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Date: 8月 4th, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(昭和は遠くになりにけり……か・その4)

40を超えたころに、ある人からいわれた。
「オーディオ界をよくしてくれ」と。

そのときにいくつかいわれたことがある。
そのひとつだけを書いておく、
「若い人のところに降りていくな」だった。

誰なのかはあえて書かない。
「若い人のところに降りていくな」の前後を詳細に書いたところで、
その人の名前を出しただけで否定的にとらえてしまう人がいるのを知っているし、
「若い人のところに降りていくな」だけが一人歩きしてしまうこともある。

話してくださった方に迷惑をかけたくないので、誰なのかは書かないが、
「若い人のところに降りていくな」をきいて、
やはりそうなんだ、間違ってなかった、と思った。

いっておくが、若い人を蹴落とせ、とか、頭を押さえつけろ、とか、そういったことではない。
ただただ「「若い人のところに降りていくな」である。

「絶対に降りていってはいかん」とつけ加えられた。

物分りのいい人ぶっている知人は、真逆のことをいう。
もう人は人である。それぞれであるから、知人は知人でやっていけばいいだけのことで、
私は私で、「若い人のところに降りていくな」をきいてから十年、
これから先も、降りていくことは決してない、と断言できる。

Date: 8月 4th, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(昭和は遠くになりにけり……か・その3)

迎合しない昭和の男の趣味だ、と一度書いて直したのには、いくつかわけがある。

まずひとつは迎合しない昭和の男としてしまうと、
昭和の男が全員迎合しないとも受け止められるかもしれないから、
平成の男でも迎合しない人はいるからだ。

それから昭和と区切ってしまうことの、ある種の乱暴さは私も感じている。
オーディオは迎合しない昭和の男の趣味だ、と書いて、
こまかく説明していこうとも思っていたが、それでも誤解する人はするからやめた。

にも関わらず、ここで結局は書いてしまっている。
オーディオは迎合しない昭和の男の趣味だ、というのは私の本音である。

くどいようだが、昭和の男がみな迎合しない、といっているわけではない。
迎合しない男で昭和の男の趣味だ、ということだ。

昭和といってしまうと昭和生れ、昭和育ちということか、となる。
昭和気質とでもいったらいいのか。
そういう意味も含めての、昭和の男である。

こんなことを書くと、
若い人たちがオーディオへ興味をもつことの障壁となるのでは? と思われる方もいよう。
そうだろうか、と私は思っている。

物分りのいい人ぶっている知人がいる。
ことさら若者に対して理解を示そうとする。

すこし厳しいことをいおうものなら、
「そんなこといまの若い人にいったらだめですよ」とか、
そんなことを返してくる。

「若いオーディオマニアにはやさしくていねい親切、わかりやすくおしえてあげない、と」
ともいってくる。

そういう男は、「あげる」という言い方をよくする。
こういう物分りのいい人ぶっている男が、私はとにかく嫌いだ。

私にいわせると、こういう物分りのいい人ぶっている男こそが、
オーディオをだめにしている(オーディオに限らないと思う)。

Date: 8月 3rd, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(昭和は遠くになりにけり……か・その2)

こんなことを書き始めたのにはきっかけみたいなことがある。
ひとつは5月に開催されたOTOTENでのダイヤトーンのブース。
ここでの音出しをしきっていたダイヤトーンの社員の方を見ていて、
ステレオサウンドに入ったばかりのころ、こういう感じの人たちが、
オーディオ業界にはいっぱいいたな、と思い出していた。

別項でも書いているように、昭和のおじさんである。
あのころは昭和だったから、昭和のおじさん、とは思わなかった。
けれど平成も来年には30年になる。

平成生れのオーディオマニアもいる、
昭和生れ、平成育ちのオーディオマニアもいる。
ということは、業界の人もいる。

先月下旬、オーディオ仲間で友人のAさんと飲んでいた時に、
そんな時代の、各メーカーの個性ある人たちのことを話していた。

A社のBさん、C社のDさん、E社のFさん、とか。
Aさんが、「A社のBさん、ね」という。

彼は10代の終りごろ、秋葉原にあったオーディオ店でアルバイトをしていた。
そこで、私が会ったことのある人たちと、彼もまた会っていた。

よく「キャラが濃い」という。
あのころの人たちは、キャラが濃かった。

平成生れの人でもキャラが濃い人はいるだろうが、
なにか本質的に違うところがあるように感じてもいる。

数日前に「オーディオは男の趣味であるからこそ(もっといえば……)」を書いた。
そこに、オーディオは迎合しない男の趣味だと書いた。

最初は、迎合しない昭和の男の趣味だ、と書いていた。

Date: 8月 3rd, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(昭和は遠くになりにけり……か・その1)

