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Date: 3月 17th, 2012
Cate: 名器

名器、その解釈(その6)

昨年10月5日に四谷三丁目・喫茶茶会記で行った工業デザイナーの坂野博行さんとの、
「オーディオのデザイン論」を語るために、の中で、
パラゴンの話になったときに坂野さんから出たキーワードが、この「スケール」である。

タンノイのオートグラフとウェストミンスターとのあいだに私が感じていることについては、
違う方向から語るつもりでいたのだが、坂野さんのいわれた「スケール」を聞いて、
これほど簡潔に表現できるキーワードがあったことに気がついた。

ここでいう「スケール」とは、製品そのもののスケールという意味ではない。
製品そのもののスケールでいえば、オートグラフとウェストミンスターとほぼ同等か、
むしろウェストミンスターのほうがスケールは大きいといえるところもある。

けれど、坂野さんが使われた意味での「スケール」では、
私の解釈ではオートグラフのほうがスケールが大きい、ということになる。

坂野さんは、このとき、「スケール」についてパラゴンとの対比で同じJBLのハーツフィールドを例に挙げられた。
パラゴンとハーツフィールドは、どちらもJBLの家庭用スピーカーシステムとして、
アメリカのいわば黄金時代を代表するモノ(名器)であるけれど、
ハーツフィールドはモノーラル時代の、パラゴンはステレオ時代になって開発されたスピーカーシステムであり、
どちらが見事とか、素晴らしい、とか、そういった比較をするようなものではないのだが、
このふたつのスピーカーシステムを生み出した発想の「スケール」ということになると、
パラゴンの方がハーツフィールドよりも大きい、ということになる(そう私は聞いていた)。

ハーツフィールドとパラゴンとでは、
ハーツフィールドのほうが美しいスピーカーシステムだと思っていた時期があった。
いまも、このスピーカーが似合う部屋のコーナーに収められたときに醸し出される雰囲気には魅かれるものがある。

けれどパラゴンには、ステレオ用スピーカーシステムとして左右のスピーカーをひとつにまとめてしまうという、
そういう意味での「スケール」の大きさがあり、
これに関しては、モノーラル、ステレオという時代背景も関係していることは百も承知のうえで、
ハーツフィールドには、仕方のないことだが、パラゴン的な「スケール」の大きさは乏しい、と思う。

この「スケール」がタンノイでは、逆転してモノーラル時代に生み出されたオートグラフに感じられ、
ステレオ時代になってからのウェストミンスターには、ないとはいわないまでも稀薄になっている。

Date: 3月 16th, 2012
Cate: Herbert von Karajan

プロフェッショナルの姿をおもう(その5)

カラヤンは、帝王と呼ばれていたこともあった指揮者である。
クラシックの指揮者とは思えないほど知名度も高く、
おそらくクラシック界の中でもっとも商業的にも成功したひとりのいえるはず。

そのころのカラヤンと、1988年に来日したときのカラヤンは、
カラヤンという人物は世界に一人しかいないわけだから、その意味では同じカラヤンであっても、
プロフェッショナルとしてのカラヤンは、同じなのだろうか、と考えてしまう。

プロフェッショナルとは、どういう人のことをいうのだろうか。
プロフェッショナル(professional)には、それを職業としている人を指してもいるし、
それの専門家という意味も同時にある。
だが資本主義(いや商業主義)の世の中では、
そのことでお金を稼いでいる人、ということのほうが強いのではないか、と思うことが多い。

となると、ふたりの同じ分野のプロフェッショナルがいたとして、
どちらがよりプロフェッショナルかということになると、
どちらがより稼いでいるか、ということが、もっともわかりやすい判断基準となってしまう。

カラヤンも資本主義(商業主義)の中で生きてきた指揮者である。
カラヤンは、クラシック界の商業主義の頂点に一時期立っていたことはまちがいない。
だからこそ、帝王と呼ばれたのではないだろうか。

こういうプロフェッショナルの姿は、とにかくわかりやすい。
だからクラシックに興味のない人でも、カラヤンの名前は知っている。
それだけに、カラヤンの音楽とは関係のないところでの批判もときとして浴びることにもなっていた。

