Archive for 3月, 2015

Date: 3月 10th, 2015
Cate: バッハ, マタイ受難曲

カラヤンのマタイ受難曲(その5)

カラヤン/ベルリン・フィルハーモニーによるマタイ受難曲を聴き終えて、
もう一度、黒田先生の「バッハをきくのはメービウスの輪を旅すること」を思い出していた。

メビウスの環の裏と表、
カラヤンの場合、片方がマタイ受難曲でもう片方がパルジファルであるような気がしたからである。
メビウスの環だから、どちらが表で裏なのかは同じことであるから、
マタイ受難曲が表でパルジファルが裏とはいえない。

続いているように聴こえてくるのは、
ずっと以前とはいえ「バッハをきくのはメービウスの輪を旅すること」を読んでいたからなのか、
そしてマタイ受難曲を聴く前にも読み返していたからなのか。

なんにしても、いまの私はカラヤンのマタイ受難曲とパルジファルを切り離して受けとめることはできない。

そしてすこしだけ思うのは、
マタイ受難曲もパルジファルと同レベルの録音であったなら……、である。

Date: 3月 9th, 2015
Cate: アナログディスク再生

建造物としてのアナログプレーヤー(その1)

スタートレックに登場するU.S.S. ENTERPRISE NCC-1701。
スタートレックをみるたびに、アメリカが生んだ最高のデザインのひとつだと思うとともに、
アナログプレーヤーに、このカタチをもってこれないだろうか、とも思ってしまう。

エンタープライズ号は建造物である。
アナログプレーヤーもまた建造物として捉えた方がいいのではないか。

これまでにいくつかの、そう捉えられるアナログプレーヤーが登場しているものの、
エンタープライズ号の域に達しているとは、まだまだいえない。

Date: 3月 9th, 2015
Cate: JBL

JBL PROFESSIONALの現在(その3)

JBLとアルテック。
同じウェスターン・エレクトリックの流れを汲むメーカーであり、
どちらもコンシューマー用とプロフェッショナル用のスピーカーを手がけていても、
JBLは早い時期からレンジの拡大に積極的で3ウェイ、さらには4ウェイのシステムを発展させてきた。
アルテックは2ウェイという枠のなかで高域レンジの拡大を図っていた。

けれどアルテックも6041を発表してからは、4ウェイ路線に奔ってしまった。
当時のスピーカー技術では、どうしても2ウェイでまだ無理なところがあったともいえよう。

そんなJBLとアルテックだが、
JBLは1981年に4400シリーズを発表する。
それまで誰も見たことのない形状をしたバイラジアルホーンを搭載した、このスタジオモニターは、
4ウェイでもなく3ウェイでもなく、2ウェイだった。

高域を受け持つユニットは、4343のミッドハイを受け持つ2420のダイアフラムのエッジを改良した2421。
2420よりは高域レンジがのびているとはいえ、2405ほどのびているわけではない。

4435、4430とも発表されている再生周波数帯域は、30Hz〜16kHz ±3dB(4430は35Hzとなっている)。
この時代のスピーカーとしては、高域に関してはナローレンジといえるモノを、
4ウェイを積極的に展開していたJBLが、あえて出してきた。

4435、4430とも、私は音を聴いていない。
けれど、4435の音を気に入っていまも鳴らされている人を知っている。

4400シリーズは続いて出た4411では3ウェイになっているし、
1983年には2404Hという、小型のバイラジアルホーンをもつトゥイーターも出している。
2404Hの再生周波数帯域は3000〜21500Hzとなっている。

それでもJBLは1989年にS9500で、2ウェイにまた挑戦している。
M2は、そういうJBLの最新の・最先端の2ウェイ・システムであり、
JBL PROFESSIONALのスタジオモニターとして今後3ウェイ、4ウェイが登場することはない、といえよう。

Date: 3月 9th, 2015
Cate: JBL

JBL PROFESSIONALの現在(その2)

JBL PROFESSIONALのM2は、2013年1月に発表されたスタジオモニターである。
二年前の製品の存在にいまごろ気づいて、遅れて昂奮している。

つまりヒビノのサイト、それからJBL PROFESSIONALのサイトにも二年以上アクセスしていなかったわけだ。

これといったはっきりとした理由はなかったけれど、
JBL PROFESSIONALのサイトをみると、
スタジオモニターとして、いまだにControlシリーズが現役として残っているのがわかる。
(ヒビノでは扱っていないようだが)

