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Date: 4月 18th, 2019
Cate: 真空管アンプ

Western Electric 300-B(その15)

伊藤先生の349Aのプッシュプルアンプの製作記事は、
1973年の無線と実験に載っている。

私が持っているのは記事をコピーしたものをさらにコピーしたもので、
何月号なのかははっきりしない。

記事の冒頭に《昭和48年の御代》と書かれているから、
1973年であることは間違いない。
251ページから255ページにわたって掲載されている。

回路図には出力トランスの一次側インピーダンスは8kΩとなっているが、
実際のアンプは10kΩである。

出力トランスはラックスのCSZである。
この10kΩ(カタログには載っていないはず)という値が、
最終的にはネックとなり、片チャンネル、出力トランスが断線してしまい、
修理が非常に困難になってしまっていた。

そんなわけで伊藤先生の349Aプッシュプルアンプを聴いたのは一度きりである。
けれど、その一度きりはじっくりと聴くことができた。

アナログプレーヤーはEMTの927Dstで、
イコライザーアンプの出力をアッテネーターと通して349Aのアンプに入力。
スピーカーはJBLの2ウェイで、
ウーファーが2220、ドライバーは2440(2441ではなかったはず)でホーンは2397。

エンクロージュアはステレオサウンド 51号で、細谷信二氏担当の記事、
ジェンセン型のモノである。

この構成からわかるように、スピーカーはナロウレンジ、高能率である。
349Aプッシュプルアンプも、実はナロウレンジといえる。

製作記事の最後のページには、測定結果が載っている。
周波数特性グラフをみると、低域特性は、-3dBポイントがおおよそ70Hzである。

349Aは五極管で、出力段は三極管接続でもUL接続でもなく、
五極管接続で、出力トランスの二次側からのNFBはかけられていないのは、既に書いてる通り。

それに位相反転段と出力段とのあいだのカップリングコンデンサーの容量からいっても、
低域特性が最低域までフラットになるわけがない。

些細なことだが、回路図では0.05μFとなっているが、
使われいてるのは0.047μFである。

回路図と実際のアンプを比較していくと、コンデンサーの容量は、わずかだが違うところがある。
もっとも特性的にはほとんど差違はないといっていいくらいの違いである。

ナロウなスピーカーにナロウなアンプ。
カートリッジもまだSFLは登場していなかったから、こちらもワイドレンジとはいえない。
EMTのイコライザーアンプも、入力と出力にトランスがあるし、
トランジスター式とはいえ、古い回路構成である。

なのにまったくナロウレンジとは感じなかった。

Date: 4月 18th, 2019
Cate: 書く

毎日書くということ(仕舞っていくために)

こうやって毎日書いているわけだが、
最近になって、こうやって書くことで、
私にとって大切なことをきちんと仕舞っていこうとしているのだということに気づいた。

ここで読んでいる人のなかには、
どうでもいいこまかなことにこだわって……とか、
独断過ぎる……、とか、
そんなふうに感じている人もいようが、
案外、それが正しい受け止め方なのかもしれない。

私にとって大切なことを仕舞っていくために書いているのだから、
ほかの人にはどうでもいいことが私にとっては大切なことであったり、
ほかの人にとって大切なことが私にはさほど重要ではなかったりして、当然だろう。

それに大切なことを持っていない人もいるのかもしれない。

Date: 4月 17th, 2019
Cate: オーディオマニア

平成をふり返って(その2)

西荻窪にはつねというラーメン店がある。
良く知られている店だ。

ステレオサウンドにいたころ、西荻窪に住んでいた。
会社の帰りや行きに、
オーディオ評論家のところに資料を届けたり、原稿を受けとったりするのに便利ということもあっての、
西荻窪という選択だった。

私がいたころのステレオサウンドは10時出社18時退社だった。
忙しい時期は無理だけど、残業のない時期は、18時ぴったりに会社を出れる。

そのころのはつねは19時閉店だった(いまは17時閉店)。
寄り道することなくまっすぐ西荻窪を目指せば、19時の閉店に間に合う。
それに、いまのように行列もなかった。

