Archive for 1月, 2018

Date: 1月 8th, 2018
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その13)

SICAのユニットは、最初は13cmで行こう、ということになった。
けれど残念なことに品切れだった。
また入荷する、ということだったが、早く音を聴ける、ということを優先して、
10cm口径のダブルコーンのユニットにした。

ユニット口径が決れば、エンクロージュアの番である。
一から設計して、というの最初から考えていなかった。
コイズミ無線の店頭に並んでいるエンクロージュアの中から選ぶ。

ペアで一万円ほどのバスレフ型にした。
SICAのユニットは、ペアで七千円ほど。
それから吸音材。特に凝ったものを選ばなかった。
グラスウールも選択しなかった。
粗毛フェルトにした。
スピーカー端子も、凝ったものにしなかった。

トータルで二万円ほど。
小口径フルレンジのシステムとしては、特に高くもなく安くもなく、といったところか。

内部配線材は、オヤイデで購入した。
これも特に高価なモノにしたわけではない。

特殊なモノ、高価なモノは何ひとつない。
二万円ほどの予算があれば、今回の自作スピーカーと同じ部品は簡単に入手できる。

組立てといっても、難しい作業はない。
ハンダ付けとネジを回すこと、吸音材を切ることぐらいだ。
特殊な工具、電動工具は使っていない。ネジも手回しだ。

今回は音を早く聴きたい、ということで塗装もしなかった。
秋葉原までそんなに遠くないところに住んでいて、
電車で持ち帰るのが苦でない人ならば、
購入から組立てまで四〜五時間程度で音が出せるところまでいける。

Date: 1月 7th, 2018
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その12)

今日は今年二回目のハンダ付け。
今年最初のハンダ付けは、2日。

3日のaudio wednesdayで試す、ちょっとアヤシゲなアクセサリーを作っていた。
今日は、スピーカーの自作である。

金曜日に、秋葉原のコイズミ無線でユニット、エンクロージュア、スピーカー端子、吸音材を購入。
といっても私はつきそいで、私が鳴らすスピーカーではない。

にも関らず、ユニットは私が興味のあるモノをすすめた。
イタリアのSICAの10cmのフルレンジユニットである。

コイズミ無線に行けば、けっこうな数のユニットが展示してある。
SICAのユニットよりも優れたユニットがある、とは思う。

なのにSICAを選んだのは、それがダブルコーンであるからだ。
以前、別項で書いているようにフィリップスのフルレンジユニットの音には、なぜか惹かれる。

いまも製造してくれていれば……、と思うのだが、
とっくの昔に製造中止になっている。

フィリップスのダブルコーンのフルレンジといっても、
20cm、30cm口径でフレームが丸のモノと、
フレームが八角形で、20cm以下の口径のモノとでは、ダブルコーンの考え方が違う。

私が魅力を感じているのは、メインコーンと同じ深さのサブコーンをもつダブルコーンである。
つまり八角形のダブルコーン型である。

フィリップスのユニットに近いモノはないかと、数年前に探していた時に、
偶然知ったのがSICAのユニットだった。

ここの小口径のダブルコーンのフルレンジは、フィリップスのそれと同じと見える。
オランダ(フィリップス)とイタリアの違いはあっても、同じヨーロッパの国だ。
ユニットの設計も、大きく違うように見えない。

もしかするとフィリップスのユニット的な魅力を聴かせてくれるかもしれない……、
そう思いながら、数年が経ってしまった。
20cmのフィリップスのダブルコーンのユニットを持っているということも、
SICAの音を、積極的に聴こうとはしてこなかった。

Date: 1月 7th, 2018
Cate: フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(次なるステップは……・その1)

ステレオサウンド 35号。
そこで岩崎先生は、こんなことを書かれている。
     *
 これをフルレンジとしてまず使い、次なるステップでウーファーを追加し、最後に高音用を加えて3ウェイとして完成、という道を拓いてくれるのが何よりも大きな魅力だ。
     *
パイオニアのPM12Fについての文章である。
コーン型のスコーカーである。
いわば小口径フルレンジともいえるユニットである。

