オーディオの想像力の欠如が生むもの(その32)
オーディオの想像力の欠如した人ほど、変ろうとする。
オーディオの想像力の欠如した人ほど、変ろうとする。
「使いこなし」のテーマで「他者のためのセッティング・チューニング」を書いた。
ここでの音の判断は、私ではなく、ブラジル音楽のディスクを持ってこられたHさん。
どこかをいじる。
その音をHさんが聴いての感想をきいて、次のことにうつる。
まず最初にいじったのは、トーンコントロールだったことは書いている。
このトーンコントロールの調整のときに何を考えていたかというと、
次の手をどうするかだった。
トーンコントロールをいじっている段階では、当然音は出ていない。
いじった音をHさんが聴いての感想を受けての、次の手を考えるのではなく、
Hさんの感想を受けて、すぐに次の手を実行できるように、いくつか考えている。
どこかをいじる。
その結果出てきた音を聴いて、次をどうするかを考える。
こんなふうにオーディオの調整・使いこなしを行われているのではないだろうか。
いじっているときに、次の手をいくつか考えておくやり方よりも、
音を聴いて、次の手を考えるのは、その分時間がかかる。
いじっているときに、次の手をいくつか考えていれば、
出てきた音を聴いて、すぐに次の手を選択し聴き終るとともに、次の手を試せる。
オーディオの調整・使いこなしは、ひとつふたつをいじってオシマイではなく、
いくつものことを限られた時間内にやっていく。
聴いてから次の手を考えて試して……、
時間をその分必要とする、こちらのやり方のほうを丁寧な使いこなしと思う人もいるだろう。
いじっているうちに次の手を考えて、すぐに次の手にうつる……、
パッパッとやっていける、こちらのやり方を丁寧とは感じない人もいるだろう。
私は時間をかけてやるのが、決して丁寧な、とは思わない。
ステレオサウンド 44号の試聴以来、
瀬川先生もBCIIIを高く評価されている。
43号のベストバイではBCIIIに票は入れられてなかった。
47号のベストバイでは、星二つに、
《媚びのない潔癖な品位の高さ。ただし鳴らしこみに多少の熟練を要す。》
と書かれている。
瀬川先生はBCIIには星三つ、
岡先生は反対で、BCIIIが星三つに、BCIIが星二つ。
岡先生も瀬川先生も高く評価されているが、
だからといってまったく同じに評価されているわけではない。
ステレオサウンドがおもしろかったころからの読み手ならば、
岡先生と瀬川先生の音の好みはまったく違っている。
音楽の好みも全く違っている、といってもいい。
岡先生も瀬川先生もそれを承知しながら、互いに理解し合っていた、といえる。
そのことはしばしば、特にスピーカーの評価に、はっきりとあらわれる。
たとえばアコースティックリサーチ(AR)のスピーカーシステム。
岡先生はAR3が日本に入ってきたとき、その第一号を購入されている。
AR3は、その後AR3aになり、LSTへとなっている。
ステレオサウンド 38号に、こんなことを書かれている。
*
おかげでおいつはAR屋だと見られているわけだけれど、ぼくはAR−LSTがベストのスピーカーだと思っているわけではない。リスニングルームのスペースやシステムをおける条件その他いろいろなことう睨みあわせ、またいろいろなレコードをきいていて、ぼくのうちではいまのところこのシステムが一ばん安定して鳴っているように自分では思っているだけのことで、充分に満足しているわけではない。
*
瀬川先生は、AR嫌い、といってもいい。
10月4日だったから、グレン・グールドのゴールドベルグ変奏曲をかけた。
グールドのハミングが、よくきこえることに驚かれた。
私の中では、CDが登場して一年後あたりから、ハミングはかなりよくきこえるという認識でいた。
うまく鳴った時は、まるでワンポイントマイクロフォンで録音したかのように、
耳障りではなく、気持ち良く鳴ってくれる。
一枚十万円以上もするガラスCDではなく、
普通に販売されているゴールドベルグ変奏曲のCDでの話だ。
「グールドって、いい声ですね」という感想もあった。
グールドの録音の中には、ハミングを極力録らないように工夫しているものもあるが、
1981年録音のゴールドベルグ変奏曲は、そうではない。
グールドは、いい声をしている。
気持良さそうにハミングしている。
特別なディスクでなくても、
そう鳴ってくれる。
こちらの目を覚ましてくれた、と書いた。
それには、もうひとつ意味合いがある。
それまでのDLM2の時の音よりも、明らかに明るいからである。
075といえば、ギラギラとした明るさを想像する人もいるだろう。
そういう明るさではない。
カットオフ周波数がかなり高いことも影響しているはずで、