それにM2以前の大型スタジオモニターであったDMS1のイメージが芳しくなかったのも影響している。
14インチ口径のウーファーのダブル試用の2ウェイのシステムだったDMS1がどういう音だったのかは知らない。
実物を見る機会はなかったけれど、写真を見て、その音を聴きたいとは一度も思わなかった。

JBL PROFESSIONALのスタジオモニターから輝きが消えてしまったように感じていた。
4320から始まったJBL PROFESSIONALのスタジオモニターは、4343をピークに、ほんとうに輝いていた。

いまでは”Studio Monitor”は、4300シリーズの型番の一部になってしまった感がある。
だからといって、現在の4300シリーズがダメだとは思っていないが、
JBL PROFESSIONALではなくJBLブランドのスピーカーシステムに、4300シリーズの型番をつけるのは、
そろそろ終りにしてほしい、と思う。

もしくは4300シリーズの型番を続けるのであれば、スタジオモニターは謳わない方がいいようにも思う。
そのくらいに、JBL PROFESSIONALのM2の登場に昂奮している。

4320が登場した時に、当時のオーディオマニアが体験してであろう昂奮は私は世代的に味わえなかった。
けれど、いまM2によって、同じレベル(もしかするとそれ以上の)昂奮を味わえるような気がしてならない。

Date: 3月 8th, 2015
Cate: JBL

JBL PROFESSIONALの現在(その1)

いまもJBLの4300シリーズのスピーカーシステムは売られている。
JBLの輸入元であるハーマンインターナショナルのサイトには、
4365、4338、4312をはじめ、10機種の4300シリーズがラインナップされている。

これらは、けれどJBLブランドである。

ハーマンインターナショナル以前は山水電気がJBLの輸入元だった。
このころは、コンシューマー用スピーカーはJBLブランド、
プロフェッショナル用スピーカーはJBL PROFESSIONALブランドだった。
4300シリーズはJBL PROFESSIONALブランドのスピーカーシステムだった。

いまもJBLはコンシューマー用とプロフェッショナル用とがある。
コンシューマー用はハーマンインターナショナルが輸入元であり、
プロフェッショナル用はヒビノと、輸入元がわかれている。

4300シリーズがコンシューマー用の型番となってしまった現在、
録音スタジオで使われるモニタースピーカーに対するJBLの答はどうなっているのだろうか、
と数年ぶりにヒビノのウェブサイトを見てみた。

M2というモデルが、現在のJBL PROFESSIONALのスタジオモニターのフラッグシップである。
正直、見た目はあまりそそられない。
けれど、このM2に搭載されているドライバーは、ひじょうにそそられる。

D2 Dual Driverと名づけられている、このユニットの構造図は、
いままで見たことがないコンプレッションドライバーの構造を示している。

Date: 3月 8th, 2015
Cate: 快感か幸福か

オーディオレコード的という意味でのオーディオ機器(その3)

はっきりとドンシャリ型といえる音は、下品である。
けれど、ドンシャリすれすれといえる音を出すオーディオ機器(特にスピーカーにおいては)が、
魅力的に聴こえることがあるのも事実である。

たとえばイギリスのスピーカー、フェログラフのS1。
     *
 聴きようによっては、いわゆるドンシャリすれすれのような特異なバランスだが、音像定位のシャープさ、音色の独特の魅力、デザインの美しさ、ともかく捨てがたい製品。
(ステレオサウンド 35号)
     *
瀬川先生が書かれたものだ。
S1は初期のモノと後期のモノとでは音のバランスに違いがあるといわれている。
ドンシャリすれすれなのは、おそらく初期のS1のことだろう。

人によっては、S1の音のバランスはあきらかにドンシャリだと感じるかもしれない。
けれど瀬川先生にとっては、あくまでもドンシャリすれすれであり、ドンシャリではない。