このユニットからスタートしたのであれば、次のステップとして、
大半の人がトゥイーターを足すことを考える。
私だってそうである。

その次のステップでウーファーとなるわけだが、
岩崎先生は違い、トゥイーターよりも先にウーファーを優先されている。

これを読んだ時は驚いた。
気持のいい驚きだった。

いつかはフルレンジに、まずウーファーを足した音を聴いてみたい、と思いつつも、
試すことなく、ずるずる今日まで経ってしまった。

今日、小口径(10cm)フルレンジに、サブウーファー(一基)を加えた音を聴いた。
サブウーファーはエンテック。
MFBを採用したサブウーファーである。

カットオフ周波数は、以前のスピーカーのままで、レベルだけ簡単に調整しての音。
とはいえ、10cmフルレンジにサブウーファーが加わった音は、悪くない。

悪くないどころか、確かにトゥイーターよりもウーファーかも……、と思わせるだけの鳴り方だ。

これがもう少し口径の大きなフルレンジだったら、
トゥイーターが先ということになるのだろうが、
小口径であれば、次なるステップはウーファーを考えてみたい。

Date: 1月 7th, 2018
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(その1)

別項「オーディオの想像力の欠如が生むもの」で、
音で遊ぶのか、音と遊ぶのか、について、ほんのすこし触れた。

「音で」なのか、「音と」なのか。
どれだけの違いがあるのかと思う人もいれば、
この違いを私以上に感じている人もいる、と思っている。

言葉にすれば、たった一文字、ひらがな一文字の違い。
けれど、オーディオマニアにとって、このわずかな違いは大きい。

オーディオを趣味とする人は、
オーディオブームがとうの昔に終っていても、いる。

これまでに何人ものオーディオマニアと会ってきた。
いまでは直接会わずとも、面識はなくとも、
インターネットに接続すれば、多くのオーディオマニアが行っている発信を読める。

いろいろな人がいる。
いろいろいな人がいて、いいと思っている。

それでも、なにか違和感をおぼえてしまう人たちがいるのを、なんとなく感じていた。

「バカなことをやっているなぁ」と思いつつも、
その行動に、羨ましさを感じさせる人もいれば、
「何がやりたいんだろう……」と思ってしまう人もいる。

オーディオマニアにもいろいろなタイプがいる。
そんなことではない、と思いつつも、なんとなくその違いの正体とでもいおうか、
大元のところが掴み切れずにいた。

このブログを書いていて、気づいた。
それが「音で遊ぶ」人と「音と遊ぶ」人とがいる、ということであり、
「音で遊ぶ」と「音と遊ぶ」の違いである。

Date: 1月 6th, 2018
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

音の聴き方(マンガの読み方・その6)

周辺視野、中心視野、という。
ならば音の聴き方は、周辺聴野、中心聴野か。

マンガの読み方がわからないという人は、
おそらく周辺視野でページ全体を捉えることをしていない(できない)からであろう。

中心視野、つまり部分部分を凝視するような読み方をしていては、
マンガの特性がもつおもしろさ(もっといえば醍醐味)は感じとりにくい。

音の聴き方も、マンガの読み方と基本的には同じだ。
周辺聴野と中心聴野が求められるにも関らず、
比較するということが多いオーディオの世界では、
中心聴野といえる聴き方にとらわれがちになってしまう。

このディスクの、この部分。
そこがどう鳴ってくれるのか。
そして、スピーカーやアンプを交換したとき、
もっとこまかなことではケーブルを交換したとき、
さらにはスピーカーの振りや位置を、ほんのわずかを変えたとき、
それぞれの音の違いを聴き分けようとすると、
中心聴野的聴き方になってしまう。

音は止ってくれない。
つねに変化している。

変化しているものをとらえようとする時、
人はどうしても中心視野、中心聴野となってしまう。

マンガは幸いなことに静止しているからこそ、
周辺視野と中心視野の切り替え、というか、使い分け、
もっといえば両立を、なんとなくマンガを読んできたことで身につけていたのかもしれない。

このことをオーディオマニアとなって、気づいたわけだ。

Date: 1月 5th, 2018
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その41)

オーディオの想像力の欠如は、音で遊ぶことしかできず、アクセサリーに拘泥する。

Date: 1月 5th, 2018
Cate: 情景

情報・情景・情操(8Kを観て・その7)