まぶしいとか、ギラギラしているとか、そういう陰翳のない類の明るさではなく、
聴感上のS/N比が良くなることによる明るさであり、
その明るさは、ここちよい朝日のような明るさのようにも、私は感じていた。
075の位置を10cm以上下げたからといって、全体の音色が変化したわけではない。
それまでの位置での音は、10cm以上下げた音と比較すると、
微妙なニュアンスが打ち消されているようでもある。
だから音楽の表情が、ややフラットになってしまう。
あれこれ調整して音が変る、というわけだが、
その音が変るとは、音楽の表情が変る、ということである。
表情が豊かになっていくのか,乏しくなっていくのか、
表情の幅がどういう方向にひろがっていくのか、
そういう違いがある。
この当り前すぎることを、075の位置を変化させた音は改めて気づかせてくれた。
だからといって、十全な音が鳴ってくれた、というわけではない。
最初に書いているように、ドライバーが左右で違っているし、
075の前後位置の目安はついたけれど、その置き方に関しては、これから詰めて行く必要があるし、
アルテックのドライバーと075を、これからどういうふうにクロスオーバーさせていくのか、
とにかくやっていくこと(やりたいこと)は、けっこうある。
それでも今回の音は、ひとつの成果があった、といえる。
それは私自身の感想ではなく、音を鳴らしていた隣の部屋、
つまり喫茶茶会記の喫茶室に来ていた人(顔見知りの常連の方)が、
「ライヴを聴いているようでした」といってくれた。
喫茶室とは壁とドアによって隔てられている。
完全防音されているわけでないから、けっこうな音量で音はもれている。
そのもれきこえてくる音が、隣でライヴをやっているように響いたということは、
それだけ音の浸透力が増したということでもある。
SACDは、Super Audio Compact Discの略称であるのは、いうまでもない。
なぜSuperとCompactのあいだにAudioを加えたのだろうか。
Super Compact Discでもよかったはずだ。
そうすれば略称はSCDとなる。
SACDの名称は、ソニーが決めたのだろうか。
ソニーとフィリップスが話し合って決めたことなのか。
SACDが登場した頃は思いもしなかったが、
いまはAudioが入っていてよかった、と思う。
ステレオサウンド 38号で、黒田先生が書かれている。
*
大きな音で、しかも親しい方と一緒にきくことが多いといわれるのをきいて、岩崎さんのさびしがりやとしての横顔を見たように思いました。しかし、さびしがりやというと、どうしてもジメジメしがちですが、そうはならずに、人恋しさをさわやかに表明しているところが、岩崎さんのすてきなところです。きかせていただいた音に、そういう岩崎さんが、感じられました。さあ、ぼくと一緒に音楽をきこうよ──と、岩崎さんがならしてくださった音は、よびかけているように、きこえました。むろんそれはさびしがりやの音といっただけでは不充分な、さびしさや人恋しさを知らん顔して背おった、大変に男らしい音と、ぼくには思えました。
*
《さびしさや人恋しさを知らん顔して背おった、大変に男らしい音》、
これこそがジャズ喫茶の音なのだろう、と、
ジャズの熱心な聴き手でない私は、勝手にそう思っている。
私がaudio wednesdayで鳴らしている音は、まだまだだとも思う。
075にした音は、予想よりも、期待よりもよくなってくれた。
それでも、音楽を聴いていて、こちらの気合いがほんのちょっと入らないとでもいおうか、
(その1)、(その2)で書いているように、
この日の私は疲労感をおぼえていたし、
最初に鳴った音を聴いて「今日の私のようだ」と感じたのは、
075にした音を聴いても、拭いきれなかった。
音は滑らかで、よくなったけれど、
歌(私にとっては特にグラシェラ・スサーナの日本語の歌)を聴くと、
表情に溜めがないともいえるし、フラットな感じでもあるといえた。
そこで075の仰角を少し変えてみた。
それから位置を後方に少し移動した。
さらにあと少し移動した。
少しずつよくなってきても、それでも……、と気になるところは残っている。
そこで思い切って、075のボイスコイルの位置を、
アルテックのドライバーのボイスコイル位置とほぼ同じになるまで後方に下げた。
ここまで下げるとアルテックのホーン811Bが075にとって邪魔になってくるけれど、
頭で考える前に、音を聴くのがいちばんだし、075の重量は動かすのにしんどいわけでもない。
075の位置の微調整は今後行うにして、
ここまで下げた音は、
聴いているこちら(鳴らしているこちら)の目を覚してくれる音でもあった。
