audio wednesday (next decade) –第十九夜(さそうあきら氏のDJ)
8月6日のaudio wednesdayの告知を、DJのさそうあきら氏がX(旧twitter)でされています。
野口晋哉氏の全生新舎のXでも告知されてます。
8月6日のaudio wednesdayの告知を、DJのさそうあきら氏がX(旧twitter)でされています。
野口晋哉氏の全生新舎のXでも告知されてます。
(その1)の最後に、
聴き手に届く音とそうでない音は何が違うのか。
輝きである。
と書いた。
ここでの輝きとは、中高域が張り出してブライトな音のことではない。
昔からのオーディオマニアだと、古いアルテックのスピーカー、
604シリーズをあまりうまく鳴らせなかった時のような音を想像されるかもしれない。
くり返すが、ここでいう音の輝きは、そういう音のことではない。
あまりこういう表現は使いたくないのだが、
オーラを感じさせる音を、私は聴き手に届く音と捉えているし、音の輝きとは、そういうものである。
つい先ほどまで、8月6日のaudio wednesdayで鳴らすスピーカーを決めるために、
さそうあきら氏にシーメンスのオイロダインとウェストレックス・ロンドンを聴き比べをお願いしていた。
厳密な比較試聴ではなく、おおまかな、二つのスピーカーの音の傾向を知ってもらうための試聴で、アキュフェーズのA 20Vに、
iPhoneとD/Aコンバーター兼ヘッドフォンアンプを接続して行った。
一曲ごとにスピーカーを切り替えて聴いてもらった。
8月6日に鳴らすスピーカーは、ウェストレックス・ロンドンに決まった。
当日は、ウェストレックス・ロンドンにエラックのリボン型トゥイーター、4PI PLUS.2を足して鳴らす。
SUMOのTHE GOLDと同時期にアキュフェーズからP400が登場した。
200W+200Wのパワーアンプで、コントロールアンプC240とペアとなるモデルだ。
P400には、ヤマハのプリメインアンプ同様、A級動作への切り替えが可能だった。
その場合、出力は50W+50Wと四分の一となり、パイオニアのExclusive M4と同じ規模のアンプとなる。
P400のA級動作時の音は、短い時間しか聴いていない。Exclusive M4のライバル機だと感じていたし、
Exclusive M4が作ったA級アンプの音のイメージの中での、
パイオニアの音、アキュフェーズの音というふうにも捉えることができる。
こうやって振り返ってみると、
Exclusive M4、P400、ヤマハのプリメインアンプのA級動作の音は、
あくまでも日本のA級アンプの音だったことに気づく。
そして、いまアキュフェーズのA20Vを聴くと、もうそこには日本のA級アンプの音のイメージはない。
中には、いまでも感じられるという方もいるかもしれないが、
私の耳には、そうは聴こえない。
Exclusive M4、P400の音は、古き良き時代の日本のA級アンプの音なのだろう。
audio wednesdayを再開して一年半ほど経って改めて思うのは、
音を出して、誰かに聴いてもらうのは、まず音を出す自分が楽しんでいることが、大事だということ。
これはオーディオショウでも同じはずだ。
それぞれのブースで音を出している人が楽しんでいなければ、来て聴いている人が楽しむことはない。
オーディオショウでは、仕事だから、そんなふうに楽しめない──、そんな意見もあるかもしれないが、
仕事と割り切って出ている音を、楽しんで聴いてくれる人はいないはず。
私がパイオニアのExclusive M4を初めて聴いた時、
すでにマークレビンソンのML2は市販されていたが、
ML2を聴いたのは、その一年ほど後だった。
ML2に関する記事は、ほぼ全て読んでいた。
どんなにすごい音が聴けるんだろか──、
試聴記を何度も読み返しては想像していた。
こんなことをやっていると一方的に期待が膨らみすぎて、実際に、その音を聴くと、こんなものなのか……、と思うこともある。
ML2の音は違った。
ステレオサウンド 45号にあった新製品紹介記事の通りだ、と感じたし、
そのころは瀬川先生による文章もいくつかあって、これらにも頷いた。
Exclusive M4とは、まるで違う。
違って当然なのであって、A級アンプということにとらわれすぎていたともいえる。
