Date: 12月 11th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その14)

CR方法については、何度も書いてきている。
2020年いっぱいで終ってしまったaudio wednesdayでは、
CR方法のあるなしの音の変化を、何度か聴いてもらっている。

今年は、CR方法についてのメールを、数人の方からいただいた。
実際に試してみて、効果があった、というメールが数通。

試してみたいけれど、
既製品のスピーカーをいじることには抵抗を感じる、というメールもあった。
そうだろうなぁ、と思うし、同じ人は少なくないとも思う。

友人の一人も、ようやくやってみた、と言っていた。
効果に驚いた、とも言っていた。

とにかく今年はCR方法への反応があった。

Date: 12月 11th, 2021
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(先生という呼称・その2の補足)

その2)で、ラジオ技術 1957年5月号の「誌上討論会 OTL是非論」に触れた。

いま書店に並んでいるラジオ技術(2022年1月号)の復刻コーナーに、
「誌上討論会 OTL是非論」が載っている。

Date: 12月 10th, 2021
Cate: スピーカーの述懐

あるスピーカーの述懐(その22)

心に近い音がある。心に遠い音もある。
耳に近い音がある。耳に遠い音もある。

耳に近く、心に遠い音がある。
耳に遠く、心に近い音がある。

耳に遠く、心に遠い音と耳に近く、心に近い音ならば、
耳に近く、心に近い音を、誰もが選ぶだろう。

まさか耳に遠く、心に遠い音を選ぶ人はいないはずだ。

耳に近く、心に遠い音と耳に遠く、心に近い音。
どちらをとるのかは、人によってわかれるように思う。

この選択が、パッシヴな聴き手とアクティヴな聴き手の別れ道なのかもしれない。

Date: 12月 9th, 2021
Cate: High Resolution,

MQAで聴けるエリザベート・シュヴァルツコップ(その5)

今日(12月9日)は、エリザベート・シュヴァルツコップの誕生日。

エリザベート・シュヴァルツコップを聴いていた。
モーツァルトの“Ch’io mi scordi di te?… Non temer, amato bene, K. 505”を聴いていた。
MQA Studio(96kHz)である。

ここ数日、あらためてシュヴァルツコップ以外の、この曲の歌唱を聴いていた。
よく知られるのは、テレサ・ベルガンサである。

ベルガンサの「どうしてあなたを忘れられましょうか」も、久しぶりに聴いた。
ベルガンサの歌唱をいちばんに推す人が多いのは知っている。

他にも、新しい人の歌唱も聴いた。
それでも私にとってはシュヴァルツコップの歌唱が、
いちばん胸に響く。

それはマリア・カラスの「清らかな女神よ」がそうであるように、
と同じように、シュヴァルツコップの歌唱がそうである。

何度も「清らかな女神よ」は、
マリア・カラスの自画像だ、と書いている。

では「どうしてあなたを忘れられましょうか」は、
シュヴァルツコップの自画像なのか、という自問があった。

黒田先生が「音楽への礼状」で書かれていることを思い出した。
     *
 あなたは、ノルマであるとか、トスカであるとか、表面的には強くみえる女をうたうことを得意にされました。しかしながら、あなたのうたわれたノルマやトスカがききてをうつのは、あなたが彼女たちの強さをきわだたせているからではなく、きっと、彼女たちの内面にひそむやさしさと、恋する女の脆さをあきらかにしているからです。
 ぼくは、あなたのうたわれるさまざまなオペラのヒロインをきいてきて、ただオペラをきく楽しみを深めただけではなく、女のひとの素晴らしさとこわさをも教えられたのかもしれませんでした。
     *
ここでの「あなた」は、マリア・カラスのことである。
ここで書かれていることが、
そっくりそのままエリザベート・シュヴァルツコップにもあてはまる、とは思っていない。

けれど、《彼女たちの内面にひそむやさしさと、恋する女の脆さをあきらかにしている》、
ここのところが、シュヴァルツコップの歌う「どうしてあなたを忘れられましょうか」には、
はっきりと感じられる。

シュヴァルツコップのほかの歌唱からは感じとりにくいことが、
「どうしてあなたを忘れられましょうか」にはっきりとある──、
と私の「耳」にはそう聴こえるのだからしょうがない。

だから、私は「どうしてあなたのことが忘れられましょうか」は、
エリザベート・シュヴァルツコップの自画像だ、と思っている(確信している)。

Date: 12月 9th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その13)

別項「オーディオの想像力の欠如が生むもの(その72)」で、
ゲスの勘ぐり、と書いた。

「バカの壁」は、養老孟司氏、
「アホの壁」は、筒井康隆氏。

そろそろ、誰か「ゲスの壁」を書いてくれてもよさそうなのに……、
そんなことを何度か感じた一年でもあった。

Date: 12月 8th, 2021
Cate: アンチテーゼ, 平面バッフル

アンチテーゼとしての「音」(平面バッフル・その7)