それはやはり下品な音かそうでないかによって、その境界線は決ってくるからである。
総じてフェログラフのS1と同時代のイギリスのスピーカーシステムの音のバランスは、
ドンシャリすれすれまでいかなくとも、ドンシャリ的傾向のモノがいくつかあった。

ステレオサウンド 36号「実感的スピーカー論 現代スピーカーを展望する」の中で、
瀬川先生は書かれている。
     *
数年前からイギリスの新しい世代のスピーカー、KEFやB&Wやスペンドールやフェログラフなどの新顔が少しずつ入ってきた。その新顔たちにまず顕著だったのが、先にも書いたハイの強調である。B&WのDM2など、13キロヘルツから上にスーパートゥイーターをつけて、あくまでも高域のレインジを延ばす作り方をしている。この方法論はスペンドールにも受け継がれている。ハイを延ばすことの割合に好きなはずの日本でも、12~13キロヘルツ以上にトゥイーターのユニットを一個おごるという作り方は、かつてなかった。
 しかしレインジを延ばしたことが珍しいのであるよりも、その帯域をむしろ我々には少しアンバランスと思えるくらい強調した鳴り方におどろかされ、あるいは首をかしげさせられる。イギリス人の耳は、よっぽど高音の感度が悪いんじゃないかと冗談でも言いたくなるほど、それは日本人の耳にさえ強調しすぎに聴こえる。同じたとえでいえば、イギリス人は中音域を張らすことをしない。弦や声に少しでもやかましさや圧迫感の出ることを嫌うようだ。そして低音域は多くの場合、最低音を一ヵ所だけふくらませて作る。日本にも古い一時期、ドンシャリという悪口があったように、低音をドンドン、高音をシャリシャリ鳴らして、中音の抜けた音を鳴らしたスピーカーがあったが、イギリスのは、低音のファンダメンタルは日本のそれより低く、高音は日本より高い周波数で、それぞれ強調する。むろん中域が〝抜けて〟いたりはしない。音楽をよく知っている彼等が、中音を無視したりはしない。けれど、徹底的におさえこむ。その結果、ピアノの音が薄っぺらにキャラキャラ鳴ったり、サックスの太さやスネアドラムのスキンの張った感じが出にくかったり、男声が細く上ずる傾向さえ生じるが、反面、弦合奏や女声の一種独特の艶を麻薬的に聴かせるし、楽器すべてをやや遠くで鳴らす傾向のある代りにスピーカーの向う側に広い演奏会場が展開したような、奥行きをともなって爽やかに広がる音場を現出する。
     *
ドンシャリといっても、
ドンとシャリとがどれだけ離れているのか、
そして中音域が抜けていないこと、
これらによって、ドンシャリとドンシャリすれすれの境界線ができてくるのではないだろうか。

Date: 3月 7th, 2015
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その2)

オーディオの想像力の欠如が端的にあらわれたのが、
「名作4343を現代に甦らせる」の記事であり、その試聴記である。

Date: 3月 7th, 2015
Cate: 戻っていく感覚

戻っていく感覚(再会という選択)

戻っていく感覚」というテーマで書いている。
昨年の10月から書き始めた。
今年は、もっと書いていこうと考えている。

昨晩書いた「オーディオ機器を選ぶということ(再会という選択)」も、
やはり戻っていく感覚なのだろうか、といま思っている。

Date: 3月 7th, 2015
Cate: 快感か幸福か

オーディオレコード的という意味でのオーディオ機器(その2)

ドンシャリ、という表現があった。
いまも使うようではあるが、以前からするとオーディオ雑誌で目にすることはかなり減ったし、
オーディオマニア同士の会話でも(少なくとも私の周りでは)、
ドンシャリという単語を耳にすることはほとんどない。

説明するまでもないと思うが、ドンシャリとは
低音がドンドン、高音がシャリシャリと表現されるような音のことだ。

日本の、ずっと以前のオーディオ機器(特にスピーカー)は、ドンシャリの傾向が強いといわれていた。
けれど、中音域が大事だという動き・考えが起ってきて、やがてドンシャリ型の音は消えていった。

いわばドンシャリ型とはナローレンジのカマボコ型とは正反対の特性の音ともいえ、
それは技術が進歩して低域も高域も、以前より延ばせるようになってきたから登場したといえるだろう。