アンプの動作方式だけで、そのアンプの音がおおかた決まるわけではない。あくまでも一要素に過ぎないのはわかっていても、
オーディオマニアにとって、管球式OTLアンプとA級アンプは、
どこか特別な響きを持っている。
ML2の二年ほど後に、今度はSUMOのTHE GOLDが登場した。
A級で、出力は125W+125W。ML2が25Wだったのに対し、五倍の出力を持つ。
THE GOLDは、私にとっては特別な存在のアンプだ。このことは、以前別項で触れているので省略するが、
THE GOLDを手に入れたことで、アンプに対する考えは、かなり変っていった。
もちろんML2も、特別な存在ではあるけれど、個人的な思い入れが、THE GOLDに加わってくる。
とにかくML2とTHE GOLDによって、少なくとも私の中にあったA級アンプの音のイメージは、完全に消え去った。
パイオニアのExclusive M4と同時代のスタックスのA級アンプは、三機種、どれも聴く機会はなかった。
1980年代にスタックスが出してきたタワー型のDA100Mは、
ステレオサウンドの試聴室で、まだ試作機の段階のモノから製品化されてからも、
何度か聴いている。
けれど、このアンプの音が、それ以前の三機種の音を受け継いでいるのかは、なんとも言えない。
まず私が聴いていないこともあるが、DA100Mはスタックスの創始者によるモデルではなく、
二代目の方によるモデルという印象が、当時からかなり強く感じていた。
DA80、DA300の音は、当時の試聴記を読んで想像するしかない。
A級アンプという括りでアンプの音が決まるわけではないことは承知の上で、
いま読み返してみると、私としてはけっこう面白く感じている。
パワーアンプとしては、パイオニアとスタックスだけどいえる状況だったが、
プリメインアンプではヤマハがA級動作への切り替え機能を搭載していた。
私は聴く機会がなかったが、どのくらいの人がスタックスの音を聴いているのだろうか。
少なかったのだとしたら、
日本において、A級アンプの音のイメージを作ったのは、
やはりExclusive M4だろうし、
そこにヤマハのプリメインアンプも加わっていた。
パイオニアのExclusive M4は何度か聴いているし、
その改良モデルのExclusive M4aも聴く機会は多かった。
いまもし、新品に近いコンディションのM4とM4aがあれば、
私が欲しいのはM4である。
アンプ単体としては、M4aが完成度は高くなっているという評価を受けるだろうが、
瀬川先生が書かれているM4ならではの特徴が、M4aでは薄れていると感じられるからだ。
あの頃、A級アンプの音の代名詞とも言えたM4は、機会があれば、ぜひ聴いてみたいのだが、
現実問題として、コンディションのいいM4は、かなり少ないだろう。
ソーシャルメディアを眺めていると、オーディオマニアが自分のシステムの写真を公開しているのが表示される。
それらの写真を眺めて思うのは、
プリメインアンプ、パワーアンプをなぜ押し込めるのか、だ。
ラックに収納ではなく、押し込める、としたのは、
アンプの上部に十分な空間がないからだ。
けっこうな発熱のアンプなのに、10cmも開いていなかったりする。
そんな状態で使っていたら、アンプ筐体内の温度はかなり上昇する。
発熱がそれほどないアンプであっても、こんな置き方をしていたら、熱がこもって熱くなる。
以前、マッキントッシュのパワーアンプのフロントパネルが熱くなる、という投稿を、
ソーシャルメディアで見かけた。
けっこう前のモデルで、以前ステレオサウンドでもリファレンス的に使っていたからはっきり言えるのだが、
このモデルのフロントパネルが熱くなるのは、置き方に問題があるからだ。
押し込めた置き方では、熱の逃げ場がほとんどない。少ない発熱であっても、長い時間鳴らしていれば、熱くなってしまう。
そういう使われ方の写真をいくつも見ていると、外観はどんなにキレイでも、
内部の劣化は、また別だということを思うし、
外観と内部の劣化は、必ずしもイコールではない。
世界のコントロールアンプとパワーアンプ(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)で、
瀬川先生は、Exclusive M4について、こう書かれている。
*
