つきあいの長い音(その25)
つきあいの長い音は、つきあいを深めていける音。
つきあいの長い音は、つきあいを深めていける音。
つきあいの長い音を得るには、調整だけでなく調教してこそだ、と思う。
つきあいの長い音は、そのつきあいにおいて聴き手とともに目的地をつくっていく──。
つきあいの長い音は、音の目的地を聴き手にわからせるものなのか。
つきあいの長い音──、裸形の音と向き合っていくことなのかもしれない。
つきあいの長い音になっていくのだろうか、手本のような音は……。
つきあいの長い音は、そのつきあいにおいて聴き手を試しているのだろう。
つきあいの長い音と使いこなし──、使い熟していけるかだろう。
つきあいの長い音は、鳴らし手の「おもい」を受け止めてくれているのだろうか。
つきあいの長い音を持つことは、絶対不可避な機器の劣化を補っていくことかもしれない。
つきあいの長い音こそが、ハーモニーの陰翳を聴きとる耳をもたらすのかもしれない。
つきあいの長い音は、ハーモニーの陰翳とでも言うほかない音のニュアンスを聴かせてくれようになる。
つきあいの長い音──、私にとってのそれはデッサンの確かな音。
つきあいの長い音が、オーディオマニアとしての「純度」を高めていくのかもしれない。
つきあいの長い音は、そうやって聴き手を育てていく。