audio wednesday (next decade) –第十四夜(FRANCO SERBLIN Ktêma + Meridian ULTRA DAC)
3月5日のaudio wednesdayは、フランコ・セルブリンのKtêmaを、
メリディアンのULTRA DACを用意して鳴らす。
アンプはアインシュタインのOTLアンプがメインになる予定。
3月5日のaudio wednesdayは、フランコ・セルブリンのKtêmaを、
メリディアンのULTRA DACを用意して鳴らす。
アンプはアインシュタインのOTLアンプがメインになる予定。
昨晩のaudio wednesdayの後半で鳴らした「幻の名器」とは、
ウェストレックスの10Aである。
2023年夏に、野口晴哉氏のコレクションの中に10Aを見つけた。
まさかあるとは思ってなかったし、10Aは写真と記事でしか知らなかった。
しかも無造作にプレーヤーの周辺にあった。
立派な箱に収められていたわけではなかったから、
余計に驚きは大きかった。
この10Aがきちんと動作するのかどうか、
いきなりトーンアームに装着して鳴らそうとは思わなかった。
まず、信頼できる技術を持っているところでチェックしてもらい、
整備が済んでから、と考え、ある人にお願いして、
ある会社でやってもらっている。
2023年秋には戻ってきていたけれど、鳴らすことはしなかった。
昨晩、初めて鳴らす。初めて10Aの音を聴いた。
昨晩のaudio wednesdayでも、数人の方から、
「エソテリックのブースの音、そうですよね」と声をかけられた。
誰も言わないから、そう感じているのは自分だけかも……、と思われていたのかもしれない。
私がはっきりとエソテリックのブースの音はひどいと書いたから、
やっぱりそうなんだ、と思われたのかもしれない。
今回こそは、じっくり聴こうと思っていても、エソテリックのブースの音は、
長くいられない、とも一人の方は言われた。
今年のインターナショナルオーディオショウでの音が、どうなのか。
エソテリックの関係者がここを読んでいるとは思えないし、
仮に読んでいたとしても、音がわからない奴に何を言われても関係ない──、
そんなふうに受け止めているだけかもしれない。
昨晩のaudio wednesdayで、ようやくフランコ・セルブリンのKtêmaを鳴らせた。
どんな人なのか、全くわからない人が鳴らす音を聴いて、
うん、このスピーカーは……、と断言することは、まず無理だ。
信頼できる人が鳴らした音を聴いての判断、
そして自分の手で鳴らしてみてこそ、そのスピーカーに試されることになる。
試されてこそ、そのスピーカーが自分にとってどういう存在なのかが、
少しずつはっきりしてくるはずだ。
2月と3月、二回鳴らせるわけだから、
今回はアナログディスクで鳴らすことにしたのは、
別項で書いているシルヴィア・シャシュのLPを手に入れたからでもある。
なので一曲目は、シルヴィア・シャシュの「清らかな女神よ」(Casta Diva)をかける。
一曲目はこれになるわけだが、当日は14時半ごろからセッティングにとりかかり、
Ktêmaの開梱、スパイクの取り付け、ベースの上に設置などやっていた。
今回は、ベースにしてもケーブルにしてもどこでも入手できるモノばかり。
高価なモノは、一つも使っていない。
スピーカーケーブルは、オーディオテクニカの平行二芯。1mあたり数百円のモノ。
ベースに設置して結線が終って、まず音出し。
少しでも早く音を聴きたかった(確認したかった)ので、
iPhoneを使って音出し。
しかも細かなスピーカーの位置出しは、まだ。
そんな状態でも、いい感じで、ヘンリック・シェリングのバッハの無伴奏が響いてきた。
2023年夏に、このタイトルで書いている。
それがなんなのかは触れなかった。
今日のaudio wednesdayで、最後の方で鳴らそうと考えている。
きちんとした技術を持つところでメンテナンスされているので、
そこに関しては問題はないのだが、周辺環境を整えることに少しばかり気を使う。
私も、その音は聴いていない。
うまく鳴ってくれた音は、いかばかりだろうか。
