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Date: 11月 9th, 2016
Cate: 瀬川冬樹

AXIOM 80について書いておきたい(その3)

AXIOM 80への思い入れ、それをまったく排除してひとつのユニットとして眺めてみれば、
エッジレスを実現するために、フレームがいわば同軸といえるかっこうになっている。

メインフレームから三本のアームが伸び、サブフレームを支えている。
このサブフレームからはベークライトのカンチレバーが外周を向って伸び、
メインコーンの外周三点を支持している。
ダンパーもカンチレバー方式である。

これら独自の構造により、軽量コーンでありながらf0は20Hzと低い。
この構造がAXIOM 80の特徴づけているわけだが、
聴感上のS/N比的にみれば、サブフレームに関してはなんからの対策をとりたくなる。

もっとも通常のコーン紙外周のエッジは、面積的には無視できないもので、
振動板とは別の音を発しているわけで、
エッジレス構造は、この部分の不要輻射による聴感上のS/N比の低下を抑えている。

けれどサブレームとそれをささえるアーム、そしてカンチレバー。
面積的にはけっこうある──。
エッジとはまた別の聴感上のS/N比の低下がある。

AXIOM 80に思い入れがいっさいなければ、この部分の影響に目が行くだろう。
けれど、いまどきAXIOM 80について書いている者にとっては、
そんなことはどうでもいい、となる。

聴感上のS/N比の重要性について言ったり書いているしていることと矛盾している、
そう思われてもかまわない。

Date: 11月 9th, 2016
Cate: ショウ雑感

2016年ショウ雑感(その21)

これまでも各ブース間で機器の貸し借りは行われていたけれど、
今年は例年以上に、貸し借りが多かったように感じた。
私だけでなく友人もそう感じていたとのことだった。

これはいいことだ。
もっともっとも積極的に行ってほしい。

昨年のインターナショナルオーディオショウのタイムロードのブースで鳴っていたのは、
TADのスピーカーシステムだった。
アンプはタイムロードが輸入しているCHORD。

TADらしからぬ音で鳴っていたと、まず感じた。
その後でTADでブースに行くと、当然のことながら同じスピーカーが、
TADのシステムで鳴っている。

こんなにも印象が違ってくるのか……、
そんな当り前すぎることを感じていた。

TADのブースで鳴っていた音が、TADが目指している方向の音のはず。
どちらがいい音とかではなく、私にはタイムロードでの鳴り方が好ましかった。

今年はタイムロードのブースにはTADではなくB&Wだった。
今年はTADとタイムロードのブースの比較はできないのかと思いながら、
TADのブースに行くと、昨年とは違う鳴り方だったことに、まず気づく。

スピーカーも今年の新製品だから、音は違って当然なのだが、
そういう製品の違いというよりも、鳴らし方そのものが大きく変っている──、
そんな感じの違いを受けた。

昨年タイムロードのブースで感じた好ましさに近いものが、
今年のTADのブースでは感じられた。

Date: 11月 8th, 2016
Cate: イコライザー

私的イコライザー考(妄想篇・その15)

BOSE・901が前面ユニット1に対して後面ユニット8なのは、
直接音と間接音の比率が1:8になるようにと説明されてきた。

この比率は、音圧なのだと最初に思った。
実際そうなのだろう。
けれど、901というスピーカーをいま一度捉え直してみていくと、
音圧だけの比率なのだろうか、とも思うようになってきた。

1:8という比率は、ユニットの数でもあり、
振動板の面積の比率でもある。

たとえば前面ユニット1、後面ユニット4にして、
後面ユニットにいくパワーを大きくすることで、
音圧的には1:8にすることもできる。

ユニットのリニアリティが優秀であれば、
もしくはリニアリティがいい範囲を使うかぎりにおいては、
前面ユニット1、後面ユニット8と、少なくとも同じ効果が得られるはずなのだが、
実際にはどうなのだろうか。

