Archive for 12月, 2016

Date: 12月 24th, 2016
Cate: audio wednesday

audio wednesday(今後の予定)

2017年のaudio wednesdayも、できるかぎり音を出していきたい。
昨日いわれたのは、ぜひアナログディスク再生をやってほしい、ということだった。

アナログディスク再生、アナログプレーヤーの調整については、やりたいと考えている。
けれど器材あっての音出しであり、最低でもある条件を整えての音出しにしたい──、
とCD以上に考えるのは、アナログディスクには思い入れがあるからだろう。

100%満足できる環境での音出し以外はやらない、なんてことは考えていない。
あくまでも最低限の環境が整えることでできれば、やる予定である。
でも、それが意外とたいへんである。

でも、とにかく、まずアナログディスクで音を出しましょうよ。
と昨晩いわれた。

いいわけがましいことをいいながらの音出しはやりたくないが、
そういう声がつよくあったのだから、
早いうちに一度、アナログディスク再生をやるつもりでいる。

Date: 12月 24th, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(ラックスCL32・その8)

先日のKK適塾の二回目、澄川伸一氏の話に比率の美しさがあった。
私がここ数年のラックスのアンプに感じているのは、その逆、
比率の醜さである。

ラックスのいうところの伝統のデザインを継承している機種に、
特にいえることであり、それは最新機種のLX380だけでなく、
それ以前に出ている、昔ながらのラックス・デザインのアンプにもいえる。

ひとつひとつ機種名は挙げない。
昔からのラックスのアンプを知っている人ならば、
どれらのアンプのことを言っているのかはすぐにわかってもらえよう。

だから、ここでは代表してLX380について書いていく。
LX380は管球式プリメインアンプである。

LX380を構成する部品で背の高いものといえば、出力管とトランスになる。
出力管に何を採用するかで、アンプの高さはある程度決ってくる。

出力管を水平配置にしないかぎり、管球式プリメインアンプは厚みのあるものになってしまう。
けれどLX380を見て感じるのは、プロポーションの圧倒的な悪さである。
比率の醜さといってもいい。

なぜ、ここまでずんぐりむっくりにしたのだろうか。
あえて、こういう比率にしているのか。

ラックスのウェブサイトでLX380のページには、
「伝統的なノブのレイアウトと木箱ケース」とある。

揚げ足取りみたいになるが、伝統的なデザイン、とは書いてない。
あくまでも伝統的なノブのレイアウトである。

LX380のプロポーションの悪さは、ラックスも認識しているのか、と思いたくなる。
認識しているからこそ、伝統的デザインではなく、伝統的なノブのレイアウトにしているのか。

Date: 12月 24th, 2016
Cate: 世代
1 msg

世代とオーディオ(スピーカーとヘッドフォン・その1)

ヘッドフォン、イヤフォン市場は活況のように見える。
ヘッドフォン祭に行くけば、若い人たちが多い。
家電量販店でもヘッドフォン、イヤフォンのコーナーは広かったりする。

このことについてよくいわれるのが、
ヘッドフォン、イヤフォンで音楽を聴いている人たちの一部でもいいから、
スピーカーで音を聴くことに目覚めてくれれば……、といったようなこと。

若い人たちは、スピーカーではなくヘッドフォン、イヤフォンで聴く、とはいわれている。
スピーカーは置き場所を必要とするし、住宅状況からいってもスピーカーを買う人は少なくなっている。
──そんなふうにいわれているけれど、そうなのだろうか。

私が若かったころも、住宅状況はよくなかった。
若者の独り暮しで、広い部屋に住んでいるのは、私のまわりにはいなかった。
さほど、この点に関しては変わらないのではないだろうか。

なのになぜ、いまはスピーカーで音楽を聴く人が減っているのか。
いくつかの理由があるはずだが、そのひとつに、
スピーカーの音が嫌いな人たちが増えてきたためではないか、と思っている。

好きな音楽をいい音で聴きたい。
そういう人は今も昔もいる。
けれどいまはスピーカーの音が嫌い、という人たちの割合が増えてきたのかもしれない。

スピーカーの音を嫌う人は、昔もいた。
昔からスピーカーではなく、ヘッドフォンだけ、というマニアがいた。
でも少数派のように見えた(実際そうたったと思う)。

このスピーカーの音を嫌う人たちの存在が顕在化したのは、
1980年代にはいり、いわゆるプレナー型スピーカーがいくつか登場したからだろう。

スピーカーの音が嫌いでも、いい音で聴きたい。
スピーカーの音が好きで、いい音で聴きたい。
どちらもいるわけだ。

私ははっきりとスピーカーの音が好きで、である。

ほんとうにスピーカーの音を嫌う人たちが増えているのかどうかは、まだはっきりしたわけではない。
でもそうであったとしたら……。
その人たちはスピーカーで聴くようには、まずならないのではないか。

