Date: 1月 16th, 2016
Cate: 使いこなし
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使いこなしのこと(調整なのか調教なのか・その3)

スピーカーの調教といっても、ピンとこない人は必ずいるはずだ。
どういうスピーカーを鳴らしてきたかでも、調教という言葉に対して、
どう感じるかは違ってくるものと思われる。

調教なんて大げさな……、調整でしょう、と思う人が使ってきた(鳴らしてきた)スピーカーと、
そうそう調教してきた、と頷かれる人が使ってきた(鳴らしてきた)スピーカーは、
その性格において大きく異るものがある。

黒田先生が調教という言葉を使われたステレオサウンド 38号の一号前、
37号では、森忠輝氏が、やはり調教と表現されている。

森忠輝氏は、そのころシーメンスのオイロダインを手に入れられている。
「幻聴再生への誘い」という連載が、そのころのステレオサウンドにはあった。

森忠輝氏は、五味先生のオーディオ巡礼(50号)に登場されているので、
ご記憶の方も少なくないと思う。

シーメンスのオイロダインを、
マランツのModel 7とModel 9、
それにRCAのアナログプレーヤーで鳴らされていた。

森氏は、パルジファルを、この時かけられている。
     *
森氏は次にもう一枚、クナッパーツブッシュのバイロイト録音の〝パルシファル〟をかけてくれたが、もう私は陶然と聴き惚れるばかりだった。クナッパーツブッシュのワグナーは、フルトヴェングラーとともにワグネリアンには最高のものというのが定説だが、クナッパーツブッシュ最晩年の録音によるこのフィリップス盤はまことに厄介なレコードで、じつのところ拙宅でも余りうまく鳴ってくれない。空前絶後の演奏なのはわかるが、時々、マイクセッティングがわるいとしか思えぬ鳴り方をする個所がある。
 しかるに森家の〝オイロダイン〟は、実況録音盤の人の咳払いや衣ずれの音などがバッフルの手前から奥にさざ波のようにひろがり、ひめやかなそんなざわめきの彼方に〝聖餐の動機〟が湧いてくる。好むと否とに関わりなくワグナー畢生の楽劇——バイロイトの舞台が、仄暗い照明で眼前に彷彿する。私は涙がこぼれそうになった。ひとりの青年が、苦心惨憺して、いま本当のワグナーを鳴らしているのだ。おそらく彼は本当に気に入ったワグナーのレコードを、本当の音で聴きたくて〝オイロダイン〟を手に入れ苦労してきたのだろう。敢ていえば苦労はまだ足らぬ点があるかも知れない。それでも、これだけ見事なワグナーを私は他所では聴いたことがない。天井棧敷は、申すならふところのそう豊かでない観衆の行く所だが、一方、その道の通がかよう場所でもある。森氏は後者だろう。むつかしい〝パルシファル〟をこれだけ見事にひびかせ得るのは畢竟、はっきりしたワグナー象を彼は心の裡にもっているからだ。〝オイロダイン〟の響きが如実にそれを語っている。私は感服した。(ステレオサウンド 50号より)
     *
五味先生の文章を読んでもわかる。
森氏は、オイロダインを調教されてきたことが。

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