Date: 10月 8th, 2018
Cate: 終のスピーカー
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無人島に流されることに……(その9)

いまでこそ、グレン・グールドのハイドンは、
私にとってなくてはならない一枚なのだけど、最初からそうだったわけではない。

20代の前半は、ハイドンもいいけれど……、といったところがあった。
やっぱりグールドはバッハ、ブラームス、モーツァルトと思い込もうとしていたフシがある。

以前書いているように27のときに左膝を骨折した。
一ヵ月半ほど入院していた。

当時はiPhoneなどなかった。
CDウォークマンも持っていなかった。
音楽を聴けるわけではなかった。

入院して一ヵ月ぐらい経ったころだったか、
ハイドンのピアソナタを口ずさんでいるじぶんに気づいた。
松葉杖をついて歩いている時に、口ずさんでいる。

もちろんグールドの演奏を口ずさんでいた。
ハイドンを、私はグールドの演奏で初めて聴いた。

その後、ブレンデルを聴いている。
ブレンデルの演奏を聴いていて、なんて変った演奏なんだろう、と感じるほど、
グールドのハイドンは聴いていた。

そうやって聴いていたグールドのハイドンを、
退院が近くなったころに、口ずさんでいた。
まだまだリハビリは必要だったけれど、治りつつあるのを感じていたのかもしれない。

そのときのハイドンである。
ハイドンよりも、バッハは、もっと多く聴いていたのに、
バッハを口ずさむことは退院するまでおとずれなかった。
グールドのハイドンの置き位置が、変った。

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