これは自分で実験していくしかないのだが、
音圧だけでなく振動板の総面積の比率を、無視できなくなる結果になる予感がある。

よく「世の中に登場するのが早かった……」という言い方がされる。
オーディオではスピーカーに、それが使われることが多い。

この表現をみかけると、ほんとうにそうだろうか、と思うことの方が多い。
たとえばQUADのESL。
このスピーカーも、登場するのが早かった、といわれがちなスピーカーであるが、
ESLは周辺機器の性能向上につれて、その能力を発揮するようになっていた。

つまりその時代まで製造中止されることなく生き残ってきたモデルである。
そうなる前に消えてしまったスピーカーは、ほんとうに「世の中に登場するのが早すぎた」といえるのか。

Date: 11月 8th, 2016
Cate: 「オーディオ」考

額縁の存在と選択(その5)

私にとってLS3/5Aの鳴らし方は、
何度も書いているように一辺が1m程度の正三角形の頂点に、
ふたつのLS3/5Aと自分の耳を置くというセッティングを前提としている。

アナログディスクでの低域の揺すられがCDではなくなり、
かなり安定した再生が楽に可能になるとともに、
アナログディスク再生よりもCD再生のほうが音量面でも有利になっている。

アナログディスクをメインにするのであれば、
LS3/5Aに出力トランスというバンドパスフィルターをかかえる真空管アンプのほうが、
低域の安定性に関しては有利といえる。

最近ではLS3/5Aも左右の間隔を、
通常のスピーカーのように広くとって聴く人(聴かれること)も多いようである。

そうやって聴くLS3/5Aが提示する音のイメージと、
至近距離でひっそりとした音量で聴くLS3/5Aが提示する音のイメージは、
少なくとも私の中ではずいぶんと違ってくる。

ここで書くLS3/5Aの音は、瀬川先生が小人のオーケストラが現出した、と感じられる鳴らし方である。
至近距離で、音量も小さい。
そこにおける音場と、
大型スピーカーを、左右の間隔を大きくとり、
音両面での制約もなしに鳴らしたときの音場とも、同じには語れない。

しつこいくらいくり返しているが、
あくまでもそういう鳴らし方をした時のLS3/5Aのことを、
Pokémon GOのAR機能をONにしてやっていて、
この感覚、決して新しいものではない、
ずっと以前に体験したことがある──、と思い出したのだ。

そして小人のオーケストラを聴いていると錯覚しているときに、
額縁はどうだったのだろうか、と考えた。

Date: 11月 7th, 2016
Cate: イコライザー

私的イコライザー考(妄想篇・その14)

BOSEの901に関しての妄想はまだある。

レオ・L・ベラネクの「音楽と音響と建築」には、こうある。
     *
聴くことによくならされた人──たとえば眼意外の感覚によって自分のまわりの環境についてすべての手掛りを得る盲目の人は、直接音と最初の反響音との時間の長さによって部屋の寸法を測ったり、自分の後の壁までの距離を判断し得る。部屋の寸法を判定する盲目の聴き手の能力は、1795年に書かれたE. ダーウィン著のズーノミア(第2巻、487ページ)に次のように記述されている。盲目の故フィールディング判事が、初めて私の家を訪れたとき、私の部屋に歩み入り、二言三言話した後、「この部屋は奥行き約6.7m、幅5.5m、高さ3.7mありますね」と言ったが、これらはすべて耳でもって大変正確に推定されたものである。聴くことによってホールの寸法を判定するこの能力は盲人に限られていない。
 経験の深い音楽の聴き手は、その中で演奏される音楽の音によってつまり初期到達音の時間遅れの大きさで、ホールの大体の大きさを感じ取ることができるだろう。
     *
どこまで正確なのかは人によっても訓練によっても違ってくるだろうが、
反響音によって、いまいる空間の大きさはある程度は把握できる。

ならばBOSEの901のような構成のスピーカーシステムであれば、
後面のユニットから放射される音に在る一定の時間遅れを生じさせれば──と思ってしまう。

正面のユニットの音の一部も壁に反射して耳に入ってくるわけで、
ことはそう簡単にうまくいかないかもしれないが、
スピーカーの設置、ディレイのかけ方、正面と後面のレベル差、イコライゼーションなど、
複数のパラメーターをうまく調整することで、意外な効果が得られる可能性はあると思う。