先週の金曜日は、プレミアムフライデーだった。
2月24日から始まったプレミアムフライデーだけど、
2月、3月までは周りに
「今日はプレミアムフライデーだから……(笑)」という人が何人かいたのに、
私の周りでは誰もいわなくなってしまった。

私も7月のプレミアムフライデーは翌日に、昨日は……、と気づいた。

そのプレミアムフライデーが始まる三日前に、
大分から来られたUさんと会っていた。
会うのは初めてだったけれど、
16時半ごろから22時まで、あれこれ話していた。
もちろんオーディオのことがメインだった。

その時に井上先生のことを話した。
私にとって、最初の井上先生の試聴のことを話した。

以前も書いているように、新製品の試聴だった。
担当は先輩編集者のSさん。

試聴の準備を午前中に終えて、
午後からは試聴室で待機していた。
試聴の時はたいてい編集部のあるフロアーではなく、
試聴室のあるフロアーに直接来られる方がほとんどだったからだ。

まだ明るいうちから試聴室で、井上先生が来られるのを待っていた。
Sさんは、相当待つよ、的なことをいわれていた。
それでも……、と思いながら待っていた。

暗くなっても来られない。
記憶に間違いがなければ22時ごろ来られた。

それが当然のように試聴は始まる。
しかもあれこれ使いこなしをやられていく。
試聴が終ったのは、とっくに日付が変っていた。

いま、井上先生のような試聴をする人はいないだろう。
こういう仕事のやり方は、いまは認められないどころか、
ブラック評論家と云われかねないだろう。
こんなやり方を認めていたら編集部も、ブラックということになるであろう。

当時はブラック○○という表現はなかった。
あったとしても、そんなふうにはまったく思わなかったはず。
楽しかった、興味深い時間だったからだ。

それでもいまでは認められない仕事のやり方になるのだろう。
プレミアムフライデーという制度が生れてくるくらいだから。

昭和の時代に、ステレオサウンドで仕事をしていた、ということを、
最近あらためて実感している。

Date: 8月 3rd, 2017
Cate: オーディオの科学

閾値(その2)

へぇ、こんなのがあるんだ、と、
今回試したことを知ったのは4月だった。

facebookのタイムラインに、それを紹介した動画に友人が「いいね」をしていたからだった。
その友人はオーディオマニアではないし、
そこでの動画もオーディオに関する要素はまったくなかった。

それでも、そこでやっていることはオーディオでも、すぐに試せそうなことであった。
それに必要な材料もわりとすぐに手に入る。
しかもコストもほとんどかからない。

試すのに特別な技術は必要としない。
詳細は書かないが、誰にでもやれることであり、
どんなオーディオ機器であっても試せることである。
結果が芳しくなければ、取り除ければ元の状態にもどせる。
試さない理由はなかった。

ただ、音があきらかに変化した場合、
それも効果あり、判断できた場合、
なぜ? ということにほとんど説明をつけることができなかった。

なのでaudio wednesdayで、まずやってみようと考えた。
にも関わらず5月、6月、7月のaudio wednesdayでは、そのことを忘れてしまっていた。

今回数日前に思い出したので、やっと試すことになった。
数人とはいえ、複数で聴いて、音の変化(効果)が認められれば、
少なくとも説明がつかなくとも、私の気のせいではない、といえる。

audio wednesdayで試さない理由もないわけだ。

結果を書こう。
明らかな音の変化が、全員の耳に認められた。
条件がいくつかあって、それを守れば明らかに音は良くなった、といえる方向へ変化する。

類似のことをこれまでもさんざん試している。
その経験からいえば、ここでの音の変化は、説明がひじょうにつけにくい。

ささいなことであっても何かを変化させているわけだから、音はそれに応じて変化する。
だが、昨晩のことはその変化量が大きい。

ここでの音の変化は、
壁を隔てて仕事をしながら聴いていた喫茶茶会記の店主、福地さんの耳にも届いていた。

Date: 8月 3rd, 2017
Cate: オーディオの科学

閾値(その1)

ケーブルで音が変るなんてことはない、と主張する人たちがいることは、
前々から何度も書いている。

この人たちは、ケーブルで音が変るなんてオカルトだ、と主張する。
ケーブルで音が変ることを認めている人たちでも、
別のこと、そんなささいなことで音は変化しないはず、ということがある。

