Archive for category 色

Date: 5月 13th, 2018
Cate:

ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた(その1)

セレッションのDitton 25のことを書いていて、
Ditton 25のことについてあらためて眺めていると、
そういえば、と気づくのは、私が好きな音色スピーカーには、
ほぼ必ずといっていいほどトゥイーターにセレッションのHF1300が使われていたことだ。

最初に、その音色に惚れ込んだスペンドールのBCII。
この素敵な音色のスピーカーにもHF1300が使われていた。

BCIIはカタログ上では3ウェイだから、HF1300はスコーカーではないか、といわれそうだが、
クロスオーバー周波数は3kHzと13kHzで、2ウェイ・プラス・スーパートゥイーターという構成でもある。

KEFのLS5/1A。
瀬川先生が愛された、このスピーカーにはHF1300が二本使われている。
私が中古で手に入れたのは、LS5/1。もちろんユニット構成は同じで、HF1300が二本。

HF1300は、おそらくHigh Frequency 1300Hzを表わしているはずだ。
13kHzまでを受け持つトゥイーターということだ。
いまの感覚からすれば、13kHzなんて、たいして高域がのびているわけではないと思われがちだが、
HF1300は1956年に発表されたトゥイーターであり、当時としては十分な性能の周波数特性だった。

イギリス製のトゥイーターはいえば、ソフトドーム型をイメージしてしまうが、
HF1300はアルミ製タンジェンシャルエッジの振動板に、
音響負荷をかねたディフューザーを組み合わせた構造の、
他に同様の構造のユニットが思い浮かばない独自のものである。

この独特のユニットが、Ditton 25にも使われている。
それからDitton15。
B&Wのスピーカーでは、DM4、DM2もそうだ。

Ditton 15はスーパートゥイーターはないが、
DM4、DM2はHF1300の上にスーパートゥイーターを加えている。

Date: 5月 10th, 2018
Cate:

野上眞宏 写真展「BLUE:Tokyo 1968-1972」(詳細)

野上眞宏さんの写真展「BLUE:Tokyo 1968-1972」の詳細が、
BIOTOPのサイトで公開されている

野上さんのインタヴューも公開されている。
写真を始めたきっかけ、そして再開したきっかけ、
はっぴいえんどの結成などについて語られている。

インタヴューの中に、六本木のハンバーガーインのことも出てくる。
そうか、野上さんも行かれていたのか(私もステレオサウンド時代に何度か行っている)。

Date: 5月 6th, 2018
Cate:

オーディオと青の関係(野上眞宏 写真展「BLUE:Tokyo 1968-1972」)

ここでのテーマとは直接な関係はない、と思われるだろうが、
私としては、必ずしもそうとは思っていないので、この項で書くことにした。

5月19日(土)から5月30日(水)まで、
BIOTOP(ビオトープ)で、野上眞宏さんの写真展が開催される。
東京だけでなく、6月15日(金)から6月26日(火)までは大阪のBIOTOPでも開催される。

「BLUE:Tokyo 1968-1972」のBLUEは、
野上さんの愛聴盤であるジョニ・ミッチェルのアルバム名からとられている、とのこと。

日本語の青春の「青」と、英語のblueがもつ憂鬱の意味を合せての「BLUE:Tokyo 1968-1972」である。

6月1日には、「BLUE:Tokyo 1968-1972」の写真集も刊行される。

Date: 3月 24th, 2018
Cate:

音の色と構図の関係(その1)

別項「EMT 930stのこと(ガラード301との比較)」で、音の構図について触れている。

音の構図が崩れてしまっている音には、魅力を感じない。
これまでも音の構図には注意深くありたい、と思っていた。
けれど、いままで気づかなかったことがあるのに、昨晩気づかされた。

昨晩、写真家の野上眞宏さんと会っていた。
野上さんとの会話のなかで、最近ニュースになったAl(人工知能)も錯視することが出てきた。
ここでのAIがほんとうの意味でのAIなのかは、ここでは問わないが、
この実験の結果通りだとして、ほんとうにAIは錯視したのか、という捉え方もできる。

