Author Archive

Date: 3月 1st, 2019
Cate: 真空管アンプ

Western Electric 300-B(その4)

300Bのアンプで、シングルかプッシュプルか。
フィラメントの点火という点も、プッシュプルを選択する理由のひとつだ。

300Bのシングルアンプだと、どうしても直流点火が必要となる。
そんなの簡単ではないか、と考える人もいるだろうが、
以前書いているように、直流点火にはいくつかの方法があり、
比較的簡単に直流点火が可能なのは、三端子レギュレーターによる定電圧点火である。

ハムもすんなりなくなる。
けれど三端子レギュレーターによる定電圧点火は、すすめられない(やりたくない)。
音がいい、とは思えないからだ。

以前書いていることなので詳細は省くが、
定電圧点火ではなく定電流点火すべきであり、
三端子レギュレーターによる定電流点火も可能だが、これもすすめられない。

定電流点火をきちんとやろうとするならば、
ラジオ技術に石塚峻氏が発表された回路こそがすすめられる。

とはいえ定電流回路は、意外に難しい。
ここでは詳しくは述べないが、実際に定電流点火を試みようと、
あれこれ考えてみると、大変さは作らなくても実感できる。

それに出力管の300Bを定電流点火するならば、前段の真空管も定電流点火したくなる。
そうなるとさらに大変なことになる。

ならばいっそのこと交流点火でいけるプッシュプルでいいではないか、と思う。
けれど、ここで考えるのは、300Bはアメリカの真空管である、ということだ。

アメリカの電源周波数は60Hzである。
東京は50Hzである。

別項「日本のオーディオ、これまで(ラックスのアンプ)」で指摘したように、
アメリカのアンプは60Hzで聴いてこそだ、と思っている。
同じ理由で、300Bも交流点火ならば、60Hzで聴いてこそなのだろう、と思うわけだ。

Date: 3月 1st, 2019
Cate: 映画

Alita: Battle Angel(その2)

人はどうして眠らなくてはならないんだろう。
眠らずにで済むのなら、どんなにいいか──、
こんなことを割と言う人を知っている。

そんな彼に、眠らずに済んだとしても、
人が起きていられるトータルの時間は、
眠って過ごすも眠らずに過ごすも同じだと仮定して、
眠らなかったら、その分、早く死ぬわけでしょう。
それでもいいのか──、
と問うたことがある。

70まで生きられるとしよう。
三分の一を睡眠時間に必要だとして、
まったく眠らずに過ごした場合、
70の三分の一だけ寿命は縮まるわけだ。

約23年くらい早く死ぬわけで、47ぐらいとなる。

眠らずに済むのならば、その方がいい、と彼は言っていた。
彼は眠ることを嫌っていたようだった。

ずっと眠らずにすんで、47ぐらいで死ぬ。
きちんと眠って70まで生きる。
どちらを選択するのかは、その人次第で、私は彼と違い後者を選ぶ。

「アリータ: バトル・エンジェル」は、完成までほぼ20年かかっている。
眠らずにすむ人生を選んでいたら(そんなことが可能だとして)、
「アリータ: バトル・エンジェル」を観ることができなかったかもしれない。

「アリータ: バトル・エンジェル」をIMAX 3Dで観ると、
20年前では実現不可能だった、と思う。

Date: 3月 1st, 2019
Cate: 広告

ホーン今昔物語(It’s JBL・その1)

ハーマンインターナショナルのウェブサイトに「It’s JBL」というページがある。
小野寺弘滋氏によるJBLの魅力を語るページといえる。

このページのことは、以前から知っていた。
最初の二本くらい読んでいて、その後は読んでいなかった。

今日、ここで取り上げたのは、
「It’s JBL」を私がどう読むのかを知りたい、という問い合せがあったからだ。

訊いてきた人(私から一世代くらい若い方)は、
一般的な雑誌広告やレビュー、広告記事よりJBLに対する興味が増すように感じる、とあった。

それはいいことだ、と思う。
訊いてきた人は、「この広告の連載」とも書いていた。

確かに「広告の連載」である。
書いている小野寺弘滋は、記事用の文章を書いているという意識かもしれないが、
JBLの輸入元のハーマンインターナショナルのサイト内にあって、
JBLの良さを伝えるのが目的の「It’s JBL」なのだから、広告である。

広告だから、ダメとか、そういうことではなく、
広告にしろ記事にしろ、ここ(ハーマンインターナショナルのサイト内)にあっては、
目的を果たしていないのではないか──、
と、その書かれている内容よりも先に思ってしまう。

ハーマンインターナショナルは、JBLの魅力、さらにはホーン型スピーカーの魅力を、
JBL、そしてホーン型スピーカーに関心のない人たちに訴えようとしているのだろう。

けれど、ハーマンインターナショナルのサイトにアクセスして、
「It’s JBL」の文章を、アップされるたびに読んでいる人は、
すでにJBL、ホーン型スピーカーを鳴らしている、もしくは関心のある人たちではないのか。

JBLの4343が売れに売れていたころから、アンチJBL派の人たちはいた。
それ以前からいたし、いまもいる。
アンチホーンの人たちもずっと以前からいる。

意外に思われるだろうが、菅野先生もずっと以前はアンチホーン派だったのだ。

Date: 2月 28th, 2019
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その54)

オーディオの想像力の欠如した耳は、ただただオーディオを消費・消耗させていくだけ。

Date: 2月 28th, 2019
Cate:

「大人の音」

「大人の音」というのは、Moto NAVIという雑誌の、
2019年4月号、特集記事のタイトルである。

Moto NAVIのことは今回初めて知った。
たまたま入った書店で目に入ってきたのが「大人の音」という文字だった。

Moto NAVIという雑誌名を見て、「大人の音」が何を意味しているのかはすぐにわかった。
バイクにまつわる音の特集である。

手にとってパラパラとページをめくって、
バイクの世界は「大人の音」が特集として組めるほどに、まだまだ健在なのに対し、
オーディオの世界はスピーカーから出てくる音ではなく、
オーディオにまつわる音としての「大人の音」は、なくなりつつある。

コントロールアンプのスイッチ、ボリュウムなどが電子スイッチ化され、
パワーアンプの電源スイッチもそうなりつつあるだけに、
オーディオ機器の操作にまつわる音は減っているだけでなく、楽しめる要素ではなくなりつつある。

寂しくなってきた、と感じる人、
特に何も感じない人、
どちらもいることだろう。

Date: 2月 28th, 2019
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その53)

オーディオの想像力の欠如した耳は、客観的でないだけでなく主観的でもない。

Date: 2月 28th, 2019
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その52)

オーディオの想像力の欠如した耳ほど、白黒つけたがる。

Date: 2月 28th, 2019
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その51)

オーディオの想像力の欠如した耳は、「遊び心」を持っていないし、持てない。

Date: 2月 27th, 2019
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その50)

オーディオの想像力の欠如した耳には、音への愛、音楽への愛はない。

Date: 2月 27th, 2019
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その49)

オーディオの想像力の欠如した耳は、音楽の美を感じとれない(聴きとれない)耳のことだ。

Date: 2月 27th, 2019
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その48)

オーディオの想像力の欠如した耳は、音の美を感じとれない(聴きとれない)耳のことだ。

Date: 2月 27th, 2019
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その47)

オーディオの想像力の欠如した耳は、音ありき、ということすら忘れてしまうようだ。

Date: 2月 27th, 2019
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その46)

オーディオの想像力の欠如した耳は、情報量、情報量とバカのひとつ憶えのようにくり返すだけ。

Date: 2月 27th, 2019
Cate: audio wednesday

第98回audio wednesdayのお知らせ(新月のaudio wednesday)

3月のaudio wednesdayは6日。
3月の新月は7日、1時5分である。

たいていaudio wednesdayは23時30分ぐらいまで音を鳴らしているから、
3月6日のaudio wednesdayは、かぎりなく新月に近い状態での音となる。

2016年8月のaudio wednesdayも、新月に近かったので、マーラーの交響曲だけを鳴らした。
今回は、2月のaudio wednesdayの続きとして、2018年にやり残したことがテーマだから、
マーラーだけ、とはならないが、最後の曲はマーラーの交響曲にすると決めている。

2月のaudio wednesdayで最後にかけたのは、
ジネット・ヌヴーのブラームスのヴァイオリン協奏曲(ライヴ録音)だった。

2月のaudio wednesdayに来てくれた人の心に、ヌヴーの演奏がどう響いたのか。
一人一人に確認したりはしなかったが、
少なくとも無反応ではなかった。

最後にかける曲が、そんなふうに鳴ってくれると、鳴らしているこちらとしては満足感がある。

2016年8月に、最後にかけたマーラーはジュリーニの九番だった。
何番にするのか、指揮者は誰なのか。
今回は、まだ決めていない。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時からです。

Date: 2月 26th, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、オーディオ評論のこと

MQAについて、ほぼ全否定といえる内容のブログを書いている人、
その人の自己紹介欄には、オーディオ&ビジュアルライター/評論家、とある。

さらにこれまでの執筆履歴もある。
その人を,私はまったく知らなかったけれど、こうなるともうオーディオ評論家であり、
アマチュアではない、といえる。

といってもオーディオ評論家(職能家)ではない。
かといってオーディオ評論家(商売屋)かというと、
いまのところなんともいえない。

たった二本の記事を読んだだけの私の予感では、
その人はオーディオ評論家(職能家)にはならない(なれない)。

オーディオ評論家(商売屋)へとなっていくのか。

二本の記事を読んで感じたのは、薄っぺらだな、ということだった。
書いている内容の薄っぺらさ、ということではなく、
読んでいる人を勇気づけることのできない、という意味での薄っぺら、である。

別に、その人だけのことではない。
いまオーディオ評論家と名乗っている人たちの書く文章、もうすべてといっていい。
どれを読んでも、勇気づけられることは、まったくない。

しつこいくらい書いているが、私は「五味オーディオ教室」から始まっている。
そして1976年末からステレオサウンドを読みはじめた。

そういう私にとって、五味先生の文章、私が先生と呼ぶ人たちの文章は、
読むことで勇気づけられることがあった。

オーディオとパーソナルコンピューターが接近し出して、
PCオーディオとかネットワークオーディオとか、そんなふうに呼ばれる時代が来た。

コンピューターに詳しい人たちが、オーディオの世界に入ってくるであろう、と予想できた。
そうなってきている。

けれど、その人たちが新しい才能をひっさげて来ている、とは、いまのところ感じない。
薄っぺらさだけが、いまのところ感じている。

勇気づけられる──、
ということ読み手は求めなくなっているのか。