オーディオ評論の本と呼ぶ理由(その2)
黒田先生の「レコード・トライアングル」は、本である。
magazineではなく、bookとしての単行本であるが、
そこに収められている文章は、すべてなんらかの雑誌に書かれたものをである。
「レコード・トライアングル」のあとがきにあるように、
《最近はあちこちに書きちらしたものをまとめただけの本》ともいえる。
つまり書き下しではない。
《最近はあちこちに書きちらしたものをまとめただけの本》は、
どこかで読んだことのある文章が、いくつも載っていたりする。
読み手にとって、初めての書き手の文章ならば、そうではないけれど、
興味・関心をもって読んできている書き手の文章ならば、
けっこうな数は、いつかどこかで読んできた文章でもある。
「レコード・トライアングル」のような本は、
いわば雑誌と本の中間にあるような存在なのか、といえそうだし、
そう受け止める人もいるんだろうけれど、
私にとっては、一冊の単行本である。
書き下しであろうがなかろうが、まったく関係ない。
それにすべての文章をすでになんらかの雑誌に掲載されていた時に読んでいたとしても、
一冊の本としてまとめられ、一気に読める(読む)ことの楽しさ、
それにともなう発見は、雑誌掲載時にはなかなかできないことでもある。
雑誌に掲載されているときは、他の書き手の文章といっしょに、である。
そして、つねに掲載時の「いま」を同時に読んでいる、ともいえよう。
《最近はあちこちに書きちらしたものをまとめただけの本》におさめられている文章は、
比較的最近に書かれたもの、数年前の文章、もっと以前の文章でもある。
一冊に本にまとめられるときに、手直しがまたくないわけではないが、
掲載時と大きく変っていたりはしない。
なにがいいたいかのだが、結局私にとって、雑誌も単行本も、
本として受け止めている。
私にとって書店で売られているのは、本であり。
雑誌には広告が入っているから信用できない、とか、
書き下しの本が、格上だとか、そんなことは考えたこともない。
そのうえで、ステレオサウンドは、
以前は確かにオーディオ評論の本だっことについて書いていきたい。