Author Archive

Date: 7月 28th, 2022
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(その33)

この項を書いてきて、ふと思うのは、
五極管シングルアンプを初心者向きとするのは、
真空管アンプ自作のスタートは、五極管シングルということなのだろう。

このスタートは、なんとなく作りやすい、とっつきやすい、
そんな印象からくるものだろうか。

海外がどうなのかは知らないが、
日本では三極管のシングルアンプ、
それも傍熱管ではなく直熱三極管のシングルアンプが、
ある種の心情的なゴールのように昔から捉えられている。

つまり、この三極管シングルアンプを最初にゴールと設定したうえでのスタートが、
五極管シングルアンプのような気がしてならない。

Date: 7月 28th, 2022
Cate: ディスク/ブック

ベートーヴェン ピアノ協奏曲全集(その10)

ケント・ナガノと児玉麻里によるベートーヴェンのピアノ協奏曲、
その素晴らしさに驚いていたころに、
ある人から「児玉麻里のベートーヴェンのソナタは素晴らしい」といわれたことがある。

私よりも一世代ちょっと上の人である。
その人とは初対面だったけれど、たまたま児玉麻里の話になった。

聴いてみよう、とは思いながらも、
心のどこかに、機会があったら──、という気持があった。
そのため積極的に聴こうとはしなかった。

そうすると意外にも、聴くまでの時間がかなりかかったりする。
結局、児玉麻里のベートーヴェンのピアノ・ソナタを聴いたのは、
TIDALを使うようになってからだ。

《ベートーヴェンの後期ピアノ・ソナタが女性に弾けるわけはない》、
五味先生が、そう書かれていた。

別項でも書いているが、そうだ、と私も思うところがある。
作品一一一の第二楽章を聴いていると、
五味先生が書かれていることを実感する。

そうでありながらも、
内田光子、アニー・フィッシャーのベートーヴェンの後期のソナタに感動している。
この二人が、私にとっては例外の存在といってもしまってもいいのだが、
児玉麻里が三人目として、ここに加わるのかといえば、決してそうじゃなかった。

ケント・ナガノにしても、児玉麻里にしても、
二人でのピアノ協奏曲は、あれほど素晴らしかったのに、
それぞれの演奏、交響曲とピアノ・ソナタにおいて、
そこまでのレベルに達していないのは、
つまりは内田光子のいうところのベートーヴェンの音楽における苦闘、
肉体的、精神的、感情的な意味での苦闘であり、彼自身との苦闘であること。

その中でも、彼自身との苦闘。ここにつきる、としかいいようがない。
内田光子は《自分がピアノを弾いている時に、オーケストラに自分を攻撃させられないから》
といい、ベートーヴェンのピアノ協奏曲の弾き振りはしない。

交響曲ならば、指揮者はオーケストラに自分を攻撃させる、
ピアニストは、ピアノによって自分を攻撃させる、
この境地に到ってこそのベートーヴェンの演奏だとすれば、
ケント・ナガノによる交響曲、児玉麻里によるピアノ・ソナタに、
何か欠けたように感じてしまうのは、そこにおいてなのだろう。

何も、このことはケント・ナガノ、児玉麻里に限ってのことではない。
他の指揮者、他のピアニストにもいえることだ。

なのに、ここでケント・ナガノ、児玉麻里の名を挙げているのは、
くり返すが、ピアノ協奏曲はほんとうに素晴らしいからである。

Date: 7月 27th, 2022
Cate: 書く

毎日書くということ(三度・エリカ・ケートの言葉)

一度目は2016年だった、
二度目は2019年、
2022年のいま、三度(みたび)、
エリカ・ケートが語ったことを引用したい。

イタリア語を「歌に向く言葉」、
フランス語を「愛を語る言葉」、
ドイツ語を「詩を作る言葉」、
日本語は「人を敬う言葉です」だとエリカ・ケートが浅利慶太氏に語っている。

ソーシャルメディアには、どうしたら、ここまで汚い言葉で人を罵れるのか──、
そう感じてしまうことが、増えてきている。

誰かを批判するのが悪いことだとはいわない。
それでも……、と思う。

Date: 7月 27th, 2022
Cate: 黄金の組合せ

黄金の組合せ(その38)

