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Date: 8月 16th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その57)

瀬川先生の「ひろがり溶け合う響きを求めて」は、
単にリスニングルームだけのことに留まらず、さざまなことに関係してくる予感があるだけに、
ここではこれ以上書かない。

いずれ項を改めて欠くつもりだが、
どういうテーマにするのかも含めて、まだ何も決めていない。

ブログを書いていると、こんなふうにして書きたいことが次々に出てくる。
項を改めて……、と保留にしているテーマがもうすでにいくつかもある。

ステレオサウンド 51号の記事については、だから次にうつる。
「#4343研究」である。

副題は「JBL#4343のファイン・チューニング」である。
4343をチューニングするのはオーディオ評論家ではなく、
JBLプロフェッショナル・ディヴィジョンのゲーリー・マルゴリスとブルース・スクローガンのふたり。

1979年4月中旬に、
山水電気主催でJBLのプロフェッショナル・ユーザーを対象としたセミナーが開催され、
講師として、このふたりが来日している。

「JBL#4343のファイン・チューニング」は10ページの記事。

海外メーカーの人は、昔からよく来日している。
その度にステレオサウンドをはじめオーディオ雑誌はインタヴュー記事を掲載する。
けれど、読者が読みたいのは、それら多くのインタヴューの先にあるものである。

51号の、この記事はそういえる初めての記事、
少なくとも私にとっては、ステレオサウンド以外にもオーディオ雑誌を読んでいたけれど、
こういう記事は初めてであった。

自社のスピーカーシステム(4343)をセッティングしていく様には、
ロジックがあるといえよう。
特にレベルコントロールの方法は、まさに目から鱗であった。

この時の4343の音は、心底聴いてみたかった。

ファイン・チューニングという言葉を、
数年前のステレオサウンドも記事のタイトル使っている。
ずいぶん51号とは意味合いが違っている。

Date: 8月 16th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その56)

51号掲載の「ひろがり溶け合う響きを求めて」の二回目は、
IEC(International Electrotechnical Commission)が1977年に各国に配布した
リスニングルーム原案について紹介されている。

この原案の要約が表になっている。
 ①部屋の容積:801(±30)㎥
 ②天井までの高さ:2.75(±0.25)m
 ③寸法比:L:B:H=2.4=1.6=1
 ④残響時間:100Hz 0.4s(Min), 1.0s(Max) 400Hz 0.4s(Min), 0.6s(Max) 4kHz 0.4s(Min), 0.6s(Max) 
       8kHz 0.2s(Min), 0.6s(Max) 
 ⑤スピーカーの背面(半斜面)は吸音性でないこと。
 ⑥スピーカー直前の床面にカーペット等を用いないこと。
 ⑦リスナーの背面は吸音性の材料を含んでもかまわない。
 ⑧天井にはいかなる吸音材を用いてはならない。
 ⑨屋内でのフラッターエコーが感知できないこと。
 ⑩基本的にこの屋内は拡散音場であること。
 ⑪室温:15〜35℃ ただし20℃が好ましく、リスニングテストの際は25℃を限度とする。
 ⑫湿度:45〜75%
 ⑬気圧:860mbar〜1060mbar

瀬川先生は、日本流に直していえば、
やや天井の高い十八畳弱の、残響時間が長めのリスニングルーム、と表現されている。

そして、こう書かれている。
     *
 わたくし自身が(前号にも書いたように)長いあいだ数多くの愛好家のリスニングルームを訪問した体験によって、とても重要だと考えていた条件がひとつある。このことは、ふつう、こんにちの日本ではほとんど誰も取上げていない問題だが、それは表1の⑧の、「天井にはいかなる吸音材も用いないように……」という部分である。これは、新しいリスニングルームを作る計画を立てる以前から、ずっと固持してきたわたくしの考えと全く同じであった。
     *
瀬川先生の連載「ひろがり溶け合う響きを求めて」は、
単にリスニングルームの記事で終っているわけではない。

欧米のオーディオ機器の音とも深く関係してくる。

Date: 8月 16th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その55)

ステレオサウンドを毎号買っている人でも、ベストバイの号だけは買わない人がいる。
43号のベストバイのやり方で、もっと良くしていっていれば、
そんな人は出てこなかったかもしれない。

