閾値(その1)
ケーブルで音が変るなんてことはない、と主張する人たちがいることは、
前々から何度も書いている。
この人たちは、ケーブルで音が変るなんてオカルトだ、と主張する。
ケーブルで音が変ることを認めている人たちでも、
別のこと、そんなささいなことで音は変化しないはず、ということがある。
人によって閾値が違うだけのことなのかもしれない。
オーディオの音は、どんなことでも変化する。
これも以前から書いていることだ。
変化していることに気づくか気づかないかの違いがあるだけだ、とも思っている。
何かを変えて音が変化する。
なぜ音がそんなふうに変化するのか、説明がつくこともあればそうでないこともある。
頭で考えてしまうと(つまり頭で聴いてしまうと)、
そこでの音の変化を錯覚とか気のせいとか、そう思ってしまうこともあろう。
でも、まずは音を聴くという観察力こそが、
オーディオを科学として捉えるのに絶対に必要となる。
だから、私は音が変るであろうと思われることは試すようにしている。
それが少なからぬ人たちからオカルトと呼ばれがちなことであっても、
直感でおもしろそうだと感じたことは、やるのにためらいはない。
ただし結果が思わしくないとなったときに、元の状態に戻せるかどうかは、
やるかやらないかの判断にかかわってくる。
オカルトと呼ばれがちなことは、元の状態に戻せる場合が割りと多い。
昨晩のaudio wednesdayでは、オカルトと呼ばれるであろうことをやった。
ケーブルで音が変ることを認めている人、
さらにもっとこまかなことで音で変ることを認めている人でも、
今回私が試したことは、オカルトとか気のせいだよ、と思われるだろう。