audio wednesday (next decade) –第十八夜
今月のaudio wednesdayは、これまで通り第一水曜日ですが、
7月のaudio wednesdayは諸般の事情により、第二水曜日の7月9日に行います。
今月のaudio wednesdayは、これまで通り第一水曜日ですが、
7月のaudio wednesdayは諸般の事情により、第二水曜日の7月9日に行います。
すでに告知している通り、6月4日のaudio wednesdayは、
野口晴哉記念音楽室で、フランコ・セルブリンのKtêmaを鳴らすわけだが、
私は、このことを贅沢なことと受け止めているし、貴重な経験へとつながっていくことだとも思っている。
私だけがそう思っているのかもしれない。
またKtêmaを鳴らすのか、ただ部屋が変るだけだろう、
そんな捉え方もできるし、そう思う人もいるのはわかっている。
同じオーディオという趣味をやっていても、それこそ価値観は、まるで違ったりする。
感性だけでなく、価値観が違う。
それが当たり前であって、感性も価値観も同じ人と出会えるのは、そうそうない。
とにかく今回、Ktêmaを、野口晴哉氏のリスニングルームだった空間で鳴らす。
(その3)で指摘していることは、何もJBLだけのことではない。
マッキントッシュのスピーカーシステム、ML1 Mk IIは、
もっとひどいというかあからさまというか、
とにかく品がない。
このことはML1 Mk IIが発表になった時に書こうと思っていたが、
近年のマッキントッシュのデザインのひどさについて、続けて書いていただけに、
今回は書かずにおこう、とやめていた。
けれどJBLの新しいSummitシリーズを見て、共通するひどさを感じたから、結局、こうやって書いている。
ML1 Mk IIは専用スタンドのベースに、“McIntosh ML1”と大きく入っている。
サランネット下部中央には、“Mc”とある。
スタンドにまで入れることはないだろう、とここまででも思うのに、
サランネットを取ると、トゥイーター、スコーカーをマウントしているサブバッフルにも、“McIntosh”と入れている。
ここまでしつこくしなくても思う。けれど、また先がある。
この“McIntosh”のロゴは、サランネットを装着していても、透けて見える。
このことについて、オーディオ評論家は、何か言っているのだろうか。
以前書いているように、私が育った熊本の田舎町でも、書店の数は多かった、と言っていいだろう。
徒歩十分ぐらい以内に五店舗あった。さらに五、六分歩けば二店舗あったし、貸本屋もあった。
そんな田舎も、書店の数は減っている。東京でも減っているのだから、仕方ないのだろうが、
それでも実家から一番近い書店は、まだ現在だった。
もともとは文具店だった。なのでいまでも、店名に文具店とつく。
今回帰省して、ここの書店は他と違っていたことに、いまさらなのだが気づいた。
この店には書棚があまりない。壁面にあるくらいで、雑誌は全て大きな平台に置かれている。
測ったわけではないので正確とは言えないが、幅は2mくらい、奥行きは4mほどは、最低でもある。
この平台の上に雑誌が置かれる。
店舗も個人商店だから、大きいわけではなく、この平台がかなりの面積を占めていた。
子供のころは、一番近いと行くことで、頻繁に買いに行っていた。父や母に頼まれた本を買いに行ったりしていたので、
こういう置き方が当たり前のこととして受け止めていた。
この書店では、だから平積み、面陳列、棚差しといった扱いの違いはない。
ここで扱っている全ての雑誌が平積みである。
でも、ここにはオーディオの雑誌はなかった。
この店がオーディオ雑誌を扱っていたら、オーディオへの関心をもっと早くに持つことになったかも──、
そんなことを今回の帰省で思っていた。
6月4日のaudio wednesdayでは、この項で書いている同軸スピーカーケーブルの逆接続を、
スーパートゥイーターのエラック、4PI PLUS.2で、その音の違いを聴いてもらおうと予定している。
4PI PLUS.2への接続による音の変化は、小さくない。
スピーカーケーブルが変れば、もちろん変るし、接続の仕方によっても変ってくる。
5月の会では、それまでとは違うスピーカーケーブルを使っていた。長さの関係でパワーアンプから、というわけにはいかず、
フランコ・セルブリンのKtêmaのスピーカー端子から接いでいた。