人によって閾値が違うだけのことなのかもしれない。

オーディオの音は、どんなことでも変化する。
これも以前から書いていることだ。
変化していることに気づくか気づかないかの違いがあるだけだ、とも思っている。

何かを変えて音が変化する。
なぜ音がそんなふうに変化するのか、説明がつくこともあればそうでないこともある。

頭で考えてしまうと(つまり頭で聴いてしまうと)、
そこでの音の変化を錯覚とか気のせいとか、そう思ってしまうこともあろう。

でも、まずは音を聴くという観察力こそが、
オーディオを科学として捉えるのに絶対に必要となる。

だから、私は音が変るであろうと思われることは試すようにしている。
それが少なからぬ人たちからオカルトと呼ばれがちなことであっても、
直感でおもしろそうだと感じたことは、やるのにためらいはない。

ただし結果が思わしくないとなったときに、元の状態に戻せるかどうかは、
やるかやらないかの判断にかかわってくる。

オカルトと呼ばれがちなことは、元の状態に戻せる場合が割りと多い。
昨晩のaudio wednesdayでは、オカルトと呼ばれるであろうことをやった。

ケーブルで音が変ることを認めている人、
さらにもっとこまかなことで音で変ることを認めている人でも、
今回私が試したことは、オカルトとか気のせいだよ、と思われるだろう。

Date: 8月 3rd, 2017
Cate: audio wednesday

第80回audio wednesdayのお知らせ

9月のaudio wednesdayは、6日です。
音出しの予定です。テーマはまだ決めていません。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 8月 2nd, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(次世代を育てる……)

すべての分野において、次世代を育てていくことが求められている、と思う。
けれど次世代を育てることはできるのだろうか、とも思う。

オーディオという分野、
もっといえばオーディオ評論という世界を眺めてきて感じているのは、
次世代を育てるのは実際のところ無理だった、ということと、
それは次世代ではなく次々世代なのかもしれない、ということである。

現世代が育てられるのは、次世代ではなく次々世代なのかもしれない。
それも育てるのではなく、鍛える、である。

次々世代を鍛える、
それが必要なこと、できることなのかもしれない。

Date: 8月 1st, 2017
Cate: オリジナル

原典主義は減点主義か

オーディオ機器でもレコードでも、オリジナルオリジナルと唱える人がいる。
オリジナル至上主義者と、私は呼んでいる。

このオリジナル至上主義は、いいかえれば原典主義である。
お手本を欲しがっている、ともいえよう。

そしてお手本とどれだけ違うかを、力説する。
古いアンプやスピーカーシステムに、
ひとつでもお手本(オリジナル、原典)と違う部品が取り付けられていたら、
ここが違う、と減点していく。

原典主義は減点主義でもある。

Date: 8月 1st, 2017
Cate: 新製品

新製品(その16)

川崎先生のブログでは、
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Designも更新されていく。

川崎先生のfacebookから川崎先生のブログへアクセスする人の中には、
この川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Designを読んでいない人もいるようだ。

もったいないことだ。

7月29日の川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Designは、
新製品について考えるうえで、多くの人に読んでほしい、と思っている。

短い文章だから、引用はしない。
読みながら、新製品の性能、効能、機能についての大きなヒントだ、と直感した。

Date: 8月 1st, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(略称の違い・その4)

ステレオサウンドの創刊は1966年、
現会長であり創刊者の原田勲氏は、記憶違いでなければ1935年生れ。
31歳のころの創刊である。

瀬川先生も1935年生れ、
菅野先生、長島先生、山中先生は1932年、井上先生は1931年、
岩崎先生は1928年だから、みな30を超えたばかりくらいである。

五味先生は1921年12月だから、44歳。
みな若かった。

作り手だけが若かったわけではない。
そのころのステレオサウンドの読者も、若かった。
もちろん作り手よりも年上の読者もいても、
中心層は作り手側と同じか若い世代だったはずだ。

ステレオサウンドが創刊10年を迎え、20年、30年……といくごとに、
作り手も読者もあわせて歳をとっていく。
これは単なる推測ではない。

ステレオサウンドが三年前に発表した資料によれば、
19才未満が2%、20〜29才が3%、30〜39才が11%で、この世代の合計は16%にすぎない。
のこり84%は40才以上であり、60〜69才が28%といちばん多く、
80才以上も19才未満と同じ2%である。