ここにきて、やっとこちらの調子が出てきた。
鳴ってきた音が、こちらの調子を引き出してくれた。
ジャズ好きな人は、075しかない、という人が昔は多かった。
いまはどうなのかは知らないが、アルテックの2ウェイの上にのせても、
075はやはり075だ、と感じた。
シンバルの音が、確かに魅力的なのだ。
グッドマンのDLM2からJBLの075への変化は、クロスオーバー周波数も変っているし、
ネットワークも違うわけだから、純粋にトゥイーターユニットの比較というわけではないが、
それにしても変化は大きかった。
滑らかになったことは、すでに書いた通り。
こさと同じことを別の表現にいえば、聴感上のS/N比が大きく向上した。
DLM2は、075と比較するまでもなく、
あまり聴感上のS/N比が優れているとはいえないトゥイーターだった。
しかもaudio wednesdayでは大音量で鳴らす。
DLM2の耐入力をこえるような鳴らし方ではないが、
DLM2が想定しているであろう音量よりもずっと大きいのだから、
その分、聴感上のS/N比の悪さは、よりはっきりと出る。
DLM2は、他のトゥイーターに交換したいと前々から考えていたけれど、
一方で、喫茶茶会記のスピーカーは、
渋谷にあったジャズ喫茶音楽館で鳴っていたそのモノであるから、
そのことを尊重するのであれば、できるかぎりDLM2のまま鳴らそうとも思っていた。
DLM2の気になる点は、バッフル板に取り付けたり、
なんとかハウジングをこじ開けて、内蔵されているネットワークをパスして、
きちんとしたネットワークをあてがう、
それからDLM2へのケーブルには銀線を使ってみたりすることで、
ある程度は解消できないわけでもない。
075を今回試してみたのは、たまたま075があったからである。
あるモノは、試してみたい。
それに075ならば、車がなくとも運ぶことが出来る。
試さない手はない。
先のことは、075にかえた音を聴いてから考えればいい──、
ぐらいの気持もあった。
075にした音は、格の違いをまざまざとみせつけられたともいえるし、
個人的には075の、あまり語られてこなかった可能性を見いだせた気もする。
巻線に銀を使った昇圧トランスは、過去にいくつかあった。
ラックスの8020(ハイインピーダンス用)、8030(ローインピーダンス用)は、
一次巻線に銀を使っている。二次巻線はリッツ線ということだから、おそらく銅であろう。
ダイナベクターDV6Aは、一次、二次巻線ともに銀線のはずだ。
しかもDV6Aの一次巻線には中点タップがあり、上部スイッチにより中点接地が可能。
つまりバランス入力に対応していた。
これらの製品が登場した1970年代後半は、
いまふりかえっても銀線ブームのはじまりだった、といえよう。
汚れてしまった己の手をじっとみつめる力、
その力をあたえてくれる、力の源となるものとしての音楽があるならば、
汚れてしまった手を、
汚いという、ただそれだけみもせずにすぐさま洗い流そうとする、
つまり水としての音楽があろう。
「純粋さとは、汚れをじっとみつめる力」だと、シモーヌ・ヴェイユは綴っている。
すぐさま洗い流そうとする者に、じっとみつめる力は必要ない。
洗い流してくれるきれいな水があればいいだけのことだ。
11月1日のaudio wednesdayは喫茶茶会記では行いません。
会場をかえて、というか、飲み会をやります。
12月6日のaudio wednesdayは、喫茶茶会記での音出しを予定しています。
参加されたい方は私までメールをお送りください。
スペンドールにD40というプリメインアンプがあった。
1977年に登場し、ステレオサウンド 44号の新製品紹介のページで取り上げられている。
価格は145,000円(1980年頃には、198,000円に値上り)だが、
国産の同価格帯のプリメインアンプと比較するまでもなく、見た目は貧相ともいえる。
内部も、これが15万円もするアンプなの? と思われただろう。
それでもスペンドールのBCIIと組み合わせたときの音は、素晴らしかった。
BCII専用アンプといってもいいくらいに、よく鳴らしてくれた。
私はD40を他のスピーカーと組み合わせた音は一度も聴いていない。
BCIIIを、D40はうまく鳴らせるのだろうか。
ステレオサウンドは、年末に「コンポーネントステレオの世界」を出していた。
’78年度版で、山中先生がBCIIとD40の組合せをつくられている。
’79年度版に、BCIIIの組合せが、二例ある。
岡先生による組合せと瀬川先生による組合せだ。
岡先生、瀬川先生はともに予算120万円の組合せで、
BCIIIをスピーカーとして選択されているが、どちらにもD40のことはひと言も出てこない。