901の前身といえる、BOSE最初のモデル2201が登場したが1966年。
ちょうど50年前。901は1968年に最初のモデルが登場している。
2018年で50年になるのだが、残念なことに日本では901の輸入は終ってしまっていたし、
アメリカでもその後に製造中止になっている(ようだ)。

BOSEの901はきわもののスピーカーではない。
私は幸運にも、ステレオサウンド試聴室で井上先生が鳴らされる901の音を何度も聴いている。
この経験がなかったから、901に対して間違った印象を抱えたままだったかもしれない。

それまでも、901という形態のもつ可能性には、それほど気づいていなかった。
ここ数年、901というスピーカーのおもしろさに目覚めた、といってもいい。

Date: 11月 7th, 2016
Cate: 瀬川冬樹

AXIOM 80について書いておきたい(その2)

50号の次にAXIOM 80がステレオサウンドに登場したのは、
1981年夏の別冊「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」だった。

セパレートアンプの別冊に、スピーカーユニットのAXIOM 80が、
それも大きな扱いの写真が載っている。

巻頭の瀬川先生の「いま、いい音のアンプがほしい」の中に、
AXIOM 80がある。

その理由はステレオサウンド 62号に載っている。
「音を描く詩人の死 故・瀬川冬樹氏を偲ぶ」に載っている。
     *
 この前のカラー見開きページに瀬川先生の1972(昭和47)年ごろのリスニングルームの写真がのっている。それを注意ぶかく見られた読者は、JBLのウーファーをおさめた2つのエンクロージュアのあいだに積んである段ボール箱が、アキシオム80のものであることに気づかれただろう。『ステレオサウンド』の創刊号で瀬川先生はこう書かれている。
〝そして現在、わたしのAXIOM80はもとの段ボール箱にしまい込まれ、しばらく陽の目をみていない。けれどこのスピーカーこそわたしが最も惚れた、いや、いまでも惚れ続けたスピーカーのひとつである。いま身辺に余裕ができたら、もう一度、エンクロージュアとアンプにモノーラル時代の体験を生かして、再びあの頃の音を再現したいと考えてもいる。〟
 そして昨年の春に書かれた、あの先生のエッセイでも、こう書かれているのだ。〝ディテールのどこまでも明晰に聴こえることの快さを教えてくれたアンプがJBLであれば、スピーカーは私にとってイギリス・グッドマンのアキシオム80だったかもしれない。
 そして、これは非常に大切なことだがその両者とも、ディテールをここまで繊細に再現しておきながら、全体の構築が確かであった。それだからこそ、細かな音のどこまでも鮮明に聴こえることが快かったのだと思う。細かな音を鳴らす、というだけのことであれば、これら以外にも、そしてこれら以前にも、さまざまなオーディオ機器はあった。けれど、全景を確かに形造っておいた上で、その中にどこまでも細やかさを追及してゆく、という鳴らし方をするオーディオパーツは、決して多くはない。そして、そういう形でディテールの再現される快さを一旦体験してしまうと、もう後に戻る気持にはなれないものである。〟
 現実のアキシオム80の音を先生は約20年間、聴いておられなかったはずである。すくなくとも、ご自分のアキシオム80については……。
 それでも、その原稿をいただいた時点で先生は8個のアキシオム80を大切に持っておられた。
 これは、アンブの特集だった。先生も、すくなくとも文章のうえでは、JBLのアンプのことを述べられるにあたって引きあいにだされるだけ、というかたちで、アキシオム80に触れられただけだった。
 でも……いまでも説明できないような気持につきうごかされて、編集担当者のMは、そのアキシオム80の写真を撮って大きくのせたい、と思った。
 カメラの前にセットされたアキシオム80は、この20年間鳴らされたことのないスピーカーだった。
〈先生は、どんなにか、これを鳴らしてみたいのだろうな〉と思いながら見たせいか、アキシオム80も〈鳴らしてください、ふたたびあのときのように……〉と、瀬川先生に呼びかけているように見えた。
     *
62号にもAXIOM 80の同じ写真が載っている。
62号を読んで、あのAXIOM 80が瀬川先生のモノだったことを知る。