黄金の組合せということでは、この文章も忘れられない。
     *
 ……という具合にJBLのアンプについて書きはじめるとキリがないので、この辺で話をもとに戻すとそうした背景があった上で本誌第三号の、内外のアンプ65機種の総試聴特集に参加したわけで、こまかな部分は省略するが結果として、JBLのアンプを選んだことが私にとって最も正解であったことが確認できて大いに満足した。
 しかしその試聴で、もうひとつの魅力ある製品を発見したというのが、これも前述したマッキントッシュのC22とMC275の組合せで、アルテックの604Eを鳴らした音であった。ことに、テストの終った初夏のすがすがしいある日の午後に聴いた、エリカ・ケートの歌うモーツァルトの歌曲 Abendempfindung(夕暮の情緒)の、滑らかに澄んで、ふっくらとやわらかなあの美しい歌声は、いまでも耳の底に焼きついているほどで、この一曲のためにこのアンプを欲しい、とさえ思ったものだ。
 だが結局は、アルテックの604Eが私の家に永く住みつかなかったために、マッキントッシュもまた、私の装置には無縁のままでこんにちに至っているわけだが、たとえたった一度でも忘れ難い音を聴いた印象は強い。
     *
瀬川先生の「いま、いい音のアンプがほしい」からの引用だ。

エリカ・ケートのモーツァルトの歌曲、
マッキントッシュのC22とMC275、アルテックの604E。

時代をふくめて、黄金の組合せが奏でた音。

Date: 7月 27th, 2022
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド,

オーディオの殿堂(その6)

「オーディオの殿堂」で、
オーディオテクニカの製品は、AT-ART1000のみがノミネートされている。
殿堂入りはしていない。

AT-ART1000の殿堂入りしていないことについては、何も書かない。
意欲的な製品だとは捉えているが、音を聴いていないので。
それよりも、なぜオーディオテクニカのVM型カートリッジが殿堂入りしていないのか、
ノミネートすらされていない。

VM型カートリッジは、オーディオテクニカの特許である。
オーディオテクニカの最初の製品は、MM型カートリッジのAT1、その上級機のAT3、
どちらも1962年に登場している。

その後、オーディオテクニカはトーンアーム、MC型カートリッジなどを出してきて、
1967年にVM型のAT35Xを誕生させている。

MM型に関しては、よく知られるようにエラックとシュアーが特許を取得していた。
世界各国で、両社は特許を取れたにもかかわらず、
日本では無理だったのには理由がある。

瀬川先生から、どうしてだったのかを聞いている。
ちょっとここでは書けないことがあっての、日本での特許不成立である。
このときばかりは、日本のオーディオメーカーが一致団結した、といわれていた。

なので日本では各社がMM型カートリッジを製造販売できたが、
それはあくまでも日本国内に限られる。
MM型カートリッジを海外に輸出しようとすれば、特許料を支払うことになる。

オーディオテクニカは、海外に打って出るためにもVM型を開発した、と聞いている。
VM型ならば、この方式自身が特許を取れたわけだから、
MM型の特許に関係なく海外でも販売ができる。

Date: 7月 26th, 2022
Cate: 単純(simple)

シンプルであるために(iPhoneとミニマルなシステム・その4)

HiByのFC3やLotooのPAW S1のような小型D/Aコンバーターを、
なんというのか。
スティック型DACなのか、ポータブルDACなのか。

オーディオと関係のない海外のニュースサイトを見ていたら、
Tiny USB DACという表記があった。

tinyは小さな、という意味だから、文字通りの名称である。
タイニーUSB DACとカタカナまじりにすると、なんだかしまらない感じなので、
Tiny USB DACと表記する。

Tiny USB DACは、実にたくさんの機種がある。
日本に入ってきていない機種も少なくない。
安価なものは一万円を切る。
それでいてMQAにレンダラーとして対応している機種もあったりする。

MQA対応を謳ったTiny USB DACは増えてきているが、
フルデコードではなく、レンダラーとしての対応が大半なので、
その点は注意して、その製品の仕様を読んでほしい。