十年ほど前に、QRDの拡散型を前後逆にして、
平面バッフルにしたら──、ということを書いている。

QRD(当時はRPG)が登場したころから、そんなことを考えているのだから、
もう四十年くらい経つわけだが、試したわけではない。

友人が、平面バッフルに鳴らしている人に、このアイディアを話した、とのこと。
興味を持ってくれたようで、実行するようだ、という連絡が昨晩あった。

2m×2mのバッフルをQRDの拡散型で構成する、らしい。
すごい、と思う。

完成した暁には、ぜひ聴かせてほしい、と友人には伝えた。
それがうまくいったら、私もやっと重い腰をあげることになるのだろうか。

Date: 12月 8th, 2021
Cate: スピーカーの述懐

あるスピーカーの述懐(その21)

アクティヴな聴き手がパッシヴなスピーカーを選択、
アクティヴな聴き手がアクティヴなスピーカーを選択、
パッシヴな聴き手がアクティヴなスピーカーを選択、
パッシヴな聴き手がパッシヴなスピーカーを選択。

この四つのマトリクスがある、と考える。
どの選択が幸せなのかは、なんともいえない。

アクティヴ同士がいい、とは思っていない。
アクティヴな聴き手なら、パッシヴなスピーカーを選ぶことが多いのではないだろうか。

パッシヴな聴き手は、パッシヴなスピーカーではなく、
アクティヴなスピーカーを選ぶ傾向があるようにも感じる。

Date: 12月 8th, 2021
Cate: ディスク/ブック

SATURDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO(その5)

「スーパー・ギター・トリオ・ライヴ」のLPを買ったのは、
サウンドコニサーの取材から一年後くらいだった。

衝撃をうけたにも関らず、すぐには買わなかったのに、特に大きな理由はなかったはずだ。
自分でも、いまふり返ってすると、なぜ? と思うけれど、
とにかくしばらしくしてから買った。

自分で買って、1980年12月5日が“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”であることを知って、
そうか、冬のライヴ録音だったのか、と思ったことだけは、はっきりと憶えている。

黒田先生は、サウンドコニサーで、こう発言されている。
     *
このレコードの聴こえ方というのも凄かった。演奏途中であれほど拍手や会場ノイズが絡んでいたとは思いませんでしたからね。拍手は演奏が終って最後に聴こえてくるだけかと思っていたのですが、レコードに針を降ろしたとたんに、会場のざわめく響きがパッと眼の前一杯に広がって、がやがやした感じの中から、ギターの音が弾丸のごとく左右のスピーカー間を飛び交う。このスペクタキュラスなライヴの感じというのは、うちの4343からは聴きとりにくいですね。
     *
まさにそのとおりだった。
この会場のざわめき、そして伝わってくる熱気から、私は勝手に夏のライヴだと勘違いしていたわけだ。

《スペクタキュラスなライヴの感じ》を、
アクースタットのスピーカーから、はっきりと聴きとれた。

JBLの4343で、「スーパー・ギター・トリオ・ライヴ」を初めて聴いたとしても、
その演奏に驚いたはずだ。
でも、《スペクタキュラスなライヴの感じ》は、聴きとりにくかっただろう。
もちろん4343で聴けば、
4343の良さで「スーパー・ギター・トリオ・ライヴ」の魅力を伝えてくれただろうが、
アクースタットほどの衝撃は得られなかったかもしれない。

レコード(録音物)との出逢いは、ときに再生システムに影響を受ける。
まったく影響を受けない、ということはありえない。
少なからずとも影響を受けるものだ。

“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”の最初はアクースタットだった。
“SATURDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”の最初は、コーネッタか。

Date: 12月 7th, 2021
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その73)

オーディオの想像力の欠如した者は、「遠い」という感覚をもてないのだろう。

Date: 12月 7th, 2021
Cate: ディスク/ブック

SATURDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO(その4)

1982年夏、ステレオサウンドの別冊として「サウンドコニサー(Sound Connoisseur)」が出ている。
このサウンドコニサーの試聴で、
私は“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”を初めて聴いた。

このディスクが出ていたことは、
ステレオサウンドの音楽欄で知っていた。
安原顕氏が紹介されていて、絶賛に近い評価だったと記憶している。

黒田先生も、「コンポーネントステレオの世界 ’82」で、取り上げられている。
《音楽もいいし、音もいい。最近は、とかくむしゃくしゃしたときにはきまって、このレコードをとりだしてかけることにしている。》
と書かれていた。

いまでこそ“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”といっているけれど、
当時、日本では「スーパー・ギター・トリオ・ライヴ」のほうが通りがよかった。

サウンドコニサーの取材(試聴)では、
「スーパー・ギター・トリオ・ライヴ」は、試聴レコードには入っていなかった。

けれどアクースタットのModel 3の音を聴かれた黒田先生が、
このディスクを、とリクエストされたのが「スーパー・ギター・トリオ・ライヴ」だった。
このことはサウンドコニサーに載っているし、
別項「黒田恭一氏のこと」のところでも書いている。

