Archive for 1月, 2022

Date: 1月 6th, 2022
Cate: 「うつ・」

ジェシー・ノーマンとベッティナ・ランスによる写真

別項「ROOTS: MY LIFE, MY SONG」で、
ジェシー・ノーマンを、好きになれない歌手だと書いている。
嫌いなわけではなかったけれど、
その実力はもちろんすごいと感じていたけれども、
それでものめり込んで聴くことはなかった。

ベッティナ・ランスという写真家がいる。
彼女の名前を知ったのは、1989年ごろだった。
CREAという女性誌に載っている写真を偶然みかけての衝撃だった。

確か、そのページには「挑発」とつけられていたと記憶している。
モノクロの女性の写真が並ぶ。

担当編集者が「挑発」とつけたくなるのもわかる。
そんな感じの写真ばかりだった。

昨晩、なぜだかベッティナ・ランスのことを思い出した。
いま、どんな活動をしているのだろうか、そのくらいの好奇心で検索してみたら、
彼女のインスタグラムを知った。

昔見た写真もそこにあるのかな、と思いながら、iPhoneの画面をスクロールしていく。
するとジェシー・ノーマンの写真があった。

iPhoneの画面だから、それほど大きく表示されていたわけではない。
それでも、すぐさまジェシー・ノーマンだ、とわかるほどに、
ジェシー・ノーマンの雰囲気を捉えている。

それでもソファーに腰かけているジェシー・ノーマンは靴を脱いでくつろいでいる。
こういう表情もする人だったのか、と思ってしまった。

それだけでなく、この写真と早い時期にであっていれば、
ジェシー・ノーマンの音楽を、もう少し積極的に聴いていたであろう、とも思った。

Date: 1月 6th, 2022
Cate:

ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた(その12)

BBCモニターの復刻を手がけているのは、グラハムオーディオばかりではない。
他にも何社かある。

そのうちの一つ、台湾のBestVoxは、
LS3/5A、LS5/9、LS3/6を復刻モデルとしてラインナップしている。

音は聴いていないし、実物も見ていない。
インターネット上の写真だけの判断なのだが、
外観のそっくり度はなかなかのレベルである。

ここは、いまではあまりに驚きに値しないのだが、
私が注目したのは、LS3/6に搭載されているユニットである。
HF1300そっくりなのである。

いまのところ外観についてしか、そっくりとはいえない。
構造や材質も同じなのかは、はっきりとしない。

それでもここまでそっくりな外観のHF1300を作るのか、と感心してしまった。
BestVoxのスピーカーは安価である。
AliExpressでも売っている。けれど送料が、けっこうかかる。
スピーカー本体の価格とそう変らない。

聴いてみたい、と思う以上に、
この復刻版LS3/6に搭載されているHF1300そっくりのスピーカーユニットを、
ぜひとも単売してほしい。

Date: 1月 5th, 2022
Cate: 新製品

新製品(JBL 4305P)

別項「2021年をふりかえって(その15)」で書いてるように、
JBLの4309は、聴いてみたいスピーカーの一つである。

その4309をアクティヴモニターとして仕上げた4305Pが発表になっている。

価格は2,200ドルだから、4309と比較してもそれほど高いわけではない。
アンプは当然マルチアンプ仕様で、いまどきのアクティヴ型だけにD/Aコンバーターを搭載している。

ここで嬉しいのが、MQA対応であること。
楽しい製品なような気がする。

Date: 1月 5th, 2022
Cate: ディスク/ブック

ベートーヴェン ピアノ協奏曲全集(その8)

昨年末の数日、ケント・ナガノのベートーヴェンの交響曲を集中して聴いていた。
ソニー・クラシカルから出ていたのは知っていたけれど、これまで聴いてこなかった。

TIDALにあるから、今回聴いた。
MQA Studio(44.1kHz)で聴ける。

オーケストラはピアノ協奏曲と同じ、モントリオール交響楽団である。
たまたま目についた四番から聴き始めた。

すぐに気づくのはライヴ録音だということ。
第一楽章の冒頭、聴いていて確認していた。
ケント・ナガノの指揮だということを。

なぜかというと、クライバーの演奏を思わせたからであり、
しかも観衆のざわめきも、クライバーの四番の演奏を思わせるところがあって、
それらがたまたま重なっての錯覚でもあった。

