第38回audio sharing例会のお知らせ
3月のaudio sharing例会は、5日(水曜日)です。
テーマについて、後日書く予定です
時間はこれまでと同じ、夜7時です。
場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
3月のaudio sharing例会は、5日(水曜日)です。
テーマについて、後日書く予定です
時間はこれまでと同じ、夜7時です。
場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
「ぼくは音ではなく音楽を聴いている」、
「オーディオマニアは音楽ではなく音を聴いている」、
「ナマの演奏こそが最上のものであり、録音されたものは……」、
他にもあれこれ、こういったことは書き連ねることはできるけど、
バカらしくなってくるので、このへんでいいだろう。
オーディオマニアならば、それも熱心なオーディオマニアならば、
こういったことを直接いわれたり、暗に云われたりした経験があるかもしれない。
オーディオに凝っている人の中にも、「音ではなく音楽を聴いている」という人はいる。
音を聴く、音楽を聴く、
このふたつの違いは、いったいどういうものなのか。
音ではなく音楽を聴く、ということは果してできることなのか。
「音ではなく音楽を聴く」ということは、いったいどういうことですか、
とその人に訊いてみたくなることはない。
オーディオマニアを侮蔑する表現として、「音楽ではなく音を聴いている」があるわけだが、
どんな人であれ、聴いているのは音、というより、空気の疎密波である。
この空気の疎密波を耳が感知して、脳が音として認識している。
人間の耳とはまったく異る器官をもつ生物がいたとしたら、
空気の疎密波を音ではなく視覚情報として認識することだってあるはず。
「音ではなく音楽を聴いている」と主張する人でも、
つまりオーディオ(録音・再生という系)を、
音楽の副次的なもの、隷属的なものとして受けとっている人でも、空気の疎密波を聴いていることに変りはない。
ルールをもたない、いい歳したオトナがマルチアンプを積極的にすすめる。
マルチアンプにすれば、大幅に音が良くなる、という。
どんなスピーカーシステムであってもマルチアンプで鳴らすことこそが最良の手段でもあるかのようにいう。
いまはマルチアンプにするのも、以前ほど予算を必要としない、ともいう。
だからもっと手軽に手を出しましょう、ともいう。
さらには、いまはデジタル信号処理技術が進歩していて、
アナログ信号処理ではほぼ無理であったパラメータまでコントロールできるようになっている。
そういう機器を併用することで……、ともいう。
マルチアンプにすることで、内蔵ネットワークで鳴らしていたときには変えることが無理だったことも、
簡単に変更・調整できるようになる。
各ユニット間のクロスオーバーに関しても内蔵ネットワークでは変更はまず無理だが、
マルチアンプならばクロスオーバー周波数、遮断特性、その他のパラメータも変えようと思えば変えられる。
デジタル信号処理を行える機器を導入すれば、変更できるパラメータはもっと増える。
そうやって増えていった(増やしていった)パラメータを、そう簡単に自分のものとして調整できるのか。
ご本人は、そういったことの名人でもあるかのように思い込んでいる。
本人だけがそう思い込んでいて、本人の中だけで完結してしまっているのであれば、害はない。
だが、そういう人に限って自己顕示欲が強い。
無責任に、個人サイトやブログでマルチアンプを人にすすめる。
勝手なことを書くならば、実はこういう人こそマルチアンプに手を出すべき人ではない。
2013年のインターナショナルオーディオショウのあるブースで、
パコ・デ・ルシア、アル・ディメオラ、ジョン・マクラフリンによる
“Friday Night in San Francisco”が鳴っていた。
ちょうどそのブースに入いる少し前にかけられていたようで、
一曲目をほぼすべて聴くことが出来た。