このふたつの組合せで注目したいのは、
岡先生の組合せでは、BCIIIの専用スタンド込みの価格に対し、
瀬川先生の組合せでは専用スタンドは除外されている、ということだ。
44号の、瀬川先生の試聴記に、こうある。
*
今回何とか今までよりは良い音で聴いてみたいといろいろ試みるうち、意外なことに、専用のスタンドをやめて、ほんの数センチの低い台におろして、背面は壁につけて左右に大きく拡げて置くようにしてみると、いままで聴いたどのBCIIIよりも良いバランスが得られた。指定のスタンドを疑ってみなかったのは不明の至りだった。
*
だから、「コンポーネントステレオのステレオの世界 ’79」で、
瀬川先生は専用スタンドを使われていないし、
組合せ写真においても、岡先生の組合せでは専用スタンドのうえにBCIIIが置かれているが、
瀬川先生の組合せ写真ではスタンドの姿はない。
スペンドールのBCIIとBCIIIのインピーダンスカーヴの違いをみていると、
BCIのインピーダンス特性もぜひとも知りたくなるところだが、
いまのところ見つけられないでいる。
BCIIIがBCIをベースに、スーパートゥイーターとウーファーを追加したモデルと仮定して、
20cmウーファーとトゥイーターHF1300間のネットワークは、
BCIもBCIIIも同じだとしたうえで、
BCIIIのインピーダンスカーヴを考えてみると、低域、高域両端のカーヴは不思議である。
以前書いているように、ボイスコイルのインダクタンス成分によって、
トゥイーターのインピーダンスは高域に従って上昇していくものだ。
コイルに使う線材の断面が丸ではなく四角のエッジワイズ巻きのほうが、
インピーダンスの上昇は抑えられるが、下がるということは基本的にはありえない。
低域に関しても、20cmウーファーの下側をカットして、
30cmウーファーの上側をカットして、といういわゆる通常の方法で接続しているのであれば、
こういうカーヴになるだろうか。
低域のインピーダンスはユニット、ネットワークの他にエンクロージュアも関係してくる。
いったいBCIIIの内部はどうなっているのか。
BCIIIのインピーダンス特性をみれば見るほど、BCIIIの内部をつぶさに見たくなる。
低域で高く高域にいくに舌癌手インピーダンスが下がっていくスピーカーといえば、
コンデンサー型が、まさにそうである。
QUADのESLのインピーダンス特性が、ステレオサウンド 37号に載っている。
ESLとBCIIIのインピーダンス特性。
アンプの選択が難しいといわれるESLのほうが、BCIIIよりも素直なカーヴといえる。
BCIIIはアンプを選ぶのだろうか。
サウンドボーイ 1981年2月号で、小林貢氏が、
アルテックの755Eを使ったスピーカーシステムの製作記事を担当されている。
755Eというユニットについて、
調べれば調べるほどわからないことだらけになる、と、
とけない謎を解くために伊藤先生が登場されている。
*
小林 今日は身の上相談にうかがったのではなく、スピーカーの正しい鳴らし方を教えていただきにまいりました。
アルテックの755E、W・E時代は755Aですが、このオリジナルのエンクロージュアはあったのでしょうか。
伊藤 W・Eにくわしい人はそれこそたくさんいますよ(笑い)。
ただ、私はW・Eで職工していただけだから、どんな思想でどんな開発の仕方をしていたかなどという点については判りません。ただ、どんな使い方をするのが正しいのか、どういう音なのかについてはすっかり勉強させてもらいました。私にいわせればそれだけで十分で、それ以上のことは知る必要もないし、W・Eで教えてくれるわけでもない。だから、私の知っている範囲内でよければすべてお教えできると思います。
*
W·Eとは、いうまでもなくウェスターン・エレクトリックのこと。
ウェスターン・エレクトリックのスピーカーや部品などについて、
ことこまかなことを知っている人は、伊藤先生のいわれるように当時からいた。
いまではインターネットが普及しているから、もっともっと多くいるだろうし、
知識の量も、当時よりも増えていることだろう。
ますます《W・Eにくわしい人はそれこそたくさんいますよ》となっていっている。
これは何もウェスターン・エレクトリックのことだけに限らない。
知識量が多いのは、決して悪いことではない。
けれど知識量だけが多い人が増えているようにも感じられるし、
その知識の多さが、まるで脂肪の多さのように感じさせる人もいる。
それよりも大事なのは、伊藤先生がいわれている。
《どんな使い方をするのが正しいのか、どういう音なのかについてはすっかり勉強させてもらいました》と。