Date: 11月 6th, 2016
Cate: デザイン
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オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(ヤマハのA1・その6)

ヤマハのA1が新鮮に映ったのは、ヒンジドパネルの採用にある。
1970年代後半からアンプにヒンジドパネルを採用するモデルは増えていったが、
A1登場以前は、プリメインアンプで採用しているモノはなかった、と記憶している。

セパレートアンプにはいくつかあった。
けれどヤマハのセパレートアンプCI、C2、BI、B2は採用していなかった。
ヤマハのオーディオ機器でヒンジドパネルを使ったデザインのモノは、
チューナーのCT7000だけだった。

CT7000は当時220,000円するチューナーだった。
A1は最高クラスのプリメインアンプではなかった。
けれどヤマハは、ヒンジドパネルを採用している。

CT7000とA1のヒンジドパネルは、同じではない。
CT7000では一枚のフロントパネルの一部がヒンジドパネルになっている。
A1のフロントパネルは三分割されたようにデザインされていて、
そのうちの一枚全体がヒンジドパネルとなっている。

こういうヒンジドパネルは、それまでなかったはずだ。
そこにA1のデザインの大胆さを感じたのかもしれないし、それが新鮮と映ったようである。

その時思ったのは、ヤマハはCA2000のデザインに、なぜヒンジドパネルを採用しなかったのか。
CA1000IIIとCA2000のデザインは同じといえる。
パッと見で、CA1000IIIとCA2000のデザインの区別はつかない。

CA2000にはヒンジドパネル採用のデザイン案があったのではないだろうか。
もしくはCA2000の上級機としてのCA3000というモデルが構想されていて、
そこでヒンジドパネルを採用したのだろうか。

とにかくA1には軽い昂奮をおぼえていた。
けれど実機のA1をオーディオ店で見た時には、すこしがっかりした。
広告の写真で見て感じた精度感が、そこになかったからだ。

特に三つの正方形のプッシュボタンがそう感じさせた。

Date: 11月 6th, 2016
Cate: アクセサリー

オーディオ・アクセサリーで引く補助線(その2)

シェルリード線の交換による音の変化を体験して考えたことがある。
シェルリード線を、別のところに移動したら、音の変化はどうなるのか。
例えばトーンアームの出力ケーブルの端の数cm分だけ、他の線材に換えたらどうなるのか。

もちろん音は変るのだが、その変化量は同じなのか変化するのか。
スピーカーケーブルの先でもいい、その部分数cmだけ別の線材にする。
もっともスピーカーケーブルの場合、なんらかの末端処理をすれば、
そこに数cm程度の別の素材が加わることになる。

これによる音の変化は確かにあるが、
同じ数cmであっても、シェルリード線ほどの音の変化はない。

シェルリード線とスピーカーケーブルとでは、
そこを通る信号レベルが大きく違うことも、音の変化の違いに関係しているだろうから、
トーンアームの出力ケーブルで試してみたら……、と当時考えた。

考えただけで面倒なこともあって試してみなかった。
シェルリード線とトーンアームの出力ケーブルでは、
カートリッジからの出力信号が流れている点では同じだ。

そこにおいてケーブルの順番を変えてみると、音の変化量は変化するのか。
やってないのだから推測でしかないが、
おそらく結果は違ってくるはずだ。

Date: 11月 6th, 2016
Cate: アクセサリー

オーディオ・アクセサリーで引く補助線(その1)

少し前にアクセサリーのことを補助線に例えた。
アクセサリーに限らず、音を変えていく行為は、補助線を引く行為だと考えている。

それでもケーブル以外のオーディオ・アクセサリーは、
音を出す上で必要なモノとはいえない。
インシュレーター、フィルターなどなど、
それがなくとも音は出る、というアクセサリーがいくつもある。

それらを購入して、という行為は、
たとえばカートリッジを交換したりする行為とは違う補助線を引くことではないだろうか。

補助線は的確でなければ意味はない、といえるが、
最初からそういう補助線が引けるわけではない。
まぐれで引けることもあろうが、まずは引くことである。
頭の中だけで考えていても始まらない。