2014年の音展のNHKのブースで観た8K。
昨年12月、シャープが8Kの液晶テレビを発売していたことは知っていた。

今日、秋葉原に行ってきた。
たいていひとりで行くことの多い秋葉原だが、今日はふたり。

コイズミ無線に最初に行き、それからオヤイデ、そしてヨドバシというコースだった。
ヨドバシの四階にはオーディオコーナーとテレビのコーナーがある。

オーディオコーナーからの移動の途中で、8Kテレビの展示が目に入ってきた。
近くのコーナーには、有機ELディスプレイの4Kテレビが展示してある。

サイズはほぼ同じでも、価格は片方のほぼ二倍。
8Kの方が高いのかと思いがちだが、有機ELの4Kの方が高価だ。

シャープの8Kテレビが約百万円なのに対し、有機ELの4Kテレビは約二百万だった。
テレビに百万、高いと思いがちだが、シャープの百万円が安いかも……、と思われるほどに、
8Kと4K(それが有機ELであっても)は歴然とした差があった。

やはり8Kはすごい、と思った。
一緒に秋葉原に行っていた人は、プロの写真家だ。
「8×10(エイトバイテン)を見ているかのようだ」
そういう感想がきこえてきた。

8×10(エイトバイテン)。
瀬川先生も、そのことについて書かれている。
     *
 8×10(エイトバイテン)のカラー密着印画の実物を見るという機会は、なかなか体験しにくいかもしれないが、8×10とは、プロ写真家の使う8インチ×10インチ(約20×25センチ)という大サイズのフィルムで、大型カメラでそれに映像を直接結ばせたものを、密着で印画にする。キリキリと絞り込んで、隅から隅までキッカリとピントの合った印画を、手にとって眺めてみる。見えるものすべてにピントの合った映像というものが、全く新しい世界として目の前に姿を現わしてくる。それをさらに、ルーペで部分拡大して見る。それはまさに、双眼鏡で眺めた風景に似て、超現実の別世界である。
(「いま、いい音のアンプがほしい」より)
     *
いうまでもなく8×10は写真である。
静止画だ。
8Kテレビは、8×10に匹敵するクォリティで画が動く。

Date: 1月 4th, 2018
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その40)

オーディオの想像力の欠如は、「音で遊ぶ」と「音と遊ぶ」の違いが理解できない。

Date: 1月 4th, 2018
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(Casa BRUTUS・もうひとつ余談)

用事があり、東急池上線の旗の台駅の周辺にいた。
ふと入ったセブンイレブンの雑誌コーナーに、
音のいい部屋。A ROOM WITH SOUND」が置いてあった。

このムックが出て、コンビニエンスストアには、何度も行っている。
同じ店とは限らない。
けれど、一度もこのムックを置いているコンビニエンスストアは、私が行った範囲ではなかった。

コンビニエンスストアの雑誌コーナーにどんな本を置くのか、
その選択を誰が行っているのか。
本部からの指示なのか、それともその店のオーナーが置きたい本を選んでいるのだろうか。

仮に後者だとしたら、このセブンイレブンのオーナーは、
音楽好き、オーディオ好きなのだろうか。

Date: 1月 4th, 2018
Cate: audio wednesday

第85回audio wednesdayのお知らせ(SACDを聴く)

2月のaudio wednesdayは、7日。
テーマは、SACDを聴くことにしようか、と思っている。

パイオニアのPD-D9。
決して最高級機のSACDプレーヤーではないけれど、
SACDの魅力をきちんと伝えてくれるプレーヤーだ、と昨晩のaudio wednesdayで感じた。

聴いていた人みなが、「THE DIALOGUE」のSACDの音に圧倒されていた。

去年のインターナショナルオーディオショウでの、とある輸入元ブース。
そこで取り扱っているモノは、ひじょうに高額なモノが多い。
スタッフの人が、来場者に向って話していた。SACDのことである。

ソニーのプレーヤーがよくないから、SACDは普及しなかった的なことを言っていた。
ソニーのSACDプレーヤーだと、CDとSACDの音の違いがそんなにでないでしょう。
あんなプレーヤーで聴いているからSACDの良さが発揮されない──、
そんなことを悪びれることなく、自慢げに話していた。

