老いとオーディオ(美味しさと味の良さ・その1)
三十数年前、ある中華料理店に行った。
池波正太郎氏が贔屓にしている、という店だった。
東京には、そういう店がいくつもあったし、
いまもGoogleで「池波正太郎 グルメ 東京」とかで検索すれば、
それらの飲食店がヒットする。
三十数年前は、20代前半だった。
美味しいといえば美味しいけれど……、と感じていた。
もう一度来よう、とは思わなかったから、
その店の前を通ることは幾度となくあったけれど、それきり行っていない。
その店も昨年末に、一旦閉店している。
再開するのかは知らない。
ここまで書けば、その店がどこなのかわかるだろうから、
店の名前は出さない。
今日、さきほどまで、友人のAさんと食事をしていた。
中華料理店であり、ここも池波正太郎氏のお気に入りの一つだ、と昔からいわれている。
食べていて、そしてAさんと味について話していて、ふと気づいた。
この歳になって、この店の美味しさ、というより、味の良さがわかるようになったのか、と。
三十数年前に一度だけ行ったきりの中華料理店にいま行けば、
きっと、美味しさうんぬんより、その良さに気づいたかもしれない。
どちらの中華料理店も、際立った美味しさはない。
けれど、なんといおうか、どちらにも、美味しさを含めての共通した良さがあるように感じた。
Aさんと帰り際に、今度は、これを食べましょう、と話したぐらいである。