Archive for 1月, 2023

Date: 1月 5th, 2023
Cate: 映画

モリコーネ 映画が恋した音楽家(その1)

1月13日から、映画「モリコーネ 映画が恋した音楽家」が上映される。

エンニオ・モリコーネの映画が公開になるのは数ヵ月前から知っていた。
とはいうものの、さほど大きな関心をもっていたわけではなかった。
昨年暮に映画を観に行った際に、「モリコーネ 映画が恋した音楽家」の予告編が流れた。

予告編の出来がいいだけなのかもしれないが、
おもしろそうな予感がした。

公開が楽しみな一本である。

Date: 1月 5th, 2023
Cate: Claudio Abbado

Abbado 90(その3)

クラウディオ・アバドは、こういう演奏(指揮)もできるのか──、
という意味で、驚いたのはポリーニとのバルトークのピアノ協奏曲であり、
ベルクの「ヴォツェック」である。

いまも、ポリーニとのバルトークのピアノ協奏曲を初めて聴いた時の驚きは、
はっきりと思い出せる。そのくらい凄い演奏と感じたものだった。

あの時代に、この二人が、あの年齢だったからこそ可能だった演奏なのだろうが、
それにしても、思い出していま聴いても、やはり凄いと感じる。

アバドは、こういう演奏(指揮)もできる──、
そうわかって聴いても驚いたのが、「ヴォツェック」だった。

アバドの「ヴォツェック」が登場したころは、
世評高いベーム、ブーレーズのほかに、ドホナーニ、ミトロプーロスぐらいしかなかった、と記憶している。

ミトロプーロス盤が1951年、ベーム盤が1965年、ブーレーズ盤が1966年、
ドホナーニ盤が1979年録音だった。
すべてアナログ録音であり、そこにデジタル録音のアバド盤が登場した。

「ヴォツェック」を積極的に聴いてきたわけではなかった。
ベーム盤を聴いたことがあるくらいだった。
「ヴォツェック」の聴き方が、自分のなかにあったとはいえないところに、
アバドの「ヴォツェック」である。

このときの衝撃は、バルトークのピアノ協奏曲も大きかった。
そういえばバルトークのピアノ協奏曲もそうだった。
自分のなかに、バルトークのピアノ協奏曲についての聴き方が、
ほぼないといっていい状態での衝撃だった。

Date: 1月 4th, 2023
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(Troubadour 40と4PI)がやって来た!!!(その意味)

ここで、しつこいぐらいに、伊藤先生の言葉──、
《スピーカーを選ぶなどとは思い上りでした。良否は別として実はスピーカーの方が選ぶ人を試していたのです。》
を引用しておく。

ステレオサウンド 72号に載っている。
記事ではなく、上弦(かみげん、と読む。シーメンス音響機器調進所)の広告に載っている。

ジャーマン・フィジックスのTroubadour 40は、
さしずめ私を試すために、終のスピーカーとしてやって来たのだろう。

Date: 1月 4th, 2023
Cate: High Resolution

TIDALという書店(その19)

トーマス・スタンコの“Terminal 7”も、TIDALで聴ける。
すぐに聴ける。

この、すぐに聴ける、ということが、
聴き手としてのこちらの積極性にすこしばかりを影響を与えている。

すぐに聴ける、ということがなければ、
“HOMELAND”をどれだけ見ようと、曲を検索することはしなかったのだから。

“HOMELAND”はシーズン5まで見ているから、
トーマス・スタンコの“Terminal 7”は七十回は聴いているわけだ。

にもかかわらず、昨晩まで検索してこなかったのは、
すぐに聴けないこと、
それからCDをさがして買ってきてまで聴こう、というつもりはなかったこと、
この二つのことがあってそのままにしていた。