作り手も歳をとっていく、と書いたが、
歳をとっていく作り手もいれば、編集者は入れ替りが当然あり、
読者やステレオサウンド誌とともに歳をとっているわけではない。

いまのステレオサウンド編集部の平均年齢がいくつなのかは知らないが、
30代から40くらいまでが中心のように感じている。

創刊当時の50年前とは、この点が大きく違ってきている。

Date: 8月 1st, 2017
Cate: 再生音

続・再生音とは……(波形再現・その5)

波形再現について考える前に考えなければならないことは、
そこで表示される波形は、どこまでの情報を含んでいるのか、がある。

昔ながらのペンレコーダーで記録用紙に描いていく測定では、
ペンの重量、慣性の影響があるためが、
いまではコンピューターのディスプレイに表示することが可能であり、
ペンレコーダーに起因する問題は生じない。

ディスプレイも高精度になってきている。
より細部まで検討することができる。

それでも、そこで表示される波形は二次元のデータでしかなく、
そこから音色を読みとれることができるのか、という疑問がある。

音源通りの波形が完全(そんなことはありえないだろうが)に再現されたとして、
そこで鳴っている音は、音色の再生でも完全といえるのか。

音色とは、文字通り音の色である。
視覚的な色は、光があるからこそ色が存在する。
そのことは誰でも知っている。

光がなければ色はない。
光が変化すれば、色も微妙に変化する。

ならば音の場合の光は、何に当るのか。
視覚的な色と聴覚的な色を、同一視できるのかということも考えなければならないが、
音色も、光によって色が変るように、何かによって変っていくものと感じている。

Date: 8月 1st, 2017
Cate: 再生音

続・再生音とは……(波形再現・その4)

実際には無理なのだが、仮にすべて同条件での測定が可能になったとして、
何をもって正確な波形再現がなされているかの基準が、
アナログディスクの場合、ないといえる。

アナログディスクを再生した波形と、
マスターテープの波形が一致することは、まずありえない。

こまかな説明は省くが、マスターテープを再生したテープデッキの信号を、
カッティング時において正確にラッカー盤に刻んでいるという保証はない。
しかも、そのラッカー盤を聴いているわけではない。
それを元にプレスされた盤が、市販されているアナログディスクである。

ここでもありえないことだが、仮に正確にカッティングされ、
ラッカー盤のクォリティを完全に維持したままのアナログディスクがあったとして、
今度はカートリッジのトレースの問題がある。

カッターヘッドについている針とカートリッジの針とでは、形状が違う。
このことに起因する問題は、アナログプレーヤの教科書的な本のほとんどで書かれている。

ことこまかに書かないが、こんなふうに細部まで検討すればするほど、
アナログディスクでの波形再現という測定は、絶対的とはいえず相対的なデータということになる。

ならばデジタル(CD)ではどうか。
CDならば、アナログディスクのように溝がすり減るということはない。
それにマスターテープが、CDと同じ規格(44.1kHz、16ビット)でデジタル録音されていれば、
波形再現の測定に使えるはずと考えがちになる。

たしかにアナログディスクよりはCDのほうが……、といえよう。
けれど厳密に考えれば、やはり疑問がある。

とはいえ世の中には完璧なものは何ひとつ存在しないことを考慮すれば、
CDは、測定における再現性を含めての実用の範疇に入ってくる、とはいえる。

そこでデジタル音源(CDには限定しない)を使った波形再現、
それもスピーカーを含めてのシステム全体としての波形再現は可能なのか、
そこでの測定から読みとれることは何なのか。

Date: 8月 1st, 2017
Cate: 瀬川冬樹

たおやか(あらためてそうおもう・その1)

2008年9月から、このブログを書き始めた。
書き始めのころ「たおやか」というタイトルで書いている。

そこから約九年、
七千本ちょっと書いてきて、やはり「たおやか」だとおもっている。
私がイメージする瀬川先生の音を、簡潔な言葉でいいあらわすとなると、
いまも「たおやか」である。

Date: 7月 31st, 2017
Cate: audio wednesday

第79回audio wednesdayのお知らせ(結線というテーマ)

8月のaudio wednesdayは、2日である。
テーマは前回書いているように「結線というテーマ」である。
これがメインになるが、時間があまったら、
最後のほうでオカルト的ことを試そうと考えている。

ケーブルによる音の変化を認めている人でも、
それはちょっと……、といわれそうなことをやろうと考えている。
といっても、これにかかる費用は数百円程度である。

もし効果が認められれば、すぐに試せる簡単なことでもある。
実は、私もまだ試していない。
昨日、ふとそのことを思い出して、今回のaudio wednesdayでやってみようと思っているところだ。

もしそれで音が明らかに変化したとしても、その理由はうまく説明できない。
そんなことも予定している。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。