FC3ではコアデコード対応のアプリとの組合せが、MQA再生では求められるが、
PAW S1はフルデコード対応なので、アプリの選択肢が増える。

オンキヨーのHF Playerはコアデコード未対応なので、
FC3との組合せではMQA再生はできないが、
PAW S1とでは問題なくMQA再生が可能。

ただしHF PlayerではTIDALが聴けない。
TIDALが聴けるiPhone用のアプリとなると、mconnect Playerがある。

mconnect Playerはコアデコード未対応なので、これまで使ってこなかったが、
PAW S1があるので、まずは無料のmconnect Player Liteを使ってみた。
TIDALに問題なく接続できるし、PAW S1でMQA再生ができる。

mconnect Player Liteのままで機能的に不満はなかったけれど、
広告が表示されるので、有料版(730円)のmconnect Playerにした。

mconnect Playerを使ってみて、
これまで使ってきたAmarra PlayのMQA対応のしかたに不満がはっきりとしてきた。

Date: 7月 26th, 2022
Cate: High Resolution

MQAのこと、グレン・グールドのこと(その6)

TIDALでMQAで、グレン・グールドを聴いていると、
以前書いていることなのだが、ハミング(鼻唄)が自然な感じで聴こえてくる。

ずいぶんと聴いてすみずみまで知っているつもりだったのに、
MQAで聴いて、ここでのハミングはこんな感じだったのか、と気づくことがある。

一ヵ月ほど前、モーツァルトのピアノ・ソナタ第十番 K.330を聴いていた。
第十一番 K.331はすでにMQAで何度も聴いてたけれど、
K.330をMQAで聴いたのは、一ヵ月前が初めてだった。

グールドのK.330は、とにかく速い。
グールドのK.331は、評価が高いけれど、K.330はそれほどではない。

ひさしぶりにグールドのK.330を聴いて、こんなにも速かったっけ? と感じたほど。
でも聴いているうちに、ほんとうに速いのだろうか、と思うようになってきたのは、
グールドの鼻唄が、じつにゆったりした感じで聴こえてくる。

以前聴いた時には、そのことに気づいていなかった。
演奏が速ければ鼻唄も速い、とつい思いがちになるのだが、そうではない。
意外だっただけでなく、
グールドにとってのテンポとはなんなのだろうか、とも思っている。

Date: 7月 25th, 2022
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド,

オーディオの殿堂(その5)

SMEのSeries Vも、殿堂入りしている。
当然の結果だと思っている。

1985年に登場したSeries Vは、トーンアームとして飛び抜けて高価だった。
その後、Series Vよりも高価なトーンアームがいくつも登場している。
Series Vも値上げしているが、それでもいちばん高価なトーンアームではなくなっている。

それでも私は、Series Vが最高の音を聴かせてくれるトーンアームだと、いまでも思っている。
もっともSeries Vよりも高価なトーンアームのすべてを聴いているわけではないが、
部分的にはSeries Vを上廻る良さを持っている製品もあるだろうが、
トータルとしてのパフォーマンスはいまでもSeries Vが一番のはずだ。

そのSeries Vは、黛 健司氏が担当されている。
     *
 この製品にいちばん興奮したのは長島達夫先生で、1985年発行の74号に記事を執筆されたが、取材に際して、日本に1本しか入荷していなかったシリーズVをバラバラに分解してしまい、編集担当のわたしを慌てさせた。
     *
Series Vの試聴には私も立ち会っている。
長島先生の昂奮ぶりは、いまもはっきりとおもい出せるのだが、
この時からおもっていることがひとつある。

Series Vの前に、SMEからは管球式フォノイコライザーアンプSPA1HLが登場していた。
SPA1HLは、最初オルトフォン・ブランドでのプリプロモデルがあった。

SMEのSPA1HLは長島先生といっしょに聴いた。
SPA1HLについて長島先生の詳しいこと詳しいこと。

思わず「長島先生が設計されたのですか」と口にしそうになるくらいだった。
そうなんだということはすぐにわかった。
パーツ選びの大変さも聞いている。

それに長島先生自身、SMEのアンプは、マランツのModel 7への恩返し、といわれていた。
そういうことがあったから、Series Vも長島先生の設計なのかもしれない──、
ずっとそうおもっている。