そんな怠惰な聴き手であっても、TIDALがあると、少しは変ってくる。
シーヴ・ヤコブセンとトーマス・スタンコを、昨晩は知った。

TIDALを使っていなければ、おそらくこのままずっと知らなかったであろう。

音楽を聴くのに、TIDALなどのインターネットを介しての聴き方を、
どこか味気ない、空虚だ、と否定する人がいまも少なからずいるはわかっている。

否定したい人は、否定すればいい。
TIDALで配信されている音楽のすべて、とまではいわないものの、
大半を所持している人ならば、そういうことをいうのも自由だ。

けれど、どんなに音楽好きの人であっても、
TIDALで配信されている音楽の、いったい何割を持っているというのだろうか。

TIDALにすべてがあるわけではない。
けれど、それはTIDALしか使わないということではない。
TIDALを使って聴くのもよし、CDやLPで聴くのもいい。

物理的なメディアがないことを、味気ないとか空虚とかいってしまうことの、
聴き手としての不自由さというよりも、消極的なところに留まってしまっていること。

そのことに対して、何も感じないのは、音楽の聴き手としてどうだろうか。
こういう聴き手は、なぜか、どちらか片方だけで論じてしまうところがあるよう気がする。

どちらも選べるのだから、妙なこだわりを捨ててしまえばいいのに──、
けれどそれができないから、味気ないとか空虚とかいってしまうのか。

そして、このことは、別項で書いている老成ぶるにも関係してくるように感じている。

Date: 1月 4th, 2023
Cate: High Resolution

TIDALという書店(その18)

ホイットニー・ヒューストンの映画だから、
劇中に彼女が主演の映画「ボディガード」のことも描かれている。

オリビア・ニュートン=ジョンの“Jolene”と同じように、
ホイットニー・ヒューストンの“I Will Always Love You”も、
ホイットニー・ヒューストンのための曲だと、ずっと思っていた。

映画を観て、この曲もドリー・パートンだったのか、と知った私は、
年が明けたのだから、いままで聴いたことのない曲を聴いてみよう、ということで、
ようやくドリー・パートンの“Jolene”を聴いた。

TIDALにあったから、聴いたともいえる。
ドリー・パートンの“Jolene”を聴きながら、
最初に聴いたのがオリビア・ニュートン=ジョンの“Jolene”でよかったなぁ──、と思いながら、
オリビア・ニュートン=ジョン以外にもカヴァーしている人は、どんな人なのだろううか、と、
今度はTIDALで“Jolene”で検索する。

けっこう表示される。
その中で、気になったのが、
Siv Jakobsen(シーヴ・ヤコブセン)というノルウェーの女性歌手のライヴアルバムだ。
“Live in Oslo”で、TIDALで聴ける。

五曲目の“Jolene”をまず聴いて、それからアルバムの最初から聴いていた。
聴きながら、そういえば、と思い出したことがあった。

「ホームランド(HOMELAND)というアメリカのドラマだ。
2011年にシーズン1が放送され、日本ではHulu、Netflixで見ることができた。

クレア・ディーンズ主演の、このドラマにはハマった。
音楽もよかった。

最初聴いた時、マイルスっぽいと感じたトランペットを中心とした曲は、
このドラマの雰囲気にぴったりとはまっていた。

この曲を聴くと、“HOMELAND”の世界に引き込まれていく感じでもあった。
とはいえ、当時、誰の演奏なのかを調べることまではしなかった。

2011年のことだから、Googleで検索すれば、すぐに誰の演奏で、曲名もすぐにわかっただろう。
でも、それをやらなかったのは、わかっても、そのディスクを買うのかといえば、
買わないことは自分でわかっていたからだ。

それでも、昨晩は“Live in Oslo”を聴いていて、そうだ、と検索してみた。
トーマス・スタンコ(Tomasz Stańko)の“Terminal 7”である。

Date: 1月 4th, 2023
Cate: High Resolution

TIDALという書店(その17)

三年ほど前の別項で触れている同級生だったT君。
オリビア・ニュートン=ジョンが歌う「ジョリーン(Jolene)」を聴いたのは、
彼の家のステレオだった。

T君は、そのころオリビア・ニュートン=ジョンにのぼせあがっていた。
T君の家に遊びに行った際に、彼が聴かせてくれたのが最初だった。
1976年か77年ごろの話だ。

