Archive for 10月, 2009

Date: 10月 6th, 2009
Cate: 使いこなし

使いこなしのこと(その15)

トーレンスのTD226で、もうひとつ気になっていたのは、トーンアームを2本装着できるサイズが、
私にとっては大きすぎたこと。
ロングアームが使える1本アーム仕様のものが出てくれたら、と思っていたら、
わりとすぐにTD127が発表になった。

そんなに高価なものは購入できないし、TD127を目標に貯金に励もう、と考えていたら、
「TD226に1本だけアームをつけて、反対側のアームベースには、
重量バランスをとるためにちょっとしたウェイトを乗せたほうが、
TD127よりも安定感のある音がして、いいんだよ」とさらりと言われた。
井上先生の、この一言で、ターンテーブル選びは振出しにもどった。

TD226のフローティングベースは、当然1本アームのTD127よりも大きく、
重量もその分増しているため、

それとフローティングベースの重量バランスが、
1本アーム仕様のものよりも優れていることも関係しての音の差であろう。

TD226を1本アームで使うのは、使わないトーンアームの共振による影響をなくすためである。

それからもう一言あった。
「TD226もTD127も、螢光灯は、ノイズの発生源だから消しとくんだぞ」
TD226もTD127もレコード盤面を照らすための螢光灯が、ターンテーブルの奥にある。
この螢光灯を灯けると、聴感上のSN比は、たしかに悪くなる。

Date: 10月 5th, 2009
Cate: ショウ雑感

2009年ショウ雑感(その3)

いま豚インフルエンザが流行っている。
誰しも病気にはなりたくない。けれど、マスク姿の関係者の姿をみかけた。
いったい、どういう感覚なのだろうか、と思う。

勤務時間中、机の前にすわり、来客のない、そんな仕事場であれば、
感染したくないからといって、マスクをしたままでいても許されようが、
マスク姿のまま、来場者の前でしゃべり、そのまま接客するというのを、
本人は当たり前の権利と思っているのか、
そのブースの責任者も、それが当り前とし、なんとも思っていないのだろうか。

とにかくマスクをしていた本人には、あきらかに「事務的」な雰囲気がまとわりついていた。

彼は、豚インフルエンザには感染しないだろうが、
「事務的」な雰囲気には感染しているし、彼自身が感染源にもなっていくだろう。

Date: 10月 5th, 2009
Cate: ショウ雑感

2009年ショウ雑感(その2)

会場にいたのは最終日の午後だけだから、このときだけの印象でいえば、
なんとなく来ている人が、例年よりも少ないように感じた。
実際、ブースにはいっても、講演以外では、人がぽつんぽつんというところもあり、
なんとなくさびしい感じを受けていた。

3日間の来場者数は、もしかすると例年とそれほど変わっていないのかもしれない。
そうだとしたら、そんな印象をうけるのは、
来ている人たちが、以前よりも会場にいる時間が短くなっているためではないかという気もする。

ここ数年、なんとなく、ぼんやりとではあるが、感じられるのは、
一部のブースの、一部の人たちから「事務的」な雰囲気が出ていることだ。

こういうものに関しては、人は敏感である。はっきりと意識していなくても、感じとってしまう。
それゆえ会場での滞在時間が短くなりつつあるのかもしれない。

もっとも入場者数は調べていても、滞在時間までとなると大変だろうから、はっきりしたことはいえない。
それでも、この「事務的」な雰囲気が、今年、はっきりと、ひとつ顕れていた。

Date: 10月 4th, 2009
Cate: ショウ雑感

2009年ショウ雑感(その1)

2008年のショウ雑感がまだ途中だけれど、
今年のインターナショナルオーディオショウで、意外だったのは、
アル・ディメオラ、パコ・デ・ルシア、ジョン・マクラフリンの「スーパー・ギター・トリオ」が、
2つのブースで鳴っていたこと。