Date: 12月 24th, 2016
Cate: 映画

映画、ドラマでのオーディオの扱われ方(その3)

アメリカの音楽産業を描いたドラマは、もうひとつある。
Empire 成功の代償」である。

現在のアメリカの音楽産業が描かれている。
ここに登場するレコード会社の社内にも、オーディオ機器はもちろんある。

1970年代ではデモ音源はテープだった。
カセットテープかオープンリールテープ。
レコード会社の社員の机にはカセットデッキがある。

いまはテープによる持ち込みはない。
USBメモリーかCD-R。
レコード会社の社員の机からテープデッキはなくなり、パソコンが置かれている。

1970年代の「VINYL ─ヴァイナル─」と現在の「Empire 成功の代償」のあいだは40年。
この比較をしながら、ふたつのドラマを見ていくのも、オーディオマニアとしては楽しい。

Date: 12月 24th, 2016
Cate: 1年の終りに……, デザイン

2016年をふりかえって(その5)

2016年夏あたりから、2020年の東京オリンピック/パラリンピックのエンブレムが、
街中で見かけるようになった。

学校にも、スーパーにも、企業のピルでも、
いろんなところで、ようやく決ったエンブレムが飾られている。

大きなサイズのものである。
オリンピックとパラリンピック、ふたつのエンブレムが飾られているから、
見ていて、最初に選ばれた(といえるのだろうか)佐野研二郎氏のエンブレムでなくてよかった、
と心底思った。

頭の中で、例のエンブレムが飾られているところを想像したからである。
あのエンブレムが、このサイズで街のいろんなところに飾られたとしたら……。

この東京オリンピック/パラリンピックのエンブレムの件では、
デザイナー、デザインに対しての誤解が生れ、広まったといえる。

しかもエンブレム問題に留まらず、
その後も、いわゆるパクリがインターネットで指摘される事態となった。

そして今年11月には、東京デザインウィークでの事故(事件)が起った。

デザイナーと呼ばれる、呼ばれたい、ごく一部の人たちの起したことが、
デザイン、デザイナーをより誤解させ、貶める。

こんなことをやらかしてしまう人たちをデザイナーと呼んでいいのだろうか、という疑問がある。
でも、世の中ではデザイナーと呼ばれている。

ならば本来の意味でのデザイナーと呼ばれるにふさわしい人をなんと呼べばいいのだろうか。
心あるデザイナーの中には、デザイナーという呼称を拒否したいと思う人もいよう。

デザイン(design)に現在進行形のingをつけると、
このブログにも使っているdesigningになり、過去形をつけるとdesignedである。

いまのごく一部のデザイナーと呼ばれていても、
デザイナーとは到底呼んではいけない人たちがやらかしたこと、やらかしていることによって、
designにつくのは、ingでもedでもなく、deadなのかもしれない。

design + dead = designdead

Date: 12月 23rd, 2016
Cate: 基本, 音楽の理解

それぞれのインテリジェンス(その1)

それぞれのインテリジェンス。
そのことを考えるきっかけがあった。

私のインテリジェンスは何かとなると、
音楽の理解であり、
ここでの音楽とは、ベートーヴェンの音楽であり、
バッハであり、ブラームスでもワーグナーの音楽、
つまりはドイツ音楽の理解こそが、そうである。

Date: 12月 22nd, 2016
Cate: 単純(simple)

シンプルであるために(ミニマルなシステム・その19)

音における化粧について考えていると、
ミニマルなシステムは、音の化粧を受け入れるのか受け入れないのか、
音の化粧を求めるのか求めないのか──。

ソナス・ファベールのMinima AmatorとCHORDのHUGOのミニマルな組合せ。
スピーカーをロジャースのLS3/5A(15Ω版)にした場合の組合せは、
ミニマルなのかどうかを考えていると、
Minima AmatorとLS3/5Aの違いは、音の化粧にも関係してくることに気づく。

Date: 12月 22nd, 2016
Cate: 映画

映画、ドラマでのオーディオの扱われ方(その2)

VINYL ─ヴァイナル─」というアメリカのドラマがある。
マーティン・スコセッシとミック・ジャガーが手を組んで、
1970年代のアメリカの音楽シーンを描いた、というふれこみのドラマである。