ここではCD(もしかするとSACDかも)だったが、
ほかのブースには”Friday Night in San Francisco”のLPが置いてあるのもみかけた。
もう30年以上前のディスクだけど、こうやっていまも鳴らされているのは、それだけでなんとなく嬉しくなる。
このディスクはライヴ録音だから、観客のざわめきや歓声がけっこう収録されている。
そのブースで鳴っていた音は、そういったいわばある種のノイズをきれいに鳴らしていた。
どこかが破綻していたり、おかしな鳴り方をしていたわけではない。
一般的にはよく鳴っている、と評価される音なんだろうなぁ……、などと考えながら聴いていた。
そんなことを考えていたぐらいだから、そこで鳴っていた音に、
“Friday Night in San Francisco”におさめられている音楽に夢中になっていたわけではなかった。
冷静に聴いていただけだった。
そういう音だったからだ。
こういう音では、なぜ観客があれほど昂奮しているのかが、
そこで鳴っている演奏から伝わってこない。
この音を、いい音といっていいのだろうか。
VUメーターに対する感情は、私の場合、かなり変化してきた。
音質を最優先として考えれば、VUメーターはない方がいい。
メーターがついているアンプの中には、メーターのON/OFFスイッチが用意されているモノがある。
そういったアンプで、メーターをOFFにして音を聴いてみれば、
よく調整されているし捨てであればあるほどメーターが動いていることによる音質への影響を聴きとれる。
それに使わないメーターであれば、もともとついていない方が、これまた音質的には有利である。
メーターは視認性を考慮すれば、ある程度の大きさが必要であり、
その大きさのメーターを取り付けるためにはフロントパネルをくりぬかなければならない。
そうすればフロントパネルの強度はその分落ちることになる。
フロントパネルの振動モードもずいぶんと変化しているはずだ。
それにメーターそのものを指ではじいてみると、構造体としての共振が聞き取れる。
この、いわば雑共振も音には影響を与えていく。
電気的にもメーターを取り付けることで、コンストラクションの制約を含めてうけることになる。
メーターには磁石が使われているから、メーターの有無によって磁気的な影響が発生することにもなる。
メーターを動かすには、その分の電気が必要となり、電源にとってはそれだけ負担が増すことになる。
ならば電源トランスからメーター専用を設けて分離すれば解決するのではないか、と思われるかもしれないが、
そうすれば当然トランスの数が増えることになる。
何かが増えるということは、干渉が新たに生じることでもある。
トランスがひとつ増えることによる生じる干渉について考えていけば、
どれだけ配慮したところでメーターを取り付けることによる音質への影響を皆無にできないことがはっきりとする。
メーターがついていれば、それだけで音が悪くなっている。
だからメーター付きのアンプなんぞは要らない──、
そう考え捉えていた時期があった。
突発性感激症──、
これこそが新製品紹介のページの担当者に必要なことではないのか。
そんなことを仕事が終った後の編集部の中での雑談で話しあっていたことがある。
試聴という取材を経てつくられていても、特集記事と新製品紹介の記事とでは、
性格的に違うところがあり、
特集記事の担当編集者に求めることと、
新製品紹介の担当編集者に求められることでは違う面がある。
新製品紹介というお披露目の場の担当編集者は、突発性感激症であったほうが、
読者にとってよりインパクトのある誌面になろう。
どんな新製品が目の前にあらわれようとも、冷静な目と耳によって紹介されてしまっては、
新製品が新製品としてではなく、ほかの記事で紹介されてしまうのとたいして変らなくなってしまう。
突発性感激症という熱がなくては、読み手からしたら、つまらない新製品紹介のページとしか思えなくなる。
ステレオサウンドに限らずオーディオ雑誌には新製品紹介ページが必ずといっていいほどある。
国内・海外の新製品は、まず新製品紹介のページに登場する。
