オーディオの「介在」こそ(ヘッドフォンで聴くこと・その4)
人間にとっての音の入口となる耳の穴は、真正面からは見えない。
斜め後ろからでない、見えてこない。
外耳がある、というものの、耳は目と違い、前面に対してのみ感知器官ではない。
人間の視野はそれほど広いものではない。
横にあるものを見たいときには、横を向く必要がある。
耳は360度、どの方向からでも、どちらを向いていても感知できる。
人間の得る情報量の大半は視覚から、ということになっているが、
その視覚が対応できる範囲は広くない。
それに目は閉じられる。
耳にはまぶたはない。寝ているときも、音を感知している。
つねに広い範囲の音を感知しているからこそ、人は察知することができるのではないだろうか。
そうやって生きてきている、その中で音楽を聴いてきている。
ところがノイズキャンセリング付のヘッドフォンばかりでの音楽の聴き方は、
その意味でまったく別もののではないかと思うわけだ。
スピーカーを通して聴くのと、ノイズキャンセリング付のヘッドフォンで聴くのと、
もしかすると、後者のほうが純粋に音楽を聴いていることになる、といえるのかもしれない。
どちらが優れた聴き方、という区別はつけるものではないのかもしれない。
それでも、前者と後者では、マーラーが作品に書きこんだ景色は、同じに観得るのか、という疑問は残る。
そして、マルチチャンネルと、これまでの2チャンネルとの違いも、
ここに書いたことと近いものがあるのではないだろうか。
2つのスピーカーのあいだにある「窓」は、マルチチャンネルではなくなってしまうのか、
それとも360度すべて窓になってしまうのか(そうなったら、それは窓ではなくなってしまう気もする)。