とにかく音を変えることをして、補助線を引いていく。
無駄な補助線だったと気づくのは、引くからである。

私もこれまでにさまざまなアクセサリーを使ってきた。
最初に買ったアクセサリーは、シェルリード線である。
理由は、安かったからだ。

ヘッドシェル内のリード線は短い。
シェルリード線以降のケーブル、
トーンアーム・パイプ内の配線、トーンアームの出力ケーブル、
カートリッジがMC型であれば、昇圧トランスを使う。
トランスの内部は巻線だから、これもケーブルである。
その出力ケーブルがあってアンプにたどりつく。
アンプからスピーカーシステムの端子までもいくつものケーブルを通る。

スピーカーの内部にも配線材があり、ネットワークのコイルがあり、
ユニット内部にもコイルがあるわけで、そのトータルの長さからすれば、
シェルリード線の数cmという長さは、無視できる長さのようにも思える。

にも関わらず実際に交換してみると、驚くほど音は変る。
ツボとでもいおうか、あるいはウィークポイントでもいおうか。
かかる費用からすれば、大きな効果といえる。

Date: 11月 6th, 2016
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その9)

話が少し前後してしまうが、

瀬川先生の「オーディオの系譜」に「私の最初のLPプレイヤー」が収められている。
     *
 このプレイヤーと前後して、2A3PPのアンプを作った。2A3は新しい真空管ではなかったが、回路をアレンジして、その頃はまだ進歩的であったNFを適度にかけ、加えて、これも新しい回路のトーンコントロールをつけた。スピーカーは三菱ダイヤトーンのP100Fという一〇インチ(二五センチ)径のフルレンジ型。これが密閉型のエンクロージャーに入っていた。アンプの回路に多少の工夫をしたつもりだったので、これを雑誌『ラジオ技術』の読者の投稿欄(「マイセット」というタイトルがついていた)に投稿してみた。すると折り返し編集部の金井稔という署名で、アンプを見にゆきたい、と葉書が来た。秋のある日、金井氏と、皆川さんという白髪のカメラマンとが、私のあばら家を訪れて、アンプを見、写真に撮ったあとで、これは「マイセット」欄ではなく、ひとつ格が上の「読者の研究」欄に載せるから、原稿を書き直してくれ、といわれた。まだ一六歳で世間知らずだった私はすっかり有頂天になって、かなり調子の高い原稿を送った。けれどその原稿は、全面的に金井氏の手で書き直されて、ともかく私のアンプは写真とともに活字になった。これが、オーディオでものを書くきっかけを作ってくれたわけで、以後、私は『ラジオ技術』の執筆者として待遇され、それが縁になってのちにこの雑誌の編集者として入社することになるが、その話はここでやめにする。
     *
1951年のある日の出来事である。
その日のことをラジオ技術の金井稔氏が、書かれている。
ラジオ技術1982年1月号掲載の追悼文で。
     *
 1人の詰襟学生服の高校生が、ラ技の受付に立っていた。「こんな実体図を画いてみたのですが……。」
 当時、この種の読者は少なくなかったのだが、見ると2A3PPのシャシ裏実体図がきちんとスミ入れされてて画かれている。丸ペン、カラス口の引き方もよい。何よりも自分で作ったパワー・アンプの実体厨だから表現手法が気がきいている。これが大村君とのわがラ技編集部での初対面であった。
     *
金井稔氏の興味を惹いた実体配線図がなかったならば、
瀬川先生(大村少年)がラジオ技術編集部で働くことはなかったかもしれない。

Date: 11月 6th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その89)

