Date: 10月 25th, 2017
Cate: アンチテーゼ
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アンチテーゼとしての「音」(その12)

汚れてしまった己の手をじっとみつめる力、
その力をあたえてくれる、力の源となるものとしての音楽があるならば、
汚れてしまった手を、
汚いという、ただそれだけみもせずにすぐさま洗い流そうとする、
つまり水としての音楽があろう。

「純粋さとは、汚れをじっとみつめる力」だと、シモーヌ・ヴェイユは綴っている。

すぐさま洗い流そうとする者に、じっとみつめる力は必要ない。
洗い流してくれるきれいな水があればいいだけのことだ。

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