誰かに聴かせたい、誰かと聴きたいディスク(その5)
この項を書き始めたのは2017年12月。
四谷三丁目の喫茶茶会記でaudio wednesdayをやっていたころだ。
2020年12月での喫茶茶会記の閉店とともに、
しばらくは誰かと一緒に音楽を聴く機会はかなり減った。
定期的に聴くことはなくなった。
昨年1月から狛江でaudio wednesdayを再開。
一年間、音を鳴らしてきて、音楽をかけての一年を過ごし、あらためて、ここでのテーマについて考えるようになった。
この項を書き始めたのは2017年12月。
四谷三丁目の喫茶茶会記でaudio wednesdayをやっていたころだ。
2020年12月での喫茶茶会記の閉店とともに、
しばらくは誰かと一緒に音楽を聴く機会はかなり減った。
定期的に聴くことはなくなった。
昨年1月から狛江でaudio wednesdayを再開。
一年間、音を鳴らしてきて、音楽をかけての一年を過ごし、あらためて、ここでのテーマについて考えるようになった。
バーバラ・リーの名前を聞いたのは、昨年の12月だった。
Googleで「バーバラ・リー」を検索すると、
アメリカの政治家ばかりヒットする。
「バーバラ・リー ジャズ」で検索すると目的の情報が表示されるが、それほど多いわけではない。
ジャズを体系的に聴いてこなかった私が知らなくても不思議ではないのかもしれない。
日本ではそれほど名が知られているわけではないようだ。
昨年末からやっていたトーレンスのTD124の整備は、
バーバラ・リーのSP盤を再生、デジタル録音するためだった。
今日は、その本番の日。
バーバラ・リーがリバーサイドからデビューするより前の録音、
直後の録音をおさめたSP盤。
時代はすでにLPになっていたし、テープ録音も普及していた。
なのにSP盤で、これらのディスクは一度も復刻されていない、とのこと。
11時ごろから始まって、途中昼食をはさんで終了は17時ごろ。
ずっとバーバラ・リーばかりを聴いていた。
それも録音順に聴いていった。
面白いもので、リバーサイド・デビュー以前の方が音がいい。
後半になると、盤質も悪くなっていっているように感じたし、
スクラッチノイズの量も増えてきて、質も悪くなっていく。
思うに、最初のころの盤は、まだSP盤に必要な技術が、世の中に残っていたのだろう。
それが数年のうちに失われていったのかもしれない。
このあたりのSP盤の事情については、ほとんど知らないといっていい。
本当のところがどうなのか。
楽しい一日だったし、興味深い時間でもあった。
1月8日のaudio wednesdayでは、11月に続いて4343を鳴らすことができた。
今回は、ライヴ録音のみをかけた。
スタジオモニター用としてつくられた4343で、ライヴ録音のみを鳴らす。
1982年に一冊の本が出た。
「WHY? JBL」という本が、オーディオとはまったく関係のない出版社から、
しかも女性の筆者だったこともあり、
オーディオマニアの間だけでなく、オーディオ業界でも、
けっこう話題になっていた。
ステレオサウンド編集部にも一冊あったが、
この時の編集者は、ほぼみんな買って読んでいた。
私も買って読んだ。
その本に、こんなことが書かれていた。
アメリカのコンサートで、終了後、
会場から出てくる女性の頬が紅潮している、とのことだった。
JBLのスピーカーが使われているコンサートにおいて、である、と。
この記述を読んで、JBLの音はセクシーなのかもしれない──、
そんなふうに思っていた。
音楽は、人の肉体運動から生まれてくる。
そのことを音だけの世界だと、忘れてしまいがちになるが、JBLのスピーカーは、そのことを聴き手にはっきり思い出させる。
いまのJBLのスピーカーが、全てそうだと言わないが、
あのころのJBLの音は、そうといえたし、
だからこそセクシーと感じる人がいるのだろう、頬を紅潮させるのだろう。
それでもJBLをひどく鳴らしてしまうと、無機的な音になってしまう。
そんなことを昔、思っていた。
だから、ライヴ録音のみに絞った。
今日(1月10日)は、瀬川先生の誕生日。
生きておられたら九十歳。
九十歳の瀬川先生は、想像できない。
私の手元には、活字にならなかった書きかけの原稿、
原稿書きのためのプロット、
新しいオーディオ雑誌の企画書の下書き、
アンプやツマミのスケッチ、
それからなで肩だったためオーダーされたコート、