瀬川先生の原稿は、続いている。
黄金の組合せについて、触れられている。
ここまでで約5000字ほどある。

そして録音の変遷について触れられている後半といえる文章(約6000字)がある。
     *
 ここで少し、クラシック以外の音楽の録音について補足しておく必要がある。アメリカでは、かつて50年代に全盛を迎えたモダン・ジャズが、1960年、オーネット・コールマンらの登場によって前衛ジャズになり、いっときは混迷期に入り、やがてクロスオーヴァー、フュージョンという形でこんにちにいたる。また、プレスリーの登場でロックンロールが、またイギリスでのビートルズに刺激を受けて新しく誕生したポップ・ミュージックのグループが、さまざまに分裂し展開してゆくプロセスで、演奏される楽器は、その大半が電気楽器、電子楽器に置き換えられ、エレクトリック・サウンドがこんにちのポップ・ミュージックのひとつの核を形成している。シンセサイザーの性能もますます複雑化してゆく。
 ビートルズ、及びそれ以後のロックやポップのグループ・サウンズの、初期のステレオ録音を聴いてみると、明らかに、アクオンエンジニアの戸惑いが聴きとれる。ピアノ、ウッドベース、それに各種金管やギターあたりまでの、在来の楽器の録音で腕をみがいた技術者も、エレキベースをはじめとして、ドラムスもキーボードも、すべてスピーカーから相当の音量で再生される電気・電子楽器を、マイクロホンでどうとらえるか、については、ずいぶん頭を悩ませたらしい。電気・電子楽器は、スピーカーから出る音自体がナチュラルな楽器よりもはるかに音量が大きく、しかもすでに歪んでいたりする。そういう音を、マイクロホンで拾ってテープに録音してみると、音の歪はいっそう強調される。とくに低音楽器の音量が大きい。それが、トランジスター化された初期の録音機材では、録音系のダイナミックレインジで頭打ちになって、音がつぶれて、よごれて、実にきたない音になる。そうした音が、どうやらそれらしく録音されるようになってきたのもまた、70年代に入ってからのことで、ことに最近は完全に新しい録音技術が定着して、素晴らしく聴きごたえのする録音が続出している。ロックのレコードを、オーディオ機器の音質判定のプログラムソースに使うなどということは、60年代には考えられなかった。かつては音の悪いレコードの代表だったのだから。
 いまアメリカでは、アメリカン・ポップスの新しい流れ、たとえばデイヴ・グルーシンなどに代表される新しい曲が、シェフィールドなどの手で作られると、これはもう、クラシックのレコードでは全く想像のつかない音の世界だという気がする。パーカッションのダイナミックレインジの伸びのすごさ。そして、かつてのようにデッドなスタジオで演奏者を分離してマルチトラック録音した時代とは逆に、ライヴなスタジオで、十分に溶け合う音で演奏され、録音される。つまり音楽が生きている。レコードの音は、クラシックもポップスも、ほんとうに自然な姿を表現できるようになりはじめた。歌謡曲、艶歌、あるいはニューミュージックの分野でも、それを聴く人たちが良い再生装置を持つ時代に、古いままの録音技術ではいけないということで、本格的に音を採りはじめるようになっている。レコードの録音は、ほんとうに変りはじめている。そういう変化を前提として、そこではじめて、これからの再生装置のありかたが、浮かび上ってくる。
──以下次号──
     *
前半を後半をつなぐ部分が、まるでない。
そこをどう書かれようとされていたのか。

前半のおわり、黄金の組合せのところでも、
録音について触れられている。
なので、まったく想像がつかないわけではないが、それでもどう展開されていかれたのか。

明日は11月7日だ。

Date: 11月 6th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その88)

ステレオサウンド 56号の組合せ特集で、瀬川先生は組合せ例をつくられていない。
けれど、特集巻頭に
「いま、私がいちばん妥当と思うコンポーネント組合せ法、あるいはグレードアップ法」を、
15ページにわたって書かれている。

これが56号の組合せ特集の特色であり、
最後にこうある。
     *
 スピーカー選びについて、いくつかのケースを想定しながら、具体例をいくつかあげてみた。次号では、これらのスピーカーを、どう鳴らしこなすのか、について、アンプその他に話をひろげて考えてみる。
     *
57号以降、連載になるわけで、
これから先ステレオサウンドの発売が、いっそう楽しみになる、と思った。