完全な設計ではないにしても、
そうとうに長島先生のアイディアが取り入れられている──、
これはもう確信といってもいいくらいに、そうおもっている。

そうでなければ、最初に日本に入ってきた一本なのに、
あそこまで詳しいわけがない。
それに手馴れた感じで分解されてもいた。

SPA1HLのときと同じだと感じていた。

Date: 7月 24th, 2022
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の才能と資質(コメントを読んで)

その7)へのコメントが、facebookであった。
オーディオ評論家がメインでデモをやるオーディオにイベントによく行くけれど、
この人は本当にやる気を出しての選曲なのか、と思うことがある、とあった。

続けて、そのオーディオ評論家による音量設定も、
《やる気のなさそうな音量》とも書いてあった。

《やる気のなさそうな音量》。
まさにそんな感じの音量設定は、オーディオショウでもけっこう多い。
なぜ、こんな低い音量設定なの? と感じることが多いだけでなく、
増えてきているようにも感じている。

音量設定は難しい。
それに加えてオーディオショウの空間の広さ、
入場者の数、最前列と最後列との距離など、難しさがあるのはわかる。

それでも大きな音量だとバカにされるとでも思っているのだろうか。
控えめな音量だと、音楽を理解していると思われるとでも思っているのか。

音楽によって音量を変えることもあまりしないところ(人)がけっこういる。
そういうブースの音は、まさに《やる気のなさそうな音量》がぴったりくる。

Date: 7月 24th, 2022
Cate: ベートーヴェン

ベートーヴェンの「第九」(20世紀の場合と21世紀の場合・その後)

四ヵ月前に「ベートーヴェンの「第九」(20世紀の場合と21世紀の場合)」を書いた。

昨日、ボローニャで、オクサーナ・リーニフがベートーヴェンの第九を振っている。

Date: 7月 24th, 2022
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド,

オーディオの殿堂(その4)

ステレオサウンド 223号「オーディオの殿堂」で、
黛 健司氏がLNP2Lのところで、こんなことを書かれている。
     *
 数年前、ひょんなことから、井上卓也先生がLNP2をお持ちだったことを知った(井上先生のことだから、ひと声聴いただけで「コレクション」になっていたのかもしれない。マランツ・モデル7がお好きで何台も所有されていたが、LNP2も手に入れられていたとは意外だった。
     *
井上先生はLNP2も数台お持ちだった。
LNP2だけでなくJC2も所有されていた。
記憶違いでなければ、LNP2はマークレビンソン製モジュールだけでなく、
バウエン製モジュールのLNP2も、である。

試聴のあいまで雑談で、ぽろっと話されることがけっこうあった。

井上先生はジェンセンのG610Bに関しても、
別項「ワイドレンジ考(その38)」で書いているとおりである。

その他にも、いくつか知っているけれど、
とにかく、意外なモノも持っておられた。

井上先生が所有されていたオーディオ機器の全貌を知っている人は、おそらくいないだろう。
私が知っているのも、全体の何割かなのかすらわからない。

けれど、この項を書いていると、
223号で殿堂入りしているモノよりも、
井上先生が所有されていたオーディオ機器のほうが、
私にとっては「殿堂入り」にふさわしいモノのように感じられる。

Date: 7月 24th, 2022
Cate: ディスク/ブック

岩田由記夫のRock & Pop オーディオ入門(とビートサウンド・その2)

「岩田由記夫のRock & Pop オーディオ入門」、
どんな仕上がりになっているのか、
面白ければ買おうかな、と思いながら書店に手にしたけれど、結局は買わなかった。

この記事が面白ければ──、と思っていた「ココがヘンだよ!? オーディオ評論」。
音楽之友社のウェブサイトでは、このタイトルだったけれど、
実際の誌面ではタイトルが変更になっていた。