そんなカラヤンを、特に否定する気はない。
ただ、言いたいのは、そういうプロフェッショナルとしてのカラヤンがいたのは、
事実であるこということだけである。

1988年日本公演の、ひとりで歩けないカラヤンは、帝王と呼ばれていたころのカラヤンとは別人のようでもあった。
誰も──カラヤンに対して批判的な人であっても──
あのときのカラヤンの姿を見て、蔑称として帝王と呼ぶ人はいないと思う。
1988年の日本公演でのカラヤンは、
帝王と呼ばれていたころのカラヤンとは違う意味でのプロフェッショナルとしてのカラヤンであったように思う。

だから、いまオーディオのプロフェッショナルについておもうとき、
1988年日本公演でのカラヤンを思い出してしまうようだ。

Date: 3月 15th, 2012
Cate: 表現する

音を表現するということ(続×五・聴く、ということ)

音は、どこをいじったとしても必ず変化する。
その変化量や変化のベクトルは同じでないにしても、
音が変化しないということは──これは断言しておくが──、絶対にない。

こんなことでも音は変るのか……、と、ときには、その「発見」に喜ぶこともあるし、
またときには、こんなことで音は変ってほしくない、と思うこともある。
ちょっとやそっとのことでは音が変らない、そんなオーディオが欲しい気持はどこかにある。
それでも、音は変る。

にも関わらず、世の中にはオーディオを趣味としているといいながらも、
ケーブルを変えても音は変らない(この程度ならまだいいほうなのかもしれない)、
中にはアンプを変えても音は変らない、という人もいる。

実は、そういう人の音のきき方は、音の違いのみに意識を集中しているのではないか、と感じる。
音の変化を聴き分けるのだから、それでいいんじゃないか、といわれそうだが、
音を聴くということは、音の良さを聴きとろうとする行為であって、
それぞれのオーディオ機器の音の良さを感じとろう、聴きとろうという意識であれば、
音の違いは自然とわかってくるもの。

Date: 3月 14th, 2012
Cate: ジャーナリズム

あったもの、なくなったもの(その2)

いろいろなことがらで、あったもの、なくなったものについて考えることが少しずつ増えてきたように感じている。
オーディオは13歳のときからだから、この秋で36年になるわけで、
この36年のあいだに、あったもの、なくなったものがある。

なにがなくなったものなのか、を見つめ直すだけでなく、なかったものはなんだったのかを手探りしている。

Date: 3月 14th, 2012
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(続々・余談)

スピーカーシステムについているレベルコントロールには、
ほとんどの機種で周波数特性がフラットになるポジションがはっきりしている。
そのポジションを0と表記しているものもあれば、FLATとしているものもある。

JBL・4411のレベルコントロールは連続可変式で、
目盛りは0から10までふってある。
この目盛りには2つの印がつけられている。
短い直線と白い点が、スコーカー用のレベルコントロールでは5と8のところに、
トゥイーター用レベルコントロールでは7と10のところについている。

4411のレベルコントロールに、ふたつの印があるのは、
軸上周波数特性がフラットなポジション(短い直線)と
エネルギーレスポンスがフラットなポジション(白い点)を明示しているからである。

4400シリーズは、JBLのスタジオモニターシリーズではありながらも、
4300シリーズとは設計コンセプトが異る。
そのことを形の上ではっきりと提示したのが、4430と4435であった。
4300シリーズが4350から始まった4ウェイが、4341(4340)、4343、4345、4344と続き、
日本では4300シリーズ・イコール・4ウェイというイメージすら定着しつつあったところに、
2ウェイであることを特徴とした4400シリーズの登場は、正直驚きであった。

古典的な(ともいえる)モニタースピーカーは、
音像定位の確かさを重視して同軸型2ウェイが主流であった。
アルテックの604やタンノイのデュアルコンセントリックがその代表であるわけだが、
その古典的スタジオモニターを、最新の技術でJBLがリファインしたといえるのが4400シリーズである。