1973年からドラマは始まる。
私がこれまで見てきたドラマの中で、もっともオーディオ機器が登場する。

レコード会社の社内にもオーディオ機器はある。
役員室にもオーディオが置かれている。
放送局が登場するシーンもある。

このターンテーブルとトーンアームの組合せなのか、と、
アメリカとは思えない組合せが意外に感じられたり、
オープンリールデッキとカセットデッキが両方ともあったりするのは、
1970年代という時代でくるものである。

ナカミチの700が、けっこうはっきり映るシーンもある。
700といえば、1973年に出たばかりのモデルのはずだ。

とにかくいろんなオーディオ機器が登場して、
それだけにオーディオマニアには楽しい、といえる。

Date: 12月 22nd, 2016
Cate: audio wednesday

第72回audio wednesdayのお知らせ(セッティングとチューニングの境界)

以前、プロのメイク(化粧)を見たことがある。
メイク前の顔とメイクをほどこされた顔の違いは、
女の顔は化粧で変る、ということをほんとうに実感できた。

そのメイクの人の素顔も見たことがある。
なるほど、プロは自分の顔も正確に把握しているからこそ、
これだけのメイクができるのだな、とも感心していた。

こんなことを書いているのは、ある種のアクセサリーによる音の変化は、
化粧に近いものがあると感じているからだ。
アクセサリーそのものにも、そういう傾向をもつモノがあるが、
使い手側も、そういう意図で、種々のアクセサリーを使っているふうにも感じることがある。

化粧の腕がよければ、女性の顔は美しくなる。
化粧とはよくいったもので、化けている。
化けているわけだから、化粧を落とせば、元の顔に戻る。

こういうようなアクセサリーの使い方、
アクセサリーに頼った、いわゆるチューニングは、
別のところにあるチューニングを、私は本来のチューニングと考えている。

化粧の前にやることはある。
その段階でのセッティングとチューニング。
だから私が考えるチューニングと、一部のオーディオマニアにとってのチューニングは、
同じ言葉であっても、ずいぶんと異なりもする。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 12月 22nd, 2016
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その13)

オーディオの想像力の欠如がしたままでは、たがやせない。
たがやすことができなければサイクルも生れない。

Date: 12月 22nd, 2016
Cate: 川崎和男

KK適塾(二回目)

KK適塾二回目の講師は、澄川伸一氏と原雄司氏。
川崎先生を含めて講師は三人となると、
いつもと同じ時間であっても、短く感じてしまう。

タイムテーブル通りに進むことは大事であっても、
ひとりひとりの時間が短い。
三人ゆえの話も聞けたのだから……、と思っているけれど、それでも……、と感じる。

感じるといえば、今回はじめて感じたことがもうひとつある。
澄川伸一氏のプレゼンテーションで、はじめに三分ほどの動画が、
スクリーンに映し出された。

澄川氏がこれまでデザインされた作品が映し出された。
音楽も流れている。

そこでの音楽の選曲はよかった。
よかっただけに、そして映し出される澄川氏の作品が素晴らしいだけに、
その音の質が気になった。

作品、曲に対して、音が劣っている。
たいていのところで、音はないがしろにされている。
2015年度のKK塾、今年度のKK適塾、
会場は同じだから、そこで鳴る音がどの程度なのかはわかっている。

それまでも音は悪いな、と思うことはあったが、そこまでだった。
でも今回は、音の質。
ここでの質とは(しつ)であり(たち)でもあり、
特に質(たち)がスクリーンに映し出されている作品と曲にそぐわなすぎていた。

BGM(ここではBGMといっていいだろうかとも思う)の有無、
あるならばどういう曲なのかによって、スクリーンに映し出されるものの印象は、
大きく影響を受ける。

でもそこでの音の質(しつとたち)も同じに、影響を与える。
むしろ私の耳には、質(たち)のそぐわなさが気になりすぎた。

これからのプレゼンテーションにおける音の質(しつとたち)について、
これからのKK適塾がどう答(音)を提示してくれるのかが楽しみである。

Date: 12月 21st, 2016
Cate: アナログディスク再生

自走式プレーヤーの領域(その7)

このリード線の処理は、
ステレオサウンド 87号(1988年)の時代よりも、
いまのほうがより重要なポイントといえる。

いうまでもなくカートリッジ出力信号は微小信号である。
しかも低域においては中域よりもレベルが下っていくし、
ローレベルの信号はさらに下るわけである。

実際に自分で計算してみると、ぞっとするような小さいな値になる。
リニアトラッキングアームではリード線の可動範囲がどうしても大きくなる。
この部分をうまく処理しないと、
アナログディスク再生の魅力を大きくスポイルすることになってしまう。