2023年4月のMQAの破綻、
2024年4月の、MQAを買収したLenbrookとHDtracksが協同で新たなストリーミングを開始するというニュース。
2024年中ということだったが、何もなかった。
今年5月のミュンヘンでのオーディオショウで、
新しいMQAストリーミングを発表するとのこと。
Lenbrook単独らしい。
日本からアクセスできるのか、どれだけのラインナップなのか、
詳細は全く不明ながらも、ようやく始まる、という期待感は大きい。
明日(2月5日)のaudio wednesdayでは、
フランコ・セルブリンのKtêmaを鳴らす。
3月5日もKtêmaと決まっているので、明日はアナログディスクで、
3月は、メリディアンのULTRA DACを用いて鳴らす。
《スピーカーを選ぶなどとは思い上りでした。良否は別として実はスピーカーの方が選ぶ人を試していたのです。》
伊藤先生のことばだ。
常に試されている。
どんなスピーカーであっても、こちら側が試されている。
同じことばかりが試されているわけではない。
それは鳴らすスピーカーによって同じところもあれば、
そうでないところもある。
Ktêmaを鳴らすことで、私の何が試されるのかは、明日にならないとわからない。
鳴らしたからと言って、すぐにわかることではないかもしれない。
Speaker System: FRANCO SERBLIN Ktêma
Control Amplifier: Marantz Model 7
Power Amplifier: McIntosh MC275, Goldmund Mimesis 9.2
Analogue Disc Player: Wilson Benesch Circle
Phono Cartridge: Decca Mark V
開始時間は19時。終了時間は22時。
開場は18時から。
会場の住所は、東京都狛江市元和泉2-14-3。
最寄り駅は小田急線の狛江駅。
参加費として2,500円いただく。ワンドリンク付き。
大学生以下は無料。
十数年前のことになる。
オーディオ仲間三人で話していた。
インターナショナルオーディオショウが話題になって、
私が「エソテリックの音は毎年ひどい」と言った。
これに対して、一人が「こいつ何言ってるんだ」みたいな顔をした。
彼は反論しなかったが、その表情は明らかに強い何が込められていた。
その表情から、私だけでなくもう一人も、彼が私の「エソテリックの音は毎年ひどい」に、
承服していないことに気がついて、
「でも◯◯さん、エソテリックの音はひどいし、そう思っている人は多い」、
と言った。
それでも彼は不満げだった。
二人からそう言われて、彼からの反論はなかったけれど、
彼はエソテリックのブースの音をいいと思っていることは伝わってきた。
彼からの反論がなかったので、話題は他のことに移っていった。
ここで勘違いしないでほしいのは、
エソテリックの製品、タンノイ、アヴァンギャルドのスピーカーのことを、
あれこれ言いたいわけではなく、
あくまでもインターナショナルオーディオショウでのエソテリックのブースの音について、である。
エソテリックのブースの音を認めている人が、身近にいた──、
そんな驚きも私にはあった。
音の聴き方も判断も、人それぞれだから、
彼のように、好意的に受け止めている人がいてもいいし、
エソテリックのブースの混み具合からすれば、そういう人の方が多いのだろう。
アーク・ジョイアのブースの音は、それぞれのスピーカーが、
そのスピーカーらしく鳴っていないことによる音の悪さで、
エソテリックでのサー・コリン・デイヴィスのベートーヴェン序曲集のように、
音楽的に歪められたひどさではない。
2007年のエソテリックのブースで鳴っていた「コリオラン」については、
別項で書いているし、その時はエソテリックの名は伏せていた。
当時書いたことを、コピーしておく。
*
そのブースに入ったとき、何の曲が鳴っているのか、正直、すぐにはわからなかった。
しばらくして(といっても10秒もたたないうちにだが)、「もしかしてベートーヴェン?」と思った。
そういえばコリオランの序曲である。