初日は仕事の都合で、有楽町着が8時すぎ、ショウは見れずに、
友人たちと合流して、あれこれ楽しい雑談。
2日目は私用があり、行けずじまい。
で、最終日、今日の午後、なんとか各ブースをまわってきた。
会場にいた時間は5時間ほどにもかかわらず、
2つのブースで「スーパー・ギター・トリオ」がかかっていたのに出会したのだから、すこし驚きである。

ここ7年くらいは毎年、ショウに足を運んでいるが、
「スーパー・ギター・トリオ」が鳴っていたのは、たまたまかもしれないが、なかった。
なぜ、今年に限って、鳴っていたのだろうか。

しかも昨日、「スーパー・ギター・トリオ」を聴いたばかりだったし、
黒田先生の項でもふれているだけに、
この偶然には、なにかしら意味があるのかなぁ、ともちょっとだけ思う。

Date: 10月 3rd, 2009
Cate: Digital Integration

Digital Integration(その14)

人が受け取る情報の量は、確実に増している、といわれている。

増えているといえば、増えているといえなくもない今日だが、
黒田先生の「情報もどき」という言葉を思い出すと、
情報の量のなかには、情報・量と情報もどき・量があるわけで、
前者の量が増えているかどうかは、はなはだあやしいものかもしれぬ。

となると、ふたつの量をまとめたものは、情報量よりもデータ量といったところか。

データ(data)にも情報の意味が含まれているのはわかっているが、
情報は、information のほうがしっくりくる。

こんなことを考えていたら、川崎先生の「デジタルなパサージュ」のなかに、
「情報内容=データ性より、むしろ情報形式=メディア性が、
現代では情報の質に対して意味をもつことになることがある」
と書かれてあるのを、思い出した。

データ量とデータ性、データ性とメディア性──、
あたまのなかでくり返していたら、デジタル配信とパッケージメディアの違いは、
マスタリングの違いにおよぶように思えてきた。

Date: 10月 2nd, 2009
Cate: 「ルードウィヒ・B」

「ルードウィヒ・B」(その3)

手塚治虫の作品を、ある量読んだことのある方ならば、
手塚作品の特長のひとつとして、モブシーンがわりと使われていることに気がつかれているだろうし、
その素晴らしさ、面白さにも気づかれていると思う。

それまでコマ割りという時間軸によって流れてきていたストーリーが、
大きなコマ、ときに2ページ見開きを使ったモブシーンによって、時間軸をとめてしまう。

そのモブシーンは、じつに丁寧に描かれているし、手塚治虫自身が、嬉々として描いているようにも感じられる。
時間軸はとまるが、物語全体を俯瞰するときもあり、手塚作品のモブシーンは、さっと読み飛ばすわけにはいかない。

このモブシーンが、「ルードウィヒ・B」における音楽そのものの表現手法へと変化している、と思っている。

Date: 10月 1st, 2009
Cate: 使いこなし

使いこなしのこと(その14)

3012-Rを手に入れたものの、組み合わせるターンテーブルはない。
しばらく、手持ちのオーディオ機器は、トーンアームだけ、という、
他に、こんなヤツはいないであろう、という状況が続いた。

ステレオサウンドで働くようになるまで続いていたから、
はじめての編集後記に、そのことを書いている。

瀬川先生は、3012-Rの試聴は、マイクロのSX8000で行われている。
たしかに音はいいだろう、でも3012-Rの美しさにしっとり似合うかというと、武骨すぎる。
それに高価すぎた。

3012-Rはロングアームだけに対象となるターンテーブルは、どうしても限られてしまう。
そのころ、トーレンスからロングアームが搭載可能なTD226が出ていた。

じつはこれが第一候補だった。
ただ、実物を見ると、木目の、赤みを帯びた仕上げが個人的に受け入れられなかったのと、
3012-Rの美しさが映えるかというと、無難という感じにとどまる。

それでもサウンドコニサーの表紙は、TD226に、3012-R Goldとの組合せ。
金メッキが施された3012-Rだと、TD226の仕上げも気にならない。

とはいうものの、私がもっているのは通常の3012-Rだから、TD226は、私にとって、つねに次点候補だった。