それからテクニクスのSB-F01がある。
SB-F01を、どう使われていたのか。
まったくわからない。
ごく小音量で聴かれていたのか。
SB-F01を、数年ぶりに鳴らしている。
SB-F01には入力端子が二つある。
一つはヘッドフォン端子用、もう一つはスピーカー端子用で、
アンプのスピーカー端子とSB-F01のスピーカー端子用を接続した方が良さそうに思えるが、
スピーカー端子用には68Ωのセメント抵抗が直列に入る。
ユニットの保護のためである。
音のよいヘッドフォン端子をもつアンプがあれば、
こちらの方がいい結果は得やすい。
今日、どうやったかといえば、
アキュフェーズのDC330のライン出力を、SB-F01のヘッドフォン端子と接いでいる。
かけられる曲は限られる。
ひっそりと鳴っている。
12月31日の投稿で書いているように、2024年は膝の具合が悪くなったし、
声もほぼ出なくなっていた(多少よくなっているものの、まだまだ)。
去年は不調だったな、と1月6日の夜、思っていた。
ふと、もしかして厄年だったのか、と気づいた。
2024年は後厄だった。本厄の2023年は四十数年ぶりの喘息の発作があった。
前回の厄年も、後厄の年、かなりひどい眩暈に、数ヵ月悩まされたことを思い出した。
ふりかえって厄年だったのか、と気づく。
そんなの迷信と信じないのもいい。
私もそうだった。
けれど、現実は違っていた。
もう厄年は回ってこない。
よし、と思っていたところに、Ktêmaの話。
厄年は明けた。
皆さんも厄年には、気をつけてください。
ステレオサウンド 207号の特集に登場する49機種のスピーカーシステム。
いま世の中に、この49機種のスピーカーシステムしか選択肢がない、という場合、
私が選ぶのは、フランコ・セルブリンのKtêmaである。
別項「現代スピーカー考(その37)」で、以前、こう書いている。
いまもその想いは、ほとんど変らない。
ステレオサウンド 207号掲載の49機種のスピーカーから選ぶのであれば、
Ktêmaだし、233号のベストバイから選ぶとしても、
Ktêmaは、やはり鳴らしてみたいスピーカーの筆頭格だ。
それにしても233号のベストバイでは、小野寺弘滋氏の星二つだけである。
Ktêmaが登場して十数年。そんな扱いになるのか──、と思う必要はない。
いまだKtêmaの魅力は、少なくとも私の中ではまったく色褪せていない。
Ktêmaを聴いたのは、インターナショナルオーディオショウのブースだけである。
じっくり聴けたとも、きちんと聴けたともいえないぐらいだけど、
Ktêmaはいいなぁ、と思い続けているからこそ、
昨晩のaudio wednesday終了後の、常連のOさんの
「Ktêmaは貸しましょうか」の申し出は、
私にとって嬉しいを超えたものだった。
2月、3月、Ktêmaを鳴らす。
昨晩のaudio wednesdayで、JBLの4343の上に、
4PI PLUS.2を乗せて鳴らした。
結果はうまくいった。
うまくいくとは思っていたけれど、
出てきた音を聴いていると、4PI PLUS.2はユニークなトゥイーターだというおもいが強くなる。
このリボン型トゥイーターがまったく合わないスピーカーはあるのだろか──、
そんなことを思ってしまうし、そういうスピーカーがあれば、
ぜひ試してみたいとも思っている。
ステレオサウンド 233号のベストバイではその他のコンポーネントの扱いで、
傅 信幸氏の星一つだけである。
現行製品は、4PI PLUS.2から4PI PLUS Vになっているが、
このトゥイーターの特長は、なんら変っていないはずだ。
けれど、星一つだけなのか。
2月のaudio wednesdayは、5日。3月も、もちろん5日。
2月か3月、どちらになるかはまだはっきりとしてないが、
どちらかでフランコ・セルブリンのKtêmaを鳴らせる予定。
Ktêmaを鳴らせる日が来るとは、まったく思っていなかっただけに、
これを書きながら、すでにワクワクしている。
こういう時、ずっと続けてきてよかったと思える。
audio wednesdayを終えて、いま帰宅したところ。
今日もすんなりいかないところがあった。
今日の最大のネックとなったのは、インターネットの速度の低下。
20時過ぎからいつもと同じ速度に戻ったけれど、それまでは10分の1から20分の1程度であって、
