アンチテーゼとしての「音」(その12)
汚れてしまった己の手をじっとみつめる力、
その力をあたえてくれる、力の源となるものとしての音楽があるならば、
汚れてしまった手を、
汚いという、ただそれだけみもせずにすぐさま洗い流そうとする、
つまり水としての音楽があろう。
「純粋さとは、汚れをじっとみつめる力」だと、シモーヌ・ヴェイユは綴っている。
すぐさま洗い流そうとする者に、じっとみつめる力は必要ない。
洗い流してくれるきれいな水があればいいだけのことだ。
汚れてしまった己の手をじっとみつめる力、
その力をあたえてくれる、力の源となるものとしての音楽があるならば、
汚れてしまった手を、
汚いという、ただそれだけみもせずにすぐさま洗い流そうとする、
つまり水としての音楽があろう。
「純粋さとは、汚れをじっとみつめる力」だと、シモーヌ・ヴェイユは綴っている。
すぐさま洗い流そうとする者に、じっとみつめる力は必要ない。
洗い流してくれるきれいな水があればいいだけのことだ。
© audio identity (designing). Powered by WordPress. Theme omegaX 1.0.3 made by MUKI space*