でも現実には51号のベストバイのやり方は55号にも踏襲されている。
51号のベストバイをどう思ったかについては、
55号の時にまとめて書く。

私は51号と55号のベストバイのやり方に愛想を尽かした人がいた、と思う。
その人たちが、ベストバイの号だけは買わない、になっていたようにも思うのだ。

50号都州の座談会での、
瀬川先生の「熱っぽく読ませるためには……」はどこに行ってしまった。
50号の次がこうであることに、ひどく裏切られた感じがした。

50号のベストバイについて書き始めると止らなくなるから、このへんにしておこう。
では51号は全体としてはつまらなかったか、といえば、そうでもなかった。

50号から始まった瀬川先生の連載の二回目が載っている。
それから「#4343研究」が始まった。
そして見落している人が少なくないようだが、
51号が手元にある人は、ぜひ464ページを見てほしい。

Date: 8月 15th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その54)

ステレオサウンド 51号「評論家の選ぶ’79ベストバイ・コンポーネント」の扉には、
編集部原稿で、次のように書いてある(105ページ)。
     *
 本誌31号(’74年)にはじめた「ベストバイコンポーネント特集」は、35号、43号、47号とつづき、今回で5回目を迎えた。ただし31号は読者投票の結果のみだったので、評論家の選ぶベストバイは、今回で4回目ということになる。
 ベストバイ特集も、回を重ねることによって、おのずと別な視点がでてくる。そのひとつはベストバイに選定された製品の年次的な推移見ることができる点で、今号では本年度のベストバイ製品のリストに過去3回(35号=’75年、43号=’77年、47号=’78年)の実績を提示した。
 また、今回のベストバイ選定は過去3回よりもさらにシビアな選考方法をとったことをご報告しておこう。
 前回までは、評論家の推選が一人であってもベストバイ製品として掲載してきたが、今回からは二人以上の推せんがあった製品のみ取り上げている。さらにその製品について、八人の評論家にそれぞれ3点以内のランクづけをしてもらっている。したがって、満票は24点、最少得票は2点ということになる。
 今回はさらに各ジャンルに価格帯を設けそれぞれの価格帯の中での評価を導入しているのも従来とちがう点である。
     *
前回、前々回よりもシビアな選定方法をとった、とある。
そうかもしれない。
けれど、そのことが誌面に反映されているとは思えなかった。

ベストバイに価格帯を設けたことは新しい試みであるが、
価格帯を設けるということは、どこかで線引きをすることであり、
この線引きが、実に微妙な問題を内包していることは、
この時点(1979年)では気づかなかったが、後に気づく。

それに51号の掲載方法だと、誰がどの製品に票を入れたのかがまったくわからない。
しかも解説は、それまでは票を入れた人がそれぞれ担当していた。

だが51号では、スピーカーシステムとレシーバーは菅野沖彦、アンプは上杉佳郎、チューナーは長島達夫、
アナログプレーヤー関連は柳沢功力、テープデッキは井上卓也が、それぞれを担当して一括しての文章である。

読み手としての私が知りたいことが、ばっさりと削られている。
そう感じて、がっかりしていた。

Date: 8月 15th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その53)

ステレオサウンド 51号の表紙は、アルテックの604-8Hである。
604-8Gまでのマルチセルラホーンから、マンタレーホーンに置き換った。

外観の変更はホーンだけであるが、
全体のイメージはずいぶん違って見える。

マンタレーホーンの604-8Hの方が新しいと感じるといえばそうなのだが、
それまでのマルチセルラホーンと比較すると開口部がフラットということ、
当然ホーン開口部にもスリットがないため、平面的な印象を受ける。

しかもユニットの前面のみで磁気回路を含めた後側が写っていないから、
よけいに平面的と、いまも見えるのは特集の内容も関係してのことである。

51号の特集はベストバイ。
私にとっては43号、47号に次ぐ三回目のベストバイの号である。

51号を手に取って最初のページからめくっていく。
広告をのあとに最初に登場するのは、「続・五味オーディオ巡礼」である。
51号では、H氏(東京)とある。

このときはH氏が誰なのかはわからなかった。
「五味オーディオ教室」にもH氏のことを書かれている。
ヴァイタヴォックスのCN191を鳴らされている人だとは、だから知ってはいた。

そのH氏のリスニングルームに、五味先生が訪ねられている。
わくわくしながら読んだことを、いまも憶えている。
     *
〝諸君、脱帽だ〟
 ショパンを聴いてシューマンが叫んだという言葉を私は思い出していた。
     *
他にもここに書き写したいところはいっぱいあるが、これだけでいいだろう。