T君はシングル盤ではなくLPを買っていた。
「水のなかの妖精(Come on Over)」だ。

当時、中学生だった私には、このジャケットはなかなか刺戟的でもあった。
T君が自慢げ顔つきで聴かせてくれた“Jolene”は、よかった。
サビの部分を口ずさむようになっていた。

とはいえ最初聴いたとき、恋の歌なのはわかっても、
ジョリーンを男性の名前だと思って聴いていた。
歌詞カードを見せてもらって、女性の名前だということを知る。

このころ、“Jolene”はオリビア・ニュートン=ジョンのためにかかれた曲だと思ってもいた。
ドリー・パートンの曲だと知ったのは、十年ほど経ってからだった。

その時、ドリー・パートンによる“Jolene”をすぐさま聴いたかというと、まったくそうではなかった。
聴いたのは、今年になってからだ。

去年暮れ最後に、
「ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY」を観たからだった。

Date: 1月 3rd, 2023
Cate: サイズ

サイズ考(LPとCD・その5)

その1)を書いたのは2014年10月14日。
これを書き始めた時は、いずれインターネットを介して音楽を聴くようになるとは思っていたけれど、
まだパッケージメディア(LPとCD)で音楽を聴いていた。

その4)が2017年1月31日だから、この時点でもLPとCDだけだった。
e-onkyoから購入しダウンロードして聴くようになったのは、2019年12月からだし、
TIDALで聴くようになったのは2020年からだ。

TIDAL、e-onkyo、どちらで聴くにしても、
LPのサイズ(30cm)、CDのサイズ(12cm)、そういう感覚はここにはない。
サイズがないからだ。

かろうじてサイズを感じるといえば、それはiPhoneのサイズである。
iPhoneで聴くこともあるし、コントローラーとして使うからなのだが、
そうであっても、LP、CDのサイズ感とiPhoneのそれとを同じように感じているのかといえば、
そうではないようだ。

その3)で、オーディオのサイズに関してはLPの直径が深く関係しているようだ、
と書いた。私の場合ではあっても、そうである。

若い世代になると、CDの12cmが、その基準となるのかもしれない。
だとすれば、LPもCDも体験せずに、
最初からストリーミングで音楽を聴くようになった世代にとって、
オーディオのサイズの基準となるのは何なのだろうか。

そんなものは、もうないのだろうか。

Date: 1月 2nd, 2023
Cate: 音の良さ

完璧な音(その7)

すでに何度か引用していることを、ここでもまたしておこう。

ステレオサウンド 49号、
「体験的に話そう──録音と再生のあいだ」という対談で、
菅野先生が語られている。
     *
菅野 一つ難しい問題として考えているのはですね、機械の性能が数十年の間に、たいへん変ってきた。数十年前の機械では、物理的な意味で、いい音を出し得なかったわけです。ですがね、美的な意味では、充分いい音を出してきたわけです。要するに、自動ピアノでですよ、現実によく調整されたピアノを今の技術で録音して、プレイバックして、すばらしいということに対して、非常に大きな抵抗を感ずるということです。
 ある時、アメリカの金持ちの家に行って、ゴドウスキイや、バハマン、それにコルトーの演奏を自動ピアノで、ベーゼンドルファー・インペリアルで、目の前で、間違いなくすばらしい名器が奏でるのを聴かしてもらいました。
 彼が、「どうですか」と、得意そうにいうので、私は、ゴドウスキイやバハマン、コルトーのSPレコードの方が、はるかによろしい、私には楽しめるといったわけです。
 すると、お前はオーディオ屋だろう、あんな物理特性の悪いレコードをいいというのはおかしい、というんですね。そこで、あなた、それは間違いだと、果てしない議論が始まったわけです。つまり、いい音という意味は、非常に単純に捉えられがちであって……。
     *
菅野先生が、ベーゼンドルファーの自動演奏ピアノをアメリカで聴かれたのがいつなのかは、
この対談でははっきりとしない。

