それぞれのインテリジェンス(その5)
クラシックの演奏家の違いによる演奏を、
楷書と草書にふたつだけで分類して語るのは無理があるのはわかっていても、
それでもマーラーの交響曲で、
しかも同じドイツグラモフォンでの録音でも、
アバドとバーンスタインのマーラーは、(別項)で書いているように、
アバドは楷書的、バーンスタインは草書的、と口走りたくなる。
昨年のことなのだが、ある人のリスニングルーム兼仕事場にいた。
CD棚を見ていて、バーンスタインのマーラーがあるのに気づいた。
そのCD棚はクラシックのCDばかりがあったわけではない。
ジャズもあれば、ロック、ポップスもあった。
部屋の主の好きな音楽が並んでいる。
それでもバーンスタインのマーラー(ドイツグラモフォン盤)が目に入ってきた。
これだけでも嬉しいのだが、その隣にはアバドのマーラーも並んでいた。
人それぞれだから……、と何度も書いているし、
(その4)でも書いている。
別項でベートーヴェンの「第九」について書いているけれど、
そこでも、人それぞれだから……、ということになる。
同世代であっても、オーディオという共通の趣味をもっていても、
同じようにステレオサウンドを始めとするオーディオ雑誌を、学生時代に読んでいても、
やっぱり人それぞれなんだぁ……、とおもう。
人それぞれ──、そうであっても、
バーンスタインのマーラーとアバドのマーラーが並んでいるCD棚があれば、
この部屋の主とは、世代も違うし、いろんなことが違うけれど、
もしかすると私と同じ(もしくは近い)マーラーの聴き方をされているのかも……、と思ってしまう。