私がオーディオに興味を持ち始めたころは、ドンシャリ型の音は消えはじめていた。
ところが、面白いことにアメリカからドンシャリ型のスピーカーシステムが登場するようになっていた。

ステレオサウンド 60号・特集の座談会で瀬川先生が、そのことについて語られている。
     *
彼らが挑戦しようとしている過去のアメリカの音というは、非常に乱暴な分類をしてしまうと、スピーカーでいえばカマボコ型の特性をしている。中域をたっぷりさせて、高域と低域はスローダウンさせる。それはアルテックだけに限らず、JBLだって初期のスピーカーはそうだし、エレクトロボイスにしても、ARにしてもいってみればカマボコ型だったそこで、それらの反動として、いまのアメリカ若い世代は、突然低域と高域を強調した「ドンシャリ」に目覚めたのではないかと思います。このドンシャリというのは、カマボコ特性に対するものとしていっているので、決して悪い意味でいっているわけではありません。これはぼくの勝手な思い込みではなくて、何人かの若いオーディオファイルやオーディオ関係者に会って、彼らの音を聴かせてもらってわかったことなのです。いままでのアメリカのスピーカーでは出なかったところのハイエンドやローエンドに、絶対彼らはびっくりしていると思う。このIRSというスピーカーにしても、そのドンシャリ型の音を彼らの現在の理論、方法論でどこまで煮詰めていけるかというような考え方の一つの現れではないかと思います。
 日本でもかつてドンシャリ時代がありましたよね。それに対して、中音も大事にしようという動きが起こってきて、そのうちにアメリカやイギリスのバランスのいいスピーカーがだんだん日本に入ってくるようになり、本当に低音から高音まできちんとエネルギーバランスのとれた音はどういう音かということを、ようやく日本人もここ数年来広く理解するようになってきた。ところが、アメリカというのは、その点もう一遍本卦還りしているんじゃないですか。つまり、菅野さんも言われたように、アメリカの過去のオーディオの黄金時代をつくった人間が齢をとってしまった、という思い込みから、しかもその良き伝統を受け継いでいないから、アメリカの若い世代のエンジニアというのはまったくのゼロからスタートしているのです。ゼロからスタートするとやはり、まずドンシャリにひっかかりますよね。これはいまの世代の人にかぎらないと思う。個人的には、少し幼いところがあるという感じがするのですが、こういうものを果敢につくる開拓精神というのはすごいものだと思います。
     *
「ゼロからスタートするとやはり、まずドンシャリにひっかかりますよね」とある。

Date: 3月 7th, 2015
Cate: High Resolution

Hi-Resについて(その3)

facebookのタイムラインに表示されていて読んでみて、驚いた。
そこに引用されていたのは,次の文章だった。
     *
北口 ちょっと話の腰を折ってしまうんですけど、スピーカーでハイレゾって聴けるんですか?
井上 聴けます。
北口 それは、みんながふつうに持っているもので?
井上 いや、ハイレゾに対応しているスピーカーじゃないと無理ですね。あ、でも、本当に昔から出ているような、ひとつ100万円とかするようなものだと、対応しているものもあります。スタジオなどで使っているスピーカーなどはそういうものですね。
     *
このとんでもないことを話している井上という人を、最初はIT関係のライターだと思った。
けれど、リンク先の記事を読むと、そこには「ソニーのビデオ&サウンド事業本部」とある。

ソニーの社員によるハイレゾ解説が、このレベルであるのを、どう受けとったらいいのだろうか。
ソニーの社員が話したことであるから、多くの人がこれをソニーの見解として受けとめてもおかしくはない。

ハイレゾに興味をもちはじめている人がこれを読んだら、どう思うのか。

そして、個人的にもっとも驚いたというか、
ほんとうなのか、と目を疑ったのは、この井上という人のフルネームだった。
そこには、井上卓也、とあった。

同姓同名の人はいる。
オーディオ業界にもいて不思議はない。
けれど、よりによって井上先生と同姓同名の人が、こんないいかげんなことを話している……。

貧すれば鈍す、なのだろうか。

Date: 3月 6th, 2015
Cate: チューナー・デザイン

チューナー・デザイン考(その12)