またしばらくして「これって、コリン・デイヴィスの演奏?」と思った。
そのくらい違う音楽に聴こえた。
つまり音のバランスがとれているとか崩れているとか、そういった音の良し悪しではまったくなく、
ベートーヴェンの音楽が変質してしまっている。
音楽性が歪められている、といってもいいだろう。
なぜ、こんなふうになってしまうのだろうか……、と逆に関心が湧いてくるほどの、変りようだった。
*
これを読んだオーディオの仲間の何人かからは、
エソテリックでしょ、と言われたので、エソテリックの音がひどいのは、
私だけの独りよがりな印象ではない。
でも、エソテリックのブースの音を、いい音と思っている人もいる。
私の周りにも一人だけいた。
インターナショナルオーディオショウでのエソテリックのブースは、
いつ行っても人でいっぱいである。
あまり人がいないと感じたことは、これまでないくらいに、
人気のブースともいえる。
それだけの人が来るブースなのだから、ひどい音ということはなかろう、とか、
ひどい音のブースに人が集まるわけはないのだから、
エソテリックのブースが、ひどい音というのは、
お前の独りよがりな感想だろう、と思われて仕方ない。
それでも、エソテリックは安定のひどい音を聴けるブースであった。
過去形にしたのは、ここ二年ほどは、ひどい音でなくなってきたからなのだが、
それでも今年、来年は、どうなるかはなんとも言えない。
以前、別項で書いているが、2009年の音は、それまでのひどい音ではなくなっていて、
これからは期待できるかとも思ったけれど、そうでもなかった。
タンノイのスピーカー、
アヴァンギャルドのスピーカー、
自社製のアンプやプレーヤーでの音出し。
いずれも世評は高いモノばかり。
なのに……、である。
もっと言えば、エソテリックはプログラムソースも手掛けている。
2007年に、サー・コリン・デイヴィスのベートーヴェンの序曲集のSACDを出した。
これが最初である。
2007年のインターナショナルオーディオショウでは、
いくつかのブースで、このSACDがかかっていた。
もちろんエソテリックのブースでもかかっていた。
2007年のショウで、私が聴いた範囲でダントツでひどい鳴り方をしていたのは、
エソテリックのブースだった。
別項で、フランコ・セルブリンの輸入元のアーク・ジョイアのブースで、
いい音を聴いたことがない、と書いている。
インターナショナルオーディオショウでのアーク・ジョイアで聴けた音で、比較的良かったと感じたのは、
ダニエル・ヘルツのシステムでの、ピアノの単音は美しかった。
玉を転がすような音とは、こういう音のことをいうのだな、
と納得したほど、ほんの短い間の音は良かった。
ただ、あくまでもピアノの単音だけだった。
これ以外の、私が聴いた範囲では、良かったと思ったことはない。
アーク・ジョイアでは、どのスピーカーも、そのスピーカーらしく鳴っていない。
どこか拗ねてしまったり、いじいじとしたり、
つまりスピーカーがいきいきと鳴っていない。
暗く俯いている。
音離れの悪い音の見本ともいえる。
少しもいいところのないアーク・ジョイアの音でも、
だからといって、ひどい音で鳴っていた、とは言わない。
インターナショナルオーディオショウでは、ひどい音をほぼ毎年鳴らしている(聞かせてくれる)ブースがある。
エソテリックだ。
いままで、どこのブースなのかははっきりと書いてこなかったが、
フランコ・セルブリンのKtêmaについて書いていて、
アーク・ジョイアのブースでは、一度もいい音を聴けた試しがなかった、と書いたのだから、
アーク・ジョイアの名前だけを出すのは、
出された方からすれば、他のブースの音はどうなのか──、となろう。
なので、ここからははっきりと名前を出していく。
昨晩(1月30日)、Ktêmaを搬入した。
当日搬入だと時間的余裕が少し削られるし、
慌ただしくやりたくないので、早めの搬入となった。
今回お借りしたKtêmaは、シリアルナンバー60番台。
Ktêmaがどれだけ作られているのかしらないが、
初期のKtêmaと言っていいだろう。
初期型がいいとか、後期型がいいとか、そういうことではなく、