つまり錯視ではなく、現象として、それは起っている、と考えることだってできる。

もう20年以上前になると思う。
当時の週刊文春のカラー広告に、NTTが毎号出していたことがある。
NTTの研究所で、どんなことを研究しているのかを伝える広告だった。

すべてを憶えているわけではないが、錯視についての研究の回もあった。
錯視を現象として捉えた上で、アインシュタインの相対性理論にあてはめてみれば、
説明がつく──、そんな内容だったと記憶している。

たとえば同じ大きさのふたつの円がある。
色が塗られていない、もしくは同じ色であれば、ふたつの円は同じ大きさに見える。
ところがひとつを薄い色、もうひとつを濃い色にすると、ふたつの円の大きさは違って見える。

多くの人が小学生のころに体験されているはずだ。
これをNTTの研究者たちは錯視と捉えずに、実際に大きさが変っているのではないか。
つまり濃い色は、薄い色よりも色の質量がある。
そこに相対性理論が成り立ち、色の薄い円は、濃い色の円の影響を受ける、という内容だった。

色の質量という言葉が、その広告で使われていたのかどうかは定かではないが、
感覚的にも重い色、軽い色は確かにある。

そのことを思い出していたから、
もしかするとAIも錯視ではないのかもしれない──、
そんなことを話していた。

そこで野上さんが、非常に興味深いことをいわれた。

Date: 9月 23rd, 2017
Cate:

色づけ(colorationとcolorization・その1)

カラーレイション(coloration)という言葉がある。

KEFのReference Seriesのカタログを見ていたら、
“Low Colouration”とあった。

KEFはイギリスの会社だから、colorationではなくcolourationである。
瀬川先生がいわれていたことだが、
カラリゼイション(colorization)とカラーレイションは、意味が違う。

どちらも色づけと訳すことはできるが、
色づけの意味合いがそもそも違う。

カラリゼイションは、積極的な色づけであって、
例えばモノクロの写真に着色、カラー化の意味での色づけである。

カラーレイションは、オーディオの世界では、
ノンカラーレイション、ローカラーレイションと使われ方をすることからもわかるように、
本来あってはならぬオーディオ機器固有の音色による色づけのことである。

カラーレイションとカラリゼーション、
いまでは、カラリゼーションの方は耳にしなくなったが、
先日、カラーレイションのところにカラリゼーションが使われていたことがあったのと、
KEFのカタログで目にしたので、思い出した次第。

Date: 7月 15th, 2017
Cate:

オーディオと青の関係(その21)

タンノイ・アメリカが搭載していたユニットの磁気回路のカバーは青に塗装されていた。
つまりはMonitor Blueということになる。

本国イギリスのタンノイのユニットにはMonitor Redがあった。
1953年から1957(8)年ごろまでつくられたユニットは、
磁気回路のカバーとウーファー中央のカバー(センターキャップに相当するところ)が、
赤に塗装されていたからだ。

そうイギリスには赤があった。
グッドマンのAXIOM 80もそうだ。
磁気回路が赤色に塗装されていた。

AXIOM 80以外にも、磁気回路の後側にはられている銘板が赤であることが多い。
ワーフェデールのユニットもそうだった。
ヴァイタヴォックスの初期のS2ドライバーの銘板も、そういえば赤だった。

オーディオと青の関係を考えていたら、
イギリスのオーディオにおける赤のことを思い出してしまった。

Date: 7月 1st, 2017
Cate:

オーディオと青の関係(その20)

青で思い出すモノが、まだあった。
タンノイの同軸型ユニットであるが、本家英国のタンノイのそれではなく、
タンノイは1953年にカナダに、1954年にアメリカに、
北米進出を本格化すべく、それぞれにタンノイ・カナダとタンノイ・アメリカを設立した。