今回もたぶんそうなると思う。その上で同軸スピーカーケーブルの正接続、逆接続の音を聴いてもらう。
これまでは、その月のaudio wednesdayが終ると、翌日には次回の告知をしていた。
5月の会を終えても6月の会の告知をしなかったのは、父の容態があったからだった。
なんとなくだが、6月は中止もしくは延期になる可能性が高い、と感じていた。
父の葬儀も終え東京に戻って来ているので、6月4日にaudio wednesdayを行う。
今回は、野口晴哉記念音楽室でフランコ・セルブリンのKtêmaを鳴らす。
これまで鳴らしてきた空間も、天井が高く十分に広かったが、
野口晴哉記念音楽室は、さらに広く天井も高い。
空間の大きさだけでなく、オーディオ機器の設置も変ってくる。
野口晴哉記念音楽室には、オーディオ機器の設置に最適と言いたくなるところがある。
CDトランスポート、D/Aコンバーター、コントロールアンプ、パワーアンプまでが置ける。
代わりに電源周りがやや不利になるけれど、それでもこれまで四回鳴らしてきたKtêmaの鳴り方が、どう変化するのか。
実を言うと5月の会の時、野口晴哉記念音楽室で鳴らすことも考えたが、
エアコンのない、この空間だとまだ寒く感じた。
6月4日だと、そういうことはないだろう。
父は、長いこと中学校の英語の教師だった。
キャリアの終りには小学校に移り、教頭、校長をつとめていた。
生徒から慕われていたと思う。
年に一回か二回ほど、教え子が数人で遊びにくることが、
ほぼ毎年あった。
そういうことが当たり前だと思っていた。
東京で暮らすようになって、知り合った同年代の人たちにその話をすると、
先生の家に遊びに行くなんてしなかった、という返事ばかりだった。
そういうものなのか、たまたま私が話をした人たちだけがそうだったのか。
母は、嫌な顔ひとつせず生徒たちをもてなしていた。
母からは、以前、教師になって欲しかった、と言われたことがある。
私もそんな父を見ていたから、中学の頃までは先生になりたい、と思っていた。
長男だし、実家から出ることなく、中学校の理科の先生になって──、
人生設計みたいなことをまじめに考えていた。
五味先生の「五味オーディオ教室」と出逢った。
最初のころは、趣味としてオーディオを楽しむことを、あれこれ思っていた。
住む家はあるし、稼ぐようになったら、リスニングルームを作って、スピーカーはJBLの4343にして──、
そんなことを夢想していた。
オーディオにのめり込まなかったら、そんな人生をおくっていたことだろう。
「五味オーディオ教室」を暗記するほど読んで、そこから外れていった。
たぶん父も、私に教師になって欲しかったように思う。
でも父の口から、聞いてはいない。
オーディオにのめり込むほどに、学校の成績は落ちていっても、
父はオーディオに関しては、何も言わなかった。母もそうだった。
私とオーディオのことを父がどう思っていたのかは、もう訊けない。
去年の11月、父は90になった。その数日後に倒れ、救急車で運ばれ、そのまま入院することになった。
5月22日朝、母からの電話があった。
この時間に電話ということは、父の死を伝えることだった。
昨年末に、父と会って話をしなさい、と母から言われていて、1月に帰省しようかと考えていたが、
今年になってコロナ禍がひどくなり、家族でも面会禁止になったため、
母と弟も、死に目には会えなかった。
家では黙って本をよく読んでいた父だった。部落問題に対しても活動していた。地元では有名な教師だったようで、
私が中学、高校に入学した時は「彼が宮﨑先生の息子か」的な視線があった。
これは家庭訪問の時に担任から言われたこと。
その「宮﨑先生の息子」は、オーディオにますますのめり込んで、成績を落としていっていたのに、父は何も言わなかった。
当時は、そのことに対して何も思わなかったけれど、いまは感謝している。
小学生のころ、なんとなく交通センターよりも熊本駅周辺が活気があるものだ、と、思い込んでいたから、
初めて熊本駅に着いた時は、寂れているとしか感じなかった。
熊本駅は、1981年に行ったきりだった。東京に戻るのには飛行機だったから、交通センターからバスで空港に向かう。
熊本駅周辺も、少し変っている、とは聞いていたけれど、今回、久しぶりの熊本駅はずいぶん変っていた。
新幹線が通るようになったこともあって、こんなに変ったのか、と驚きだった。