五味先生のオートグラフは、タンノイではもう製造されなくなっていた。
輸入元であるティアックのカタログに載っているオートグラフは、
タンノイの承認を得た国産エンクロージュアである。

エンクロージュアはオリジナルに限る。
五味先生の書かれたものを読んできた私にとって、
ヴァイタヴォックスのCN191はオリジナルのエンクロージュアのままの現行製品だった。

CN191を、いつか鳴らしてみたい、と思った日でもあった。

Date: 8月 15th, 2016
Cate: オリジナル, デザイン

コピー技術としてのオーディオ、コピー芸術としてのオーディオ(その6)

別項「2405の力量」でのことが、ここに関係してくる。

スピーカーの接続、アンプのセッティングが終り、どんな音が鳴ってくるか。
毎日触れている自分のシステムではなく、セッティングから始めるこういう音出しでは、
緊張とは違うが、少しどきどきに近いものがある。
あまりにもひどい音が鳴ってきたとしたら、残り時間はそうないわけで、
どうするのかを考え行動しなければならないことも関係してくる。

でもいまのところそんなことはない。
「新月に聴くマーラー」では、確認のために最初に鳴らしたのは、
レイ・ブラウンとデューク・エリントンの”This One’s for Blanton!”から、
一曲目の”Do Nothin’ Till You Hear From Me”である。
出だしのピアノが鳴ってきた。

私の中にある、このディスクのピアノのイメージは、
長島先生が鳴らされていた音である。
同じ音が出てきたとはいわないが、
長島先生が、このディスクで出そうとされていた方向と同じではあった、といえる。

つづいてバド・パウエルの”The Scene Changes: The Amazing Bud Powell (Vol. 5)”から、
“Cleopatra’s Dream”を、さらにボリュウムを上げて鳴らした。

扉はもちろん閉めていたけれど、隣の喫茶室にも音は漏れていた。
しばらくしたら店主の福地さんが扉を開けてきいてきた。
「これ、バド・パウエルの演奏とは違いますよね」

きかれた私は、ちょっと考え込んだ。
何をきかれているのかがつかめなかったからだ。

誰が聴いても、バド・パウエルの演奏だから、
ジャズの熱心な聴き手でない私が、仮に喫茶室にいたとしても、
漏れ聴こえてくる音で、バド・パウエルとわかる。

彼がそう訊いてきたのは、バド・パウエルのディスクとは思えない音で鳴ってきたから、だった。
誰か、いまのジャズの演奏者が、バド・パウエルそっくりに演奏して、
それを最新録音で捉えたものだと思った、という。

Date: 8月 15th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その52)

ステレオサウンド 50号の表紙はマッキントッシュのMC275だ。
50号は1979年春号だから、この時点でMC275は製造中止のモデルである。

それまでのステレオサウンドの表紙は、現行製品が飾ってきた。
製造中止になったMC275なのは、やはり50号だからと、
特集の内容からいっても、納得できる。

50号の巻末にはステレオサウンド創刊号から49号まで総目次がついている。
さらに49号までのテストリポート掲載機種総索引もついている。

この巻末附録は、読みはじめて三年に満たない読み手にとってはありがたいものだった。
それまでのステレオサウンドがどういう特集を組んできたのか、
どういう連載を続けてきたのか、
どういう書き手がいたのかがわかる。

50号という区切りにぴったりの附録といえた。

それにしても私が読みはじめる前のステレオサウンドに書いていた人が、
そのころになるともう書かれていないことにも気づく。
古いステレオサウンドを読むことができなかったから、
どういう理由でそのころの書き手に絞られていったのかはわからなかった。

50号で熱心に読んだ記事(といってもいいのだろうか)のひとつである。
50号には、平面バッフルの記事もあった。
1190mm×1190mmの、さほど大きくないサイズの平面バッフルの記事である。
平面バッフルは大きい方がいいのはわかっていても、
目の前にあって圧迫感のないサイズといといえば、このくらいであろう。

それでどの程度の低音が出せるのか。
そのことにある程度答えてくれる記事であった。

そして50号では瀬川先生の連載が始まった。
「ひろがり溶け合う響きを求めて」である。
副題として「私とリスニングルーム」とあることからわかるように、
瀬川先生が世田谷にリスニングルームを建てられる記事である。

