のない人だったけれど、
「これ、なんですか?」といわれたことがある。

まったくピンとこなかったそうだ。
そうなのかもしれない。

それでもいい。
私にとって「サンチェスの子供たち」は何年か周期でものすごく聴きたくなる存在だ。
時間があれば、二枚組を頭から聴くことは減ったが、どちらかのディスクは聴く。
時間がなければ、とにかく「サンチェスの子供たち序曲」は聴く。

一曲だが、14分ほどある曲だ。
私にとって「サンチェスの子供たち序曲」は、
4343で聴いた音が分ち難く結びついている。

熊本のオーディオ店で瀬川先生が鳴らされた音が、いまもはっきりと耳に残っている。
とにかく、その音が、私にとって「サンチェスの子供たち序曲」のリファレンス(基準)である。

Date: 1月 30th, 2021
Cate: ディスク/ブック

Children of Sanchez(その4)

「サンチェスの子供たち」のことで、facebookへのコメントがあり、
わかったことがある。

TIDALは、すでに書いているように日本でのサービスは開始されていない。
けれど日本からでも契約することはできる。

日本からのアクセスそのままでは無理なので、
VPNソフトを使ってアクセスすることになる。

その際、どこの国からアクセスすることにするか。
香港からにすると、TIDALの一ヵ月あたりの料金は、
アメリカからにした場合よりも安くなる。

私も最初、香港からにして、と考えていたが、
なぜだか私が使ったVPNでは香港が使えなかった。
それでアメリカにしてわけだが、これが結果的によかった。

「サンチェスの子供たち」は、TIDALでもMQAで聴ける。
けれど香港からにして契約した人によると、
44.1kHz、16ビットでの配信はあるけれど、MQAはない、ということだった。

気になって調べてみると、
44.1kHz、16ビットでのラインナップには違いはなさそうである。
といっても細かくチェックしたわけではない。

けれどMQAになると国によって違うことははっきりとした。
アメリカがMQAのラインナップがいちばん充実しているのかどうかは、
いまのところなんともいえない。

とにかく香港ということで契約していたら、
いまでも「サンチェスの子供たち」のMQAはまだなのか、
と首を長くすることになっていたはず。

Date: 1月 29th, 2021
Cate: ディスク/ブック

Children of Sanchez(その3)

寝る前に、e-onkyoのサイトにアクセスして、
新譜をチェックするのはすっかり日課になってしまっている。

昨晩というか、正確には1月29日に日付が変ってすぐにアクセスした。
なにかの期待があったわけではなかった。

今年になってからの新譜に、個人的に、おっ、と思うタイトルはまだ出ていなかった。
今日もそうかな、と思っていた。

まずクラシックのニューリリースを見る。
それから邦楽、ロック/ポップス,ジャズの順に見ていくことが多い。

ジャズのところ。
iPhoneで見ることがほとんどで、
iPhoneのディスプレイには3タイトルと4タイトル目の端っこが少しだけ表示される。
横にスクロールさせていくことで、続けて見れる。

そこに見慣れたジャケットであり、
MQAで聴きたいと思っていたジャケットがちらっと見えた。

今年初めての、e-onkyoでの、おっ、であった。
かなり大きなおっ、でもあった。

チャック・マンジョーネの“Children of Sanchez(サンチェスの子供たち)”である。
MQA(96kHz、24ビット)もある。

やっと出た(来た)。

午前0時すぎに見たときには、リリース日は確かに1月29日になっていた。
私にとって、嬉しい誕生日プレゼントといえる。

なのに今日さきほど確認のためみたら、
なぜか1月24日に変更されていた。

どちらにしてもいい。
とにかく「サンチェスの子供たち」がMQAで聴けるようになったのだから。

Date: 1月 20th, 2021
Cate: ディスク/ブック

ヒトの耳 機械の耳

東京電機大学出版局から1月30日に、
ヒトの耳 機械の耳」が出版される。

まだ発売前なので、こんな感じだった、ということは書けない。
けれど、リンク先の内容紹介、目次を眺めていると、かなり興味深い。

安い本ではないし、
買って最後まで読んだからといって、すべてを理解できるわけではないだろうが、
買っておくべき本ように感じている。

Date: 1月 19th, 2021
Cate: ディスク/ブック

ふくろうの叫び

パトリシア・ハイスミスの「ふくろうの叫び」を読んだのは、
三十年前のことだ。
ちょうど文庫として登場したばかりで、そのころ無職に近い状態だったこともあって、
一気に読んでしまった。

読み終ったのは日付がとっくに変っていた。
最後のところで、思わず声を出してしまった。
それほどのめり込んで読んでいた。

それからはパトリシア・ハイスミスの新刊が出れば必ず買って読んでいた。
最初に読んだ作品が「ふくろうの叫び」ということもあるだろうが、
傑作だと、いまも思っている。

「ふくろうの叫び」だけでなく、他のハイスミスの作品もまとめて貸した。
返ってきた。けれど、また別の人に貸した。今度は戻ってこなかった。

いま古本でしか入手できない。

急にパトリシア・ハイスミス、「ふくろうの叫び」を思い出したのは、
今年がハイスミス生誕100年であるからだ。

1921年1月19日が、ハイスミスの誕生日。
五味先生も、今年生誕100年。

Date: 1月 12th, 2021
Cate: ディスク/ブック

スピーカー技術の100年III ステレオ時代と日本製システムの変遷(その2)

誤植のまったくない本というのは、いったいどれだけあるのだろうか。
スピーカー技術の100年III ステレオ時代と日本製システムの変遷」も、いくつかある。

すぐに誤植と、誰にでもわかる程度であれば、ここで取り上げたりはしない。
けれど、59ページ掲載の写真11-26は、見逃せない。

そこには《前面ネットを外して撮影したミニスピーカーシステムの外観(1964年)》とある。
本文中(57ページ)にも、1964年に撮影された、とある。

けれど、この写真に写っているのは、
ブラウンのL100、ダイヤトーンのDS5B、ロジャースのLS3/5A、グッドマンのMaxim、
パイオニアのCS-X3の五機種である。

LS3/5Aが日本に輸入されたのは1976年、
L100、DS5B、CS-X3は1977年に登場した機種である。
Maximだけが、この中では古い機種である。

写真は1977年に撮影されたもののはずだ。
この時代のオーディオを知る人ならば、すぐに間違いだと気づく。
問題なのは、ずっと後の世代に人たちは、この間違いに気づきにくいことだ。

資料的価値の高い本に、そう書いてあると、
その時代のことを知らない人は、そうなのか、と素直に信じてしまう。

そうなると、誰かが、違うよ、と指摘したところで、
あの本にそう書いてあったのだから、となかなか信じてもらえないことだって、十分考えられる。

不真面目な本であれば、あえて書かない。
でも「スピーカーの技術100年」は、より信頼ある本になってほしい。

そのためにも正誤表をきちんとつくり公開してほしい。