そこで取り扱っているモノだと、SACDのすごさを発揮してくれるのだそうだ。
自社で取り扱っているモノを強くアピールしたい気持はわかるが、
なぜソニーの名前を挙げてまで、こき下ろす必要があるのだろうか。

この輸入元は一年か二年前にも、同じことをやっている。
そのときはマッキントッシュの名を挙げて、安物アンプといっていたそうだ。
私のその場にいなかったが、SNSに書き込まれていた。
書いていた人は、マッキントッシュのアンプを使っている人である。

そんな輸入元の人にいわせれば、きっとパイオニアのPD-D9(安物のプレーヤーと言い切るはずだ)、
そんなモノで聴いてもSACDの良さはわからない、となるのだろう。

そんなふうには思っていない私は、2月のaudio wednesdayは、PD-D9でSACDを中心に聴いていく。
スピーカーのセッティングも、それにあわせて変更してみようかとも考えている。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時開始です。

Date: 1月 4th, 2018
Cate: audio wednesday, High Resolution

30年ぶりの「THE DIALOGUE」(その14)

昨晩のaudio wednesdayは、「THE DIALOGUE」のSACD再生をやった。
実をいうと昨年12月でも、「THE DIALOGUE」のSACDを鳴らしたといえば、鳴らした。

喫茶茶会記に、ソニーの安価なSACDプレーヤーが置いてあった。
鳴らしてみましょうよ、ということになって、試しに接いでみた。
そのことについて前回なにも触れなかったのは、SACDで鳴った、というレベルでしかなかったからだ。

安価なプレーヤーとはいえ、SACDの良さがまったく感じられなかった、というと、
そんなことはない。

オーディオは正直である。
基本性能が高ければ、それだけのポテンシャルはいちおうは持っている。
ただ物量を投入したモノとそうでないモノとの差も、はっきりと出る。

別項で書いている598のスピーカーシステムも、
きちんと鳴らすことができれば、価格を無視したといえる物量投入がなされているだけに、
そのことが音にもきちんと反映されるところがある。
とはいえ、そうたやすく、そんなふうに鳴ってくれるものではないが。

ソニーの安価なSACDプレーヤーは、
持った瞬間に、このくらいの価格の製品だな、と感じられる造りだった。
多少、そのことを補うような使い方をすれば、いくぶんマシになってくるものの、
こちらもそれほど気合いが入っているわけでもない(入らなかった)。

今回はパイオニアのPD-D9があった。
ほとんど使った感じのしない、新品同様のPD-D9があった。

最初は、以前からのCDプレーヤー、ラックスのD38uで聴いていた。
「THE DIALOGUE」とカンターテ・ドミノはSACDレイヤーをもつ。

PD-D9はもった感じも、ソニーの安価なSACDプレーヤーとは、大きく違う。
リモコンはそうとうに貧弱といえるが、本体はしっかり作ってある──、そんな印象を受ける。

結論を先に書けば、「THE DIALOGUE」のSACDの音は、圧倒的だった。

Date: 1月 3rd, 2018
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(購入後という視点・その9)

瀬川先生が、ステレオサウンド 47号のベストバイで三つ星でつけられているモノ、
スピーカーシステムでは、QUADのESL、JBLの4343、4301、4350A、スペンドールのBCII、
ヴァイタヴォックスのCN191、ロジャースのLS3/5A、KEFのModel 104aB、Model 105、Model 103、
セレッションのDitton 66、K+HのOL10、ヴィソニックのDavid 50である。

たしかに《すでに自分で愛用しているかもしくは、設置のためのスペースその他の条件が整いさえすればいますぐにでも購入して身近に置きたいパーツ、に限られる》。

プリメインアンプをみると、よりはっきりする。
三つ星をつけられているプリメインアンプは一機種もない。

コントロールアンプも、同じといえる。
三つ星はマークレビンソンのLNP2のみである。

パワーアンプは、いくつかに三つ星をつけられている。
パイオニアのExclusive M4、マークレビンソンのML2、QUADの405、ルボックスのA740、
SAEのMark 2600がそうである。

大半が購入されている。
スピーカーシステムで購入されていないのは、ヴァイタヴォックスのCN191、K+HのOL10、
JBLの4350Aくらいか。
4301とModel 103はどうだったのか、購入されたのか。
パワーアンプのSAEのMark 2600はその前のMark 2500を愛用されていた。