いい演奏だと私は思っている。
そう思ったからこそ、残りの交響曲も聴いたわけだ。

それでも、聴きながら、なんなんだろう……、とも感じていた。
だから聴き終ってから、児玉麻里とのピアノ協奏曲の一番と二番を続けて聴いた。

やはり素晴らしい演奏である。
菅野先生が「まさしくベートーヴェンなんだよ」いわれていたように、
ベートーヴェンの音楽が、そこで響いている。

ケント・ナガノによる交響曲がベートーヴェンの音楽ではない、といいたいのではなく、
ピアノ協奏曲で感じたものが、交響曲では足りない、もしくは欠けている気がする。

動的平衡の音の構築物であってこそ、私にとっての「まさしくベートーヴェン」である、
と以前書いた。
ここのところが、ひっかかっている。

菅野先生のところで聴いたのなら、「まさしくベートーヴェン」と感じたのかもしれないし、
そうでないかもしれない。

それでも、私のところでも児玉麻里とのピアノ協奏曲は、やはり素晴らしいのだから、
しかもオーケストラも同じということは、
ケント・ナガノによるピアノ協奏曲における動的平衡の音の構築物には、
児玉麻里の存在があったから、としかいいようがない。

Date: 1月 5th, 2022
Cate: オーディオ評論

B&W 800シリーズとオーディオ評論家(その15)

パソコンが欲しい、といいながらも、
「来年になるともっと性能のいいのが出てくるんでしょ。それまで待とうかしら」といい、
結局買わない人がいることを、(その14)で書いている。

パソコンが欲しい、とはいっていたけれど、
買ってみようかしら、ぐらいの欲しいであって、
おそらく「パソコンが必要!」とまではいっていなかったのだろう。

そんなふうに思っていると、
ステレオサウンドに書いているオーディオ評論家の人たちが、
誰一人としてB&Wの800シリーズを購入しないのは、
必要! と感じていないからなのかもしれない。

家庭で音楽を聴いていく人生において、必要と感じていなければ、
いくら優秀なスピーカーと認めても、決して安価なモノではないだけに、
購入しようとまでは思わなくても不思議ではない。

ここでの必要と感じていないは、ここ数ヵ月、
私がくり返し述べている「心に近い」ということに深く関係しているのかもしれない。

ステレオサウンドに書いているオーディオ評論家で、
「心に近い」ことについて書いている人は誰もいないけれど、
心のどこかで、心に近い(遠い)を感じとっていることだって考えられる。

ほぼ無意識に、B&Wの800シリーズは、心に近くない(遠い)と感じている──、
そんなふうに考えられるのだが、
ほんとうのところは私にはわからない。

いっそのことステレオサウンドの春号(222号)の特集は、
「私はなぜB&W 800シリーズを買わないのか」というテーマでやってほしい。

221号のベストバイで星三つを入れている人たちに、
その理由をきっちりと書いてもらう。

できれば、その原稿を読んだ上で、編集長が個別にインタヴューしていく。
つまりツッコミをいれながら問うていく。

絶対にやらない企画だろうが、なぜ誰も買わないのか、という読者の疑問に、
そろそろきちんと答えてもいい時なのではないだろうか。

それとも誰か購入を決心しているのだろうか。

Date: 1月 4th, 2022
Cate: オーディオ評論

B&W 800シリーズとオーディオ評論家(その14)

二十年ほど前のことになるだろうか。
インターネットが普及してきて、それまでパソコンを使ってこなかった人が興味を持つようになった。

私の周りというか、友人の知人・友人でそういう人が何人かいた。
何を買ったらいいのか、という相談もあった。

この人たちの口から共通して聞けたのは、
「来年になるともっと性能のいいのが出てくるんでしょ。それまで待とうかしら」だった。

確かに来年の新製品は性能が向上している。
価格が同じであってもだ。

でも再来年の新製品は、もっと性能が向上して登場してくる。
三年後になると、五年後になると……。

毎年、パソコンの新製品は性能が向上していくのだから、
そんなことを言ってたら、買い時なんてずっとないことになる。

でも、そんなふうには考えないみたいである。
その人たちが、その後どうしたのかまでは知らない。
スマートフォンに関しても、まったく同じことを言っていてもおかしくない。