1974年にタンノイがハーマンインターナショナルに吸収された時点で解散している。
タンノイ・アメリカのスピーカーシステムはシュリロ貿易によって輸入されていた。

とはいうものの、タンノイ・アメリカのスピーカーシステムが知られはじめたころに、
ハーマンに吸収されてしまったので、
実際に輸入されたタンノイ・アメリカの製品を見た(聴いた)ことのある人は少ないはずだ。

私は幸運にも、わずかな時間ではあったが聴く機会があった。
でも一度だけである。

タンノイ・アメリカはスピーカーシステムだけでなく、ユニットも単売していた。
イギリスで売られているモニターゴールドそのままではなく、
磁気回路のカバーは、ブルーメタリックに変更されていた。

ブルーメタリックのカバーを見る機会はなかった。

Date: 3月 21st, 2017
Cate:

オーディオと青の関係(その19)

歳は関係ないだろう、
オーディオを始めて日の浅い人は、
こんなことは考えたりはしないだろう。

考えたとしても、青とはおもわないのではないか。

オーディオをながく続けている。
十年はながい、とはいわない。
二十年、三十年……、このあたりからながい、といえるかもしれない。

四十年くらいから、はっきりとながいといえよう。

四十年のあいだに聴いてきた音、
己で鳴らしてきた音、誰かの音、そんなふうにさまざまな音を聴いてきているということは、
その音の総量は、空や海が青くみえるのと同じほとに積み重なっているはずだ。

わずか水や空気が、青く見えないのと同じで、
音の総量が、青くみえるほどにいたってなければ、
青とはおもわないだろうし、考えもしないであろう。

Date: 3月 20th, 2017
Cate:

オーディオと青の関係(その18)

コップのなかの水に、色はない。
無色透明といっていい。

目の前に空気がある。
空気の色も、水と同じで意識することは無い。
無色透明といえる。

どちらも色がついているわけでもないのに、
空の色、海の色は青である。

なぜ青に見えるのかについては書く必要はないだろう。

空は青い。
海も青い。

音も、そうなのかもしれない。
青い、のではないだろうか。

遠くに拡がっている音は、空や海と同じように青く見える、はずだ。

Date: 1月 2nd, 2017
Cate:

オーディオと青の関係(その17)

そういう視点でとらえれば、
スレッショルドのパワーアンプSTASISシリーズのプリント基板の色も青である。

STASIS回路は、それまでのパワーアンプの設計手法とは違う。
NFBに極度に頼ることなく、静特性ではなく動特性を重視した、といえるだけに、
プリント基板に青を採用したようにも、私は捉えている。

そのころのアンプのプリント基板で青色のものがあっただろうか。
ステレオサウンド 58号の表紙にSTASIS 1が登場している。
天板を取った状態で、メイン基板が写っている。

青色なんだ、と思った。

ソニーのウォークマンは、
それまでのテープデッキは録音機能があるのが当然だという考えに対してのアンチテーゼ、
ここでもこじつけることができる。

そして青といえば、EIZOのFORIS.TVがある。
加賀群青のテレビである。
川崎先生のデザインである。

FORIS.TVは、あのころの液晶テレビに対してのアンチテーゼだ、と、
加賀群青という色だけでも、そう捉えることができる。

青について書く気になったのは、AMPZiLLA 2000の存在がまずあり、
AMPZiLLA 2000のデザインについて、あまりにも無理解な文章を目にしたからである。

Date: 1月 2nd, 2017
Cate:

オーディオと青の関係(その16)

オーディオにおける青の意味はあるとしても、
それが各メーカーで共通しているわけでもないだろう。

JBLの青とソニーの青とが、同じ意味が込められているわけでもないだろう。
それは承知のうえで、オーディオにおける青には、アンチテーゼの意味が込められているように感じる。

私がそう感じているだけであるにすぎない。
けれど(その1)に書いたステレオサウンドのロゴの青。

1966年にステレオサウンドが創刊されたとき、日本にはどんなオーディオ雑誌があったのかをふり返れば、
私はそこにアンチテーゼの意味を感じてしまう。
そうだとしたら、いまのステレオサウンドのロゴに青はふさわしくない。