岩田由記夫氏と土方久明氏の対談なのだが、
朝沼予史宏氏の名前が出ていた。

ただし朝沼予史宏氏ではなく、浅沼予史宏氏だった。
何度か出てくるけれど、すべて浅沼予史宏氏だった。

なんなんだろうなぁ……、とおもうしかなかった。

Date: 7月 23rd, 2022
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の才能と資質(その7)

オーディオメーカーに以前在籍されていた人からきいた話がある。
その人によると、ステレオサウンドが創刊されて十年目のことだった(そうだ)。

五味先生の「オーディオ巡礼」のメーカー篇、番外編というべき企画があった、とのこと。
五味先生がオーディオメーカーの試聴室を訪問する、というものだ。

私に話をしてくれた人によると、一刀両断だったそうだ。
ばっさりと切られた、と。

その人の話によると、
そのメーカーだけではなく、他のメーカーも同様だったらしい。
つまり、どこもひどい音──。
結局、創刊十周年企画は流れてしまった……。

ステレオサウンド創刊十年だから、1976年ごろの話である。

そのころの、そのメーカーの製品の音は聴いている。
良かった製品も少なくなかったし、
オーディオ雑誌での評価は高いものだった。

矛盾しているのではないか、と思う人がいるかもしれないが、
試聴室でいい音を出すことと、細かな音の違いを聴き分けることは、
必ずしも同じではない、ということだ。

このことを一緒くたにして捉えてしまう人が少なくないことを、
ソーシャルメディアを眺めていて実感したばかりである。

その6)で書いたことをここでくり返しはしないが、
メーカーの技術者が、たとえばスピーカーの開発者が、
その人が開発したスピーカーをもっともうまく鳴らせる人ではない、ということ。

(その6)でカメラ、車の例を出した。
なぜ、オーディオだけごっちゃにして捉えてしまう人が少なくないのだろうか。

Date: 7月 23rd, 2022
Cate: スピーカーの述懐

あるスピーカーの述懐(その35)

どれほど音がリアルであったとしても、
細部の音にいたるまでリアルであったとしても、
それだけで、マリア・カラスによる「清らかな女神よ」(Casta Diva, カスタ・ディーヴァ)を、
マリア・カラスの自画像そのものだ、と感じられるわけではない。

リアリティがあってこそ、
マリア・カラスの自画像と感じられるし、
マリア・カラスの自画像と感じられる音こそが、リアリティのある音だ。

Date: 7月 22nd, 2022
Cate: 音楽性

「音楽性」とは(映画性というだろうか・その14)

一週間後の7月29日に、「ジュラシック・ワールド/新たなる支配者」が公開になる。
1993年公開の「ジュラシック・パーク」を観た時の驚きは、いまも憶えている。

その後、1997年に「ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク」、
2001年に「ジュラシック・パークIII」、
2015年に「ジュラシック・ワールド」、
2018年に「ジュラシック・ワールド/炎の王国」と続いた。

「ジュラシック・パークIII」を映画館で観た時に、
もう続編を映画館で観ることはないだろうなぁ、と思ったにもかかわらず、
ジュラシック・ワールドとタイトルが変ってからも、映画館で観ている。

「ジュラシック・ワールド/新たなる支配者」も映画館で観るつもりだが、
一作目の「ジュラシック・パーク」で感じた驚きは、もうないだろう。

「ジュラシック・パーク」と「ジュラシック・ワールド/新たなる支配者」。
三十年ほどの開きがあるわけだから、その分CGの技術は進歩している。
けれど、どちらが映画としてのリアリティがあったか、高かったのか、といえば、
まだ観ていない「ジュラシック・ワールド/新たなる支配者」だが、
たぶん「ジュラシック・パーク」を超えることはできないだろう。

CGで描かれる恐竜のリアルさは、
「ジュラシック・ワールド/新たなる支配者」が上のはずだ。
そうでなければおかしい。

けれど、「ジュラシック・パーク」で恐竜が近付いてくることを、
グラスの中の水に波紋ができることで表現したシーンを思い出してほしい。

こういうところにスピルバーグ監督の非凡さがある。
ここに「ジュラシック・パーク」のリアリティがある。