ふたつの「型」(その3)
世の中には器用な人がいる。
はじめてやることでも、なんなくやってみせる人のことを、「あの人は器用だ」だという。
「あの人は器用だ」といってしまうと、
その人の器用さは、その人の才能のように受けとめられるかもしれない。
「あの人は器用だ」と口にしてしまった人も、
器用な人の器用さを、ある種の才能だと思ってそう言ったのかもしれない。
器用であることは、才能のような気もするし、そうでないような気もする。
器用な人であれば、けっこうな腕前でピアノを弾いてしまうだろう。
そういうのを目の当りにすれば、器用であることは才能のようにも思えてくる。
けれど器用な人のピアノと、
グレン・グールド(グールドなくとも他のピアニストでもかまわない)のピアノと、
何が違うのだろうか、と考えたときに、器用と技は違うことに気づく。