その後に特集記事に出てくることもある。
つまり新製品紹介のページはお披露目のページである。
だからこそ、新製品紹介のページでは、欠点よりも長所を全面的に打ち出す、ということになっている。
少なくとも私がいたころのステレオサウンドの編集方針はそうであったし、
これはいまも大きくは変っていないように感じている。
新製品紹介のページで読者への顔見せがすんだら、次は特集記事への登場である。
特集記事はアンプの総テストだったり、スピーカーの総テストだったりするわけだから、
そこでは新製品紹介の時とは違ってくる。
同じ試聴という言葉であらわされるけれど、
新製品紹介の時の試聴と総テストの試聴とでは、微妙に違ってくるところがある。
総テストでは、すべてのテスト機種を同条件で扱うため、欠点も容赦なく出てくることがある。
一方、新製品紹介の試聴では、少しでもいいお披露目にしたいという気持があるわけだから、
じっくりと聴き込む試聴となる。
そうなると、同じ試聴室で鳴っているにも関わらず、ずいぶんと違う鳴り方をする。
そういう違いが聴こえてくるものである。
現時点で最高のホイールであるならば、
どんなフレームと組み合わせても(価格のバランスさえ無視すれば)ライトウェイトのホイールが、
最良のパフォーマンスをもたらしてくれる──、
どうもそうではないようだ。
私の場合、自転車を趣味といってしまうとオーディオはとっくに趣味の域を超えてしまっているし、
オーディオを趣味といってしまうと、自転車はまだまだ趣味とはいえない──、
そんなレベルで楽しんでいるだけなので、
ホイールを交換した(試した)経験も数回ほどである。
ライトウェイトのホイールには手が届かないし、試したこともない。
最高のホイールなのに、なぜ? となるのは、
フレームとホイールとの間には、相性と呼べる性質の関係があるからだろう。
現時点で最高のホイールということは、
現時点で理想に近い、ともいえるのか。
もしいえるのなら、ライトウェイトのホイールは、現時点で最も理想に近い、ということになるわけだが、
それでもすべてのフレームに対して、ベストなチョイスとはならないから、
ライトウェイトとは自社のホイールのために自らフレームを開発したのだろうか。
このことはオーディオでいえば、
これまでアンプばかりをつくってきたメーカーがスピーカーシステムをつくったことになるのか、
それとも反対にスピーカーメーカーがいきなりアンプをつくってきたことになるのか。
ジャズをおさめたディスクがある。
どんなシステムでかけても、ジャズを一度でもきいたことがある人ならば、
そのディスクにおさめられている演奏が誰のものなのか、そういったことを一切知らなくとも、
そこで鳴っている音楽がジャズということはわかる。
それを「ジャズが鳴っている」といったりするわけだが、
ここでの「ジャズ」とはどういうことを指しているのだろうか。
あるスピーカーからジャズが鳴っている。
音は細部まで明瞭になっているし、音の伸びも申し分ない。
音像定位もしっかりしているし、音場感も充分拡がっている。
奥行きの再現性もなかなかいい。
それに変に音が尾を引かない。音がうまいこと決っていく……。
こんなふうにチェックシートでもつくって、ひとつひとつの項目をチェックしていって、
どの項目も過不足なく鳴ってくれる。
その意味では欠点のない鳴り方であり、なにかケチをつけたくともそれを見つけられない。
そういう音でジャズのディスクが鳴らされた。
ただそれだけで終ってしまった。
ある旧いスピーカーで、ジャズのディスクが鳴らされた。
ナロウレンジの音だ。
誰が聴いてもはっきりと周波数レンジが狭いことはわかる。
ここでもひとつひとつの項目を細かくチェックしていくと、
いくつかの項目では飛び抜けてよくても、他の項目では欠点として目立つこともある。
オーディオ的な意味でケチをつけようと思えば、いくらでもつけられる。
そういうスピーカーで、そういうスピーカーの音で、ジャズのディスクが鳴らされた。
鳴り終ったあとに、聴いていた人同士で話が弾む。