1992年、サザーランドからC1000というコントロールアンプが登場した。
ステレオサウンドの新製品紹介のページで、C1000を見た時に「やられたぁ」と思っていた。

そう思ったのにはいくつか理由があるが、
そのひとつはB&Oの4チャンネル・レシーバーBeomaster6000のことがあったからだ。

前回も書いたが、もう一度書いておく。
B&OにはBeomaster6000という型番の製品が二機種ある。
ひとつはよく知られている、1980年代のレシーバーで、
私がここで書いているのは1974年に登場したBeomaster6000のことである。

Googleで画像検索すれば、どちらのBeomaster6000もヒットする。
見てもらえば、どちらなのかはすぐおわかりいただけるはずだ。

4チャンネル・レシーバー、つまり古い方のBeomaster6000を最初に見たのは、
なんだったのかはもう憶えていない。
それでも、これが4チャンネル・レシーバーではなくコントロールアンプだったら……、
と強烈に思ったことは憶えている。

サザーランドのC1000を見た時、
このコントロールアンプの開発者もBeomaster6000を知っているはず、とだから思ってしまった。
それゆえの「やられたぁ」だった。

C1000の開発者がBeomaster6000を知っていたのか、
その影響を受けていたのか、ほんとうのところはわからない。
それでもC1000の写真を初めて見て、頭に浮んでいたのはBeomaster6000だった。

Date: 3月 6th, 2015
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(再会という選択・その4)

オーディオ機器との再会は、自分自身の選択以外にもある。
オーディオをながくやっていれば、オーディオマニアのリスニングルームに訪れる機会は、
少ない人でも何回はあるし、多い人はそれこそ数えきれないほどでもある。

とにかく誰かのリスニングルームで、以前使っていた・鳴らしていたオーディオ機器と、
ふたたび出会うことはまったくないわけではない。

こういうことが多いのか少ないのかは、なんともいえない。
JBLの4343、マークレビンソンのLNP2といったモデルであれば、そういう機会は割とありそうだし、
例えばSUMOのThe Goldあたりになると、めったになさそうともいえる。

何かの理由で手離したオーディオ機器と再会する。
予期できた再会もあれば、予期せぬ再会もある。

「いまさらLNP2ねぇ……」「いまさら4343ねぇ……」、
そんなことは懐古趣味だとばかりに短絡的判断を下す人は、
そんな時にも口に出さないまでも心の中で「いまさらねぇ……」とつぶやくのだろうか。

人によっては口に出してしまう人もいる。
誰かのリスニングルームに行き、そこで「いまさらねぇ……」という行為は、愚かしいとしかいいようがない。

Date: 3月 6th, 2015
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その1)

オーディオの想像力の欠如が生むものが、現在のオーディオ界である──、
そうは思いたくない。

けれど、完全に否定できずにいる。

オーディオに関わっている人すべてから、オーディオの想像力が欠如しているわけではない。
けれど、欠如しているとしか思えない人が、少なからずいる、と思える。

Date: 3月 6th, 2015
Cate: バッハ, マタイ受難曲

カラヤンのマタイ受難曲(その4)

カラヤン/ベルリン・フィルハーモニーによるマタイ受難曲。
CDは三枚組で、昨夜一枚目だけを聴いた。

いま聴いて良かった、と思っていた。
カラヤンのマタイ受難曲は1972年には出ている。

10代、20代のとき、聴こうと思えば聴けたわけだが、
もしそのころ聴いていたら、一回聴いて、それでいいや、ということになったと思うからだ。

若いうちに積極的になんでも聴いていくことは決して悪いことではないが、
必ずしも、それだけがよいことだともいえないのではないか、とも思う。
少なくとも私に関しては、カラヤンのバッハ演奏に関しては、そういえる。

人によって、聴くべき時期は違っている、ということかもしれない。

Date: 3月 5th, 2015
Cate: audio wednesday, 五味康祐

第51回audio sharing例会のお知らせ(五味康祐氏のこと、五味オーディオ教室のこと)

4月のaudio sharing例会は、1日(水曜日)です。

1980年4月1日、五味先生が逝去された。
だから4月1日の例会のテーマは「五味康祐」である。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。