フランコ・セルブリンが生きていたころのKtêmaだということだけを言いたい。
元箱に収められたKtêma。
それが新鮮だった。
ステレオサウンドにいたころ新製品としてスピーカーがやって来るわけだが、
箱に入って来ることは、ほとんどなかった。
アンプやプレーヤーに関しても、箱を見たことは、そんなに多くはない。
なので元箱を見ると、それだけでちょっとだけ嬉しくなる。
2月5日のaudio wednesdayは、
フランコ・セルブリンのKtêmaを鳴らす。
3月5日のaudio wednesdayも、Ktêmaを鳴らす。
Ktêmaについての説明は、ここを読まれている方には必要ないだろう。
けれどKtêmaが、いい音で鳴っているのを聴いている人はどのくらいいるのか。
別項でも書いているが、私自身、インターナショナルオーディオショウで聴いているだけ。
輸入元のアーク・ジョイアで鳴っていたKtêmaは、お世辞にもいい音とは言えない。
アーク・ジョイアのブースでは、他のスピーカーであっても、
同じような鳴り方をしていて、どのスピーカーであっても、
そのスピーカーらしく鳴っているとは思えない。
Ktêmaは、もっともっといい音で鳴ってくれるはず──、
というおもいをずっと持ってきた。
とはいえ、どこかで素晴らしい音で鳴っているKtêmaを聴く機会は、
発売から十年以上経つけれど、なかった。
そのKtêmaを、今回鳴らすことができる。
しかも2月と3月の二回鳴らせる。
今回は、アナログディスクで鳴らす。
オーディオの歴史を振り返ってみると、
モノーラルからステレオの時代へとなっていき、
1982年にはCDが登場し、それから二十年経たないうちにSACDが出た。
さらにストリーミングで聴くことが当たり前になりつつあり、
サンプリング周波数も高くなっていっている。
プログラムソースの変化だけを大雑把にみても、これだけある。
オーディオの変化だけではなく、オーディオを取り囲む環境の変化もある。
インバーター方式に家電製品が登場するようになったのは1980年代からだろう。
これだけでも電源環境は大きく変った(悪くなった)。
それから携帯電話の登場、普及があり、
パソコンの普及も、そこに加わる。
高周波ノイズは、昔とは比較にならないほど増えて大きくなっている。
電源だけを見ても、ノイズの混入は当たり前と思っていた方がいい。
ノイズと書くと、高周波ノイズと受け止められがちだが、
同じくらい厄介なのは直流の混入である。
電源トランスによっては、直流が混入してくると、途端に唸りだす。
かなり大きく唸るトランスもある。
電源トランスの唸りは、それが聞こえない位置にアンプを置けば、
それで解決するものではない。
電源トランスの唸りは、音場の再現性に大きく影響する。
唸り始めたら、音場がこわれるとも言っていいほどだ。
エラックのリボン型トゥイーターや、
少し前に書いているトップウイングのOPT ISO BOX、
これらはオーディオ・アクセサリーということになる。
今回、改めてオーディオ・アクセサリーとは、ということを考えたい。
上に挙げた二機種は、どうしてオーディオ・アクセサリーなのか、といえば、
これらがなくとも音は出せるからだ。
audio wednesdayでいくつかのスピーカーとエラックを組み合わせた。
どのスピーカーも単体で、バランスのとれたレンジを持っている。
そこにエラックを足す。
OPT ISO BOXにしてもそうだ。
OPT ISO BOXがなくとも音は出せる。
そんなふうに考えると、ケーブルはオーディオ・アクセサリーなのか。
ケーブルがなければ音は出ない。
つまりスピーカー、アンプ、プレーヤーと同じコンポーネントの一つである。
雑誌のオーディオアクセサリーでは、ケーブルはアクセサリー扱いだ。
オーディオアクセサリーだけではなく、
他のオーディオ雑誌でも、この点は同じだ。
なんとなくアクセサリーとして扱っているのだろうか。
とはいえ、ケーブルがなければ音は、どうやっても出せない。
なのに、なぜアクセサリーとして扱うのか、といえば、
ケーブルも二組(二本目)からは、アクセサリーとなっていく──、
そういう捉え方ができる。