マークレビンソンのLNP2のことを書いていると、どうしてもVUメーターのことについても書きたくなってくる。
いま市販されているアンプで、メーターを備えているモノは、何があるのだろうか。
パワーアンプではマッキントッシュをはじめとして、いくつかあるけれど、
コントロールアンプでメーター付きのモノは、いまや皆無なのかもしれない。
1970年代のアンプには、パワーアンプだけでなく、
プリメインアンプにもメーターがついているモデルがいくつもあった。
そしてコントロールアンプにもメーター付きのモデルがけっこうあったものだ。
LNP2がそうだし、
国産アンプでも、ナカミチのNakamichi610、ダイナベクターのU22とDV3000、サンスイのCA3000、
ソニーのTAE8450とTA2000F、テクニクスのSU-A2、ビクターのJP-V1000、ヤマハのCIなどがあり、
海外アンプではギャラクトロン(イタリアのメーカー)のMK16、クワドエイトのLM6200Rがあった。
メーターがついているのはアンプだけではなかった。
テープデッキにももちろんついていた。
テープデッキにメーターがついていないモノはないはずだ。
まぁメーターといっても、いいメーターとそうでないメーターがあって、
ただ針が振れているとしか思えないひどいメータから、
ただ鋭敏なだけでなく人間の感覚にうまくマッチした動きをするメーターまであった。
形も大半は四角だったけれど、四角であればどれも同じとはいえなかった。
そのメーターがついていてカッコいいと感じさせるメーターもあれば、
ないほうがいいんじゃないか、と思いたくなるメーターもあった。
メーター付きのオーディオ機器を一度も・一台も使ったことのない人は、
当時はいなかったといえるほど、メーターがついているモノが多かった。
五味先生の「オーディオ巡礼」で読める「フランク《ヴァイオリン・ソナタ》」に、
こう書いてあったことを思い出す。
*
勿論、こういう聴き方は余計なことで、むしろ危険だ。第一、当時LPを聴くほどの者が、千円程度の金に困るわけがあるまい。疵が付いたから売ったか、余程金の必要に迫られたにせよ、他の何枚かと纏めて売ったにきまっている。しかし、私には千円にも事欠く男の生活が思いやられた。つまりは私自身の人生を、そこに聴いていることになる。こういう血を通わせた聴き方以外に、どんな音楽の鑑賞仕方があろうか、とその時私は思っていた。最近、復刻盤でティボーとコルトーによる同じフランクのソナタを聴き直した。LPの、フランチェスカッティとカサドジュは名演奏だと思っていたが、ティボーを聴くと、まるで格調の高さが違う。流麗さが違う。フランチェスカッティはティボーに師事したことがあり、高度の技巧と、洗練された抒情性で高く評価されてきたヴァイオリニストだが、芸格に於て、はるかにまだティボーに及ばない、カサドジュも同様だった。他人にだからどの盤を選びますかと問われれば、「そりゃティボーさ」と他所ゆきの顔で答えるだろう。しかし私自身が、二枚のどちらを本当に残すかと訊かれたら、文句なくフランチェスカッティ盤を取る。それがレコードの愛し方というものだろうと思う。忘れもしない、レコード番号=コロムビアML四一七八。——白状するが〝名曲喫茶〟のお嬢さんは美貌だった。彼女の面影はフランチェスカッティ盤に残っている。それへ私の心の傷あとが重なる。二十年前だ。二十年前の、私という無名な文学青年の人生が其処では鳴っているのである。これは、このソナタがフランク六十何歳かの作品であり、親友イザイエの結婚に際し祝いとして贈られた、などということより私にとって大切なものだ。
*
ティボーを新しいアンプ、フランチェスカッティを旧いアンプに置き換えられるのではないだろうか。
「そりゃティボーさ」と他所ゆきの顔で答えるだろう。
──これがオーディオだと、「そりゃ新しいアンプさ」と他所ゆきの顔で答えることが、ないわけではない。
相手によっては、そういうことがある。
でもどちらを本当に残すかとなると、必ずしも新しいアンプであるとは限らない。