はつねの閉店に間に合う時期には、週二回は行っていた。
三回の時もあったほどに気に入っていた。

西荻窪を離れてからは足が遠のいた。
それに行列店になってしまったし、閉店の時間も早まった。

ここ数年、思い出して行っている。
今日も17時になんとか間に合った。
最後から二人目の客になった。

店の雰囲気は、昔とほとんど変らない。
以前は七席あったと記憶していたが、いまは六席である。

私の分が出来上るまでの待ち時間、気づいたことがある。
満席だった客、誰もスマートフォンを触っていないことに気づいた。

食べている人はもちろんだが、待っている人誰もスマートフォンを触っていない。
私は昔と同じように店主がつくるのを眺めていた。

途中で、私のあとに入ってきた本日最後の客となった人がスマートフォンを取り出すまで、
はつねの店内は昭和のようだった。

Date: 4月 17th, 2019
Cate: audio wednesday

第100回audio wednesdayのお知らせ(メリディアン 218を聴く)

あと二週間で、令和になる。
二週間後の水曜日、audio wednesday。
ちょうど100回目である。

100回だからといって、特別なことをやるわけではない。
いつものようにやっていくだけではある。

それでも新元号の最初の日が、ちょうど100回目という偶然は、
これまで欠かさずやってきた者としては、ちょっぴり嬉しい。

しかもメリディアンの218を聴ける。
これまで三回聴いてきたメリディアンのULTRA DACは素晴らしい。
ずっと聴き続けていたい、と毎回思う。

それでもすぐに手を出せる価格ではない。
ULTRA DACを聴いた人は、
ポンと買える人を除けば、皆、もう少し手の出しやすい価格で──、と思っているはず。
私だってそう思う。

218の存在は気になっていた。
まだ聴いていない。
5月1日のaudio wednesdayで初めて聴く。

少し実験的な使いこなしをやってみようと考えている。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時からです。

Date: 4月 17th, 2019
Cate: ディスク/ブック

ブラームス 弦楽六重奏曲第一番 第二番(その7)

M君は東大に、
T君は航空自衛隊に、
それぞれ明確な目標を持っていた。

この二人とは違うけれど、忘れられない友人にA君がいる。
彼は東京から、小学五年のときに転校してきた。

20代まで私はガリガリだった。
A君もまた痩せていた。
二人とも、青瓢箪といわれてもいた。

それだからなのか、不思議と仲がよかった。
A君とは中学一年まで、約三年間同じクラスだった。

A君が東京から、熊本の片田舎に引っ越してきた理由は、
布教活動だった。

A君の一家はみなエホバの証人の信者だった。
だからといって、私にエホバの証人のことをすすめたりはしなかった。

けれど中学に入ると、体育の授業で柔道の時間がある。
A君は、エホバの証人の教えに反するという理由で、柔道のときには見学していた。

A君は、いろんなことに真面目だった。
勉強もよくできた。

けれどA君は高校進学をしなかった。
仕事に就き、布教活動に専念していた。

中学二年からは別々のクラスだったし、
そういうわけでA君は高校にいかなかったけれど、つき合いは続いた。
私が上京してからも、手紙のやりとりを何度かしていた。

当時はインターネットもスマートフォンもなかったし、
電話代も、東京と熊本とでは高かった。

A君はわりと早くに結婚した。
エホバの証人の女性と、である。

A君ならば、いい高校に行けたはずだし、大学もかなりのところに合格したと思う。
エホバの証人の信者でなければ、
信者であっても、不真面目な信者であったならば、
就職先にしても条件のいいところに入れただろうし、
ずっと裕福な生活を送っていただろうに……、と思ったことがある。

そんなことは彼に言ったことはないし、
もう会わなくなってけっこう経つ(単に私が帰省していないだけなのだが)。

以前は成人してからも、帰省したときに会っていた。

T君もM君も、自らの夢(目標)に向っていた。
A君は、そうではない(と私の目には映っていた)。

親が決めた、もしくはエホバの証人が決めた道を歩んでいる。
でもA君の口から、愚痴めいたことはいままで聞いたことがないし、
A君は幸せそうである。

Date: 4月 16th, 2019
Cate: 真空管アンプ

Western Electric 300-B(その14)

私が、心底美しいと感じた最初の真空管アンプは、
伊藤先生のEdのプッシュプルアンプだった。

このアンプとそっくりなアンプを自作したい、と思ったのが、
真空管アンプについて勉強するようになったきっかけでもある。

アンプだけではなかった、
Edという、初めて見る(知る)真空管も美しい、と感じていた。

私はST管があまり好きではない。
いかにも真空管という感じがしているからで、
シーメンスのEdのような形が、私の好きな真空管である。

それでも音を聴くと、結局ウェスターン・エレクトリックの真空管ということになる。
伊藤先生のEdのシングルアンプを聴いたのは、
349Aプッシュプルアンプの一年ぐらいあとである。

