私にとってKEFとは、レイモンド・クック時代のKEFである。
いまのKEFもKEFではあっても、
私のなかでは、どこか違ってしまったKEFである。
どちらがいいかといえば、いまのKEFなのかもしれない。
あのころのKEFはそれほど売れている、という印象はなかった。
いまのKEFの方が知名度は高いし、売行きもいい、と思う。
でも私は、いまのKEFには思い入れはない。
思い入れのないKEFが、私のところに八年前にやって来た。
Un-Qを搭載したトールボーイのモデルだった。
悪いスピーカーという気はさらさらない。
でもレイモンド・クックのいないKEFのスピーカーに対して思い入れをもてない私には、
それこそつまらない音にしか聴こえなかった。
くどいようだが、KEFのスピーカーが悪いわけではなく、
私の聴き方ゆえの問題である。
もうどこまでいっても、私にとってKEFはレイモンド・クック時代なのだ。
そのことを音を聴いて、改めて確認しただけだった。
そのKEFは手元にはない。
確認したとともに、あのころのKEFのスピーカーを欲しい、というおもいが芽生えてきた。
当然、中古しかない。
中古というモノは、売れたモノしか出廻らない。
さほど売れなかったモノの中古は、ほとんどないのが当り前である。
KEFの中古を見たことがないわけではないが、
数えるほどしかない。
Model 105の中古は見たことがない。
いまでこそそんなことはいわれなくなっているが、
当時は、上にモノを乗せられないスピーカーは売れない、といわれていたし、
オーディオ店も扱うのを嫌がっていた、ときいている。
Model 105は、改良モデルを含めて、日本ではどれだけ売れたのだろうか。
売れていないモノの中古はめったに出ない。
けれど、今日、Model 107がやって来た。
KEF創立25周年モデルのModel 107は、
Model 105の後継機でもある。
そのスピーカーが、やって来た。