瀬川先生は(その8)で引用したところに続いて、こう書かれている。
     *
 みて頂ければわかるとおりAのつくパーツがすべて高価であるとは限らない。たとえばカートリッジのエラック(エレクトロアクースティック)STS455Eや、スピーカーのヴィソニック〝ダヴィッド50〟あるいはロジャースのLS3/5Aなどは、日常気楽にレコードを楽しむときに、私には欠かせない愛用パーツでしかもここ数年来、毎日のように聴いてなお少しも飽きさせない。
 だが反面、少しばかり本気でレコードをじっくり聴きたいときには、どうしても、EMTの♯927Dst、マーク・レビンソンのLNP2L、SAEの♯2500、それにJBLの♯4341、という常用ラインのスイッチを入れる。これらのパーツを入手したときには、それぞれに購入までの苦労はあったけれど、買って以来こんにちまで、それに支払った代償について後悔などしたこともないし、それよりも、価格のことなどいいかげん忘れかけて、ただもう良い音だなあと満足するばかりだ。
 どのような形であれ、入手した製品に対する満足感が数年間も持続するなら、それはもう文句のないベストバイといって差し支えあるまい。そして、このように本当の意味でのベストバイを上げるとなれば世の中にいくら数千点にのぼるパーツが溢れていようとも、ひとりの人間が責任を持ってあげられる製品の数はおのずと限定されてしまう。
     *
つまり瀬川先生が三つ星をつけられているのは、
瀬川先生にとっての《本当の意味でのベストバイ》であり、
《ひとりの人間が責任を持ってあげられる製品》でもある。

Date: 1月 3rd, 2018
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(購入後という視点・その8)

12月に書店に並ぶステレオサウンドの特集の一本は、ベストバイである。
古くから続いていてる定番の特集である。

ベストバイは、best buyである。
ベストバイの特集が始まったころは、
特集の巻頭でそれぞれのオーディオ評論家が、ベストバイについて書いていた。

ベストバイ、お買い得と訳すことはできる。
最近ではほとんどベストバイということそのものについて語られることはなくなったが、
ベストバイには、暗黙のうちにお買い得の意味が強くある。

ならばgood buy、better buyは、お買い得ではないのか。
そんな考えもないわけではない。

47号から、ステレオサウンドのベストバイには星がつくようになった。
三つ星、二つ星、一つ星である。
はっきりと書いてないが、三つ星がbest buyで、二つ星がbetter buy、一つ星がgood buy、
そう捉えることもできないわけではない。

むしろ、そう捉えた方が自然ではないか、というか、無理がないと思える。
best buyなのに、星の数に違いがあることがそもそもおかしい。
best buyならば、すなわち三つ星であるはずで、
二つ星はbetter buy、一つ星はgood buyである。

47号で、瀬川先生が書かれている。
     *
 この味に関してはここ一軒だけ、といえるほどのうまい店は、めったに他人に教えたくないし、まして〝うまいみせ案内〟などに載らないように祈る、というのが本ものの食いしん坊だそうだ。せっかく見つけた店を人に教えておおぜいが押しかけるようになればどうしても味が落ちるし、やがて店を改装したり拡張したり、さらに支店まで出すように大きくなるころには、昔日の味はどこかに失われてしまっている。うまい店をたまたまみつけて、しかもその味を大切に思ったなら、せいぜい潰れない程度の流行りかたをするよう、細心の注意で臨まなくてはならない……のだそうだ。
 それがたとえば、食べたいだけ食べても二千円でお釣りがくるほどのおでん屋であったにせよ、また逆に、二~三万円は覚悟しなくてはならないレストランであったにせよ、その店を出るたびに、心底、うまかった! と言えるようなものを食べさせてくれれば、支払った代価は忘れてあとにはうまいものを食べた満足感だけが残る……。
 ベストバイというのを例えてみれば、まあこのようになるのではないか。

