編集者の悪意とは(その7)
(その1)は、
筆者チェックをやっていないものと思って書いた。
facebookでのコメントを読んで、やっている可能性もある、と思い直し、
続きを書くようにした。
(その5)、(その6)で、善意としたのは、
筆者チェックを行っていないこと、
編集部が小野寺弘滋氏の行儀の悪さを直してほしい、と思っていることを前提としている。
指摘を受けて、チェックのことを考慮すれば、
今回の写真の件は、筆者チェックをしている、していない、
さらに編集部が小野寺弘滋氏の行儀の悪さに気がついている、気がついていない、
気がついているのであれば、直してほしいと思っている、思っていない、
それぞれのケースについて考えてみようかと思ったけれど、
そんなことを長々書いたところで、ステレオサウンドの読者にとっては、
どうでもいいことではないのか、とも思う。
読み手側は、チェックしているしていない、とか、直してほしいと思っている(いない)とか、
そんなことは関係なく、ステレオサウンド 211号を手にして、119ページの写真を見ている。
コメントの方も、雑誌づくりにかかわってこられた人だ。
だからこそのコメントであった。
けれど、ステレオサウンドの読み手のどれだけが雑誌づくり、
本づくりに関っている(きた)人だろうか。
ほとんどの読み手が、雑誌づくりとは関係のない仕事をしている(いた)。
そういう人たちは、119ページの写真を見て、どう感じるだろうか。
行儀が悪い、
ふてぶてしい態度、
そんな印象を持つのではないのか。
そうだとすれば、小野寺弘滋氏を晒し者にしたといえる。