とにかくアクースタットで聴いた「スーパー・ギター・トリオ・ライヴ」は、
試聴室の雰囲気を、最初の一音で変えてしまった。

音が鳴っていないときのアクースタットのスピーカーは、単なる板である。
しゃれっ気がない、ただの板である。
オーディオ機器としての魅力には、その点では乏しい。

けれどひとたび音が鳴ってくると、
特に「スーパー・ギター・トリオ・ライヴ」では、
聴き終ったあと、みなが静かな昂奮状態にあったといえる。

「スーパー・ギター・トリオ・ライヴ」を初めて聴いた私は、
夏のライヴ録音だと思ってしまっていた。

Date: 12月 7th, 2021
Cate: ディスク/ブック

SATURDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO(その3)

1980年12月5日が“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”ならば、
1980年12月6日は“SATURDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”である。

昨夏、“SATURDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”が発売になる、
というニュースがあった。
2021年発売の予定ではあったが、音沙汰はなかった。

日本の日付は変ってしまったが、
アメリカはまだ12月6日なので、ようやく発表があった。

2022年夏に発売である。
CDだけでなく、SACD、LPも発売になる。

TIDALでMQAで聴けるようになるのかどうかはいまのところ不明だが、
可能性はけっこう高いと思っている(信じている)。

夏といっても、何月なのかはわからない。
7月なのか、8月なのか。
それとも泳げる季節を夏とするのか。

とにかく発売になるのは間違いない。

Date: 12月 6th, 2021
Cate: 書く

オーディオにおけるスケッチとは(その5)

ワルター・ギーゼンキングが「ピアノとともに」(白水社刊・杉浦博訳)で語っている。
     *
なんらかのとくべつな指や手の運び方に、美しい音が出る原因をさがそうとするのはむだなことだと思うのである。わたしの確信によれば、響きの美しい演奏法習得の唯一の道は、聴覚の体系的な訓練である。
     *
「耳」の想像力とは、このことが含まれるはず。

Date: 12月 6th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その12)

去年(2020年)は、五味先生の没後40年であり、
今年(2021年)は、生誕100年である。

1921年12月20日なので、あと二週間で、ちょうど百年。

百年の年に、私は五味先生の享年と同じ歳になった。
他人にはどうでもいいことであっても、
「五味オーディオ教室」からオーディオの世界に入った私には、
いろいろとおもうことがあった一年だった。

Date: 12月 6th, 2021
Cate:

ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた(その10)

(その7)で書いているように、
LS8/1の存在に気づいたのは、LS5/1の復刻版について、
何か知りたくて、グラハムオーディオのウェブサイトを見たからだった。

そこにはLS5/1の文字はなかった。
なのに、今日ふと輸入元の横浜サウンドトレードのウェブサイトを見たら、
LS5/1のページが公開されている。

今年の6月21日に入荷した、とある。
知らなかった。半年ほど前に日本に来ていたのか。

LS5/1の復刻とはいえ、エンクロージュアのプロポーションは違う。
LS5/1はスタンド付きのフロアー型だったのに対し、
復刻版はセレッションのDitton 66を思わせる、ややトールボーイのフロアー型である。

LS5/1(及びLS5/1A)は、二つのトゥイーターを単純に並列接続しているわけではなく、
上側に配置されているトゥイーターに関しては、3.5kHz以上でロールオフさせている。
そのため専用アンプで高域補整を行っている。

復刻版もトゥイーター二基搭載だが、オリジナルのような仕組みは採用していない。
専用アンプなしで使えるようにするためである。

その変更による音の変化、
というよりも私が気になるのは、LS5/1の定位の良さがどの程度再現されているのかだ。

LS5/1が変則的ともいえるトゥイーターの使い方をしているのは、
トゥイーターの複数使用による定位の不明瞭になっていくことを抑えるためである。

音は聴いてみないとなんともいえないのだから、
この点に関しては、これ以上書くことはない。

ただ私が驚いたのは、その価格である。
3,000,000円(税抜き、ペア)となっている。

正直、高い、と思ってしまった。

Date: 12月 5th, 2021
Cate: pure audio

オーディオと偏愛(その3)

ルコントのレアチーズケーキはどうだったのか。
世の中に、こんなに美味しいケーキがあるのか。
大袈裟でなくそう感じていた。

赤坂のトップスには申しわけないが、
どちらもレアチーズケーキであっても、同じには語れない。

ルコントのレアチーズケーキは小さい。
大きな口の男なら、一口で喰おうと思えばできないサイズではない。

フォークで、ルコントのレアチーズケーキを一口分、
ちょっぴりだけフォークにのせて口に運ぶ。

二口目は少し大きめにして口に運ぶ。
味わいながら、何口で食べ切ろうか、とも考えていた。

一気に食べてしまいたい気持と、ちびちび味わいながら、という食べ方。
どちらもしたい。
なんならレアチーズケーキをもう一つ注文しようか、とも思っていた。

でも、目の前のケーブルにはレアチーズケーキの他に、
シャルロットポワールのフランポワーズのソース添えがある。

こちらは皿も大きく、ケーキそのものも大きく、
レアチーズケーキよりも見た目も華やかだ。

ルコントのことをステレオサウンド 53号の編集後記に書いているOさんによれば、
シャルロットポワールのフランポワーズのソース添えは、
レアチーズケーキ以上の衝撃(美味しさ)である、とのこと。