たとえば入力に対する応答速度とか解像力という面からみれば、ごく最近の優秀な製品には及ばない。が、ここから鳴ってくる音のニュアンスの豊かな繊細なやさしさは、テストソースの一曲ごとに、ついボリュウムを絞りがたい気持にさせてしまう。そのこと自体がすでにきわめて貴重であることを断わった上で細かなことを言えば、それぞれの単体のところでも書いたように、繊細さの反面の線の弱さ、柔らかさの反面の音の密度の濃さや充実感、などの面でわずかとはいえ不満を感じないとはいえない。本質的にウェットな傾向は、曲によっては気分を沈みがちにさせるようなところがなくもない。ただ、そうした面を持っているにもかかわらず、菅野録音のベーゼンドルファーの音を、脂こさはいくぶん不足ながらかなりの魅力で抽き出したし、シェフィールドのダイレクトカットでさえ、意外に力の支えもあって楽しめた。アラ探しをしようという気持にさせない音の品位とバランスの良さが聴き手を納得させてしまう。
*
繊細で上品で、ウェットな音というのが、Exclusive M4の音のイメージであり、
これはそのまま当時のA級アンプの音のイメージだった。
このころA級アンプは、国産アンプしかなかった。少なくとも日本に輸入されていた海外製アンプには、なかった。
そこにマークレビンソンのML2が登場した。1977年のことだ。
ステレオサウンド 45号の新製品紹介の記事に登場している。
*
山中 このパワーアンプを開発するにあたってマーク・レビンソン自身は、本当のAクラスアンプをつくりたい、そこでつくってみたところがこの大きさと出力になってしまった。出力ももっと出したいのだけれど、いまの技術ではこれ以上無理なんだといっているのですが、いかにも彼らしい製品になっていと思います。
実際にこのアンプの音を聴いてみますと、今までのAクラスパワーアンプのイメージを打ち破ったといえるような音が出てきたと思うのですがいかがでしょうか。
井上 そうなんですね。いままでのAクラスパワーアンプは、どちらかといえば素直で透明な音、やわらかい音がするといわれてますね。それに対してこのアンプではスピーカーとアンプの結合がすごく密になった感じの音といったらいいのかな……。
山中 その感じがピッタリですね。非常にタイトになったという感じ。スピーカーを締め上げてしまうくらいガッチリとドライブする、そんな印象が強烈なんです。
井上 一般的に「パワーアンプでスピーカーをドライブする」という表現が使われるときは、一方通行的にパワーアンプがスピーカーをドライブするといった意味あいだと思うのです。このマーク・レビンソンの場合は対面通行になって、アンプとスピーカーのアクションとリアクションがものすごい速さで行われている感じですね。
山中 ともかく片チャンネル25Wの出力のアンプで鳴っているとは思えない音がします。この25W出力というのは公称出力ですから、実際の出力はもう少しとれているはずですし、しかもインピーダンスが8Ω以下になった場合はリニアに反比例して出力が増えていきますから、やはり電源のしっかりしたアンプの底力といったものを感じますね。
井上 昔から真空管アンプのパワーについて、同じ公称出力のトランジスターアンプとくらべると倍とか四倍の実力があるといったことがよくいわれていますね。
山中 それに似た印象がありますね。
井上 でも真空管アンプというのはリアクションが弱いでしょ。やっぱり一方通行的な部分があって、しかも反応がそんなに速くない。アンプとの結びつきが少し弱いと思うのだけど、この場合はガッチリ結びついた感じのするところが大変な違いだと思います。
山中 とにかく実際にこのアンプを聴いた人はかなり驚かされることになると思います。
*
マーク・レヴィンソンは、ML2以前、自社製のパワーアンプを持たない時期、
スタックスのパワーアンプとExclusive M4を使っていたことを、後で知る。
井上先生が1970年代の終りごろから1980年代にかけていわれていたことは、
日本での、あたたかくてやわらかい、という真空管アンプの音のイメージは、
ラックスのSQ38FD/II(過去のシリーズ作も含めて)によって生れてきたものだ、だった。
同じ意味で、日本においてA級アンプの音のイメージをつくってきたのは、
パイオニアのExclusive M4といえよう。
トランジスターアンプが登場するまでは、言うまでもなく真空管アンプしかなくて、
だからと言って、市販されていた全ての真空管アンプの音が、