4400シリーズは、特異な形状のバイラジラルホーンの採用により、
水平方向、上下方向の指向特性を広帯域にわたって乱れを少なくし、そのパターンを一定化・安定化している。
そしてクロスオーバー周波数(1kHz)付近でウーファーとの指向特性と近似させている。

こんな説明もいらないくらい、4430、4435は4300シリーズとははっきりと違うスタイルをもっていたのに対し、
4411は横置きのブックシェルフ型ということ以外に、外観的にこのスピーカーシステムが4300シリーズではなく
4400シリーズのひとつであることを特徴づけているのは、実のところレベルコントロールといえよう。
それに、このレベルコントロールも、
本棚に収めるスピーカーシステムとして4411を選択した理由の、大きなひとつである。

Date: 3月 14th, 2012
Cate: 「空間」

この空間から……(その1)

ヴァイオリンの内部は、これまでにも写真や図で知っていた。
ただ、それらはすべて製作途中で撮ったものだったり、内部を撮るために一部解体されたものであって、
ヴァイオリンという楽器の内部とは必ずしもいえないところがあった。
だから、気がつかなかった……、という言い訳ができるわけではないが、
ほんとうのヴァイオリンの内部がこんなにも美しい空間であることを、つい2日前に知った。

ここでの内部は、完全な楽器としてのヴァイオリンの内部である。

月曜日にtwitterを見ていて、知った。
ベルリンフィルハーモニー室内楽オーケストラのキャンペーンのポスターである。
リンク先に表示される写真を見たら、誰しも、息をのむはず。
f字孔からの差し込む光が神秘的にも思えて、なにか、この空間は祈りを捧げる場のような気さえしてくる。

ここがリスニングルームだったら、と思ってしまう。
そして、音楽となる音は、この空間だから生れてくるものだとも思える。

オーディオマニアとして、やはり思ってしまう。
スピーカーシステムの内部は、空間と呼べるものだろうか、
そこに美があるだろうか、と。

スピーカーから発せられる音は、音楽となっていく音でなければならない。
ただ単に音でしかない音を発するものであってはならないはずだ。

スピーカー・エンクロージュアの内部をこういうふうにしただけで、
音楽となる音が即出てくるわけではないことは充分すぎるほど承知している。

それでも、あえて、いくつか言いたいこと、書きたいことがいくつも出てくる。

Date: 3月 13th, 2012
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(続・余談)

JBLに4411というブックシェルフ型があった。
1982年に登場した4411は、
前年に登場したバイラジアルホーンを採用した4430、4435からなる4400シリーズの第3弾であるが、
初のブックシェルフ型であり、4400シリーズ初の3ウェイでもあり、
中高域にコーン型とドーム型を採用している点も、4430、4435とは異る点ももつ。

4411が登場したときには気がつかなかったし、まったく考えもしなかったことだが、
いまになってみると、この4411ほど本棚に収めて使うに最適のスピーカーシステムは、他に思い浮ばない。
重量が24kgがやや重たい気もするけれど、
ブックシェルフ型スピーカーの元祖ARを代表するAR3aの重量もまた24kgだから、
やわな本棚では無理であっても、丈夫な造りの本棚であれば重量の問題はないだろう。

そして4411は横置きのブックシェルフ型である。
AR3aもやはり横置きで使うことを前提としている。

横置きのブックシェルフ型は、ある面使いにくい。
4411はステレオサウンド 64号の新製品のページに登場している。
1982年ごろのブックシェルフ型スピーカーのスタンドは、いくつか出ていたものの、
大半は角形の鉄パイプを使ったもので、しかもキャスター付きで、
いまのように音質的配慮のなされたものはまったくなかった、といえる。
いまでこそ小型スピーカー用、ブックシェルフ型スピーカー用に各社からさまざまなスタンドが出ているし、
スタンド専門メーカーまで存在しているけれど、
スタンドによる音質への影響が頻繁に語られるようになり、そういうスタンドが登場してくるようになったのは、
4411の登場の数年後のことである。