その時のことは別項で書いているのでくり返さないが、
やっはりウェスターン・エレクトリックなのか……、と実感させられた。

なんだろうなぁ、と、伊藤先生のアンプの音を思い出す度に考える。
349Aプッシュプルアンプの出色の音の良さは、
音楽がデクレッシェンドしていくときの美しさにある。

すーっと音がひいていく。
それまで、そんなふうにデクレッシェンドの美しさを表現してくれるアンプと出逢ったことはない。

アンプだけではない、そういう音そのものを聴いたことはほとんどない。

五味先生は「五味オーディオ教室」、
《はじめに言っておかねばならないが、再生装置のスピーカーは沈黙したがっている。音を出すより黙りたがっている。これを悟るのに私は三十年余りかかったように思う》
と書かれていた。

スピーカーは沈黙したがっている──のかもしれない。
けれど、アンプやプレーヤー、その他のことによって、素直に沈黙できないでいるのかもしれない。

Date: 4月 15th, 2019
Cate: 真空管アンプ

Western Electric 300-B(その13)

私にとって、最初のグッドリプロダクションのスピーカーはスペンドールのBCII、
最良のグッドリプロダクションのスピーカーはロジャースのPM510である。

BCIIを自分の手で鳴らすことはなかったけれど、
PM510は自分のモノとして鳴らしている。

このPM510を鳴らすためのアンプとして計画していたのが、
伊藤先生が無線と実験に発表された349Aのプッシュプルアンプである。

この349Aプッシュプルアンプが、私にとって最初の伊藤アンプである。
それ以前に真空管アンプは、自作のモノも含めていくつか聴いていたが、
まさか伊藤先生製作のアンプが、こんなにも早く聴ける日がくるとは思ってもいなかった。

東京に台風が接近して大雨だったある日、349Aアンプをじっくり聴く機会があった。
この時から、PM510を349Aプッシュプルアンプで鳴らそうという夢が始まった。

PM510は、まさしくグッドリプロダクションのスピーカーだった。
瀬川先生が、ステレオサウンド 56号に書かれた文章を、
手に入れる前に何度も何度も読み返していた。
     *
 JBLが、どこまでも再生音の限界をきわめてゆく音とすれば、その一方に、ひとつの限定された枠の中で、美しい響きを追求してゆく、こういう音があっていい。組合せをあれこれと変えてゆくうちに、結局、EMT927、レヴィンソンLNP2L、スチューダーA68、それにPM510という形になって(ほんとうはここでルボックスA740をぜひとも比較したいところだが)、一応のまとまりをみせた。とくにチェロの音色の何という快さ。胴の豊かな響きと倍音のたっぷりした艶やかさに、久々に、バッハの「無伴奏」を、ぼんやり聴きふけってしまった。
     *
《バッハの「無伴奏」を、ぼんやり聴きふけってしまった》とある。
まさにグッドリプロダクションである。

ぼんやり聴きふけりたい──、
そのためには、出てくる音のどこかにもどかしさを感じるようであってはだめだ。

HL Compactの音を聴いていて、
この場に瀬川先生がおられたら、HL Compactの音をどう表現されるだろうか──、
何度もそう思った。

音にもどかしさを感じるだけでなく、
そのもどかしさを言葉として表現できないもどかしさも感じていた。

瀬川先生なら、きっと、そのもどかしさを的確に表現されるはず──、
そう思っていた。

Date: 4月 15th, 2019
Cate: 真空管アンプ

Western Electric 300-B(その12)

300Bのアンプについて書いてきていたのに、
いきなりスピーカーのことを書き始めたのは、
ここで書いている300Bプッシュプルアンプは、
私にとってのグッドリプロダクション・アンプであるからだ。

ハーベスのHL Compactは、聴けば聴くほど、私はもどかしさを募らせていた。
聴く機会は多かった。

悪いスピーカーではない。
そんなことはわかっている。
それでも、聴き惚れることがない。
その音のどこにも、そういう要素が感じられない。

しかももどかしさが、どこかにある。
もどかしさがあるから、心地よくない。

私は、HL Compactの登場によって、ハーベスのスピーカーへの興味を失ってしまった。

HL Compactが1987年、それから16年後の2003年、
HL Compact 7ES3が出てきた。

このスピーカーも評価がよかった。
けれどハーベスのスピーカーに興味を失っていた私は、特に聴きたいとも思っていなかった。
それでも偶然、あるところで耳にしたHL Compact 7ES3の音は、
どうしても拭えなかったHL Compactのもどかしさがなかった。