柔らかくあたたかい音なわけではなかった。
いろんな音のするアンプが、これまた当たり前すぎることだが、あった。
なのにいつごろから日本では、真空管アンプの音の特徴として、
柔らかくあたたかくて、その反面、音がやや甘い──、
そんなイメージで語られていた時期がある。
だから弦楽器(特にヴァイオリン)、それから女性ヴォーカルを、
しっとり艶やかに聴きたいのであれば、真空管アンプが向いている、そんなことも一緒に語られていた。
同じことが、ほぼ同時代、トランジスターアンプでヴァイオリン、女性ヴォーカルをそんなふうに聴きたいなのであれば、
A級動作のアンプといわれていたのは、Exclusive M4の音のイメージからだろう。
1976年、私がオーディオに興味を持った時期、確かにそんな感じだったし、
私もそれに影響されて、女性ヴォーカルを聴くのであればA級アンプしかない──、そんな思い込みを持っていた。
確かに、Exclusive M4の音はそうだった。
私が初めて聴いたA級アンプは、Exclusive M4だっただけに、
そう思い込むのも、若さ(幼さ)もあってのこと。
このころA級アンプは少なかった。
パイオニアからM22、スタックスのDA80、DA80M、DA300ぐらいしかなかった。
文春オンラインで公開されている記事を読んだ。
「ルポ 誰が国語力を殺すのか」という記事で、
サブタイトルとして、
「死体を煮て溶かしている」『ごんぎつね』の読めない小学生たち…石井光太が明かす“いま学校で起こっている”国語力崩壊の惨状
と付いている。
読んでほしい。
一部の限られた学校もしくはクラスだけのことではないのがわかる。
オーディオ評論だけに絞ってみても、こういう世代の読者を相手にしていくことになるのか。
だとしたら、どんなオーディオ評論となっていくのか。
かたちを持たない、抽象的な音を言葉で表現し伝えていくことは、どうなっていくのだろうか。
ラジオ技術が、これからも年一冊のペースであっても発売されるのかは、わからない。
通巻989号の目次を見ていると、去年発行されるはずだった内容だとわかる。
一年遅れて発売になったわけで、
今年の春まで更新されていた組版担当の方のX(旧twitter)を読んでいた者からすると、
990号に関しては、あまり期待できない(それでも少しは期待している)。
ラジオ技術は、新しい号を出していくのもいいけれど、
過去の記事を全て電子書籍化してほしい。
オーディオ、音楽とは関係ないジャンルだが、月刊住職という月刊誌がある。
1974年に創刊されている。
この月刊住職は、五枚組のDVD-ROMがある。
創刊号から2019年の12月号までの全ページをPDFにしたものを収録している。
同じことをラジオ技術もできるはずだし、ぜひやってほしい。
スピーカーに求められるのは、音の表現力、ひいては音楽の表現力だけだろうか。
もっと大切なことは、洞察力のはずだ。
音への洞察力、音楽への洞察力──、
抽象的すぎるのはわかっている。
それでもスピーカーによって、洞察力は違ってくるし、
洞察力をほとんど持たないとしか思えないモノもあることは事実だ。
ソーシャルメディアとのつき合い方は、特にfilteringだ。
誰をフォローするのか。
読みたいことのみをフォローしているようで、
読みたくないことを拒絶している。
自分と同じ意見、考えを持つ人、その投稿ばかりを追いかけて、
そのことだけで世界観を構築してしまう。
そういう使い方をしている人ばかりでないことはわかっているが、
そういう使い方をしている人も少なくないようだし、
知人の一人も残念なことにそうである。
そして凝り固まっていき、余計に拗らせているように見える。
本人は真理に迫りつつある──、という認識のようだ。
filteringとは、そういうことでは、本来ないわけなのに、そうなっていってしまう。
ソーシャルメディアがなければ袋小路にぶち当って、
そこで考えを改める機会にもなるだろうが、
ソーシャルメディアはそうじゃない。
どこまでもどこまでも、悪い意味でつき進める。
ラジオ技術の最新号が発売になっている。
通巻989号であり、一年以上経っての発売。
秋葉原の万世書房で購入できるが、ラジオ技術のウェブサイトには、まだ告知されていない。
来年、990号が出るのか。
毎年一冊ずつ出て、2036年に通巻に1000号となるのか。