その熊本駅から桜町バスターミナル(旧交通センター)に行って、もっと驚く。
違うところに着いたのかも、とGoogle Mapで現在地を確認したほど。
そんなところからバスに乗って75分。
桜町バスターミナルから10分ほど経つと、周りは暗くなる。
もう21時ごろだったからというよりも、中心部から離れると、暗い。
30分ほど乗っていると、満員だった車内は空いている。
久しぶりの帰省だから、車窓を眺めるのだけれど、暗すぎるので、
Google Mapで、いま、このあたりを走っているのかと、そんなことをやっていた。
終点までの乗客は、私ともう一人だけ。22時少し前だった。
国道3号線沿いに終点はあるけれど、人は歩いていない。
私が実家にいたころは、ここと熊本までのバス路線は、ドル箱路線と言われていて、
三路線があったのが、いまでは二路線になり、本数もかなり減っていた。
そして、以前だと日に数本だった路線がメインになり、二番目に本数があった路線が廃止。
いろいろ変っている──、そんなことを感じながら歩く。
目的地は実家ではなく、斎場を目指して歩く。
しばらく実家に帰っていなかった。
今年の年末には久しぶりに帰省しようかな、と思ったのは2020年。
新型コロナ禍で、この年の年末も帰省しなかった。兵庫に住む妹一家も、
コロナ禍のため、帰省しなかった。
そんな数年があった。
妹は帰省を再開したけれど、私はそのままずるずると帰省しないままだった。
先週後半、ほんとうに久しぶりに帰省した。
少し時間が空いたので、ぶらぶら歩いていた。夜遅くにも歩いた。明るい時間帯も歩いた。
小学校、中学校への通学路も歩いてみた。
どの路も、記憶にあるよりもずっと狭く感じていた。
東京で暮らすようになってからも、何度も帰省していたけれど、
今回ほど、そのギャップを感じたことはなかった。
何か、自分の身体が大きくなったかのようにも感じていた。
それに夜が、こんなに暗かったか、とも思っていた。
田舎には街灯が少ない。小学生の頃は、夜道を歩くには懐中電灯を持っていた。
暗いのもわかっていた。にも関わらず、暗いと感じたのはなぜなのか。
そんなことをぼんやり考えて歩いていた。
目的地はなく、ただ歩いていた。
この路、あの路と歩いていた。そんなふうに歩いても、小さな町だから、大変ではない。
今回の帰省は、夜、熊本駅に着いた。
実家に帰るには、昔、交通センターと呼ばれていたバスターミナルに行かなければならない。
ここが桜町バスターミナルとなっていた。名称が変更になっただけでなく、大きく変っていた。
ちょうど台湾フェアをやっていて、眩しいほどに明るく活気がある。
熊本駅周辺も変っていた。
複数のスピーカーシステムを鳴らすオーディオマニアは、けっこう多い。
スペースの余裕、経済的な余裕が十分にあるのならば、
オーディオマニアならば、一組のスピーカーシステムだけでいい、という人はわずかではないだろうか。
終のスピーカーを決め鳴らしている私だって、スピーカーを置ける部屋がいくつもあり、
アンプやCDプレーヤーも複数台所有していたら、
あのスピーカーも欲しい(鳴らしてみたい)と思っているモノは、もちろんいくつもある。
それでも思うのは、私が二人いたとして、
一人は終のスピーカーということを考え、そのスピーカーを手に入れ鳴らしている自分と、
終のスピーカーなんてことはまったく考えずに、
欲しいスピーカーを手に入れて鳴らす自分とは、
その鳴らし方、スピーカーとのつきあいは違ってくるであろう。
終のスピーカーということをまったく考えなくても、
その人にはその人なりのメインのスピーカーがあったとしても、
それが終のスピーカーではない以上、違ってきて当然のはずだ。
そして、終のスピーカーがあったとしても、それが必ずしもメインのスピーカーという位置づけになるわけではないことも見えてくる。
ステレオサウンド 60号に「プロが明かす音づくりの秘訣」の一回目が載っている。
一回目は菅野先生である。
低音について、こう語られている。
*
菅野 だいたいぼくは、よく締まっているのがいい低音と言われるけれども、必ずしもそうは思わないんです。やはり低音はふくよかなものであるべきだと思うんです。締まっているというのは、結局ブーミーな、混濁する、ピッチのはっきりわからないような低音が多いから、それに対するアンチテーゼとして、締まった低音=いい低音というふうに受けとられているんじゃないかと思うけれども、本来、低音は締まっていたのではいけないんで、やっぱりファットじゃないといけない。ファットでいて明快な低音がほんとうにいい低音じゃないかと思います。