HL CompactからHL Compact 7ES3のあいだに登場した他のハーベスのスピーカーは聴いていない。
だから何もいえないのだが、HL Compact 7ES3は、グッドリプロダクションである。

HL Compact、HL Compact 7ES3、
どちらもグッドリプロダクションだ、と思っている人は少なくない、と思う。
そういう人には、私がここで書いていることはわかってもらえないかもしれない。

けれど私と同じようにHL Compactに、なにかしらもどかしさを感じていた人もいると思う。
その人は、ここで書きたいと思っているグッドリプロダクション・サウンドを理解してくれるはずだ。

Date: 4月 15th, 2019
Cate: 真空管アンプ

Western Electric 300-B(その11)

High Fidelity ReproductionとGood Reproduction、
高忠実度再生と心地よい再生、

瀬川先生が、スピーカーを分類するときに使われていた。
私にとってのグッドリプロダクションのスピーカーといえば、
イギリスのスピーカーで、それもBBCモニターの流れを汲むモノである。

スペンドール、ロジャース、ハーベス、チャートウェルなどのメーカーがあった。
いまもブランドだけは残っているところもある。
ハーベスは、いまも生き残っている会社である。

ハーベスのデビュー作、Monitor HLは、フレッシュだった。
いいスピーカーだ、と思ったし、欲しい、とも思った。

スペンドールのBCIIよりも、その響きは明るかった。

そのハーベスも創立者のハーウッドが高齢のため引退し、アラン・ショウが引き継いでいる。
アラン・ショウによる最初のモデルは、HL Compactだった。

HL Compactの評価は高かった。
HL Compactが登場した時は、まだステレオサウンドにいたから、
皆がほぼ絶賛に近い褒め方だったのをみてきている。

けれど、私の耳には、ずいぶん変ったなぁ、と感じたし、
変ったこと自体は設計者が違うわけだし、時代の変化もあり、当然のことと受け止めても、
私がBBCモニター系のスピーカーに感じていたグッドリプロダクションといえるところが、
HL Compactからは消えていた。

消えていた、というのが大袈裟すぎるのであれば、かなり薄れてしまっていた。
HL Compactを聴いて、何か致命的な欠陥があるとは感じなかった。
バランスのいいスピーカーに仕上がっていた。

けれど、その音が私にとってはグッドリプロダクション(心地よい音と響き)ではなかった。

どうも、このグッドリプロダクションは、少し誤解されているようであるが、
やわらかくてあたたかくて、耳にやさしい感じで鳴る音だから、
グッドリプロダクションではない、と私は考えている。

確かに、そういう音は、心地よい音につながっていくことは多い。
けれど、どこかにもどかしさを感じてしまうと、
どんなに上質な、そういう音であっても、もうグッドリプロダクションではなくなる。

Date: 4月 14th, 2019
Cate: 真空管アンプ

Western Electric 300-B(その10)

6SN7による位相反転回路と出力段300Bとのあいだに、
E80CCによる増幅段を挿入するのであれば、
最初からE80CCの前段に入力トランスをおくことで、
ノイマンのV69aと同じ構成にすることができる。

こちらのほうが回路的にもすっきりしていて、信号が通る真空管の本数も少なくなる。
しかも私が考えているA10型300Bプッシュプルアンプにも、入力トランスを使うつもりだから、
よけいに6J7、6SN7による増幅段建位相反転回路は不要──、
そう受けとられがちになるだろう。

別項の「現代真空管アンプ考」で書いている(目指している)アンプならば、
そういう構成にするけれど、ここでの300Bプッシュプルアンプは、
そういうアンプはまったく考えていないし、
聴き手である(作り手でもある)私自身の、音楽の聴き手としての生理というか、
もっといえばオーディオマニアとしての生理、本能といったものに、
直截に向きあってのアンプに仕上げたいからである。

向きあって、と書いた。
(むきあって)は剥きあって、でもある。

剥くことによって、仕上げられるアンプというものがある、と考えるからだ。
それに剥くは無垢でもあり、
誰かに聴かせるためのアンプではない。

Date: 4月 13th, 2019
Cate: 老い

老いとオーディオ(長生きする才能・その1)

