スピーカーとのつきあい(その1)
10代から20代のころまでは、よくスピーカーを擬人化して捉えていた。
この捉え方がいいのか悪いかは別にして、スピーカーにはそういう捉え方ができる面をもつ。
オーディオ機器は、家庭で音楽を聴くための道具だ、という捉え方をすれば、
スピーカーシステムも、家庭で音楽を聴くための道具だ、ということになる。
道具であれば、優れたモノがいい。
スピーカーは、果して道具なのだろうか。
完全にそのことを否定はしないけれども、
オーディオ機器、その中でもスピーカーシステムは、
家庭で音楽を聴くうえで欠かせない友、という捉え方もできる。
スピーカーを友として捉えれば、
他と比較することの無意味さ、愚かさに気づく。
オレの友だちは、アイツの友人よりも優れている(劣っている)──、
そんなことをいう人はいるだろうか。
友だちの顔を、ひとり思い浮べてほしい。
その友だちよりも、もっといい友だちがいるんじゃないか、とか、
その友だちを、家柄、学歴、職業、収入などで判断してつきあっているのかどうか──、
そんなことはないはずだ。
友だちは友だちである。
いつしかそういう仲になっていた。
そこには学歴とか職業とか、そんなことは関係なかった。
スピーカーもそうだろう。