五味先生がフランチェスカッティ盤を取られるように、旧いアンプを取ることがある。
それがオーディオの愛し方、とまではいわないまでも、オーディオとのつき合い方というものだと思う。
こういう心情を抜きにして、オーディオを語ったところで、何のおもしろさがあるというのだろうか。
CD登場以前のコントロールアンプのライン入力の感度は、
CDプレーヤーを接続するにあたっては高いか高すぎることがほとんどである。
CDプレーヤーが投称するまでのライン入力といえば、
チューナー、カセットデッキなどだった。
これらの出力レベルは高いもので1Vで、たいていは1Vよりも低い。
0.5V、0.75Vあたりが多く、もっと低い値の機器も珍しくはない。
CDプレーヤーの出力レベルは2Vと定められている。
つまCD以前のラインレベルよりも二倍以上高い値である。
そのためCD以前に開発されているコントロールアンプでは、
CDプレーヤーを接続すると、ボリュウムをほかのライン入力よりも絞らざるを得なくなる。
このことと、当時のCDプレーヤーのライン出力のアンプは貧弱なものが多い、となぜかいわれていた。
そのためもあって、CDが登場してしばらくしたころのコントロールアンプの中には、
他のライン入力よりもCD入力だけ入力インピーダンスを高く設定しているもの、
それからハイカットフィルターを挿入しているものもあった。
CDが定着してからは、こういう仕様のコントロールアンプはなくなっていったが、
ライン入力に関して、つまりはラインアンプの仕様に関しては、
CD以前と以降とでは異っていることも少なくない。
それならばCD以降に開発されたコントロールアンプを使えば、
ゲイン/レベルの問題で頭を悩ませることもないけれど、
オーディオという趣味は、はいそうですか、と、以前のアンプを切り捨てることができないことも多々ある。
旧いアンプにこだわるのは、新しいアンプを買う予算がないからだろう、という人がいるけれど、
必ずしもそうではない。
新しいアンプには新しいアンプの魅力があることは百も承知だ。
それでもなお、憧れ、思い入れという要素を切り捨てられない人もいる。
レベルコントロール機能をもつパワーアンプならば、何の苦労もないが、
JC2のゲインの使いにくさで質問された方のパワーアンプはマイケルソン&オースチンのTVA1で、
レベルコントロール機能はない。
TVA1の入力感度/インピーダンスは、0.75V/100kΩであり、
わずかとはいえ入力感度は高い。
JC2もTVA1にも手を加えることなく、どこかである程度の減衰量を得るには、
TVA1の入力のところでポテンショメーター、もしくは固定抵抗によるアッテネーターを設けるしかない。
パワーアンプの入力端子の直前に小さなシャシーにポテンショメーターをとりつけたモノをつくって設置する。
ポテンショメーターにどのメーカーのモノを使うかによって音は変るし、
同じ品種のポテンショメーターでも抵抗値によっても、音は変化するものだ。
一般的には10kΩのものがよく使われる。
20kΩのものでもいいし、50kΩでもいい。
JC2であれば10kΩのポテンショメーターの使用でも問題はない。
これで信号経路にボリュウムがふたつ存在することになり、それぞれのボリュウムは相互関係にあり、
S/N比に影響してくる。
JC2ではすでに書いているように、左右のレベルコントロールのポジションによって音の表情が変化する。
私は+5dBの音が気に入っていて、でもツマミが斜めになるのがいやで、
+5dBにしていてもツマミだけは上を向くようにしていた。
この部分での音の変化も考慮にいれて、ふたつのボリュウムの、最適の位置関係を見つけたい。
国産アンプの場合、ボリュウムの位置が8時を示しているならば減衰量は60dBくらいある。
すべてのアンプがそうだとはいえないまでも、大半のアンプはこのくらいの減衰量になっている。
マークレビンソンのJC2のボリュウム周りの表示には減衰量のdB表示はなく、目安程度の数時があるだけ。
LNP2には減衰量がdB表示になっていて、8時の位置では、-25dBとなっている。