 同じたとえでいえば、購入して鳴らしはじめて数ヵ月を経て、どうやら調子も出てきたし、入手したときの新鮮な感激もそろそろ薄れはじめてなお、毎日灯を入れるたびに、音を聴くたびに、ああ、良い音だ、良い買物をした、という満足感を与えてくれるほどのオーディオパーツこそ、真のベストバイというに値する。今回与えられたテーマのように、選出したパーツにA(☆☆☆)、B(☆☆)、C(☆)の三つのランクをつけよ、といわれたとき、右のようなパーツはまず文句なしにAをつけたくなる。そして私の選んだAランクはすべて、すでに自分で愛用しているかもしくは、設置のためのスペースその他の条件が整いさえすればいますぐにでも購入して身近に置きたいパーツ、に限られる。
     *
A(☆☆☆)、つまり三つ星こそがbest buyだということが伝わってくるし、
もっと大事なことは、購入してすぐに、ではなく、購入して数ヵ月後、
《入手したときの新鮮な感激もそろそろ薄れはじめてなお》と続いている。

つまり購入後、buy(買う)ではなく、bought(買った)である。

Date: 1月 2nd, 2018
Cate: ロマン

ある写真とおもったこと(コリン・ウィルソンのこと)

ここでの、ある写真とは、2011年にAppleのスティーヴ・ジョブズが亡くなった時に、
ジョブズに関する本が、各社からいくつか出た。
その中の一冊に、1982年12月に撮影された写真のことである。

ジョブズのリスニングルームの写真である。
ジョブズがオーディオマニアであったことは知っていたけれど、
どんなシステムなのかまではわからなかった。

2011年になって、1982年当時のことがわかった。
その写真を見ておもうことを、「ある写真とおもったこと」で書いているが、
それとは別におもったことがある。

コリン・ウィルソンのことだった。
コリン・ウィルソンの著書に「音楽を語る」がある。
1970年に日本語訳が出ている。

そのころのコリン・ウィルソンのレコード・コレクションは約四千五百枚とのことだった。

コリン・ウィルソンの本は何冊か読んできた。
1990年代に、新宿の紀伊國屋ホールでの講演会にも行ってきた。

それでも、コリン・ウィルソンが、
どんなシステムでレコードを聴いていたのかの手がかりは得られなかった。

オーディオに関心を持っていたのかどうかもわからない。

2013年にコリン・ウィルソンは亡くなっている。
スティーヴ・ジョブズほど著名でないこともあって、
死後、コリン・ウィルソンのシステムが写っている写真が出ることもなかった。

コリン・ウィルソンは、どんな音で聴いていたのだろうか。

Date: 1月 2nd, 2018
Cate: Digital Integration

Digital Integration(デジタルについて・その10)

最初にことわっておくが、
デジタルケーブルに、アナログのラインケーブルを使うことをすすめているわけではない。
ひとつの試みとして、本来75Ωのデジタルケーブルを使うところに、
ラインケーブルを使ってみた場合の音の印象、
それも共通するところがあった、ということである。

たとえばデジタルケーブルに、銀線のラインケーブルを使う。
銀線には、よくいわれるような音がすることが多い。
そのとき使った銀線のラインケーブルも、銀線らしい、といわれるそうな傾向の音を、
ラインケーブルとして使ったときには聴かせる。

この銀線のラインケーブルをデジタル伝送(SPDIF)用として使う。
するとおもしろいことに、銀線らしい音になる。

試しに他のラインケーブルもいくつか用意して交換してみる。
どれも75Ω用として設計されたケーブルではない。
だから信号の反射も起っている、とみるべきである。

くりかえすが、ここでいいたいのは、そういったラインケーブルの方が音がいい、とか、
そうでない、とか、ではなく、音の変化に共通性が、
アナログとデジタルにおいても生じる、ということである。

聴きなれたラインケーブルを、デジタル用として使う。
そこで聴ける音は、アナログ信号を流しているときに感じた音の印象とほぼ同じである。

ケーブルの音に関係してくる要素としては、線材の種類、純度、芯線の太さ、
芯線の本数、絶縁体の材質、厚さなど、こまかなことが挙げられる。
それらを相互に関係してのケーブルの音となっていると考えられるが、
アナログ信号であろうとデジタル信号であろうと、
音の印象がほぼ同じか近い、ということが意味するのは、
ケーブルの音に影響するのは、時間軸もそうではないのか、というところに行く。

ラインケーブルをデジタル伝送に使った、
そのデジタル伝送とは、上に書いているようにSPDIFである。