JBLのスタジオモニターのバッフルの青にしても同じだ。
それまでスタジオモニターといえばアルテックの604を収めたモノが圧倒的シェアだった。
そこにJBLは切り込んでいった。

4300シリーズは最初からブルーバッフルだったわけではない。
4350、4341といった4ウェイのシステムからの青である。

これらの4ウェイ・モデルは、全帯域にわたる指向特性の改善・均一化を図って、である。
単に周波数特性を広げたかったわけではない。
ユニット構成をみれば、そのことはすぐに気づくはず。
最低域を受け持つウーファーと最高域をうけもつトゥイーターは、
3ウェイの4333と同じなのだから。

だからJBLのスタジオモニターの青は、
アルテック604に代表される従来のスタジオモニターの主流に対しての青として感じる。

JBLのLE15Aの青は、それまでのJBLのウーファーのあり方とは違う設計であり、
ある意味、それまでのウーファー設計へのアンチテーゼと捉えようとすればできなくもない。

もちろん、オーディオにおける青の意味を、私がこじつけてそう捉えているだけといえば、
たしかにそうだ。
それでも、オーディオにおける青は、他の色とは違う意味があるはずだ。

Date: 1月 1st, 2017
Cate:

オーディオと青の関係(その15)

ソニーにも、ウォークマンの他にも青がある。
1999年に登場したSCD1である。

SACDプレーヤーでSCD1のサイドは、青である。
同時に発表されたコントロールアンプTA-E1もサイドは青だし、
パワーアンプTA-N1は両サイドのヒートシンクが青である。

面積的にはTA-N1の広いけれど、私の印象ではSCD1の青がいちばん強い。
SACDプレーヤーの第一号機というイメージが重なってなのだろうか。

ここでも、なぜ? と思う。
ソニーのようなメーカーが、サイドだけとはいえ青を採用している。

SME(ソニー・ミュージックエンタテインメント)から第一回新譜として発売された13タイトルに、
マイルス・デイヴィスの”Kind of Blue”が含まれていたからなのだろうか。

ステレオサウンド 131号に、ソニーの出井伸之氏と菅野先生の対談が載っている。
表紙はSCD1である。

出井 SACDは在る意味で、いろいろなものにたいするアンチテーゼです。日本の近代産業はずっと〝量〟を追求してきました。〝量〟というのは作れば作るほど〝質〟から離れていきます。「安くて良い」というのは、基本的に「最高級」のものを犠牲にしてしまう傾向がありますね。その意味では〝量〟にたいするアンチテーゼなのです。
ソニーのCDプレーヤー第1号機、CDP101は、横幅が(標準的なコンポーネントサイズの430mmではなく)355mmでしたが、あれは〝量〟を志向したからなのです。小さく作ったのは「たくさん売るぞ」という意思表示だったのです。このSACDプレーヤー第1号機、SCD1(横幅430mm、重さ約27kg)は逆なんですね。

SCD1の青は、アンチテーゼの色なのだろうか。

Date: 1月 1st, 2017
Cate:

オーディオと青の関係(その14)

JBLには、スタジオモニターのフロントバッフルの他に、もうひとつ青がある。
ウーファーのLE15Aのフレームが、初期のころは青だった。

JBLのユニットは美しい。
ドライバーやホーンはエンクロージュアの上に置かれて使われることもあるが、
ウーファーはエンクロージュアに収められるユニットである。

フレームの色が何色であれ、使っている(鳴らしている)人からは、その色は見えない。
にも関わらずLE15Aは、初期のころ青に塗装されていた。

他のJBLのユニットで、フレームが青に塗装されていたのはあるのだろうか。
なぜ青だったのか。
誰が青にしたのか。

わからない。
LE15Aの開発者のバート・ロカンシーが青に決めたのか。
それともアーノルド・ウォルフが決めた青なのか。

LE15Aの青が、のちのスタジオモニターの青に引き継がれたのだろうか。

Date: 12月 4th, 2016
Cate:

オーディオと青の関係(その13)

以前書いているように、サンスイの色のイメージは黒である。
AU111というプリメインアンプから、ブラックパネルは始まった、といっていい。

サンスイ・イコール・黒というイメージは、
私ぐらいの世代だけでなく、幅広い世代にとってもそうであるはずだ。

サンスイ(山水電気製作所)は1944年、創業者の菊池幸作氏の、
代々木上原にあった自宅から始まっている。

サンスイは元はトランスメーカーだった。
そのころのサンスイのトランスの色は青だったようだ。

ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」サンスイ号で、淺野勇氏が書かれている。
     *
 サンスイといえば、既にパワー・トランスやオーディオ・トランスで知名度の高いメーカーとして自作ファンには誰も知らぬ人もない存在であり、鋳物の立型合わせカバーをダーク・ブルーに塗装したパワー・トランスやチョーク・コイルは高級電蓄のアンプを製作するには欠かせぬ存在となっていた。余談だが、夏場の暑い時期にアンプ作りに熱中すると、このトランスの青色塗装が、手や顔にまで転移して肌着まで青一色のサンスイ色に染まり、身をもってサンスイの宣伝をするような始末となるのは困った。現在のような進歩した塗料の無かった頃である。閑話休題、製品そのものの信頼性の高さは、焼損断線事故の多発した当時の町工場の製品とは一線を画すものがあった。
     *
そのサンスイが輸入をはじめたJBLのスタジオモニターのバッフルが青を採用したのは、
偶然の一致なのだろうし、こじつけめいているのはわかっているが、
何か共通する理由があるのではないかと思ってしまう。

Date: 10月 2nd, 2016
Cate:

オーディオと青の関係(その12)

坂道のアポロン」という作品がある。
小玉ユキ氏の作品(マンガ)で、アニメにもなっている。

舞台は1966年初夏の長崎・佐世保から始まる。
それまでクラシックしか弾いたことがなかった主人公(高校生)が、
1960年代なかばの基地の町、佐世保でジャズに惹かれていく。

年代も佐世保という場所も、いい設定だと思う。
好きな作品だ。

村上龍氏も、このころ佐世保で高校生時代を過ごされている。
「世界のオーディオ」パイオニア号では、当時のことを語られている。
     *
──ジャズ体験はどんなかたちですか。
村上 いちばん最初は『テイク5』で、そしてアントニオ・カルロス・ジョビンとかゲッツとジルベルトとかハービー・マンとか、そのへんです。そしてだんだんマイルス・デイヴィスとかセロニアス・モンクをきくようになっていった。もっともマイルスがほんとうにすごいなと思うようになったのは、高校を卒業してからです。いまも繰返しきいているけれど、マイルスのすごさはやっぱり二十才(ハタチ)を過ぎないとわからないと思う。
 高校のときは、カッコウつけてきいていたんでしょうね。そのころフリーが流行ったでしょう。佐世保にいたんですが、すごく詳しいマスターがいるジャズ喫茶に行って、コルトレーンの『オレ』をリクエストしたら、オーネット・コールマンをきいたかというですよ。きいてないと答えたら、コールマンをきいてないヤツにフリーはきかせられないっていわれて(笑い)。それで頭にきて、コールマンとドルフィーが一緒にやってるレコードをきいて、また出かけていったら、こんどはチャーリー・パーカーをきいてるか(笑い)。きいてないといったら、それじゃあダメだと(笑い)。そんな思い出があります。もっともそれ以来、前衛ジャズみたいなのに狂いましたが(笑い)。
     *
「坂道のアポロン」にはジャズ喫茶は登場しないが、
町のレコード店が登場する。
個人経営だから、ちいさな店だ。

でも、ここが主人公がジャズにめざめていく場所である。

1952年生れの村上龍氏だから、高校生の時分は1960年代後半にあたる。
「坂道のアポロン」と同じころだ。