49号は1978年12月に出ているから、それ以前であるわけで、
菅野先生が聴かれたベーゼンドルファーの自動演奏ピアノと、
スタインウェイの自動演奏ピアノSPIRIOはのあいだには、六十年ほどの隔たりがある。

同じレベルの自動演奏ピアノではないことは容易に想像できる。
再現の精度の高さの進歩は、どれほどなのだろうか。
そうとうなものであろうが、それでも、菅野先生が語られていることは、
そのままスタインウェイのSPIRIOにあてはまるはずだ。

ここを無視して、完璧な音についての判断は下せない。

Date: 1月 2nd, 2023
Cate: 音の良さ

完璧な音(その6)

ソーシャルメディアに、ときどきスタインウェイの広告が表示される。
スタインウェイの自動演奏ピアノSPIRIOである。

SPIRIOは、スタインウェイの自動演奏ピアノだから、
きちんと調律、調整がなされていれば、
いつ聴いても、どこで聴いてもスタインウェイのピアノの音が聴けるわけだ。

SPIRIOでの自動演奏を聴いて、これはベーゼンドルファーのピアノだ、とか、
ヤマハのピアノだ、という人はいないはずだ。

SPIRIOは、その意味では完璧な音に近い、といえる。
SPIRIOには、音源も用意されている。

SPIRIOのページには、
《クラシック、ポップス、ジャズ、映画音楽など様々なジャンルの楽曲が収録されているこのSPIRIOでは、ビル・エヴァンスやガーシュウィン、ユジャ・ワンやホロヴィッツなどの著名アーティストが、まるで目の前で生演奏しているかのように、お楽しみいただくことができます。》
とある。

これがどのレベルの再現なのか、
SPIRIOを聴いたことがないのでなんともいえないのだが、かなりのレベルに達しているとは思う。
そうであれば、SPIRIOはスタインウェイによる演奏の再現においても、完璧な音といえるのか。

考えたいのはここである。

Date: 1月 2nd, 2023
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Design(差延 différance)

「差延 différance」は、ジャック・デリダの「声と現象」のなかに出てくる。

まだ直観でしかないのだが、
ここでのテーマであるNoise Control、そしてNoise Designに、
「差延 différance」は関係しているように感じている。

Date: 1月 2nd, 2023
Cate: ジャーナリズム, 広告

「タイアップ記事なんて、なくなればいい」という記事(パラダイムのスピーカーについて・その4)

パラダイム、マーティン・ローガンの輸入元であるPDNのウェブサイト
そこの会社概要には、こうある。
     *
社名である PDN は、”Premium Distribution Networks” に由来しています。
メンバーは長年に亘りオーディオ業界に携わってきた、業界に精通するプロフェッショナル集団であり、その豊富な知識や感性、ノウハウ、ネットワークを活かし製品を選定しています。マーティン・ローガン、パラダイムをはじめとして、世界中から真に価値のある一流の最先端オーディオ製品を厳選し、高品位な再生音楽芸術と文化を皆様にお届けしてまいります。
     *
PDNのスタッフがどういう人なのか、名前も経歴も私はまったく知らないが、
《メンバーは長年に亘りオーディオ業界に携わってきた、業界に精通するプロフェッショナル集団》、
このとおりならば、かなりキャリアを積んだ人たちなのだろう。

でも、そのキャリアとはいったいなんなのだろうか。
もちろん《豊富な知識や感性、ノウハウ》なのだろうが、
《ネットワーク》ともある。

素直に受け止めればすむことなのだが、
オーディオアクセサリーでのPDN製品の記事での取扱い方をみていると、
悪い意味で、この《ネットワーク》を捉えたくなるし、
《業界に精通するプロフェッショナル集団》とは、
それぞれのオーディオ雑誌のやり方を熟知しているということなのかしら、とも思ったりする。

