オーディオの「介在」こそ(ヘッドフォンで聴くこと・その3)
オーストリアのある山荘にて作曲に没頭していたマーラーを訪ねてきたブルーノ・ワルターが、
まわりの景色に見とれていたので、
「その景色は私の音楽の中にすべて入っている」とマーラーは言った、というエピソードがある。
このマーラーの言葉どおりであるならば、聴き手は、マーラーの音楽をとおして、
彼が眺めてきた景色、だけでなく、彼が生きてきた時代の空気、ほかにもいろいろあるだろうが、
そういったことまでも、真に優れた演奏からは感じとれる道理になる。
その意味で、聴き手の目の前にあるふたつのスピーカー間の空間は、
まさしく世界・社会に通じている「窓」といえるのかもしれない。
音楽を聴く、という行為は本来孤独なものである、と同時に、
その「窓」によって、なにかとつながっている。
その「窓」が、ヘッドフォンのみで、さらにノイズキャンセリング付のもので、
雑多な音に耳を閉ざすような聴き方をしていると、存在しなくなる──、そんな気がする。
どこにも通じなくなっている。
聴き手は、その「窓」をとおして、いろいろなものを見てきている。