もっともスタンドが豊富にあるいまでも、
4411のようなサイズの横置きのスピーカーシステムのセッティングに向くものは少ない。
1982年に、4411の試聴を担当された井上先生がどうセッティングされたかは64号を見ていただくとして、
この4411の、一般的なセッティングでの使いにくさが、本棚に収めてしまうと反転してしまう。
それに本棚に収め、空いているスペースに本を隙間なく収めてしまうと、
それに本棚は大抵の場合壁に付けられているから、スピーカーを囲う空間としては2π空間となる。

実際にこういう条件で鳴らしたことがないのではっきりしたことはいえないけれど、
4411のレベルコントロールが、面白さを加えてくれるはずだ。

Date: 3月 12th, 2012
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(余談)

この2年ほど、ときどき妄想しているのが、ブックシェルフ型スピーカーシステムをどう使うか、だ。
いまではブックシェルフ型といっても、
スタンドの上に設置して、スピーカーの後の壁、横の壁からも十分離して、というように、
ブックシェルフ(本棚)という言葉本来の意味からは外れてしまった大きさと重量になっている。

これが悪いわけではないし、スピーカーシステムの能力をできるだけ発揮するには、
いくら小型で軽量で本棚に収まるモノでも、そうしないほうが音質的には好ましいことが圧倒的に多い。
むしろ本棚に設置することで、音が好ましくなることは滅多にないことなのかもしれない。

それでも本棚にブックシェルフ型スピーカーシステムを押し込んで、
プレーヤー(アナログ、CDの両方)、アンプ、できればチューナーやカセットデッキも本棚に収納したい、
そういう使い方をしてみたい、と強く思うようになってきている。

そのためにはまずしっかりした造りの本棚がいる。
材質にそれほどこだわることもないとは思うが、
とにかくしっかりしたものであってほしい。
そこに本なりLPを収め、スピーカーやアンプなどもうまくレイアウトしていく。
だから本棚のサイズもそれなりに大きいものであってほしいし、
そういう本棚がすんなり収まる部屋もいるわけだ。

スピーカーシステムはそれほど重いモノはダメ。
どんなに重くても30kgを切っていないときついだろう。20kg前後であってほしい。
サイズも奥行は30cmを超えるものは本棚からはみだしてしまうだろうから、奥に長いものは困る。
といって小型スピーカーシステムにしたいとは不思議だが、思わない。
いわゆるブックシェルフ型と呼ばれるサイズのモノであってほしい。
それから、これが重要なことなのだが、横置きでもうまく鳴ってくれるスピーカーであってほしい。

アンプは、これも本棚に収めたいのでアンプのまわりにそれほど余裕のある空間を確保できるはずもないから、
発熱の大きいアンプでは困る。
ここでは本棚がいわばラックであり、ひとつのラックにアナログプレーヤーからスピーカーまで収めるのだから、
アナログプレーヤーはハウリングに強いものでなければ困る。それにあまり大きいものではやはり困る。

これらの条件に合致して、さらに自分で使いたいと思うモノとなると、
過去の製品を含めてもそう多くはない。

もうひとつのブログ、the Review (in the past)の入力作業をやっていると、
ときどき、このスピーカーシステムなら、とか、このプリメインアンプならいけそう、だとか、
プレーヤーはやっぱりこれしかない、などと声にこそ出さないが、そんなことを思っている。

こんなことを思わせる感覚も、もしかするとラジカセから来ているのかもしれない。

Date: 3月 11th, 2012
Cate: ジャーナリズム

1年経ち……

今日で1年が経った。
1日前の昨日、ステレオサウンドの春号が書店に並んでいる。
まだ読んでいない。ステレオサウンドのサイトで公開されている記事のタイトルを見ただけである。

ステレオサウンドはオーディオの本である。
オーディオは趣味のことだから、趣味の雑誌であるステレオサウンドに、
1年が経ったことは関係ないということなのだろうか。
記事のタイトルを見て、予測していたこととはいえ、どうしてもそうおもってしまう。

そういうステレオサウンドの編集方針を、否定はしない。
いまのステレオサウンドの編集方針は、そうなのだから。

だがステレオサウンドは、敗戦後の焼け野原にたたずんだ男の心の裡で鳴ったベートーヴェンが、
大事な根っこになって誕生したものである。

世の中は変化する。
ステレオサウンドも変化する、ステレオサウンドを取り囲む状況も変化している、──その編集方針も変化する。
その変化の中で、ステレオサウンドは大事な根っこのひとつを喪くしてしまった。