最初の見出しは、こうだった。
「発端── 生来の衝動買いでリスニングルームを」

50号を、私は熱っぽく読んでいた。

Date: 8月 15th, 2016
Cate: 五味康祐

近頃思うこと(続・五味康祐氏のこと)

自分の一生の終わりを初めと結びつけることのできる人は最も幸福である。
(ゲーテ格言集より)

これだけだから、ゲーテのいうところの一生の初めが、どこなのか定かではないが、
五味先生の
《人間の行為は──その死にざまは、当人一代をどう生きたかではなく、父母、さらには祖父母あたりにさかのぼってはじめて、理由の明らめられるものではあるまいか。それが歴史というものではないか、そんなふうに近頃思えてならない》
と、ゲーテも同じに捉えていたようにも思えてくる。

そうおもえてくるだけなのだが……

Date: 8月 15th, 2016
Cate: トランス

トランスから見るオーディオ(その27)

アンプは増幅器と呼ばれている。
この「増幅」という言葉が、アンプが不平衡でも成り立つことの理解を阻んでいた。
あくまでも私の場合ではあるが。

増幅ということは、入力された信号が大きくなっていくことだと、まず思った。
増幅の原理がわからなくとも、無線と実験やラジオ技術に載っている回路図を見ては、
入力信号が出力されるまで、回路をどう経由していくのかはわかる。

初段のトランジスター(FET)でまず増幅される。
二段目でも増幅される。
いかにも入力信号が初段でまず大きくなり(増幅され)、
二段目でも大きくなるように理解してしまった。

初段の増幅率が10倍、二段目も10倍だとすれば、
この回路の増幅率は10×10で100倍である。
ということは出力信号の1%は入力信号である──、
でもこれは間違っている。

増幅とは、入力信号に応じて直流を変調していることに気づく必要があった。

Date: 8月 14th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その51)

読みはじめた41号からのことを順を追って書いている。
50号まで来た。
こうやって書いていると、三つ子の魂百まで、を感じる。

本来の意味とは外れてくるのはわかっているが、
私にとってのステレオサウンドの最初の三年は41号から52号までとなる。
この三年間の12冊と年末に出ていた「コンポーネントステレオの世界」、
それ以外の別冊(こちらはそうそう買えなかった)によって、
私にとっての「ステレオサウンド」は形成されていて、
それが「三つ子の魂百まで」的になっていることを、この項を書きながら確認している。

私が現在のステレオサウンドに否定的なことを書いているのを面白く思っていない人はいる。
中には、トンチンカンなことを書いていると思っている人もいても不思議ではない。

そういう人にとっての最初のステレオサウンドは何号だったのだろうか。
「三つ子の魂」にあたる読み始めからの三年間は、どの時期なのだろうか。

Date: 8月 14th, 2016
Cate: ワイドレンジ

JBL 2405の力量(その4)

2405の位置調整に使ったCDは、
ピエール=ローラン・エマールの“African Rhythms”で、
このディスクの二曲目、スティーヴ・ライヒの“Clapping Music”を鳴らした。

手拍子のみ、プリミティヴな曲である。
マーラーを鳴らすための、
いいかえればオーケストラを鳴らすためのスピーカーのトゥイーターの位置を、
正反対といえる手拍子だけの曲で決めた。

2405の位置を横にスライドしていくと、手拍子の音がよく変る。
こんなにも変るの……、と少し驚くほどに、手拍子の音、
つまりは叩いている手の状態が変化していく。
ペシャとした手拍子になる。
なるほど手拍子とは、こういう気持ちのいい鳴りをするものかと思えるふうにも変化する。

2405の位置調整には、どのディスクを使うのかは考えていなかった。
開始時間の19時までのあいだ、スピーカーの鳴りを少しでもよくしたいと思って、
あれこれ鳴らしていた(マーラー以外の曲ばかり)。

その過程で、この曲ならばよくわかるのでは、と思ったのが“Clapping Music”だったわけだ。

Date: 8月 14th, 2016
Cate: 型番

JBLの型番(4343・続なかばこじつけ)