こんなことを、ふと思い出した。
ステレオサウンドで、B&Wの800シリーズの新製品が出るたびに、
ほぼオーディオ評論家全員が絶賛する。
なのに誰一人として購入することはない。

このことはもう十年ほど前から指摘されていることである。
なぜ、ステレオサウンドのオーディオ評論家はB&Wの800シリーズを買わないのか、
私にそうきいてきた人も何人かいる。

私に訊くよりも、オーディオ評論家本人に、
インターナショナルオーディオショウとかで訊ねればいいだろうし、
ステレオサウンド編集部に電話して訊ねたほうがいい。

でも、ふと上記のパソコンのことを思い出した。
B&Wの800シリーズは、毎年新シリーズが登場するわけではないが、
確実に以前のシリーズよりも新シリーズは、より優秀なスピーカーシステムに仕上がっている。

つまりD3シリーズよりも今回のD4シリーズである。
D3シリーズを絶賛した人のなかには、もしかすると購入を考えた人もいたかもしれない。

「でもD4が出たら、もっと良くなっているはず」
そう考えて購入にいたらなかった可能性もある。
実際、D4シリーズはD3シリーズよりも良くなっている、という評価だ。

では誰かD4シリーズを購入するかといえば、
今回も同じことを考えるのかもしれない。
「でもD5が出たら、もっと良くなっているはず」と。

Date: 1月 4th, 2022
Cate: innovation

イノヴェーション

三人寄れば文殊の智慧、という。

けれど実際は、三人寄っても人の知恵、
ひどい場合は、三人寄っても猿以下の知恵なのかもしれない。

文殊とは、いうまでもなく文殊菩薩のこと。
智慧をつかさどるとされる菩薩である。

つまり人ではない者の智慧。
これがまさしくイノヴェーションなのだろう、と思う。

なのに現実はどうだろうか。
三人寄っても……、と三人が三人とも自説を押し通そうとしたら、どうなるだろうか。

せいぜいが誰かの意見が通り、多少残り二人の意見が加わった程度では、
とうてい文殊の智慧とはいえない。

誰一人として自説を譲ることがなければ、猿以下の知恵となるだろう。

議論とは意見を戦わせることなのだろうか。

Date: 1月 3rd, 2022
Cate: オーディオ評論

B&W 800シリーズとオーディオ評論家(その13)

その8)で書いているように、
ステレオサウンド冬号(221号)の表紙は、B&Wの801 D4だった。

221号は昨年12月下旬には、Kindle Unlimitedで読めるようになっていた。
読めばわかる──、というより、読まなくてもわかる、といいたいほどに、
B&WのD4シリーズは、どの機種も絶賛されている。

特に最上級機の801 D4は、ステレオサウンド・グランプリのゴールデンサウンド賞でもあり、
ベストバイにおいても、ほぼ満票に近い。

新製品紹介での扱いも特別といっていい。
悪く言う人は誰一人いない。

それだけきわめて優秀なスピーカーシステムなのだろう。
そのことにケチをつけようとは、まったく思っていない。
それに聴いていないのだから、音について何か書けるわけでもない。

数年後か十年後くらいには、D5シリーズが登場するであろう。
そのときも、今回とまったく同じことが誌面で展開されるはずだ。

それはそれでいい。
B&Wは、800シリーズを長い年月、磨き上げていっている。
その成果なのだから。

けれど前回のD3シリーズのときもそうだった。
おそらく今回のD4シリーズもそうであろう、
ステレオサウンドで絶賛している人で、
誰かD4シリーズをメインスピーカーとして導入するだろうか。

今回もいないだろうし、D5シリーズが登場しても、そのことは同じかもしれない。

Date: 1月 3rd, 2022
Cate: 「ルードウィヒ・B」

「ルードウィヒ・B」(ジャズ喫茶の描写・その4)

リバーエンド・カフェ」というマンガがある。
全九巻中四巻までが、いまのところKindle Unlimitedで読める。

昨晩遅くに気づいて読んでいた。
大震災あとの宮城県石巻が舞台であり、
ひどいいじめにあっている女子高生が主人公で、
彼女が偶然見つけた一風変った喫茶店を中心に物語は進んでいく。