Date: 3月 11th, 2012
Cate: SME
1 msg

SME Series Vのこと(その2)

1980年にSMEの3012-Rは登場した。
この年のステレオサウンドの春号(58号)に、瀬川先生による3012-Rの記事が載っていた。
読み終ったとき、よりも、読んでいるときから、このトーンアームを買わなければならない、
この3012-Rがなければ求めている音の世界を築けない、とつよく強く思い込んでいた。
(58号は1981年の発売だが、57号で3012-Rの登場は紹介されている。)

だから、かなり無理して3012-Rを購入した。

今年は2012年、3012-Rが登場して31年経ったこの春に、
やはりSMEから3012-Rと同じロングアームのSeries V-12が出てきた──、
昨夜の時点では、Series V-12は新製品だと思っていたけれど、
このブログを読んでくださっている方からのメールによると、
イギリスではSeries V-12は2009年ごろに発売されていた、ということだった。
個人で輸入されてつかっている方のブログも教えていただいた。

ようするにハーマンインターナショナルが紹介していなかった、輸入していなかっただけのことだった。
Series V-12は3012-Rの登場から29年ということになる。
Series V-12の登場が2010年だったら、3012-Rからちょうど30年ということになるのに……、
そうだったら、SMEは30年の節目を狙って、3012-Rと同じロングアームのSeries V-12を出してきたことになり、
妄想好きの私にとっては、それだけで十分である。
しかしちょうど30年ではない。

けれどSMEの歴史を遡ってみると、3012のオリジナルの登場は1959年。
Series V-12は50年目の、3012シリーズとは異るロングアームの登場ということになる。
3012 の改良版3012IIは1961年、その20年後の1981年には3012-Rのゴールド・ヴァージョンを出している。

何か意味があるのか、と探る、というよりも、
そこに自分なりの理由を探しているだけにすぎないのだが、
ここで妄想は次はどうなるんだろうか、に行く。

Series Vはその型番とアームの実効長からわかるように3009シリーズにあたる。
3009シリーズには、3009が3012のショートタイプだったことから脱皮したかのようなSeries IIIがある。
このSeries IIIの軸受け周りの構造はSeries Vへと継がっていると見ることが出来る。
Series Vはいきなり登場してきたトーンアームではない。
Series IIIがなかったら、Series Vの登場はもう少し遅くなっていたかもしれない。

2015年は、Series V登場から30年目になる。
50年という節目ほどではないが、30年もひとつの節目であろう。
SMEの歴史からいってSeries Vの50年後はないかもしれない。
あったとしても私はもう生きていないかもしれない。
2015年には、なにか新しいかたちの、Series V以上のトーンアームが登場してくるかもしれない。
2017年は3009 Series IIIから40年になる。
2017年にも2015年同様、私にとって妄想をかきたてる年になる。

おそらく出てこないだろうが、
その出てこないであろうトーンアームについて妄想していくのは、
虚しい、あほくさい、と思われる人もおられるだろうが、いくつになっても楽しい行為である、私にとっては。

Date: 3月 11th, 2012
Cate: SME

SME Series Vのこと(その1)

ひとつ前の、マークレビンソン40周年記念モデルのことを見ようと、
さきほどハーマンインターナショナルのサイトにアクセスして、驚いたのが、
「SERIES V12発表」の文字だった。

3月9日のところに「SERIES V12発表」とだけある。
ブランド名は書いてないけれど、すぐにSMEのことだというのは、ほとんどの人がすぐにわかること。
SERIES Vの末尾に「12」がついている、ということはもしかするとSERIES Vのロングヴァージョンなのか、
ほんとうに2012年の今、SERIE Vのロングヴァージョンが出るのか、と思いつつ、
SERIES V12発表」のところをクリックすると、Series Vの写真の右下に小さな写真があり、
そこをクリックすると、パイプ長がロングヴァージョンのSeries V-12が表れる。