けれど、57号に続きは載っていなかった。
58号にも、59号にも、そして60号にも……。

けれど瀬川先生は続きを書かれていた。
書き終えられてたわけではないが、書かれていた。
     *
 いまもしも、目前にJBLの4343Bと、ロジャースのPM510とを並べられて、どちらか一方だけ選べ、とせまられたら、いったいどうするだろうか。もちろん、そのどちらも持っていないと仮定して。
 少なくとも私だったら、大いに迷う。いや、それが高価なスピーカーだからという意味ではない。たとえばJBLなら4301Bでも、そしてロジャースならLS3/5Aであっても、そのどちらか一方をあきらめるなど、とうてい思いもつかないことだ。それは、この二つのスピーカーの鳴らす音楽の世界が、非常に対照的であり、しかも、そのどちらの世界もが、私にとって、欠くことのできないものであるからだ。
 前回(56号)の終りのところ(110ページ)で、仮にたったひとつだけスピーカーを選ぶとしたら、結局JBLの4343あたりしかないではないか、と書いたことと、これは矛盾するではないかと思われそうなので、急いで補足しなくてはならないが、それは次のような意味だ。
 クラシック、ポップス、ジャズ、艶歌……およそあらゆる分野の音楽を、しかも音量の大小や録音の新旧や音色の好みなどを含めて、聴き手の求める音のありかたの多様性に対して、たった一本のスピーカーで応えようとすれば、結局のところ、再生能力の可能性のできるだけ大きなスピーカーを選ぶしか方法がない。音量をどこまで上げても音がくずれず、思いきり絞り込んで聴いたときでも音がぼけない。周波数レインジは、こんにちの最新の録音に十分に対応できるほど広いこと。そして低音から高音までの音のバランスに、とくに片寄りのないこと。硬い音、尖った音、尖鋭な音も十分に鳴らすことができる反面、柔らかく溶け合う響きも鳴らせること。etc、etc……と条件を上げてゆくと、たいていのスピーカーはどこかで脱落してゆき、これが決して最上とはいえないまでも、対応力の広さという点で、結局4343あたりに落ちつくのではないか。
 しかしまた、仮に4343とロジャースPM510を聴きくらべてみれば、4343ではどうしても鳴らせない音というもののあることに気づかされる。たとえば、オーケストラの弦楽器群がユニゾンで唱うときのあの独特のハーモニクスの漂うような響きの溶け合い。そしてホールトーンの奥行きの深さ。えもいわれない雰囲気のよさ。そうした面を、なにもPM510でなくともあの小っぽけなLS3/5Aでさえ、いや、なにもここでロジャースにこだわるわけではなく、概してイギリスの新しいモニター系のスピーカーたち──たとえばハーベスやKEFやスペンドールやセレッションや──なら、いとも容易に鳴らしてくれる。そして、一旦、その上質の響きの快さを体験してみると、それがJBLではついに鳴ることのない音であることを、いや応なしに納得させられてしまう。これらイギリスのスピーカーの、いくぶんほの暗いあるいは渋い印象の、滑らかで上質で繊細な響きの美しさが、私の求める音楽にかけがえのない鳴り方であるものだから、私はどうしてもJBLの世界にだけ、安住しているわけにはゆかないのである。けれど反面、イギリスのスピーカーには、JBLのあのピンと張りつめた、新鮮で現代的な肌ざわりと、音の芯の確かさが求められないものだから、どうしてもまたJBLを欠かすわけにもゆかないという次第なのだ。
     *
この書き出しから始まる。

Date: 11月 6th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その87)

ステレオサウンド 56号の特集は組合せ。
タイトルは「スピーカーを中心とした最新コンポーネントによる組合せベスト17」。

この特集をみて、毎年暮に発売される「コンポーネントステレオの世界」はないんだな、
と思ったし、そうだった。
「コンポーネントステレオの世界 ’81」は出なかった。

一冊すべて組合せの別冊からすると、
56号の特集のボリュウムは少ない。
実際に56号の特集自体のボリュウムは、そう多くはない。

組合せをつくっているのは、
岡俊雄、井上卓也、山中敬三の三氏。

そんななかでも、「コンポーネントステレオの世界」とは違う側面を見せよう、としているのか、
岡先生と井上先生が担当されているスピーカーは、すべて国産で、
山中先生はすべて海外製品となっている。