ソーシャルメディアで目にしたことであり、確認しようがないのだが、
PDNはD&Mホールディングスと関係がある、とのことだ。

これが事実だとしたら、
ここ数年のデノンのタイアップ記事のあからさまなやり方と、
PDNのやり方は似ている、というか、同じように感じてしまう。

PDNとD&Mホールディングスとは無関係だとしても、
《長年に亘りオーディオ業界に携わってきた》PDNのメンバーの何割かは、
デノンで勤務していた人たちなのかもしれない。

そんなふうに勘ぐってしまうほど、
PDNとデノンのやり方はそっくりとしか思えない。

Date: 1月 1st, 2023
Cate: ディスク/ブック

i/o

20年ぶりのピーター・ガブリエルのニューアルバム“i/o”が、
今年もっとも待ち遠しい一枚である。

詳細はまだ発表になっていないが、昨年6月の時点では2022年発売だったのが、
11月になって2023年に変更になっていた。

5月からはi/o The Tourが始まるので、その前には発売になるのだろう。
勝手に2月13日(ピーター・ガブリエルの誕生日)あたりじゃないか、と期待している。

MQAで聴けるはず、とも期待している。

Date: 1月 1st, 2023
Cate: Glenn Gould, ディスク/ブック

Gould 90(その6)

大晦日の夜おそくに、グールドの平均律クラヴィーア曲集を聴いていた。
第一集を、TIDALでMQA Studioで聴いた。

今日の朝、やはりグールドを聴いた。
第二集ではなく、モーツァルトのピアノ・ソナタを聴いていた。
Vol.1、2、4を聴いた。
もちろんTIDALでMQA Studioだ。

最新のピアノ録音を聴きなれた耳には、
グールドの残した録音は、どれも古く聴こえる。

バッハとモーツァルトはアナログ録音だし、もう五十年ほど前のことだ。
聴いていると、そんなに経つのか──、とおもうこともある。

たしかに音は古さを感じさせるところがある。
けれど、それは音だけであって、しばらく聴いていると、そのことさえさほど気にならなくなる。

「録音は未来だ」ということだ。

Date: 1月 1st, 2023
Cate: 理由

「理由」(その29)

2014年4月に書いたことを思い出している。

日本刀を研ぐ。
研究、研鑽の研と同じ。
音を良くするための行為は、この研ぐと共通するところがあるし、
研ぐにはとうぜん砥石が必要である。

音を研いでいく(磨いていく)には、いったいどういう砥石が必要となるのか。
研師は、そのシステムの所有者である。

研師と砥石があれば、それで研げる(磨げる)わけではない。
水が必ず必要となる。

音を磨いていくのに必要な水、
これはなににあたるのか。

いまだはっきりとした答を出せないでいる。

Date: 1月 1st, 2023
Cate: ジャーナリズム, 広告

「タイアップ記事なんて、なくなればいい」という記事(パラダイムのスピーカーについて・その3)

オーディオアクセサリーの187号は、186号を読んだ時から、
ある意味楽しみにしていた。

パラダイムのスピーカーシステムを、次はどう扱う(どう記事にするのか)、
それが楽しみだった。

187号は少し前からKindle Unlimitedで読める。
187号も、オーディオアクセサリー的に見事だな、と変な意味で感心した。

「パラダイムのハイブリッドスピーカーを聴こう」という記事が載っている。
パート1とパート2の二本立て。
二本あわせて8ページの記事。

続いてマーティン・ローガンの記事が4ページ続く。
ここが、オーディオアクセサリー的といえる。

パラダイムとマーティン・ローガンの輸入元はPDNである。
PDN取扱いブランドの記事が12ページ続いているわけだ。

186号からのこういう展開が、いかにもオーディオアクセサリー的だと感じる。
ここから脱することができるのか──、
と書きたいわけではない。

これこそがオーディオアクセサリーなのであって、
編集者たちも脱しようとはまったく考えてないだろうし、
そこに乗っかってくるクライアントもいる。