Series Vを聴いた時のことは、いまでもはっきりと思い出せる。
聴いた場所は、もちろんステレオサウンドの試聴室。1985年のことだ。
トーンアームで音が大きく変ることは体験からも知っていた。
けれど、Series Vの音は、予想をはるかに超えたレベルの音だった。
アナログディスクから、こういう音が、まだ抽き出せるのか、という驚きと喜びがあった。

当時のSeries Vの価格は40万円。
トーンアームに40万円というと、非常に高いように感じられるだろうが、
Series Vの音を聴いてしまうと、そうは思えなくなる。
(現在は70万円しているが、いままたSeries Vの音を聴いてしまうと、高いとは思わないはず。)

Series Vの音を聴きながら、欲深い私は、
Series Vのロングヴァージョンがもしも登場したら、その音は、いま聴いている音をさらに上廻るであろう、
Series VI(勝手に型番をつけていた)は、いつか出るのか、出るとしたらいったいつになるのか、
そんなことも考えていて、つい長島先生に「ロングアームのSeries Vは……」と言ってしまったことを思い出す。

もう出ないものと思っていた。あれから27年を経て、まさかの登場である。
Series V-12、すぐにでも聴きたい!!

Mark Levinsonというブランドの特異性(40周年のこと)

マークレビンソンが設立されたのは1972年。
ただし、まだLNP2は世の中に顕れていない。
LNP2の前身となるLNP1の登場が1973年。
このLNP1のパネル高を約半分に抑え、コントロールアンプとして手直しが為されたものがLNP2である。

このときのLNP2に搭載されていたのはバウエン製モジュール、
翌74年からマークレビンソン自社製のモジュールへと変更され、
日本ではバウエン製モジュールLNP2をサンプル輸入したシュリロ貿易から、
輸入元がRFエンタープライゼスに変り、本格的な日本での発売が開始になった。

だから日本ではマークレビンソンの登場は1974年ともいえるわけではあっても、
やはり今年はマークレビンソン創立40周年。
マークレビンソンからは40周年記念モデルが発表されている。

こういう40周年記念モデルについては何も語らないけれど、
40周年記念ということで、ひとつ、もしかすると、と期待していたことがあった。
LNP2の復活、もしくはモジュールの新規開発である。

LNP2は最後の生産されたものでも約30年が経過している。
モジュールの内部は固められていて修理は難しい。
故障していなくても劣化は生じる。
代替モジュールがあるのは知っているけれど、心情的にはやはりマークレビンソンから出して欲しい。
昔のモジュールそのままでは使用パーツが現在では入手出来ないものもあるだろうし、
いま40年前のアンプ・モジュールを復刻することに、
マークレビンソンという会社のポリシーとしては抵抗があるはず。

ならばこそ新規にLNP2用のモジュールを開発・製造してほしい、と思う。
モジュールを最新設計のものにしたからといって、LNP2が最新のコントロールアンプになるわけではないけれど、
それでもLNP2という特異なコントロールアンプを、現代に甦らせたい気持がある。

Date: 3月 9th, 2012
Cate: ナロウレンジ

ナロウレンジ考(その8)

周波数特性を拡げていくことは、単純に考えれば情報量が増していくことになるわけだが、
情報量が増していくことによって、本来ならば音楽の微妙な表情や、その変化をより明瞭に鳴らし分けてくれる──、
そのはずにもかかわらず、いま市販されているスピーカーシステムの中には、
しかもそれらのいくつかは世評の高いスピーカーシステムも含まれているにもかかわらず、
例えば比較的新しい録音の、ソプラノ歌手を数人聴かされた時、
誰が歌っているのか、まったく判別がつかなくなるモノがある。

耳馴染んでいる歌手の歌を聴いても、誰なのかがわからない。
わからないだけだったらまだいいのだが、ときには違いすら判然としなくなる。
誇張していえば、似たような声に聞こえてしまうスピーカーシステムがある。