この喫茶店、ジャズ喫茶とは謳っていないけれど、描かれ方はジャズ喫茶である。
主人公の女子高生は、ここでベッシー・スミスの歌と出逢う。

喫茶店に置かれているスピーカーはJBLの4344Mであり、
ただし「リバーエンド・カフェ」を読んだ方はすぐに気づかれるだろうが、
作品で描かれているのは4344Mではなく、4343である。
アンプはマッキントッシュのプリメインアンプだ。

ベッシー・スミスがどういう歌い手か知らない読み手であっても、
なんとなくどういう歌い手なのかは、その描写が伝えてくれる。

同時に、こういうシーンでのスピーカーは、やはりアメリカのホーン型だな、と納得する。
いまどきのハイエンドスピーカーがそこに描かれていたら、どうだろうか。

日本の598のスピーカーだったら、どうだろうか。
イギリスのBBCモニター系列だったら──、タンノイだったら──、
あれこれイメージしてみるといい。

結局、最後にはJBLかアルテックかになるはずだ。

Date: 1月 2nd, 2022
Cate: 瀬川冬樹

AXIOM 80について書いておきたい(その19)

瀬川先生にとってのスピーカーの「あがり」は、
グッドマンのAXIOM 80だったのかもしれない──、
と(その18)で書いた。

その14)では、
瀬川先生は、もう一度AXIOM 80を鳴らされそうとされていた、ときいている、
45のシングルアンプを、もう一度組み立てられるつもりだったのか──、
とも書いている。

AXIOM 80を45のシングルアンプで鳴らす。
その音は、いまどきの超高級ハイエンドオーディオシステムの鳴らす音と、どう違うのか。

ここでいいたいことも、「心に近い」ということに関係してくる。
AXIOM 80と45のシングルアンプが奏でる音こそ、
瀬川先生にとってのもっとも「心に近い」音なのだろう。

Date: 1月 1st, 2022
Cate: ロマン

2022年の最初に

今日は1月1日だから、四週間後には一つ歳をとる。
一年と四週間後には、さらに一つ歳をとって、六十になる。
還暦か……、と自分でも驚く。

それだけ生きてきても、いままでやってこなかったことはいくつもある。
山ほどある、といってもよい。
誰だってそうである。

未体験・未経験のことのほうが、体験・経験したことよりもずっと多いはずだ。
なので嘆くことではないと思っているのだが、
意外にも、初めてだったのか、と気づいたことがあった。

昨年の12月31日に日付が変ったころ、深夜に、手紙を書いていた。
書いていた、といっても手書きではなく、iPhoneで入力していた。

ある人に想いを伝える手紙だから、
ラヴレターと呼ばれる類である。

書き始めてすぐに気づいたことがある。
生れて初めてのラヴレターであることに、気づいた。

これまでの人生で、想いを寄せた人に告白したことはもちろんあるが、
ラヴレターでの告白ということは一度もしてこなかった。

自分でも意外だった。
この歳になって、初めて書いている。

ならば便箋を選んで、きちんと手書きにしろよ、と自分でも思ったりしたわけだが、
でも、もしそうしていたら、手が震えて、何回も書き直していただろうし、
そうしているうちに書くのをやめてしまっていたかもしれない。

初めてのラヴレターなのに、iPhoneで書いて、書き終ったらすぐに送信。
味気ないといわれれば否定しないけれど、
だからこそ相手に送れた、という面もある。

いまの若い人たちは、ラヴレターを書いているのだろうか。
そんなことも思っていたし、
私と同じ世代、上の世代の人たちは、やはり書いていたのだろう、とも思っていた。

どれだけの人が書いていたのか、わからない。
親しい人との会話でも、そのことが話題になったことはない。

みんな書いていたのだろうか。

とにかく、私は六十をほぼ一年後に迎えるいま、初めて書いた。
新しい経験だったわけだ。

ここからがオーディオのことだ。
ラヴレターでもそうだったわけだから、
オーディオに関しても、同じことがあるはずだ。

やっていたつもりなのに、まだ経験してこなかったことがきっとある。
六十までの一年と四週間、
その間に、オーディオに関しての、そういうことを見つけ出していこう、と思っている。