編集者の悪意とは(その8)
ステレオサウンド 211号を手にし119ページの写真を見た人がどう感じどう思おうと、
私は、119ページの写真は載せるべきではない、と考える。
小野寺弘滋氏本人が、あの写真を諒とした上での掲載であっても、
119ページの写真は、みっともない写真である。
これは小野寺弘滋氏がどうのこうのということではなく、
一枚の写真としてみっともなく、恥ずかしい。
こういう写真を載せてしまう。
なぜ載ってしまったのか。
結局は、編集者全員のステレオサウンド愛が欠けているからだ、
と私は思っている。
ステレオサウンド愛が欠けていることを、
私は「悪意のようなもの」につながっていく、と考える。