そういうスピーカーシステムは、いわゆるワイドレンジ型で音場型とも呼ばれているスピーカーだったりする。
しかも高価だったりする。

私がそういうスピーカーシステムでソプラノ歌手が誰だかわからなくなってしまうのは、
私の方に原因があるともいえるだろうし、スピーカーシステム側に何か問題点があるともいえるだろうし、
私とそういったスピーカーシステムとの相性が決定的に悪い、ともいえるだろう。

この歳になって、いくつものスピーカーシステムを聴いてきたうえでいえば、
はっきりと誰が歌っているのか容易に聴き分けられるスピーカーシステムが存在しているわけだから、
スピーカーシステム側に問題点がある、はずだ。

それにしても、なぜこういうことになってしまうのか。
高域の周波数レスポンスをよくしていけば、ソプラノ歌手の声の再現性は良くなる、
良くなれば、それだけ声の聴き分けは容易になる。
言葉を変えれば、ソプラノ歌手一人一人の特徴をより精確に描き出してくれるはずなのに、
そういうスピーカーシステムとそうではないスピーカーシステムに分れてしまう。

しかも不思議なことに(というよりも面白いことに)、
良く出来たフルレンジスピーカーを鳴らした時のほうが、
実のところ、ソプラノ歌手の声の聴き分けは容易かったりする。

いうまでもなく周波数特性はフルレンジの方が狭い(高域はあまり伸びていないナロウレンジだ)。

Date: 3月 8th, 2012
Cate: 真空管アンプ

真空管アンプの存在(その81)

マランツのふたつのコントロールアンプ、Model 1とModel 7はモノーラルとステレオという違いだけでなく、
回路自体も異る面をいくつか持つ。

Model 1もModel 7もECC83を片チャンネルあたり3本使っている点は同じだが、
まずフォノイコライザー回路はModel 1は2段構成のNF型で、
つまり1本のECC83でフォノイコライザーは構成されているわけだ。
その後に1段増幅、CR型トーンコントロール、1段増幅、ラウドネスコンペンセーターときて、
1段増幅、ボリュウム(モノーラルだが2連タイプでフォノイコライザーのすぐ後にも入っている)、
最終段のみがカソードフォロアーとなっている。

ECC83(12AX7)は双三極管なので1本に2ユニットはいっていて、
それぞれのユニットをA、Bとすると、
Model 1ではモノーラルということもあり、信号はV1A、V1B、V2A、V2B、V3A、V3Bの順でいく。
カソードフォロアーはV3Bのみである。

Model 7になるとまずフォノイコライザーが2段増幅+カソードフォロアーという、3段構成になっている。
いわゆる3段K-K帰還型である。
トーンコントロールもModel 1のCR型からNF型へとなり、
この部分がラインアンプにあたり最終段はやはりカソードフォロアーである。
Model 1では1箇所だけだったカソードフォロアーがModel 7では2箇所になっているわけだ。
そして、いうまでもなくModel 7はステレオということもあって、信号の流れはModel 1のような順番通りではない。

Model 7では左チャンネルがCHANNEL A、右チャンネルがCHANNEL Bと表記されている。
左チャンネルの信号の流れを回路図で追っていくと、
V2A、V2B、V3A、V5A、V5B、V6Aとなっている。
右チャンネルはV1A、V1B、V3B、V4A、V4B、V6Bである。

まず気がつくのはV3とV6は内部の2ユニットをそれぞれ左右チャンネルに振り分けていることであり、
このV3とV6の2本のECC83がカソードフォロアーに使われている。

Date: 3月 7th, 2012
Cate: 音楽の理解

音楽の理解(その1)

音楽がわかった、とか、音楽を理解した、などとよく言われるけれど、
音楽は聴いて感じるものであって、わかるとか理解するというものでは本来ないはず、
という意見に同意できるものの、
反面、やはりわかった、理解できた、と感じられる瞬間が、
音楽を聴いているときに不意に訪れる、というか、襲われることがある、と確かにいえる。

音楽を理解する、とは一体どういうことを指しているのか、
それはどういうものなのか、ずっと頭から離れることはなかった。
もう30年以上、そうだった。

最近、やっと語れそうな気がしている。
ただ、その「理解」とは、
実のところ、そこから音楽の聴き方が始まるスタート点だと気がついた、といえるのかもしれない。