五味先生の「私の好きな演奏家たち」からの引用だ。
     *
 近頃私は、自分の死期を想うことが多いためか、長生きする才能というものは断乎としてあると考えるようになった。早世はごく稀な天才を除いて、たったそれだけの才能だ。勿論いたずらに馬齢のみ重ね、才能の涸渇しているのもわきまえず勿体ぶる連中はどこの社会にもいるだろう。ほっとけばいい。長生きしなければ成し遂げられぬ仕事が此の世にはあることを、この歳になって私は覚っている。それは又、愚者の多すぎる世間へのもっとも痛快な勝利でありアイロニーでもあることを。生きねばならない。私のように才能乏しいものは猶更、生きのびねばならない。そう思う。
     *
《生きねばならない》、
《生きのびねばならない》とある。

長生きする才能とは、生き延びることなのか。
生き延びるとは……、と考えると、
生き残る、生き続けるの違いについて思うようになる。

生き残る才能、生き続ける才能は、同じようでいて、同じなわけではない。
二つをひっくるめての生き延びる才能なのか。

そんなことを考えていると、そういえば、生き抜くもあることに気づく。

Date: 4月 13th, 2019
Cate: ディスク/ブック

Hallelujah(その1)

不意打ちのような出逢いがある。
ケイト・ブッシュとの出逢いが、
まさにそうだったことは、以前「チューナー・デザイン考(ラジオのこと)」で書いている。

FMエアチェックしたカセットテープから聴こえてきたケイト・ブッシュに、
まさしく背中に電気が走った──、という感覚を味わった。

ケイト・ブッシュのことは知っていたけれど、
歌謡音楽祭でケイト・ブッシュの歌っている写真をみて、
こういうタイプは苦手だなぁ……、と思っていたくらいだった。

そんな偏見をもっていたにもかかわらず、である。

音楽との不意打ち的な出逢いは、他にもある。

テレビは持っていないので、
日本のテレビドラマを見ることはほとんどないけれど、
海外のテレビドラマは、MacやiPadで見ている。けっこう見ている。

アメリカのドラマ、
クリミナル・マインド FBI行動分析課(原題:Criminal Mind)、
FBI失踪者を追え(原題:Without a Trace)などを見ていると、
毎回ではないが、事件は解決するものの、そこでは人が死に、
決してハッピーエンドでははなく、エピソードによっては、重い後味を残す。

そういう時に流れるのが、“Hallelujah”だ。

レナード・コーエンの曲である。
けれどドラマで使われていたのはレナード・コーエンによるものではなく、
ジェフ・バックリィによる“Hallelujah”だ。

“Hallelujah”との出逢いも、不意打ち的だった。
しみいる、とは、こういう時に使うといえばいいのか。
そういう感じの不意打ちだった。

“Hallelujah”は、ジェフ・バックリィだけでなく、
けっこうな数の人がカバーしていることを、その後知った。

ジェフ・バックリィの“Hallelujah”は、“GRACE”で聴ける。

ケイト・ブッシュにしても、
“Hallelujah”にしても、
カセットテープにFMを録音した音(しかもチューナーもデッキも普及クラス)、
パソコンからの音であったりして、たいした音で出逢ったわけではない。

それだから、よけいに不意打ちと感じるのだろうか。

Date: 4月 12th, 2019
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(ディフューザーの未来・その1)

川崎先生が「ディフューザーは音響の実は要だと思っている」というタイトルのブログを書かれている。

そこでの写真は、JBLの4343のスラントプレート型の音響レンズである。
現在JBLのホーン型スピーカーに、音響レンズを採用している機種はない。

一時期は、音響レンズといえばJBL、といえるくらい、
音響レンズに積極的なメーカーだった。

以前書いていることだが、
JBLはこれからも音響レンズ付きのホーンをつくることはまずない。

日本のハーマンインターナショナルが、4343の復刻モデル、
もしくはリファインモデルを、という要望をJBLに出したところ、
音響レンズ付きのモデルは、過去の遺物──、
そんな返事があった、ときいている。

これは、日本からのリクエストが音響レンズつきのモデルを、であったことを語っている。

4348を見てみればいい。
4343の最終的な後継機種といえる4348。
音を聴けば、4344よりも4348こそが4343の後継機種と納得できるところはある。

あるけれど、ホーンを見てほしい。
そこには音響レンズはない。

ホーンの開口部に、音響レンズのたぐいをおく。
そのことのデメリットをJBLは承知している。
おそらく、現在のJBLのホーンの開発者たちは、
過去の音響レンズつきのホーンを全否定するであろう。