さきほどの「JBLの型番(4343・なかばこじつけ)」に、facebookでコメントがあった。

「示唆(43)に富む話」とあった。
この発想はなかった。

いままで43を予算と読めるな、とは思っていた。
4300シリーズは、つまり予算シリーズであり、末尾二桁の数字が大きくなるほどに予算も必要となる。
4343は予算予算となるわけだ。

でも43を示唆ととらえることで、スタジオモニターにふさわしい数字とも思えてくる。
さらに43(しさ)には、視差もある。

視差とは辞書には、カメラのファインダーの像とフィルム上に得られる像との差異、とある。
スタジオモニターとは何かを考えるうえで、
視差(オーディオでは聴差というべきか)の存在を示唆してくれる。

Date: 8月 14th, 2016
Cate: 型番

JBLの型番(4343・なかばこじつけ)

JBLのスタジオモニターで、中高域にホーン型ユニットを搭載したモデル(4300シリーズ)は、
型番に法則があった(いまは完全に崩れてしまっている)と思っている。

4320の2はユニットの数だと思う。
4320は2ウェイで、ユニットの数は2つ。

4350は4ウェイで、ダブルウーファーだからユニットの数は5つだから、下二桁目が5になる。
4340、4341、4343なども4ウェイだが、シングルウーファーでユニット数は4だから、
40、41、43となっている。

4331、4333は2ウェイと3ウェイだが、
同時期に発売され2405を後付けすることで43331は4333にすることができるため、
下二桁目は3となっている。

型番的に捉えれば、4331にトゥイーターをつけ加えたのが4333ではなく、
4333からトゥイーターを取り除いたのが4331ということになる。

4320にも2405を後付けできるようにバッフルに加工がなされている。
けれど4320はもともと2ウェイのスピーカーシステムであり、
同じ2ウェイであっても4331と、この点がはっきりと違う。

井上先生がステレオサウンド 62号に書かれているが、
4320に2405を追加してうまくいったのは、
例外なく小容量のコンデンサーを直列に挿入した場合だった、と。

こういう法則があったから、4365が登場したときは少々ビックリした。
どういう構成のスピーカーシステムなのか、と想像した。
型番からいえば6ユニットということになる。

ダブルウーファーなのだろう。
4ウェイだとしても、あとのどの帯域をダブルにしたのか。
そんなことを想像しながら、詳細を見たら3ウェイでがっかりしたことを思いだす。

ところで今年は2016年。
4343は1976年に登場している。
今年は4343登場40年目にあたる。

ということは下二桁目の「4」は、ユニット数だけでなく40周年の「4」という意味も、
今年にかぎり持つことになる。

そして4+3=7である。
今年はJBL創立70周年にあたる。

このへんからは、なかばこじつけである。

さらに4+3+4+3=14で、14を1と4に分けて1+4=5となる。
4343が登場した1976も、1+9+7+6=23となり、23は2+3=5。
どちらも5になる。

Date: 8月 14th, 2016
Cate: 型番

型番について(続・三つの数字の法則)

一週間ほど前に、JBLのD130、ガラードの301、デンオンのDL103など、
型番に1と3と0がつくモデルについて書いた。

facebookにコメントがあった。
SAECのトーンアームの型番についてのものだった。
SAECのトーンアームの大半は三桁の数字がついている。
WE308、WE407、WE506のようにだ。

この三桁の数字に意味があるとはいままで思っていなかった。

WE308 3+8=11
WE506 5+6=11
WE407 4+7=11
WE317 3+1+7=11

三桁の数字の合計はすべて11になる。
別の方のコメントによれば、11は「いい」の当て字とのこと。
つまり「いいトーンアーム」ということで、数字の合計が11になるように型番がつけられている。

WEは、おそらくSAEC独自の構造のダブルナイフエッジを表しているのだろう。
double knife edgeそのままだとDKEとなってしまうが、doubleをWにして、
ダブルエッジにしてしまえばWEとなる。

WEは、Western Electric(ウェスターンエレクトリック)にしか見えない人もいるだろうけど。
私もそのひとり。

Date: 8月 14th, 2016
Cate: 型番

JBLの型番(4343)

4343の前身は、4341(4340)である。
4341の改良モデルといえるわけなのだが、なぜ4343なのか。

4320がその前にあった。2ウェイのスタジオモニターである。
4320の改良型は4325である。
これに倣えば、4341(4340)の改良モデルは4345となろう。

けれど4343である。
4342でもない。

末尾の「3」は、JBL創立30周年をあらわしているのだろう。