最近のハイエンドのトーンアームの中にも、
リード線の処理について無頓着な製品をみかける。

自走式プレーヤーとなると、このリード線の処理がネックになる。
なにせトーンアーム自体が毎分33 1/3回転、それが約20分ほど続くわけだから、
どの部分からリード線を引き出して、どうするのかをきちんと考えないと、
実際の再生はおぼつかなくなる。

解決策は、ひとつは考えてある。
ただし、この解決策では実験は可能でも、製品とすることは難しい。
なので、なんらかの工夫がさらに必要となってくる。

それでは実際にサウザーのSLA3と同じ機構のリニアトラッキングアームで、
自走式プレーヤーにするかといえば、
ここにもさらなる工夫が必要となる。

リニアトラッキングアームを自分のモノとして使ってはいないが、
ステレオサウンドの試聴室で使っている。
気づいている点がいくつかある。

その点に関しても、考えていることがある。

Date: 12月 21st, 2016
Cate: アナログディスク再生

自走式プレーヤーの領域(その6)

ステレオサウンド 87号に「スーパーアナログプレーヤー徹底試聴」が載っている。
副題として、
「いま話題のリニアトラッキング型トーンアームとフローティングがたプレーヤーの組合せは、
新しいアナログ再生の楽しさを提示してくれるか。」
とつけている。

私が担当した企画(ページ)である。
ここで取り上げたのはSOTAのStar SapphireにエミネントテクノロジーのTonearm 2、
オラクルのReferenceにエアータンジェントのAIRTANGENT II、
ゴールドムンドのStudietto、
バーサダイナミックスのMODEL A2.0にMODEL T2.0である。

ゴールドムンドだけがサーボコントロールを採用している、
いわば電動型のリニアトラッキングアームである。

これら四機種は、どれも未完成品といえるアナログプレーヤーばかりである。
87号が手元にある方はページを開いてほしい。

大見出しに
「趣向をかえたプレーヤー試聴。いずれも『未完成』の魅力をもっている。」
とつけている。

この時の試聴は輸入元の担当者にあらかじめセッティングと調整をお願いした。
試聴は、そのセッティングをいじることなく、場所の移動もすることなく、始めた。

それでも一部の機種では不都合が生じ、私が調整しなおすことになった。

実際にこれらのアナログプレーヤーを触ってみると、
未完成品といいたくなる。

もちろんすべてのオーディオ機器が100%完成品といえるわけでもなく、
その意味では少なからず未完成の部分も保留しているけれど、
そういう意味ではなく、もっと積極的な意味での未完成品である。

だから、この記事ではリード線の処理について、写真とともに解説をつけている。

Date: 12月 21st, 2016
Cate: アナログディスク再生

自走式プレーヤーの領域(その5)

1980年代なかば、アメリカからSOUTHER(サウザー)というブランドの、
カートリッジの送りにモーターを使っていた、それまでのリニアトラッキングアームとは違う、
モーターに頼らないタイプのリニアトラッキングアームSLA3が登場した。

日本での当時の輸入元はサエク・コマース。
価格は220,000円していた。

SMEのトーンアームと比較すると、完成度という点では劣る、といえた。
でもモーターを使わないリニアトラッキングアームは、新しく見えた。

サウザーの評価はアメリカの一部では高かったようだ。
その後、エミネントテクノロジー、エアータンジェント、
バーサダイナミックスといったブランドが、
リニアトラッキングアームをひっさげて登場してきた。

サウザーのSLA3はモーターを使わないだけではなく、
アームパイプが存在していないことも目を引く。
パイプがなければ、パイプに起因する問題は起こらないわけで、
このメリットはかなり大きい、といえる。

パイプをなくしたリニアトラッキングアームはSLA3が最初ではなく、
ルボックスのB790もパイプをもたない機構のはずだ。

私がいま思い描いている自走式プレーヤーは、サウザーのSLA3に近いといえば近い。
SLA3は通常のプレーヤー、つまりターンテーブルが回転するプレーヤーに取りつけて使う。

ここで発想を逆転させて、ターンテーブルをストップさせて、
なんらかの方法で SLA3を回転させたら……。
これが出発点になっている。

Date: 12月 20th, 2016
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その22)

イギリスの英オックスフォード大学出版局が、
今年注目を集めた言葉として「post-truth」を選んだことはニュースにもなった。

客観的な事実や真実が重視されない時代を意味する形容詞「ポスト真実」ということだ。

私の中では、このpost-truthが、
「理解なんてものは概ね願望に基づくものだ」と深く重なってくる。

そしてこのことが現代の資本主義における広告とも密接に絡んでくる、
と受けとめている。

post-truth、
願望に基づく理解、
現代資本主義の広告。

じっくり考える必要がある。