それに井上先生の組合せでは、アクセサリー類も組合せの中に含まれるようになっている。
どんな組合せであっても、接続ケーブルは必要になるわけで、
でもこれまでのステレオサウンドの組合せのトータル価格には、
このケーブルの価格は膨れまることはなかった。

それが56号の井上先生の組合せだけは、
スタビライザーやシェルリード線、ヘッドシェル、接続ケーブルなどについても、
言及されるとともに、コンポーネントのひとつとして組合せリストに載るようになっている。

記事中でも、アクセサリーを含めた音の変化だけでなく、使いこなしについても触れられている。
明らかな変化である。

なぜ、この時期からなのか──、
そのことについて考えてみるのは、ステレオサウンドを捉える上でおもしろい。

Date: 11月 5th, 2016
Cate: 新製品

新製品(Nutube・その12)

1993年のステレオサウンド別冊「JBLのすべて」で、
井上先生がウォームアップについて書かれているところがある。
     *
 高級アンプにとり、ウォームアップによる音質、音色などの変化は、現状では必要悪として歴然と存在する事実で、これを避けて通ることは不可能なことと考えたい。
 このウォームアップ帰還の変化を、どのようにし、どのように抑えるかは、まったく無関心のメーカーもあり、今後の問題といわざるをえないが、アンプを選択する使用者側でも、どの状態で今アンプが鳴っているかについて無関心であることは、寒心にたえないことである。
     *
1993年は、アンプのウォームアップによる音の変化が問題になってから20年近く経っている。
それでも無関心なメーカー、ユーザーがいる、ということになる。

井上先生はウォームアップによる音の変化について、必ずといっていいほど書かれていた。
いまはどうだろうか。

ステレオサウンドの試聴では、ウォームアップは行っている、とある。
やっている、と思う。
だが、瀬川先生、井上先生のように、この問題に対してつねに意識的である人が、
試聴しているのだろうか、と思うこともある。

ウォームアップの問題が形式化していないといえるだろうか。
同時にクールダウンについては、どうだろうか。

これらの問題に無関心な人はずっと無関心のようである。
私はNutubeに関して、ウォームアップの点だけでなく、
Nutubeは長時間の使用において、音が弛れてくることはないのかも気になる。

アンプの自作記事には、残念ながらこの観点が欠けている。

Date: 11月 5th, 2016
Cate: 新製品

新製品(Nutube・その11)

ウォームアップの問題は、やっかいな面ももっている。
ウォームアップなんて、十分な時間電源をいれておいて、
信号を流して音を鳴らしている時間も十分ならば解消だろう──、
そう思われる人もいるだろう。

ウォームアップという言葉からは、
鳴らしていくうちに本調子になってきて、それにかかる時間は製品によって違っても、
あるレベルに達しウォームアップが終ればすむ──、そういった印象がある。

けれど実際にはあるレベルに達し、そこから先はウォームアップではないということになる。
この状態を維持できれば、話は単純なのだが、
モノによっては、長時間の使用により、むしろ音が悪い方向に変化していく。

つまりクールダウンを必要とするオーディオ機器が存在する。
おそらくすべてのオーディオ機器にあてはまることなのかもしれないが、
ウォームアップほど顕著に音に出ないようであり、
まれに顕著に音として、この問題が出てくるモノがある。

私がステレオサウンドにいた間の機種では、
アキュフェーズのD/AコンバーターDC81がそうだった。

ディスクリート構成のD/Aコンバーターということ、
アキュフェーズ初のセパレート型CDプレーヤーとしても話題になったし、
ステレオサウンドの試聴室でもリファレンス機器として使っていた。

それだけの内容と音を持っていたけれど、
DC81はかなり長時間使用していると、あきらかに音が弛れてくる。
それは音の滲みと受け取る人もいるだろうし、
音にベールがかかったように聴こえるという人もいるだろう。

ウォームアップとともに音は目覚めていくわけだが、ずっと目覚めた状態を維持できるとはかぎらない。
そのため、電源を落してクールダウンを必要としていた。

一日数時間の使用であれば、この問題は出てき難い。
もっとも使用条件・設置条件によっては、たとえ数時間でも発生するとは思う。