もう手元にJC2はないからそのへんは確認できないけれど、
LNP2と同じポテンショメーターを使っていたら、
つまりスペクトロール製を使っていたら、8時の位置はLNP2と同じ-25dBと考えられる。
そうなると国産アンプの-60dBとの差は35dB。
同じ8時の位置でもこれだけ減衰量に差があれば、JC2はゲインが高すぎる、と感じてしまう。
入力感度の高いパワーアンプや出力音圧レベルの高いスピーカーを使っていれば、
もっと絞りたいと思っても、-25dBより先はひじょうにクリティカルですぐに絞りきることになってしまう。
これに関しては日本からの指摘があったのだろうか、
ML6もLNP2も後期のモデルでは8時の位置で-40dBのポテンショメーターに変更されている。
では実際にJC2を使う場合、どう対処したらいいのか。
後期のML6、LNP2に採用された仕様のポテンショメーターが入手できれば、交換するという手がいい。
けれどよほどの幸運がなければ、入手は非常に難しい。
それにJC2に手を加えることになり、そのことに抵抗を感じる方もいるから、
別の対処法となると、パワーアンプの入力のところで絞るしかない。
なぜ瀬川先生がバッファーアンプを追加したLNP2の音を、「音質が向上した」と評価されたのか。
それを探るには、ステレオサウンド 52号掲載の「最新セパレートアンプの魅力をたずねて」を読むしかない。
ここにこうある。
*
レビンソンは、最初LNP2とJC2という二種類のプリアンプと、MCヘッドアンプしか発売しなかったから、せっかくのLNP2の透明な音質を生かすために、パワーアンプにはずいぶん迷った。エクスクルーシヴのM4をやや長いあいだ聴いているうちにSAEのMARK2500を聴く機会があった。このパワーアンプは、300W+300Wという大出力ながら、それ以前のアメリカの大出力アンプに共通の、弱音での音のにごりや汚れの感じられない点に好感を持ったが、それよりも、LNP2と組合わせたときに、MARK2500の、どちらかといえば手綱をゆるめた感じの低音、それゆえのふっくらした豊かな鳴り方、が、LNPの、というよりレビンソンの本質的に持っている線のやや細い、いくぶん冷たい音質をうまく補ってくれて、総合的にとても良い組合せだと感じた。MARK2500のごく初期のサンプルを知人がいち早く購入してその音の良さは知ってはいたが、決して安くはないので少々ためらっていたところ、本誌特別増刊のアンプ特集号(昭和51年/1976年)の試聴で、その当時気になっていたいくつかのアンプと比較しても、LNP+SAEの組合せに感じていた好ましい印象は全く変らなくて、少なくともわたくしにとっては最良の組合せに思えたので、MARK2500を購入。この組合せが、永らくわたくしの愛機でもあり比較のときの標準尺度ともなっていた。レビンソンからは、やがてML2Lが発表された。聴けば聴くほど、その音の透明でどこまでも見通しのよい感じの解像力の高さや、ひずみ感の全くない音の品位の高い美しさに惹きつけられた。反面、LNPと組合わせたときに、とうぜんのことながらレビンソンの体質そのものとでもいいたいような、いくぶんやせすぎの、そしてどこか少々強引なところも感じられる音を、果して自家用としたときに永く聴き込んでどうなのか、見きわめがつかないまま、購入を見送っていた。わたくし個人には、やはりSAEと組合わせたときの音の豊かな印象のほうが好ましかったからだ。
昨年の暮に新しいリスニングルームが完成し、音を出しはじめてみると、こんどは残響を長く、部屋の音を豊かにと作ったせいか、SAEの鳴らす低音を、心もちひきしめたくなった。そこで試みにML2Lを借りてきてみると、以前よりは気にならないし、なにしろその解像力の良さはどうしても他のアンプでは及ばない。それでML2L×2も自家用のラインに加えて、ここしばらくは、組合せをときどき変えながら様子をみてきた。
*
私のなかでは、この文章にある、パワーアンプの選択に関することが、
LNP2のバッファーアンプ追加による音の変化と密接に結びついていく。