サンプリング周波数が44.1kHz、48kHzだと途切れずに再生できても、
96kHzとかになるとすぐに再生が止まってしまう。
自宅で自分一人で聴いているのであれば、
速度が落ちたから回復するまで待とう、でいいけれど、
こういう会での速度の大幅な低下は、なんともしようがない。
20時過ぎでも192kHzのアルバムだと、一瞬、途切れることもあった。
結局、どこに問題があったのかは不明。
こういうことを書くと、だからストリーミングは……、と思われるかもしれない。
確かにそういう面がないわけではない。
とはいえこれからもTIDAL、Qobuzを使っていく。
(その4)に、とり氏という方のコメントがあった。
《ネットで個人事業者の商売が容易になったせいか、昔の機種を過剰に持ち上げる手法が跋扈してうんざりです。
修理屋と中古屋の常套手段かなと。》
以前、別項で書いているが、
オーディオを資産価値という観点から、あれこれいう人がけっこういる。
そういう人にとっては、自分が使っている(持っている)オーディオ機器が神格化されて、
中古市場での価格が高騰すれば、嬉しいのだろう。
JBLの4343のことを何度となく書いている。
するとヤフオク!での落札価格の平均は、こんなものですよ的なことを、言ってくる人がいる。
4343よりも価格が安かったスピーカーの方が、いまでは4343よりも高い、とでも言いたげでもある。
別にそんなことどうでもいいじゃないか。
落札価格の平均で、そのオーディオ機器の価値が決まるわけではない。
資産価値でオーディオ機器を選び、購入し、
値上がりしたら転売する。
それもオーディオの楽しみ方の一つと言われれば、
本人がそれで良ければ、私がとやかく言うことではない。
そのまま楽しんでください、ぐらいである、言えるのは。
そういう人は、新製品を購入するにあたっても、
将来値上がりしそうなモノ、資産価値がつきそうなモノを選ぶのだろうし、
オーディオで商売しているわけではなくても、
ソーシャルメディアやブログなどで、
資産価値を高めるように神格化していくのだろう。
メーカーだって、そうだろう。
台数限定で、高価な新製品を出す。
資産価値にプライオリティをおく人は飛びつくだろうから。
明日(1月8日)、またJBLの4343を鳴らせる(聴いてもらえる)。
11月の会で鳴らして感じたことは、
4343を久しぶりに聴いた(鳴らせた)よりも、
来てくれた人たちに聴いてもらえた、ということだった。
私にとって4343は、あの時代、そしてけっこうな時間が経った後でも聴く機会は割とあった。
けれど全ての人がそうではないわけで、
11月の会で初めて4343を聴いた人、
聴いたことはあるけれど、きちんと聴いたのは今回が初めて、
そういう人がいての「聴いてもらえた」である。
4343は何度も鳴らしたいスピーカーなのは、組み合わせる機器によって、
鳴らし方によって、さまざまな表情を見せてくれる。
しかも、それほど高価な機器との組合せでなくとも、
意外とけっこう鳴ってくれる。
だから今回はあえてゴールドムンドを選んだ。
開始時間は19時。終了時間は22時。
開場は18時からで、19時までリクエストタイム。
会場の住所は、東京都狛江市元和泉2-14-3。
最寄り駅は小田急線の狛江駅。
参加費として2,500円いただく。ワンドリンク付き。
大学生以下は無料。
トーレンスも、TD124のサブプラッターに歪みが発生することはわかっていたはず。
だからこそ、TD124の復刻モデルではダイレクトドライヴにしたのだろう。
トーレンスの現行の、他のモデルはベルトドライヴである。
TD124だけダイレクトドライヴなのは、
サブプラッターを廃したかったためのはず。
TD124ときくと、真っ先に思い浮かべるのは、何か。
あのスタイルという人、
ベルト・アイドラードライヴという人、
あの時代にクイックスタート・ストップを可能にしていたこと、
このことを挙げる人といるし、
現在のトーレンスのスタッフが、TD124を復刻するにあたってのこだわりも、
このクイックスタート・ストップの機能なのではないのか。
オリジナルのTD124の駆動方式やベルトドライヴでは、
サブプラッターを追加しなければ難しい。
けれどプレス加工でのサブプラッターならば、
オリジナルのTD124のそれと同じように歪みの問題を完全に払拭できない。
最近では金属削り出しのサブプラッターもあるようだが、かなり高価のモノだろう。