それはピアノなんかでもそうですね。銅巻線の部分というのは、とにかく膨らんだ、太い音がしなきゃいけない。締まっているというのは言い方をかえれば少しやせているわけですから、たしかに明快です。けれどもほんとうの低音の表情が出てこないと思うんです。
ほんとうの低音の表情というのは、太くて、丸くて、ファットなものだと思う。それでいて混濁しない。言葉で言えばそういうことなんですけれども、それだけでは言い切れないような、低音の表情に対するぼくの要求があるわけです。
*
60号は1981年9月発売の号である。
フランコ・セルブリンのKtêmaから鳴ってきたベースの音は、実にこんな感じだった。
こんなことを書くと、Ktêmaで鳴らせば、必ずそういう低音が聴けると思い込む人が絶対にいる。
うまく鳴らせば、というよりもきちんと鳴らせば、聴ける。
だけど勘違いしないでほしい。
きちんと鳴っていないKtêmaで聴いて、これが菅野先生が語られていた低音だ、と思わないでほしい。
この項でも以前取り上げているマッキントッシュのMC2300。
管球式のMC3500のトランジスター版、ステレオ版にあたる、このモデルは、
MC3500と同じくメーターとハンドルを持つ。
そしてMC3500とこれまた同じで、シルバーのフロントパネルを持つ。
MC3500もMC2300も同時代のマッキントッシュの他のアンプから見れば、異色な存在でもあった。
MC2300は以前書いているように、MC2500になり、
そのMC2500はブラック仕上げに変更され、MC2600となっていった。
MC2300、MC2500、MC2600、どれもメーターとハンドルを持つ。
しかもメーター、ハンドルの大きさ、仕様は同じのはず。
なのに、この三機種が与える印象、
少なくとも私が受ける印象は小さいとは言えない違いがある。
三機種の中でデザイン的に優れているのはどれか──、ではなく迫力あると感じるのは、MC2300だ。
だからカッコいいと感じているのかといえば、ちょっと違う。
ほぼ左右シンメトリーにメーター、ツマミを配置しているMC2600が、
整っていると感じるが、そのせいだろうが迫力は感じない。
カッコいいとも思えない。
この三機種で、どれがカッコいいと感じるのかといえば、迫力あるMC2300である。
14年前に、別項「続・ちいさな結論(その1)で書いている。
オーディオは、音楽を聴くための道具、であるとともに、
音楽を聴く「意識」でもある。
スピーカー選びだけでなく、
そのスピーカーをどう鳴らしていくのか、
「意識」を抜きにすることはできないはずだ。
そして「らしく」「らしさ」は、「意識」の顕れだ。
こうやって書いていて気づくことが、もう一つある。
SAEのMark 2500もそうなのだが、ある時代のパワーアンプはラックハンドルが付いていた。
Mark 2500は、ラックハンドルとメーター、どちらもついている。
メーターにしてもラックハンドルにしても、音質のことを最優先に考えるならば、ない方がいい。
特にメーターはない方がいい。
ラックハンドルは、その材質、大きさ、重さによって音への影響は変ってくる。
がっしりした金属製のハンドルを外して音を聴いてみると、よくわかる。
ペナペナな、安っぽいハンドルも、外してみると、違う音の変化をする。
重く硬いハンドルも場合、うまい味つけになっていることあって、
外した音は、最初は物足りなさを感じることもある。
メーターもハンドルも、どんなに技術が進んでも、音への影響をゼロにはできない。
それでもだ、カッコいいアンプがあるのも事実。
ヤマハのスピーカーシステムの型番は、NSから始まる。
ナチュラルサウンド(Natural Sound)から来ている。
このナチュラルサウンドを、どう解釈するのか。
人工的な要素、人為的なものをまったく感じさせないのが、ナチュラルサウンドなのだろうか。
ナチュラルサウンドの一つの解釈ではあるが、これが全てではない。
ナチュラルは自然。
この自然をどうするのかで、ナチュラルサウンドは拡がりを持ってくる。
(その58)で書いていることも、ナチュラルサウンドについて、である。
そのスピーカーらしく、そのブランドらしくなるのもナチュラルサウンドと考えてほしい。
同時に鳴らす人らしい音もまたナチュラルサウンドと言えよう。