確かに音響レンズに問題がないわけではない。
例えば4343にもついているタイプの音響レンズ。
一枚一枚の羽の両端は、ほぼフリーといえる状態である。

羽と羽のあいだに、消しゴムを小さく切って挿んでいく。
これをやるだけで、羽を指で弾いた時の音が大きく変化する。

音を鳴らしてみても、変化は誰の耳にも明らかである。
4343、4344、4350などのスタジオモニターを鳴らされている方のなかにも、
音響レンズを外してしまった、という人がいる。

外すことによって、音響レンズが介在することによる付帯音はなくなる。
羽と羽とのあいだに消しゴムの小片を挿むのも、付帯音を減らすためである。

Date: 4月 11th, 2019
Cate: 真空管アンプ

Western Electric 300-B(その9)

ウェストレックスのA10は、初段が6J7(五極管)で、
位相反転回路が一種のオートバランス型で、ここには6SN7が使われている。

そして出力段が350Bのプッシュプル(五極管接続)となっている。
350Bを四本使用のパラレルプッシュプルがA11である。

実際には6J7による前段回路が、初段の前にあるが、
一般的なオーディオアンプとして、A10のレプリカの製作記事では、
この6J7による回路は省かれる。

伊藤先生が無線と実験に発表された349Aのプッシュプルアンプは、
初段がEF86、位相反転回路がE82CC、出力段が349Aとなっていて、
やはり前段の6J7の回路は省かれている。

NFBは出力トランスの二次側からではなく、出力段からでもなく、
位相反転回路から初段へとかけられている。

A10そのままの回路では、300Bの深いバイアス電圧に対して十分な電圧とはならない。
6SN7による位相反転回路の出力電圧は上側の6SN7が30V程度で、
下側は2V弱高くなる。

30Vちょっとでは300Bには足りない。
だから位相反転回路と出力段のあいだにE80CCによる増幅段を挿入する。

信号部には、300Bの二本を含めて、計五本の真空管を使う。
電源部もダイオードではなく整流管にするから、
真空管は六本使うことになる。

この回路で300Bプッシュプルを作りたい、と考えている。
300Bは固定バイアスではなく、自己バイアスにする予定。

NFBのかけ方も、A10に準ずる。
出力トランス、出力管からNFBを戻すようなことはしない。

もちろんそうしたほうが周波数特製も歪率も良くなるのはわかっていても、
そういうことは、ここでの300Bプッシュプルアンプには必要ない、と決めてかかっている。

Date: 4月 10th, 2019
Cate: ディスク/ブック

FAIRYTALES(その4)

ラドカ・トネフの“FAIRYTALES”は、
通常のCDでもあり、MQA-CDでもあり、SACDでもある。
ハイブリッド盤であり、一枚で三つの音が楽しめる。

その3)で、
“FAIRYTALES”が、MQA-CDとSACDのハイブリッド盤であるということは、
自信のあらわれであろう、と書いた。

3月のaudio wednesdayで、“FAIRYTALES”をかけた。
このときはマッキントッシュのMCD350でかけた。
SACDとして鳴らした。

この時の音もなかなかよかった。
アルテックのスピーカーとは思えないほどしっとりした感じで鳴ってくれた。
その鳴り方に、少し驚きもした。

4月のaudio wednesdayで、ULTRA DACでMQA-CDとして鳴らした。
ラドカ・トネフの声が聴こえてきた瞬間、
アルテックって、こんなふうに鳴ってくれるのか? と心底驚いた。

別項「メリディアン ULTRA DACを聴いた(その17)」で引用した瀬川先生の文章を、
今回もまた強く意識していた。

アルテックのスピーカーに、こういう面があったのか、
認識不足といわれようと、ラドカ・トネフが、こんなふうにしっとりと鳴ってくれるとは予想できなかった。

SACDで聴いた音を、しっとりと表現しているけれど、
MQA-CDとULTRA DACで「しっとり」は、虚と実といいたくなるほどの違いがある。

もちろんMCD350とULTRA DACとでは、製品の価格帯が大きく違う。
同列に比較できないのはわかっている。

わかっているけれど、ここでの音の違い、
それもしっとりと表現したくなる音の違いは、そんなことを超えている。

3月のaudio wednesdayでのSACDのラドカ・トネフの歌(声)は、よかった。
よかったけれど、ステレオサウンドの試聴室で、
山中先生が持ってこられたときに聴いているラドカ・トネフの印象とは、やや違っていた。

その違いは、いろいろなところに要因があるから、そういうものだろう、という、
ある種の諦め的な受け止め方もしていた。

けれど、どうもそうではないようだ、と気づかされた。