とにかくサブプラッターなしでのクイックスタート・ストップの実現には、
ダイレクトドライヴということになる。
トーレンスのTD124で、いちばん気になるのはサブプラッターの歪み(反り)である。
facebookにコメントがあったが、それもこのサブプラッターの歪みについて、であった。
コメントをされた方の周りでも、TD124を使っていた人はいたけれど、
皆、サブプラッターの歪みゆえに手放された、とのこと。
そうだろうと思う。
どんなにメインプラッターの精度が高くても、
レコードと接するサブプラッターに歪みがあれば、
レコード再生時、反っているレコードをかけているのと同じことになる。
そのことを気にしないのであればいいけど、レコードの反りによって生じる再生上の問題、
これはどうすることもできないし、音への影響はとても大きい。
私は気にしない──、といって無視できることではない。
今回、私が整備したTD124も、サブプラッターに歪みがある。私はそれほど数多くTD124の実機を見ているわけではないが、
歪みのないサブプラッターの個体とは出合っていない。
今日、8日のaudio wednesdayで使うゴールドムンドのMimesis 9.2を搬入してきた。
当日だと、JBLの4343の搬入もあるし、
時間的にも重量的にも大変なことはわかっていたので、前々日搬入にした。
Mimesis 9.2を貸してくださるひとのとこらから狛江までの移動で思っていたのは、
フロントパネルにあるハンドルの冷たさだった。
しばらく鳴らしていない(電源も入れられていない)うえに、
部屋の片隅に置かれていて、この時期ということもあって、
予想していた以上に、筐体が冷え切っていた。
Mimesis 9.2のハンドルはかなりボリュウムのあるつくりだから、
一度冷えてしまうと、すぐにあたたまることはない。
移動のため持っていると、重さよりも手が冷たい方がちょっとつらかった。
4343を、この時代のゴールドムンドのアンプで鳴らした音は聴いたことがない。
ステレオサウンドにいたころは、薄型のセパレートアンプのからだった。
スイスフィジックスのアンプをベースにしていたモノで、
その音を聴いて、
スイスのエスプリ(ソニーのブランドのこと)という印象を持ったものだった。
その後、ゴールドムンドのアンプを聴いたのは、早瀬文雄さんのリスニングルームで、スピーカーはアコースティックエナジーのAE2だった。
この時はMimesis 8だった。クレルの同時期の、同価格帯のアンプも一緒に聴いている。
Mimesis 8からクレルにかえた音に二人でびっくりしていたことを思い出す。
この時は、クレルが良かった。
Mimesis 8に戻す気も起きないほど、クレルが良かった。
にも関わらず、今回はゴールドムンドで鳴らしたい、と思ったのに、
特に理由があるわけではない。
でも鳴らすまでもない、とは思わなかった。
そう思っていたら、わざわざ運んだりはしない。
とにかく聴いてみたい(鳴らしてみたい)と思ったから、
借りてきたわけだ。
どんな音で鳴るのか、想像できるところとそうでないところがある。
当日の音がどちらに振れるかは、鳴らして初めてわかる。
昨年暮れは、動かなくなったトーレンスのTD124を診てほしいと頼まれたこともあって、
TD124についてあれこれ検索していた。
有益な情報は特に得られなかったけれど、
TD124は、こんなに神格化されているのか、と驚いていた。
TD124だけでなく、ガラードの301も神格化されていると感じたが、
私が見た範囲ではTD124のほうが、すごかった。
こういう場合、すごかったではなく、ひどかったとした方がいいとは思ったが、
そうすると、その「ひどかった」だけに反応して、
301よりもTD124がひどいのか──、
そんな捉え方をする人がいるので、すごかった、にしておく。
今回、整備して、確かにTD124はよく出来たプレーヤーだと改めて実感したが、
だからといって、神格化するのはどうだろうか。
あれをやってはいけない、とか、こうしなければ本来の音が得られない、とか、
それらのことを、私は神格化と捉えた。
いいかげんな整備のTD124や301を、やっぱりいいですね、と評価するのは論外だし、
きちんと整備することは大事なことだが、
神格化してしまうと、畏れおののいてしまう人も出てくる。
正当な評価とは、神格化することではない。