Date: 6月 25th, 2019
Cate: 世代
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“NO MUSIC, NO LIFE.”に感じていること(その3)

貪欲であることは、かっこわるいといわれれば、確かにそうである。
そうであっても、何かひとつのことに貪欲でなかったならば、
それは趣味とはいえないように思う。

オーディオ、音楽に限れば、
音、音楽に対して貪欲だった時期が、
少なくともオーディオマニア、音楽マニアを自称・自認している人ならば、
かつてあったはずだ。

いまでも、あからさまにしないだけで、貪欲なことに変わりない人も、
きっといるはずだ。

貪欲さから逃れられないからこそマニアなのだろう。

このあたりで手を打とう、
この辺で、もう充分じゃないか、
そんなふうに、そこで割り切ってしまえる人は、
以前はマニアだったのかもしれないが、
そこで手を打ってしまったら、その時点でマニアを卒業ということになるのか。

それでもくすぶっているものを持ち続けていれば、
何かのきっかけで再燃することだってあるはず。
となれば、マニアのままだったといえるのだろうか。

こんなことをぐだぐた考えていわけだが、
ここでのカテゴリーは、世代である。

世代の違いということで、すべてを語ってしまえれば楽なのだが、
そうではないことぐらいはわかっているつもりである。

それでも、世代の違いなのかぁ……、と感じてしまうことがある。

音に対しての貪欲さ、オーディオに対しての貪欲さは、
本人があからさまにしないようにしていても、
いっしょに音を聴いていれば、
それもそこで音を変えていくようなことをやってみれば、
はっきりと感じとれる。

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